前進友の会恒例の

喰いしん坊レク 数珠つなぎ

焼き肉レクうなぎレク編

 五月には琵琶湖浜大津渚公園レク、愉しみです、が忙しくて無理そうです。例年、風薫る五月に、みんなで琵琶湖の渚公園でゆっくりするのですが、今年は、NPO総会や、いろいろなことが重なり、延期することにしました。しかしです、しかし、われわれ喰いしん坊は、「たまり場らくよう」の焼き肉大会に、五人と、肉1キロとともに、参加したのです。花見の宴では、焼き肉がシンドイということで、お花見弁当になっているのですが、若い(若いと言っても40代後半が主力)焼肉が食べたい、と云うなかま達にとっては、なんとかならないものだろうか、と云う強い想いが募っていたのですが、いい思案が浮かびました。23年前から、ら教会にて月に一度の催しとしてずっと続けていた「たまり場らくよう」(友の会の在り様とはまた別の趣旨の病者のたまり場があっても、いいかなと想い、続けていたものがまさか、20年以上も続くとは、想っていなかった、ら教会のミナサンのチカラが大きかったです)が、毎年五月には焼肉大会をしていたのです。ちなみに一月は、お鍋大会です。この「たまり場らくよう」の催しに、肉を持って参加するというのは、交流にもなり、こちらも肉が食べられ、ら教会の方としては焼肉の肉量が増えるというコトで、三方一両得ということで、参加してきたのです。なかなかに素晴らしい交流になりました。懐かしいなかまとも再開でき、焼肉も大変美味しく、〆の一品焼きそばもまた、実に美味しく、婦人部の皆さん手作りの果物ゼリーも大変美味しかったです。

一方その日、みんなの部屋では、食事会があり、交流組が焼肉なら食事会組はウナギだ、ということで、『暑い夏には、食事会、土用の丑の日、うなぎレク、略称うなレク』を先行実施したわけです。実を言うと、夏が近づくほどウナギの値段が高くなるので、五月にやったわけです。良かった。 

 こうして、こういう、余所さんのレクに交流と云うレクスタイルも在りかな、なんて、想うわけです。来年は、恒例の浜大津渚公園レクをやりたいものです。そうそう、NPO総会も、無事に完了致しました。夏には、でもやはり、うなレク、やりたいです。

 そして、もうはや、秋かも、でも、友の会恒例夏レク、友の会が先にあったのか、夏レクが先にあったのか、と云う、友の会最大のレクでアリマス、この頃は、大体何時も、九月頃十月頃にナッタ夏レクです。

 アーーーしっかし、なんとか、このお餅腹を、焼肉腹、うなレク腹、冬夏豪華ヴァイキング食べ放題腹をなんとか、せにゃナランのですが、、、ウゥゥゥーー、、、ナントモナランデスワ、、、、、

それでは、みなさん、何時か、交流がてら、

一緒に、過ごしてみませんか、

友の会の一年間の喰い心坊レクの数珠つなぎ、

特に、年末年始を初め、それぞれに、季節ごとに、

世間様が賑やかに愉しげにしている時期に

一人で過ごされている、みなさん、良かったら、どうぞ、

一人でいるより、みんなで集まって、

みんなで美味しいモノを食べて、

みんなで愉しんで過ごすのが、

患者会をヤッテいく意味カナァァァーーなんてね

古いコトバですが『団結』と云うコトバの意味かな

弱いモノ差別されるモノが、

ツラいモノ、クルシいモノ、シンドいモノ、寂しいモノが、

貧乏なモノ不遇なモノ病気のモノ障害のモノが

生き延びるためには、肩を寄せ合って、身を寄せ合って

『団結』シテ生きていくしかナインですよ

その生き延びんがための『団結』がゲンジツ化すると

『患者会』と為るダケのハナシですよ

ソレが、逆に、我々は『発達障害』なもんで、、

『団結』『支え合い』ナンてしませんよ

と、為った時、それは、ナントイウか、いやはや

ドコかで、このニホンの精神医療や福祉や司法や行政や

裁判官や法廷や内閣や議員や医者や法律や

適正手続きタラを

信じちゃってるオメデタい人たち

ナンだろうなと、想うわけです

結局は『T4作戦最終処分場』

『最終解決施設』に連れていかれるトモ

知らいでか、と、想うわけです

ココが、発達障害者と

キーサン患者会のキーサンの

チガイかな

ホントウに、『団結』シカナイン

ですよ、ホントウに

と云う事で

さて、ここで、エバッチの想う

キーサンのホーリツ的ウンドー的

課題も、やはりまた、大事と

八題にまとめてみました

最初の点目はモチロン

ハツタツ障害批判から

 

発達障害概念
 真っ向から、反対です。差別的であり、健病者的であり、保安処分的であり、積極治療主義的であり、社会復帰的であり、社会要因の無視化であり、オモタい病者の見殺し化であり、エリート障害者的であり、本当に差別的な最低のシロモノであり、団結と云うか患者会と云うか、『患者会』的在り方に対して侮蔑的であり侮辱的であり、精神医療福祉銭儲け拡大主義的であり、概念が勝手に無定見に拡大シテシテマウ、ホント、この障害概念は、ナニモカモを飲み込みながら、概念の拡大をし続け、人格障害、精神病質まで、衣替えして再復活を遂げていますよ。だから当然、かえって精神科クリニックの、精神病院の、精神科の薬の、保安処分対象者を、徹底的に拡大に次ぐ拡大をさせるだけでしょう。特にとくーーには、心理が、もうウハウハに拡大デスヨ。心理の裾野の増大に次ぐ蔵大、拡大に次ぐ拡大に、手を貸しただけだ。しかも古くからある『健病者』の焼き直し的側面も強く、だから、健病者による、患者会文化の破壊に手を貸す概念になるでしょう。それだけじゃあーない、青い芝の会から続く、この五十年近くにになるありとあらゆる障害者の自立への取り組みを、アッサリ発達障害者の依存とサポートチームにすり替えられてシマウんですよ。そう、障害者の『自立』とは『依存』であったのだ、に、掏り替える装置なんですよ。そうすれば、専門職の飯の喰いハグレが、無くなるんですよ。

 笠陽一郎や嶋田和子や広瀬隆士の批判なんか、もうどうでもいいんですよ。そんなレベルの問題じゃないんですよ、この発達障害というモンダイは。ここ50年の青い芝の会から続く、障害者の自立と依存、病者内あるいは障害者間の内部差別、障害の軽重による差別、というモンダイなんですよ。だから、笠批判という個人批判が、この問題を矮小化させるように働くようだったら、えばっちはもう笠批判や嶋田批判なんてどうでもよいです。それよりか、この発達障害のもつ、恐ろしいほどの【差別性】【権力性】【依存性】を暴きたいのです。もうそろそろ、病者、当事者たちも、医療や福祉や心理の専門職たちも、この発達障害概念のもつ、恐ろしいほどの『すり替え装置』『専門職への依存装置』『権力が利用しやすい利用装置』であるところの本質を、見抜くべきときが来ていると想います。さもないと、、、、、 

 腐った専門職が言い始めたことです、しかも、エングランドの。どのような便利な道具であろうと、根底に、我々『キチガイ』と『キチガイ病院』に入院中の患者に対する差別、侮蔑、侮辱に満ち溢れているモノとは、対決するのみです。だから、言ってミロ、や、この戯け者ども、そうそう、ハッタツ障害概念を拡げようとしている医者や、ライターや心理のヤツラと、ジブンはハッタツ障害だと自慢げに話すハッタツ当事者たちよ、オマイラ、『キチガイ』や『キチガイ病患者』よりは、よりマシなものだと、思っているんじゃないのか、正直に言ってミロヤ、オイオイオイオイ、チガウと言えるのか、コラララララァァーーーァーーコラコラコラコラコラララーこの糞戯け者ども。

  発達支援議員連盟の顔ぶれを見てミロヤーーー発達障害者支援法を見てミロヤー、改正の方向が、エバッチが、叫び続けてきたコトと同んなじやろが、だから言ったろ、名前のない生きづらさに名前つけてもろうて、よろこんどったら、こうなるやろ、登録だけさせといて、後は、少しずつ法律をいじりゃあーーイインヤカラ。その名前のない、少しは、能力もアルノダと云うような「高機能性ハッタツ」の名札貼ってもろうたら、それは同時にT4作戦の最終処分施設へのパスポートにも為るノンや、ナニが特性理解がパスポートなんヤ、ホラミロや、大笑いしてやる、と、言うタとうりに為っていきやがる。キチガイも諸共にヤラレそうヤナ。こんチクショー、ハッタツ拡めたヤツラ、セキニンとんなはれや。

 発達障害問題は、ね、今やセード的セイヂ的ホーリツ的モンダイ、課題なんですよ。もはやね。それが、分からないのかナァァァァーーー、

 行政と学会として、非常に政策的に、拡大したんですよ、、、

 それ、ワカンナイノカナァァァァァァーーー

 教育の方のゲンバでは、6.ウンタラパーセントと云う数字が独り歩きして、スクカンが、ちょっと、教室や、学校や、先生にとって、都合の悪い子供たちを、探し出してきては、6.ウンタラパーセントに為るヨウニ、ハツタツ障害を貼りまくり、精神科につなぎ、クスリを入れているんだ。教育の現場では、スクカンのゲンバでは、ハツタツ障害イコール精神科イコールクスリになってるのが、わからナイノカナァァァーー、スクカンが、そう叫んでいるではないか、良心的スクカンが、タマラナクなって、そう、自白を始めているではないか

当事者スタッフ
 真っ向から、反対です。ハッタツ障害概念の拡大とともに、当事者間の競争を煽り、障害者エリートを生み出すダケでしょう。真の当事者主体とは、病者なかまの誰かが、作業所の当事者スタッフに為ったり、理事会に入ったり、運営員会に入ったり、あまつさえ、病者集団やら全精連の親方どものように、国会の参考人や、政権与党の政策審議委員に入ったりすることでは、ないんですよ。通所者のマンマ、入院患者のマンマ、通院患者のマンマ、通所者のマンマ、キチガイのマンマで、病者のマンマで、例えば、最も身近な作業所の個々の専門職スタッフの賃金を決定できる、かどうか、と云うようなコトなんですよ、おそらくは、ね。


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