集会のレジュメ

11/29観察法糾弾集会に
参加されたみなさんへ
なかまが、捕まった
観察法に捕まった
どうしたらエエのんや

余りに常識的で、余りにノウハウ的にも感じられてしまいそうなので
このレジュメお配りするの、どうしようかなと、想いました。
でも、もしかしたら、明日、明後日、みなさんのなかまの、病者が、患者さんが、通所されておられる、みなさんが、観察法に、捕らえられるかもしれない中で、どうしたらよいのか、具体的に、経験を知りたいな、と想われて参加されておられる、みなさまも、多いのではないかと、想い、こうやって、書き記したものとして、みなさんに、お配り致そうと、想いました。
ただ、これは、あくまで、キーサン患者会前進友の会としての、一つの、経験を八点にまとめたモノです。状況が違えば、また、チガウ方向もアルやもしれぬ、とは、想います。あくまで、一助と為るやもしれぬ体験談ダと、お考えくださいませ。宜しくお願いいたします。
それと、ここで、お話ししているなかで、個人名や実名が出てきた場合は、もう、スッカリ忘れちゃってください。というのも、本人は、未だ、ご家族が、保護者の医療保護入院に為っていて、退院できるかどうか、そして、院内でのセーカツ、つまり、処遇内容に拘わってくる上に、本人の了解を、実際ドレダケ実質に担保したうえでの、ハナシになるか、微妙なトコロなのですから。
本人の了解と言うのは、とても、重要な問題です。
それは、ここにアリマス、とても、良い本だと、お勧めしているのですが、
浅野詠子著  現代書館刊行
『ルポ 刑期なき収容 医療観察法という社会防衛体制』
の第16話 流れに逆らい街で生きる
の取材を受けていたときに、我々が、患者会として、一番大事な事と、して、浅野さんにお願いしたことで、も、あるのです。実は、この本の最終章は、、、、だったのです。匿名に為っているのは、ソウいうわけです。
もう一冊、拙著で申し訳ないのですが
江端一起著 アットワークス社刊行 
『キーサン革命宣言 精神病者のセーカツと革命』
の93ページから数ページにわたって、コトの顛末を若干書いてアリマス
すこしでも、この体験を記録しておくことは、大事な事だろうと、想いましたので

さて、本題に入りましよう、まず、ともかく、とにもかくにも、
第一に、やるべきことは
本人に会いに行くこと、行き続けること、でありました
面会に行き続けました。毎日のようにです。
警察にも、そして、鑑定入院中の病院にも
できるだけ、頻繁に、そして、断られても断られても、面会させてもらえなくても、会いに、行きました。基本的に、面会は、断られるものだ、と、想ってください。面会させてもらえなかったら、差し入れ物品だけでも、置いてきましょう。
差し入れ物品を、持って行くだけでも、良いのです。
とにかく、行きましょう。病院に、警察に。そう想いました。

第二に、本人に、そして、関係者全員に電話をかけました。
面会させてもらえないから、電話を、かけ続けるわけです。
特に、本人の様子を聴きたいと、電話しました。なかまたちが、心配しているからと、電話を、特に鑑定病院の医者や看護士に、鑑定医にかけ続けました。警察にも、そして、通院中だった病院にもできるだけ、頻繁に、
そして、断られても断られても、繋いで、もらえなくても、電話し続けました。
弁護士にも、ご家族にも、鑑定医にも、主治医にも、PSWにも、
関係者全員に、電話して、本人に、面会に行ってくれ、と頼み、
そして、会いたい、会って相談したい、と、伝え続けました。
そして、実際に、話し合いを持つことが、大事だと、想いました。

第三に、出来るだけたくさんの「上申書」を書きました。
判事にも、社会復帰調整官にも、裁判所に宛て書くのです。
出来るだけ、たくさん、そして、セーカツに根差したものを、書きました。
周りにも、ドンドン相談して、
仲の良い関係性をもっているトコロに、ドンドン、書いてもらってください。
この「上申書」は、観察法審判に、結構、直接的に影響を与えたかもしれないな、と、そう想いました。リクツよりも、セーカツに根差したものが、良いように、想われます。いわゆる『社会資源の存在』と、我々が、今後本人の生活を責任をもって支え続けるという、強い意志の下に書きましょう。
これまで、本人と、どんなセーカツをしてきたのか、と云うことを、詳細に書き綴ることは、重要です。今までのセーカツの実際を、書き綴るのです。
審判前に事前協議がありますから、その事前協議の前に提出しなければなりません。

第四に、事情聴取について、覚悟を決めなけりゃなりません
警察からの事情聴取を受ける覚悟が必要です。実際にやすらぎの里作業所として事情聴取を受け、必要書類を提出しました。
家族と主治医も、聴取を受けました。だから、我々は、同じくらいか、それ以上の関係性があるのだ、と云うこと、から、出発なわけです
この点に関しては、原則論として、一切の事情聴取を拒否すると云う立場も、たしかに、在る、というより、重要でしょう。
だが、しかし、我々は、今回、事情聴取を受ける選択を致しました。
個別的問題より、も、さらに、踏み込んだモンダイ性を有すると想っております

第五に、運動的改革派的、弁護士や医者に、囲まれていて、何時でも、動いてくれるわけではない、と云うゲンジツをシッカと見据えるべきです
ハッキリ言ってゲンジツは、フツーの弁護士、精神医、が、事務的に、ドンドン決まっていって、タイヘンだと云う、コトです。コレは、却って、こういう集会や学習会などに、積極的に参加しているミナサンだけで固まっていると、却って、ゴカイをしていって、ゲンジツ場面では、アッケにとられてしまい、しくじりを犯すかもシレナイと云うことです。それは、実は、本人も、そうなのです。やられた本人は、運動的でもなく、ごくごくフツーのおもたーーい、病者でアル、と云うことです。この点実は、友の会も、ゴカイしかけていたのです。オもたーーい病者なかまが、やられる、と云うコトデス。例えば、『人権』と云う発想もなく、却って警察は良かった、交番のお巡りさんは、お金を貸してくれる良い人だ、と云う想いの病者がヤラレルと云うコトです。この点は、上記の第四点にも絡んできます。ソレが濃厚なキーサンのセーカツ実感だ、と云うコトです。

第六として、サイゴに、
それは、我々が、患者会であった、と云うことです。
本人とのセーカツが、濃厚にアッタし、今もアルし、
今後とも、死ぬまでアル、ということです。
本人との、ナカマ全体の人間関係が、長年にわたって、
あったし、今も、ある、と云うことです、ツマリ
「今後、どのようなことがあろうとも、我々が、セキニンを以て、死ぬまで、患者会として、みんなで、本人を支えて、後一生を、本人を支えて生き抜くので、本人を我々の元へ返してくれ」と、言いきれるかどうか、と云うコトです。
患者会としての、濃厚な、セーカツがあるという、ことです。
日々の、セーカツそのものが、濃厚に、ないと、できなカッタと想いました。
「上申書」の中身に、ソウ云うように書ききれるかどうか、と云うコトです
濃い濃い人間関係を主体とした、キーサン患者会の実際のセーカツです。
このような、セーカツが、あったから、やれた、と、想います。
そうでないと、ワシらが責任を持つさかいに、とにかく本人を返せ、と、ハッキリと言い続け、叫び続け、本気である、と云うコトを、判事や社会復帰調整官、鑑定医、主治医、弁護士、家族に、対して知らしめラレナカッタと、そう想います

追記@日々のセーカツは続くよ、何処までも、、何時の日も
観察法のコト、ミスターの奪還以外にも、みんなの部屋のいつものセーカツや、いつもではないタイヘンな事も、同時進行していくセーカツになっている、と云うことです。我々は、実際、ミスターの観察法と、もさんのSIADHによる意識不明重態とが、同時進行し、日々の食事会もあるセーカツを送っていました。そして、毎週月曜には、い病院訪問も、続けていたのです。もちろん、作業所としての運営も、ね。それは、フツーに、続いていたのでした

追記Aパニックに為りそうでした、恥ずかしながら、、、、
最初の時から、しまい口まで、、、ほんとうに
2015/11/29 前進友の会、えばっちより
資料的に若干

20**年
12月10日 逮捕 その夜のうちに、警察署に出向きクスリを入れる
15日 初めて面会、やすらぎの里の職員3名の事情聴取
18日 簡易鑑定
25日 き病院に鑑定入院、従って不起訴、よって観察法適用

20**年
1月 1日 顧問医含めて元旦に押しかけて、ナントか面会
1月14日から2月9日 この間26日間面会できず
       しかも、閉鎖病棟の中の保護室、病状が悪いと云う理由
2月 1日 一般の閉鎖病棟に移る
2月 25日 事前協議、この日までに「上申書」提出
3月 9日 観察法審判
  10日 観察法から逃れられたとの弁護士からの連絡あり

「この法による医療は必要なし」
とのことであった

・や警察署およびき病院で面会できたのは10回
・き病院に差し入れできたのは17回
・本人に向けての電話連絡最低27回、事務連絡含めれば、数えきれないほどの電話、ほぼ、毎日のように電話していました
・上申書、8通


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