オープンスペース街・日誌 |
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3・20国際反戦共同行動デー
日比谷公園に6万人
冷雨ついて小音楽堂−噴水前を埋める |
日比谷公園霞門からデモ行進の先頭に立つ陸・海・空・港湾労組20団体。「戦争協力拒否」を訴えた | 春闘スト勝利の熱気と高揚感をもってデモ行進する動労千葉の組合員。多くの労働組合の隊列が続いた |
日比谷公園に6万人 新たな反戦運動の高揚が始まった |
反戦共同行動のホームページから転載 |
3月20日、イラク侵略戦争開戦から一年のこの日、東京日比谷公園には6万の人々が集まりました。とりわけ陸・海・空・港湾労組20団体が、日比谷小音楽堂で開催した反戦コンサート集会には、会場に入りきれない数の労働者が集まりました。集会では横井久美子さんが演奏し、「戦争反対!」を熱っぽく歌いました。そして「米英は直ちにイラク占領をやめろ! 自衛隊のイラク派兵反対! 労働者の戦争協力反対!」と訴えて集会・デモを闘いました。参加者は、アメリカ大使館に向けて抗議デモを闘いました。 この集会の前に動労千葉は春闘ストライキを闘い、春闘勝利とともに3・20大行動への結集を訴えてきました。そして百万人署名運動はこの集会に全力でとりくみ、全国から多くの仲間が合流しました。 今回の行動は、空前の結集となりました。今後の日本の反戦運動の展望を示しています。 次の大集会は4月9日です。 |
ワールドアクションのホームページから転載 |
冷たい雨にもかかわらず、日比谷公園に集まったたくさんの人々 (小音楽堂周辺)。 |
私たちは、六本木コースのピースパレードに参加しました。 写真は、アメリカ大使館へと向かっているところです。 |
「街」に戻って乾杯 (^o^)丿 |
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今日のデモが消化不良だったので、ライブをして発散 | ウララちゃんは「沖縄はなぜ」 | |
最後に富田さんが「私が愛した街」 | ||
その後、名古屋のアキラさんと京都ロシナンテ社の四方さんが絶妙の掛け合いトークライブ |
イラク派遣:各地で反戦集会・デモ |
イラクでの平和実現や、占領軍や自衛隊の撤退などを求める集会が20日、全国約70カ所で開かれた。この日は世界50カ国以上で反戦の集会やデモが行われる。 東京・日比谷公園では、NGO(非政府組織)や平和団体など51団体でつくる「ワールド・ピース・ナウ」が集会を開き、雨の中、若者や家族連れら約3万人(主催者発表)が参加した。 日本国際ボランティアセンター代表理事の熊岡路矢さん(57)が「今のイラクは、人道復興支援の名のもとに、一部の企業の利益追求の場となっている。イラク人の本当の利益のための支援を」と呼びかけた。米軍人家族の会(MFSO)のメンバーで、神奈川県横須賀市で英語講師を務めるロバート・スミスさん(54)は「イラクの人々が本当に自衛隊を必要としているのか、改めて考えてほしい」と訴えた。参加者は集会後、プラカードなどを掲げて銀座周辺でデモ行進した。 広島市の原爆ドーム前で開かれた市民集会には、イラク南部にあるバスラ教育病院のアサド・アーメル医師(34)が参加した。名古屋大医学部で研修中の同医師はスピーチで「戦争後1年の今でも、イラクでは電気や水が使えないことが多い。これが戦争の真実。戦争をやめるということは、軍隊がいなくなることだ」と訴えた。 大阪市の大阪城公園では1万人以上の集会参加者が「平和の花」と「PEACE」の人文字を、名古屋市の久屋広場では約6000人が「平和」の人文字を作った。【宍戸護、小山内恵美子】 [毎日新聞3月20日] ( 2004-03-20-23:16 ) |
イラク開戦1年/自衛隊の派遣批判 |
イラク戦争開戦から一年に当たる二十日、県内各地で、米主導の占領統治や自衛隊派遣に反対する平和団体や市民グループの集会やデモがあった。参加者らは「開戦を正当化した大量破壊兵器はなかった。大義なき戦争だった」「米軍に協力する自衛隊派遣に、正義はない」と訴え、米国や日本政府を批判。米英軍のイラク戦争開戦に抗議し、「占領軍の即時撤退」「憲法九条をしっかり守ろう」「自衛隊を派兵し改憲をもくろむ政府の暴挙と闘おう」とアピールした。 那覇市久茂地の県庁前広場では午後三時から「イラク派兵反対 沖縄うまんちゅ大集会」が開かれた。米国の市民団体が呼び掛けた国際統一行動に呼応した催し。大集会実行委の知花昌一さんは「一人ひとりが(平和を求める)声を上げることで、世界に平和が広がる」と呼び掛けた。 娘と参加した那覇市の比嘉千恵子さん(54)は「かつて戦禍にあった沖縄から、今、声を上げて意思表示しないと、犠牲になった人が泣いている。黙っていられない」。会場に特設された「市民投票箱」に自衛隊の「イラク派兵に反対」と書いて投票。「国民にちゃんと説明せず、反対を押し切って既成事実をつくっている」と憤りをあらわにした。 娘の万希子さん(28)は保育士。「日ごろ子どもたちに接していると、戦争のある世の中にしたくない。一人ひとりが声を上げないといけない」と力を込めた。「日本は米国の戦争の後追いをしていて情けない。このままでは戦争が人ごとではなくなる」 北中城村から訪れた豊原美和子さん(67)は、日々報道されるイラク情勢に「この一年、怒りとハラハラの毎日だった。自分の心が正常でなくなるようだった」と振り返った。「子どもたちに戦争のニュースを見せたいのか見せたくないのか、複雑な気持ちがする」と自問自答。「今、米国の大義がないことが明らかになった。不信感に体全体が震えるほどの怒りを感じる。白日のもとに米国の非をさらけだして追及したい」と憤った。 壇上ではリレートークもあり、自衛隊のイラク派遣に反対する声が続いた。「子どもたちに二度とあのような悲惨な経験をさせてはならない」、「私たちは爆弾を落とした側で『助ける』という言葉は使えないはずだ」…。 ライブ演奏やトークは約四時間続き、最後に参加者全員で国際通りをデモ行進した。 音楽や討論で平和訴え 県内の大学生や若者が中心になった企画「3・20悲しみを平和のそうぞう(創造・想像)のエネルギーに変えて」が二十日、那覇市内のライブハウスで開かれ、バンドの演奏や討論会などが繰り広げられ、それぞれのスタイルで平和や戦争について語り合った。 韓国にある元従軍慰安婦の女性が暮らす「ナヌムの家」を今月訪れた若者グループ「平和(ぴょんふぁ)会」も参加。元慰安婦の証言やつらい思いを語ったメンバーは「戦争の苦しみは終わることはない。一人ひとりが立ち上がれば、戦争を止めることができる」と訴えた。元慰安婦が毎週繰り広げる「水曜デモ」で披露したオリジナル曲「星砂たちへ」を歌った。 メンバーの一人、小禄高校二年の榎本真弓さん(17)は「日本では若い人たちが戦争責任などの問題について関心が低い。平和の輪を一人でも多くに広げたい」と話した。 中部で活動するバンド「さんご」は「美ら島の心」を披露。メンバーの久保忠之さん(19)と北部農林高校の伊禮政則さん(17)、同高の徳里健次さん(17)は「なぜイラク戦争が起き、なぜ自衛隊が戦場に向かうのか分からない。衝撃を平和を訴える力に変え、歌い続けたい」と話した。 米軍基地前で300人抗議 「ワールド・ピース・ナウ沖縄集会」(主催・沖縄平和運動センター、北部、中部、浦添地区労)が二十日、北中城村の在沖米海兵隊基地司令部前で約三百人が参加し行われた。「沖縄を出撃基地にするな」と訴えた。 平和運動センターの崎山嗣幸議長は「米英のイラク攻撃から一年過ぎたが、不当な占領政策は泥沼化し、出口が見えない」と批判。北部地区労の仲村善幸事務局長は「国際的な団結でブッシュ米大統領を包囲し、イラクから追い出そう」と訴えた。集会には西パプアニューギニア独立運動の指導者で現在、オーストラリアに亡命中のジェイコブ・ルンビアクさん(46)も参加。「イラクと沖縄の平和を願う」と、Vサインを何度も突き上げた。 楽器打ち鳴らし抗議 平和市民連絡会は二十日午前、浦添市西原の米国総領事館前で「イラク総攻撃一周年抗議集会」を開いた。参加者は、イラク戦争で最初の爆撃が報じられた時刻に合わせ、楽器や鍋のふたを一斉に打ち鳴らし、抗議の意思表示を行った。 同会は一年前の攻撃開始の瞬間も同じ場所で抗議行動を行っていた。会の島田正博さんは「今すぐ戦争をやめさせるため声を上げていこう。戦争が続く限り反戦の戦いも続く。がんばろう」と呼び掛けた。 ペットボトルを鳴らした西尾照子さん(57)は「一年前、みんな涙ながらにここで抗議した。いまも怒りが込み上げる。わずかな希望でも、行動をして、怒りを表していきたい」と力強く語った。 |
(写真説明)平和を願い国際通りを行進する参加者たち=那覇市・国際通り |
全米各地で反戦デモ イラク戦争開戦1年 |
イラク戦争開戦1年を迎えた20日、全米で250の反戦イベントが繰り広げられ、最大のデモがあったニューヨークでは約10万人(主催者発表)、西海岸のサンフランシスコでは2万人以上がプラカードを掲げて市内を練り歩いた。しかし参加者の数は、各都市で昨年の開戦時のデモを大きく下回った。 イベントは米国を中心にした数百の市民グループから成る「ユナイテッド・フォー・ピース・アンド・ジャスティス」が企画。ニューヨーク・マンハッタンのデモでは、ラジオや電子メールで集まった市民が約5キロの道のりを行進した。 1歳の娘を乳母車に乗せたケート・ドーティさん(26)は「わたしの娘、そしてそのまた子供が平和に暮らせるように戦争反対を言い続けないといけない」。エレナ・ボックスさん(14)は手作りのピースサインのプラカードを手に「若い人が死んでしまう戦争は意味がない」と強調した。 サンフランシスコのデモには日本人の姿も。学生の上笹貫格士さん(20)は「イラク戦争は石油企業などのための戦争で、被害を受けるのは社会的に弱い立場の人々」と約30人の仲間と反戦メッセージを掲げた。 茨城県出身の宮崎晴海さん(27)は「自分の国が戦争をするのを嫌がっている人がこんなに多く、いろんな人が気軽に意見を表明しているのに驚いた」と感想を語った。(共同) (03/21 12:04) |
沖縄の新聞より | ||||
<平和市民連絡会>イラク戦の犠牲者悼む 更新
2004年3月20日 土 10:38
米英軍がイラク開戦に踏み切ってから20日で1年を迎える。平和市民連絡会は19日夜、浦添市西原の米国総領事館前で集会を開いた。約80人の参加者は、イラク戦争の犠牲となった人々の命を象徴するろうそくをともし、米英軍や自衛隊のイラク即時撤退を求めた。 共同代表の平良夏芽さんは「イラクで罪もない人が1万人余も殺されたのに、このろうそくの本数では少なすぎる。殺されているた子供たちに無関心なのが沖縄の実態だ」と話し、戦争を阻止できなかったことへの反省を込め、戦争の即時中止を求める運動の再出発を呼び掛けた。 開戦前、イラクを訪れた参加者は「私たちを『フレンド』と呼んでくれた人が今どうなっているのか分からない。戦争を止めることができず、力のなさを感じるが、闘いをやめるわけにはいかない」と語った ◇イラク派兵中止を要請/政府に基地反対ネット 【東京】あらゆる基地の建設・強化に反対するネットワーク(妹尾活夫代表)は19日、内閣官房や防衛庁を訪ね、自衛隊のイラク派兵の中止、有事関連法案の制定反対などを要請した。 県内からは同ネットワークの仲本和男さんやひめゆり学徒生存者の宮城清子さん、名護市辺野古在住の渡嘉敷ヨシさんら5人が参加した。 要請後、会見した一行は、イラクの人々の苦しみや悲しみは沖縄県民に痛いほど分かる、として沖縄から声を上げることの重要性を強調。 仲本さんは「相変わらず日本政府、官僚の姿勢が変わっていないことに憤りを感じる」と話し、渡嘉敷さんは「政権交代しない限り世の中は変わらない」と述べ、小泉内閣の姿勢を批判した。 ◇平和の尊さ写真で訴え/若者らパフォーマンス 県内の若者らで構成する「3・20悲しみを平和のそうぞうのエネルギーにかえて実行委員会」は19日、モノレールの車内で、イラクで傷ついた住民の写真パネルを無言で掲げる「サイレント・プラカード・パフォーマンス」を行った。 参加した森岡理歩歌さん(21)=沖縄大学2年生=は、知人から借りた中東の民族衣装を着てアピール。「この戦争は始まり方も一方的で、やってはいけないと誰もが分かっている」と批判した。 メンバーは、米英によるイラク攻撃で傷付いた子どもたちの写真や「私たちは米軍がイラク占領をやめることを求めています」と書かれたパネルを持って座席に座り、帰宅する乗客らの目を引いていた。20と21の両日は、那覇市の国際通り沿いにあるモルビー3階で、写真展やライブを盛り込んだイベントを行う。 | ||||
反戦へ立ち上がる人々 (イラク沖縄アメリカ 米英攻撃1年 下) 沈黙は平和の灯消す 次代へつなぐ希求の心 浦添領事館前で19日夜に開かれた抗議集会。戦闘で奪われた命を象徴するろうそくを手にした人々の中に、沖縄平和市民連絡会の平良夏芽(41)の姿があった。 「戦争を止めることはできなかった。戦いもまだ終わっていない」。灯の向こうに、親交があったイラクの人々の顔が次々と浮かんだ。 爆撃が始まった2003年3月20日。平良は総領事館前で「攻撃をやめろ」と涙を流しながら叫んだ。 イラク占領には沖縄の海兵隊員が従事した。自衛隊は沖縄を経由してイラクに入った。「イラクの人々に申し訳ない」。平良は自分を責める。 昨年、攻撃開始前の1月とバグダッド陥落後の5月下旬にイラクを訪れ、住民に医薬品などを届ける支援活動を展開した。全国各地の平和団体や市民団体に招かれた現地報告会も100回を数える。 「イラクの現実を一人でも多くの人に知ってもらいたい。僕は運動家ではない。ただ、戦争を止めたいだけだ」 沖縄の体験者にとって、攻撃開始からの1年間は衝撃、怒り、深い悲しみに包まれる出来事の連続だった。 ひめゆり学徒隊の生存者、宮城喜久子(75)は、米英軍の攻撃の映像に58年前の惨状をよみがえらせた。爆撃で足が吹き飛ばされ息絶えた同級生。飛び出した内臓を押さえ「私は駄目。ほかの人を助けて」と倒れた先輩。「イラクでも同じように命を奪われる人々がいる」。地獄の光景を思い出しおえつする。 「沖縄戦の悲劇を繰り返すな」という宮城らの訴えは届かず、日本政府は自衛隊のイラク派遣を決め、日本は再び「戦場」に足を踏み入れた。 「痛みを分からない人たちが愚かな戦争を起こしている。殺し合って平和はつくれない。犠牲になるのは住民ら弱い立場の人間だ」。ひめゆり平和祈念資料館を訪れる若者の前で、戦場に散ったひめゆり学徒の悲劇を語りかける。 静かさに聞き入る若者の姿に、宮城は希望をつなぐ。「自衛隊派遣は当然だと考えていた。戦争に対する認識が甘かった。考えが変わった」という感想文も寄せられた。 戦争への無知が悲劇を引き起こす。宮城はそう何度も繰り返してきた。「伝えることをあきらめてはいけない。私たちが黙れば、次の世代の平和を摘んでしまう」 宮城は開戦1周年の20日、伊江島「わびあいの里」で若者を前に戦争体験を語るつもりだ。 「かつてないほと激動の1年だった。第三の戦争に向けたあらしが吹き始めている」 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会事務局長の中村文子(90)はそう言う。 有事立法成立、イラク攻撃、自衛隊のイラク派遣―。相次ぐ報道に、「なぜ」と叫び、自宅でへたり込むこともあった。しかし、そのたびに子どもたちに平和の大切さを訴えるために立ち上がった。 「国の権力に屈するわけにはいかない。命を大切にする心と平和を希求する行動力を子どもたちに植え付けたい」。中村の闘いは続く。 | ||||
命の重さ、静かに訴え/イラク戦争から1年県内各地で反対アピール 米英軍のイラク攻撃開始から満1年を前にした19日、県内では戦争に抗議し、平和をアピールする集会などが行われた。沖縄平和市民連絡会は同日夜、浦添市の米国総領事館前で「イラク侵略・占領を許さない総領事館行動・ろうそく集会」を開き、イラクで奪われた命を思い、自分たちにできることを考えた。モノレールの車内で、静かに平和を訴える若者の姿もあった。 米国総領事館前には八十人以上が集まった。あえてプログラムは用意されず、連絡会の平良夏芽さんは「この一年、どれだけ真剣に自分のこととして声を上げることができたか、静かに考えよう」と呼びかけた。 若者や親子連れの姿も。母親、祖母と一緒に参加したのは島袋琉君(沖縄カトリック小一年)。一年前に自分が「イラクに戦争しないで」と書き込んだ横断幕を再び目にし、「自然も人も動物も死ぬ戦争を、どうしてやめないのって思っていた。この集まりが沖縄だけでなく日本中で開かれたら、平和になる」とろうそくを見つめた。 自分の周囲が戦争に無関心だと憤り、涙ながらに平和を訴える女子高校生や、県外からの参加者もいた。 大阪府の大学生、松本亜季さん(21)は「イラクでは人がばたばたと死にすぎて感覚がまひし、思いをはせることもできないくらいに命が軽く扱われているのが怖い。命のことを深く考えたくて参加した」と語った。 名護市から子ども四人と参加した東恩納朝子さん(41)は「戦争でもテロでも、罪のない弱い者が被害を受ける。子どもには、戦争は必要のないもので、平和が一番だと伝えている」。息子の琢偉君(久志小三年)は「ずっと戦争に反対していれば、平和になって、安全で安心していられると思う」と話した。 参加者の一部は会場で朝まで座り込んだ。 モノレール車内でも大学生ら写真パネル掲げ
イラクからの占領軍即時撤退を訴え、県内の大学生らが十九日、沖縄都市モノレール車内でプラカードや写真パネルを掲げ、反戦・平和を無言でアピールした。 攻撃開始一周年に合わせ、世界四十七カ国で取り組まれる統一行動の一環。二十、二十一日に那覇市内のライブハウスで開かれる企画展にかかわる若者らが参加した。 那覇空港駅から乗り込んだ一行は、戦闘で肉親を失った女性や衰弱して横たわる子どもの写真を掲げ、「イラクの人々をこれ以上苦しめないで」「占領停止、即時撤退」をプラカードで訴えた。 イラク男性の民族衣装を着けた沖縄大学二年次の森岡理歩歌さん(21)は「シュプレヒコールを上げるだけでなく、私たちのやり方で反戦を訴えたかった」と話した。 |
3月21日(日) 第37回 土曜浜集会 | ||
イラク派兵反対!沖縄うまんちゅ大集会 | ||
辺野古から、さぁ出発! | 那覇の県庁前広場にはパネル展示などされていました | |
「命を守る会」のおばぁたちも到着 | 修さんと祐治さん | 西岡さん |
安次富さん | 金城師匠もいます | 高里鈴代さん |
嘉陽のおじぃ(右) | NO WARパネルを持っている 吉川さんと祐治さん | |
ヨッシーとジュゴンの家のCDも売ってます | ||
読谷のさばにくらぶの物販コーナー | ||
島田さん親子と安次富さん | 海勢頭豊さんと師匠 | |
まよなかしんやさん | ステージでのバンド演奏 | |
知花竜海くん | ||
祐治さん | 嘉陽のおじぃ | |
玉城デニーさん | 中村文子さん | 平良夏芽さん |
ダグラスラミスさん | 糸数けいこさん | 金城師匠 |
海勢頭豊さん | 篠原さん | |
喜名昌吉さん | 国際通りをピースウォーク!! | ノリノリ晋くん |
平良修さん |
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