日 誌 |
毒舌セカンドオピニオン(精神医療の荒廃)笠 陽一郎 |
愛媛・味酒心療内科のホームページ |
リサイクルショップ・すぎなみ 2003.12 OPEN |
メール・アドレスは、dugonghouse@yahoo.co.jp です。 |
海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!! | ||||
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!! カンパを振り込まれる際は、「阻止行動船カンパ」と書くと、文字分の手数料が取られますので、「何も書かずに」下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。) | ||||
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カンパ 御礼 m(__)m |
4・19以降、辺野古現地に駆けつけていて、カンパの集約が遅れていましたことをお詫びいたします。やっと今日、「ジュゴンの家」に送られてきたカンパ総額をまとめることが出来ましたのでご報告いたします。 |
カンパ報告の頁へ |
上記、カンパはすでに「命を守る会」に手渡し致しました。 今後、順次、カンパをいただいた団体名、また個人についてはイニシャルで報告していこうと思っています。 ありがとうございました。m(__)m |
辺野古と共に!国会前座り込み 国会座り込みの様子を毎日更新!! |
大好評!!
辺野古新基地建設反対!! 「顔署名」はコチラ!!→ (^0^) |
今月の定例ライブ
PM7:00頃〜 入場無料 |
10月Eへ | 10月Gへ |
10月22日(金)日誌 |
朝、練習に参加しているマリちゃん | 辺野古用です | |
昼食は肉じゃが。 厚揚げ |
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「街」のお釜を磨くお客さん | トイレもピカピカに | |
ミコのママからの差入れ | ||
沖縄・与論島に行く、 タカちゃん・新亀さんから決意表明 |
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夕食は3種の肉と野菜炒め | ジャガイモ・ピザ | 絹さやと油揚げの味噌汁 |
22日の国会前行動 |
今日もいろいろな人たちが座り込みをしいて賑やかな国会前。 |
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駐韓米軍犯罪根絶運動本部からのメール |
韓国の駐韓米軍犯罪根絶運動本部からのメールを送ります。 訳はいつものように、怪しいとこもあるかもしれませんがご了承下さい。 ========================================================= 駐韓米軍犯罪根絶運動本部 E-mailニュース104号 2004.10.20. 忙しい1週間が始まりました。団体11年の活動のノウハウを収めた「米軍犯罪被害相談案内書−米軍犯罪被害、こうやって解決しましょう」を配布しました。先週には米軍基地返還連帯と緑色連合と共に、「駐韓米軍基地現状報告書」を作成するなど、最近冊子を作る仕事を、例年より頻繁にするようになりました。「米軍犯罪被害相談案内書」は、昨日、郵送しましたので、明日かあさって頃には届くでしょう。もしやと思う気持ちで、冷静で几帳面に読んで下さることを願います。何とぞ、米軍基地がある警察署、地方自治体で、うまく活用されることを願うばかりです。 騒がしい一週間の始まりにもなりました。先週から、警察大学付設機関である「公安問題研究所」(別名 思想検証研究所と知られているとのことです。)で鑑定した目録が公開され、今週多くの新聞記事があふれ出ました。個人、団体、学生会、労組、マスコミなどで作った資料や記事に対し、宣伝扇動、賞賛同調、その他などの鑑定評価が下され、これは、検察で国家保安法違反で起訴したり、裁判所が判断をする時に重要な根拠となるとのことです。 私たちの団体も例外ではありませんでしたよ。印刷物として出しているニュース紙「平和の火種」を国家情報院が依頼して、公安問題研究所で、「賞賛同調」との鑑定を受けましたよ。(時事ジャーナル783号)どの箇所が賞賛、同調なのかわかりませんが、私たちの団体のニュース紙を読む人は、国家保安法上、利敵表現物所持、貧毒に陥ることで、作成した 人は利敵表現物制作嫌疑を受けるようになるでしょう。有罪判決を受けるかどうかは分かりませんが、検察が起訴する時に、別に問題はないでしょう。 ニュース紙をお読みの方々は多いはずなのに、何なんでしょう。問題にならないことを問題にしてしまい是非とするのですが、根拠とされる国家保安法を早く廃止させなければならないでしょう。自身の行動と言葉と考えを、自分で検証するようになってしまった国家保安法の弊害はいつも近くにありました。表現と思想の自由を妨げている国家保安法、完全撤廃のための闘いを一緒にしましょう。今週土曜日5時に国家保安法廃止のための国民文化祭が、光化門で開催されます。多くの方々の参加をお願いします。 その上、昨日はヨンサン基地移設協定の全文が公開されました。先週に民主労働党のノ・フェチャン委員が協定案を公開し、国民に負担を与える不平等な協定だと批判したりもしました。外交通商部の公式ブリーフィングにより、来年までに新規の土地を買い入れて、2007年、主要な機関を移設する計画であるヨンサン移設協定の問題点、難しい文言が多いですが丁寧に読んでみてくださり、主権国家の構成員として堂々と権利を行使できることを願います。 来週には、団体創立11周年記念小集会を開催する予定です。10月26日が団体創立日なので、いつも今ごろなら大きい行事を準備しようと奔走しているのですが、今年は本を作り、小さいですが意味ある集会で一年を過ごそうと思います。26日火曜日夕方7時事務局で開催する予定です。時間がある方々は、準備された食膳ではなく、共に作っていく食膳を 準備するこの席に共に着いてくださればと思います。 ニュースが多いでしょう?実れる秋、風邪にはお気を付けて・・・。 −駐韓米軍犯罪根絶運動本部 事務局− ■最近の事件事故 ●ヨンサン基地移設協定全文公開(10/19) 不平等なヨンサン基地移設協定、批准拒否しろ! ●米軍犯罪被害相談案内書 制作、配布(10/19) 駐韓米軍犯罪根絶運動本部 創立11周年(10月26日創立)を迎え、過去11年間の米軍犯罪、被害者たちの相談に乗り、蓄積された資料を基礎として<米軍犯罪被害相談案内書:米軍犯罪被害、こうやって解決しよう>を制作、配布するようになった。 本案内書は、全国の米軍基地と施設がある地方自治体と警察署民願室へ配布し、一般の方が簡単に触れることができるようにし、 米軍犯罪が発生したときには、相談所で活用されるようになっているということです。・・・ ●「平和の火種」も賞賛鼓舞? −国家保安法 廃止 100万請願運動 −国家保安法 廃止 国民文化祭 ●団体創立11周年記念小集会(2004.10.26) 団体創立11周年を迎え、会員の皆様と一緒に一年間の活動を振り返り米軍犯罪被害や、ピョンテク米軍基地問題など、懸案について話を分かち合う席を用意しました。 ・日時:10月26日(火)夕方6時30分−9時 6時30分−7時:簡単な茶菓と挨拶 7時 − 8時 :ピョンテク米軍基地拡張問題 映像上映 8時 − 9時 :団体創立11周年記念行事 ・場所:運動本部事務室 |
10月21日(木)日誌 |
マリさんが久々に来ました | 例によって珍味の差入れ | |
マリちゃん、マリさん、マリーの トリオ・ザ・マリーズ |
昼食。 |
10・21 横田闘争へ |
まずは腹ごしらえ。ハネやんと周ちゃん、タカちゃん | ||
集会の前に、「自衛隊を今すぐ日本に戻せ」「命の海」「皆さん、聞いて下さい」「壊せ、こんな国は!」の4曲を唄う | ||
チューやんの辺野古の闘いのアピールでタカちゃんがカンパ箱を持っていくと、2万円を入れてくれた人、1万円札の カンパの人など沢山集まりました (*^_^*) 有難うございます | ||
「街」で余ったオニギリを 美味しそうに 食べる人たち |
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「ヨッシーとジュゴンの家」は第3艇団の先頭で終始、元気にデモをしました。 | ||
総括集会で ←11・6、11・7に総決起するぞ! オー、と則子さん → |
例によって、11人で福生駅近くの中華料理店で乾杯 (^^)v |
21日の顔 署名 |
171 石川美知子さん(40才) |
21日の国会前行動 |
いろんな人たちが座り込んでいて賑やかでした。 |
10月20日(水)日誌 |
「街」・「ジュゴンの家」の口座に寄せられたカンパ |
敬称略 |
日 | 名 称 | 金 額 | 日 | 名称 | 金額 | 日 | 名称 | 金額 | ||
4/20 | 高見元博 | 5.000円 | 5/6 | S・T | 5.000円 | 6/2 | M・L | 20.000円 | ||
4/20 | O・T | 50.000円 | 5/6 | T・M | 102.991円 | 6/3 | O・H | 5.000円 | ||
4/21 | I・A | 5.000円 | 5/7 | T・K | 10.000円 | 6/4 | M・T | 2.000円 | ||
4/22 | M・S | 3.000円 | 5/7 | Y・J | 3.000円 | 6/4 | 筑豊協力伝道奉仕会 | 10.500円 | ||
4/22 | I・Y | 10.000円 | 5/7 | O・M | 3.000円 | 6/7 | T・S | 2.000円 | ||
4/26 | O・Y | 3.000円 | 5/10 | H・M | 30.000円 | 6/8 | 市民ネット佐世保 | 5.000円 | ||
4/26 | T・K | 50.000円 | 5/10 | S・M | 5.000円 | 6/10 | Y・K | 5.000円 | ||
4/26 | M・M | 3.000円 | 5/10 | N・N | 2.000円 | 6/25 | O・K | 10.000円 | ||
4/26 | E・I | 10.000円 | 5/11 | Y・H | 50.000円 | 6/28 | I・R | 10.000円 | ||
4/26 | K・T | 5.000円 | 5/12 | I・M | 10.000円 | 7/2 | I・H | 5.000円 | ||
4/26 | 関西障解委 | 5.000円 | 5/12 | T・M | 10.000円 | 7/6 | N・N,K・N | 10.000円 | ||
4/27 | 「街」集約分 | 18.000円 | 5/13 | S・K | 10.000円 | 7/6 | S・T | 5.000円 | ||
4/27 | N・N関西 | 25.000円 | 5/13 | K・Y | 5.000円 | 7/8 | S・R | 5.000円 | ||
4/28 | M・T | 3.000円 | 5/13 | W・N | 1.000円 | 7/8 | K・H | 5.000円 | ||
4/30 | Y・K | 5.000円 | 5/18 | I・K | 1.000円 | 7/15 | U・Y | 15.000円 | ||
4/30 | S・K | 10.000円 | 5/20 | F・K | 5.000円 | 7/20 | Y・K | 5.000円 | ||
4/30 | 女たちの戦争と平和 | 10.000円 | 5/24 | H・M | 1.000円 | 7/22 | K・Y | 3.000円 | ||
4/30 | H・K | 10.000円 | 5/26 | S・N | 5.000円 | 7/22 | H・M | 6.000円 | ||
5/6 | S・S | 5.000円 | 5/28 | I・H | 33.930円 | 7/27 | M・E | 20.000円 | ||
5/6 | 桑名教会 | 10.000円 | 5/31 | A・M | 10.000円 | 7/28 | S・T | 5.000円 | ||
↓ 計上、忘れ分 |
4/20 | 「街」集約分 | 127.000円 |
5/19 | 「街」集約分 | 118.000円 |
7/22 | 「街」集約分 | 40.376円 |
小計 | 285.376円 |
8月分 | ||
8/2 | T・S | 2.500円 |
8/3 | Y・K | 10.000円 |
8/11 | Y・N | 5.000円 |
8/16 | W・S | 10.000円 |
8/30 | N・M | 10.000円 |
8/31 | M・M | 5.000円 |
8/31 | 趙博 | 10.000円 |
以上、1.047.297円 |
敬称略 |
9/1 | S・R | 5.000円 | 9/22 | H・S | 10.000円 | ||
9/2 | N・T | 10.000円 | 9/22 | O・M | 20.000円 | ||
9/3 | I・M | 10.000円 | 9/22 | K・N | 5.000円 | ||
9/3 | Y・J | 3.000円 | 9/24 | 「街」集約分 | 46.795円 | ||
9/3 | T・K | 10.000円 | 9/24 | G・M | 10.000円 | ||
9/6 | T・S | 2.500円 | 9/24 | 愛農学園農業高校 | 90.323円 | ||
9/7 | 桑名教会 | 20.000円 | 9/27 | R・W | 5.000円 | ||
9/7 | Y・S | 7.000円 | 9/27 | K・C | 50.000円 | ||
9/8 | K・S | 10.000円 | 9/27 | H・F | 3.000円 | ||
9/9 | W・M | 10.000円 | 9/28 | S・M | 29.000円 | ||
9/13 | 丹波神聖教会 | 23.950円 | 9/29 | T・K | 30.000円 | ||
9/13 | M・L | 10.000円 | 10/1 | A・H | 2.000円 | ||
9/14 | Y・L | 10.000円 | 10/1 | S・T | 5.000円 | ||
9/14 | 大きなうねりを起こす | 30.000円 | 10/4 | T・T | 5.000円 | ||
9/15 | 「街」集約分 | 130.326円 | 10/8 | I・Y | 93.000円 | ||
9/16 | K・N | 10.000円 | 10/9 | 「街」集約分 | 102.996円 | ||
9/16 | M・C | 10.000円 | 10/18 | 筑豊協力伝道協会 | 48.360円 | ||
9/17 | I・M | 2.000円 | 10/20 | 「街」集約分 | 82.350円 | ||
9/21 | おおまきちまき | 3.000円 | 祝 200万円 達成 !(^^)! | ||||
9/21 | A・N | 10.000円 |
総計 | 2.011.897円 |
10月19日(火)〜20日(水) 日誌 |
チューやんの誕生日用に万寿さんのケーキ | 京都の草加さんから抹茶あずきのお土産 | |
夕食はモツ鍋+豚キムチ鍋 | ||
ユッ君が来ました |
20日、台風23号接近中 |
辺野古のビデオを見ました | ||
昼食はサンドイッチ | 琉球朝日放送の名護市辺野古 抗議の 座り込み半年 を見ました |
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会長が来ました | 夕食はオデン |
20日の顔 署名 |
169 草加耕助さん(43才) | 170 加藤雅康さん(49才) |
阻止行動182日日誌。ジュゴンの家4周年。私の原点。 |
10月17日(日) ・防衛施設局による違法な強行調査は行われませんでした。 町村外務大臣が普天間および沖縄国際大学そして辺野古を視察していきました。町村外相の言葉を聞いて怒りを感じる方が多くいたと思います。町村外相は沖縄国際大学のヘリ墜落事件に対して「操縦士の操縦は被害を最小限にした見事なものだ」と賞賛しています。その後、沖縄からの怒りの言葉に「失言」と言葉をにごしています。この発言は沖縄への差別そのものです。町村外相は政府の考えを明らかにしました。辺野古に関しても「早期の着工、工期の短縮が望ましい」としています。 沖縄を視察するにあたり外相は防衛施設局の説明を聞き、沖縄の人々の言葉を一つも聞かずに帰っていきました。 座り込みではこの新聞報道を見て、外相の理不尽で差別的な態度に怒りで声を震わし、「本当にどうしようもない政府だ」と呆れる声もありました。 町村外相の発言の中で辺野古視察時に「工期短縮をしても大変だろう」などと言う発言がありましたが、基地建設に何の確信も待てていない政府の意向そのものです。阻止行動について現場の記者からつっこまれると言葉を濁らすだけで終わったとか。 座り込みはだんだんと台風23号の影響で風が強まり、テントがきしむ音が聞こえます。名護市民の方がコーヒーをポットに作って持ってきてくれ「名護市民が座り込まないでどうする」と言って駆けつけてくれたりもしました。 炊事場の人達から天ぷらが振舞われ、にぎわっていました。 今日は座り込みが終わった後、名護のリサイクルショップ「ジュゴンの家」の4周年記念ライブに参加しました。 ジュゴンの家は私が4年前に沖縄の土を初めて踏んだ時に立ち上がり、私が1年間店長をした場所です。今は現店長のうららちゃんに引き継がれ4周年を迎えるまでになりました。座り込みの人達は「えっ!四周年。七周年じゃなかったかな。」と言われたりもしました。 私も4年前が昨日のようにも思え、10年も前にも感じます。それだけこの4年間が私にとって濃密な時間だったことを感じさせます。私は4年前16歳で高校生をしていました。学校の先生と折り合いがつかなく、学校を辞め、これからをどうしようか考えていた時でした。母親が運営している東京のリサイクルショップ「オープンスペース街」 (http://www1.plala.or.jp/akahane/machi-index.html)は私にとってかけがえない場所です。「街」の人達が「ジュゴンの家」を立ち上げると聞き、私はすがる思いで沖縄に行ったのを覚えています。 その時の自分は今思い出しても恥じるほど沖縄のことを知らずにいました。初めて沖縄を見た時の衝撃は今も続いています。広大な米軍基地、爆音が鳴り響く校庭、沖縄戦。米、日の世界戦略の中に位置づけられた沖縄は「キーストーン」として沖縄戦が終わっていないことをその差別と共に私に突きつけました。それから多くの出会いがありました。「ジュゴンの家」の店長という役割を通して名護の人々に出会い、沖縄の世界の平和を願う人たちと出会いました。私の中で大きく変わっていった物、それは「生き方」です。誇りを持ち、人として生きる意味を沖縄の人々は語りました。私はそれを学んできました。 半年が立った頃。 東恩納琢磨さんに連れられ、ジュゴンの目視調査に関わりました。必然なのか偶然なのか私はそこでジュゴンを見ることとなります。今でも忘れない、ジュゴンが3頭で海を泳ぐ姿。 それを自分の中だけにとどめてはいけない。一念発起して「ジュゴンの海の家」を立ち上げました。「海の家」と言っても浜辺にジュゴンに見立てたテントを張り、「ジュゴンの海の家」という旗を立てて毎日浜掃除をしていたというものです。またそこで多くの出会いがありました。名護の八年間(基地建設問題が立ち上がったのが8年前)の中で苦しみ、「賛成」せざるを得なくなった人々や「反対」を誇り高く続けてきた人達と出会いました。現実を知り、辺野古へと走りました。 「命を守る会」と出会ったのは私が沖縄に来て1年と半年が過ぎた頃です。毎日通いました。朝は瀬嵩で「海の家」をし、午後は辺野古へと行くという生活が続きました。 そんな生活が2週間が立った頃、命を守る会のおばぁがこんな話しを私にしました。「晋、"森"って何か知っているか。」おばぁ。「"森"?緑があって木が生えていて、沖縄には西表山猫とかヤンバルクイナが住んでいますよね。」私。「そぉねぇ。"木"って言うのは根を張って生きているでしょう。人間もおんなし。自分の好きな場所、好きな人がいる所に根を張って生きていこうとする。"木"っていうのは人の手本みたいなもんさね。でも人間は愚かしいよ、そんな木をバッサバッサ切り倒していくでしょう。でもねぇ晋。木は負けないでしっかり根を張ろうとする。そこに木一本でも種一つでも残せたら森に還る可能性を持っている。そうやって闘っている。わったーもおんなしさぁ。この辺野古にガジュマルのきぃのように根を張っている。もう、70、80歳になるから。そこに種一つでも木一本でも残せたら基地建設はわったーたーの勝ちさぁ。」おばぁは語りました。 私は基地を沖縄に押し付けてきた人間として「基地建設」をとめようと考えました。そのことによって戦争や差別はなくなっていく。いつかキャンプシュワブのフェンスの向こう側で出会ってきた多くの差別された人達と共に差別のなくなった地で泡盛を酌み交わして三線を弾いて語り合いたい。 でも、何が出来るだろうか。 仕事もしたことがない。生活の知恵だってない。何が出来るだろうか。おばぁの話しを聞いて自分の出来ることが見えました。「この体を張る」ことだと。「種」や「木一本」が自分だとしたら、そこから始めよう、何かが変わるはずだと。私は沖縄と共に生きることを決めました。向き合っていくことを決めました。 その日から2年。 この国と立ち向かうために自分と向き合い生きてきました。今から1年前の四月八日(現在の調査が始まる一年前)、国は「基地建設のためのボーリング調査、それに伴う事前調査」を行うために辺野古へと乗り込んできました。午前6時30分辺野古漁港に突然電話で呼び出された私は原付ですっ飛ばして辺野古へと向かいました。そには防衛施設局員と業者、警察が大勢いました。 一人で立っていたのは命を守る会代表の金城祐治さんでした。現場にその時間にいたのはたったの六名。祐治さんと共に防衛施設局の前に立ちはだかります。 「何をしにきたのか」祐治さん。 「調査だ」防衛施設局田納広報部長。 「私は辺野古区の人間である。あなた方は私たち辺野古区民に対し説明をする義務がある。今すぐ資料を提示し私に説明をしなさい。」祐治さん。 防衛施設局員数名が私たちの前に立ちはだかりました。この八年間一度も説明は行われなかった。そしてその時も。 現場に6名しかいなかった現実。資材が船に積まれ、調査のために出て行く。何も出来ない。何も出来なかった。 今年の4月19日は1年前の4月8日たった6人からの出発でした。 その日からそれぞれが必死になって状況を変えるために動き出しました。「土曜日浜集会」が出来たのもその時です。土曜日に沖縄各地から人が集まり、辺野古について話し合われました。そしてそこで「カヌー隊」が出来ます。毎週カヌーを練習し、鍛錬をつんできました。私は船の免許を取りました。平良夏芽さんは船を買いました。 4月19日、私と祐治さんは3日前から泊まりこみをしていましたが、その日の午前4時30分命を守る会事務所のドアを開けるとすでに50名が集まり、しばらくして200名にまでなりました。沖縄の怒りはたった一年間で全てを覆したのです。 午前5時、防衛施設局が漁港へと入り資材を下ろしはじめました。それを体を張って止めます。一年前の答えがそこにありました。「今日はやめる」と約束した防衛施設局は卑怯にもまた乗り込んできました。しかし、それをまたも止めました。 その日から座り込みが続けられています。 県民世論は八割が基地建設に反対するという結果を持ち、基地反対を掲げて糸数恵子さんが衆議院議員へと当選しました。 おばぁが言ったことば。「たった一人でもそこに立っていたら基地建設はわったー達の勝ちさぁ」 それは現実のものとなりました。 それからもう180日間が過ぎました。 私は負けない。今、ここにこの国が変わる大きな力が生まれた。そのことに何の不安、不満があるでしょうか。私達の前に希望だけが横たわっています。イラクに爆弾を落とさせない現実を、パレスチナに侵略のない日を、アフガニスタンに平和を、インドネシア、フィリィピンに虐殺のない日を、沖縄に基地がなくなる日を、どんな差別もなくなる日を。戦争を終わらせるためにこの国を変える。そのために生まれた大きな力。それが私達にはある。 魂の声は歴史を繋ぎ、殺された名もない多くの抵抗してきた人々の怒りが私達に希望を与えました。 もう負けない。私達の代で差別はなくしてみせる。海に船を出して止める。カヌーを出して止める。ゲートに立って止める。それが真実です。 一本の木から始まった闘いは大きな森になっていきます。一本一本が心に大きな炎を燃やして立っています。それが歴史を作る力、時代を変える力。基地建設はさせない。 |
阻止行動183日日誌。砂川の土地闘争。 |
10月18日(月) ・台風23号が近づいているため阻止行動は行なわれていません。 台風23号の接近で辺野古もすごく荒れています。海は波の高さが5〜6mにも達します。漁港が波によって飲み込まれていくようです。風が強いため座り込みテントは解体し、命を守る会事務所前での座り込みとなりました。防衛施設局にによる調査もなかったため座り込みはにぎやかです。 午前から来訪者が多く、民主商工会の方々や日本山妙法寺の方々、沖縄の大学生も数人来ていました。妙法寺の人達は「平和行脚」のために沖縄を歩いていてそのあいまに座り込みに立ち寄ってくれました。妙法寺の人達の中のNさんはこの8年間、毎日キャンプシュワブの前で基地の撤去と基地建設反対を訴えて座り続けてきました。座り込みに座り、妙法寺の方から「砂川闘争」についての話がありました。 ・(砂川闘争の説明。他のページから抜粋) [米軍占領期から続いた旧日本軍基地の米軍継続使用は講和条約の発効以後に住民による反対闘争を巻き起こした。 その契機となったのは、無期限継続使用を断念させるに至った1952-53年の内灘闘争であるが、その後、反対闘争は53年浅間山基地化反対闘争、55年妙義山接収計画反対闘争(いづれも計画断念)へと続いた。 その中でも激烈を極めたのが、1955年から1957年にわたって繰り広げられた「砂川闘争」である。事の起こりは、米軍が1954(昭和29)年に立川飛行場の拡張を要請し鳩山内閣が了承し測量を開始したことにある。 当時の東京都北多摩郡砂川町(後に立川市と合併)議会が反対決議を行い、測量反対闘争が開始された。1956年10月には警官隊と住民との全面対決により1000名を越す負傷者を出し、砂川の地は住民の血で染まった。世論も砂川住民を支持したため、中央政府は測量を中断。 57年7月に測量を再開した直後、基地に侵入したとして7名を刑事特別法違反で起訴した。 東京地裁は米軍駐留を違憲とし7名に無罪判決を下したが、検察側が跳躍上告を行い最高裁判所は憲法判断を回避し原判決を破棄差戻しとし、63年には被告全員に有罪判決を下した。 しかし、結局は米軍は基地拡張を断念し、その後基地自体も返還。] 妙法寺の人達はその当時、砂川に参加して太鼓をたたいていたそうです。「鉄カブトをかぶった機動隊の中に響く太鼓の音。坊主頭が突き進む。機動隊のケンボウで頭を割られ、額に血がにじんでもても進んだ。辺野古の現在のように多くの人々が集い闘った。その不屈の抵抗は勝利へと繋がり基地建設を阻みました。」と妙法寺の方。 「砂川の歴史の記録」の一文にこんなことが書かれていました。 「8月24日には、五日市街道で測量隊の車と阻止のピケットが激しく揉みあい、警視庁予備隊(現・機動隊)が出動。二名が検束され、十数名の負傷者を出した。初めての衝突である。 その日、妙義山で基地反対闘争をしていた日本山妙法寺の僧侶が藤井日達上人を先頭に支援に駆けつけ、以来、僧侶たちの団扇太鼓が拡張予定地内に鳴り響くようになった。」 砂川の話しを聞き、砂川闘争のことを調べていると、とても印象に残る言葉が出てきました。[8月中を予定していた予備測量を行うことができなかった調達局は、9月13日から10月30日に測量を行うと通達。13日の早朝からはじまった警官隊との攻防は数十人の負傷者と検束者三名を出しながら、夕方5時過ぎまで一進一退を繰り返した。この日、五日市街道は反対同盟と警官隊の双方合わせて五千人の人並みで埋まった。 翌14日、この日の警官隊は全員鉄カブトで武装し、人員も1800人と大幅に増員してなだれ込んできた。あらかじめ五日市街道の東西両側を遮断して、支援の労組員の道をふさぎ、反対同盟のリーダーを集中的に逮捕するという作戦をとった。この結果、測量隊は午前中のうちに予定の予備測量を完了した。 この二日間の衝突は、砂川住民に深刻なダメージを与えた。約30人の逮捕者を出したうえに予備測量が強行され、基地拡張予定地の区域が具体的に決定したのだ。これによって土地収用法が適用可能になり、手続きが完了すれば土地は取り上げられる事になる。 闘争からの離脱者が続出した。条件派と呼ばれる住民の動きも活発になり、町議会も分裂した。砂川闘争の初めての危機であった。だが、この混乱は反対同盟の結束をより強固なものにした。行動隊長・青木市五郎氏は、強行測量直後に声を張り上げて言った。 「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」と。――この言葉が、砂川闘争の合言葉になった。] ・「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」 この言葉は辺野古でも同時に生きているものです。祐治さん(命を守る会代表)は「貧乏人には貧乏人なりの闘い方がある。」と私達に語りました。この二つの言葉はこの闘いを象徴するような言葉と感じます。 座り込みは午後になり、「環境アセスメント学会」の方々が来訪され座り込みに参加していきました。マキシさんやアシトミさんが説明をし、現在の調査がいかに環境アセスメントを無視した違法な調査であるかを訴えていました。どうか、この思い繋がってほしいと思います。 |
11・5 「ぬちどぅ 魂の声」上映会 会場「街」 入場料 1000円 |
九州から 西山正啓監督(ドキュメンタリー映画作家)が 来て上映をします |
韓国・沖縄・日出生台 |
この美ら海を殺すな! 軍事基地にするな! 愛しい命を殺すな! 韓国・梅香里の干潟から 沖縄・辺野古の海から 大分・日出生台の草原から ぬちどぅ魂の声が聞こえる |
ドキュメンタリー・カラー・97分 遊ぶゆい工房/西山正啓監督 |
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