「生活保護改悪に反対する
集会&デモ」参加報告
 2014年4月30日に「生活保護改悪に反対する人々の会」主催で行われた「生活保護改悪に反対する集会&デモ」に参加してきたので、ごく簡単に報告したい。会場は「東山いきいき生活センター」。筆者は受付係を仰せ付かっていたので、準備のため、Uさん、Eさん、Iさんらと朝11時30分より参加した。

 集会自体は13時より開始され1時間半程度行われた。総参加者数はおよそ50名。集会では、「人々の会」代表の挨拶、この間の生活保護法改悪に関する情勢報告、そして生活保護当事者の発言などが行われた。

 集会の後はデモ行進である。筆者はデモ行進自体に初参加であった。隊列は、街宣車を先頭に、身体障害者系統の人が前、精神病者は後ろ(両方の人は大体真ん中?)という感じで組まれた。経路は、集会会場を出て、花見小路を南下し、四条通を西に行き、四条河原町へ。今度は繁華街を再度北上して、市役所前の生活保護事務所の入るビルに至る、というもの。筆者は「精神病者を殺す気か?」というメッセージが書かれた段ボール製プラカードを掲げて歩いた。

デモ開始早々、突然Sさんが「お前ら、精神病院というのがどういう所か知っているのか?」と叫び出した。後にSさんが語ったところによると、これは意図的にではなく「不随意的に」自然に出てきたのであるという。Sさんにとっての、T病院体験の壮絶さに想到せざるを得ない。彼の原点はT病院にあるのである。人間の捨て場T病院から命からがら逃げ出して、家族から分かれて独力で街に生きること──その時の命の綱が生活保護なのである。さて、今度はEさんが叫ぶ、というよりも、Eさんにしては珍しく(?)懇々と説いて回る口調で語り出す──「ご通行中の皆さん。我々は精神病者である。皆さんは自分が精神病に罹って病院に送られるなどとは想像もしていないだろう。自分もまさか病気になって病院送りになるなどとは想像したこともなかった。だが、皆さんだっていつ精神病になるか、いつ交通事故に遭って働けなくなるか。そんなことは分からないのである。そして働けなくなったとき生きていくための最後の命の砦になるのが生活保護なのだ。生活保護について考えることは皆さん自身について考えることなのだ」。「精神病者が精神病院から出て暮らしていく時に必要なのは薬なのではない。生活保護なのだ」「我々は精神病者である。さあ我々を見ろ! 見るんだ!」「我々のことを理解してくれなどというつもりはない。我々は社会にとって危険分子である。その危険分子が皆さんに危害を及ぼさなくて済むようにするのが生活保護なのだ」・・・繁華街を進むにつれ、段々いつものEさんの感じに戻っていく。

 筆者は、これらの言葉を噛みしめ、それに納得しつつ、且つ触発されながら自問自答する感じで歩いていた。通りの通行人たちの中には、勿論、物珍しそうに一瞥するに過ぎない連中も多かったが、プラカードを一生懸命読んで真面目な面持ちで深く考えているように見える人も結構見受けられた。中には「頑張って下さい」と声を掛けてきた人もいたと聞く。こういう人たちに訴えかけるものがあったとすれば、それだけでこのデモンストレーションは成功だったと言えるのではあるまいか。

 最後、生活保護事務所が入るビルの前で、今回のデモ行進の先導役だったP会のXさんが自身の生活保護取得時の屈辱的で陰惨な体験について、その怨念を語ってくれた。水際作戦と称して福祉事務所の連中が如何に凶険たりうるかをまざまざと見せつけてくれる話であった。最後にビルに向かってシュプレヒコールを上げて散会となる。

 今回のデモでは乱闘も爆竹もなかったが、筆者はこの集会とデモにおいて、「病者・障害者が自分の意志で自立した生活を送る」という障害者運動の根本動機を再確認し、そして生活保護の改悪がこの根本動機を見事に破砕してしまうのだという事実を改めて痛感させられた。即ち、生活保護改悪は、基準額の引き下げとともに、実質的な家族の扶養義務強化を狙っている。その家族の扶養義務強化は、施設や家族の意向に隷従した生活から何とか脱して、地域で自分の意志で生活したい、独立したいという長年の障害者の願いを、根底から阻害するものなのである──勤務先や銀行口座を調査されると知った家族や親族は、こぞって病者(障害者)の生活保護取得申請を全力で阻止するだろうし、勿論扶養義務(水際作戦)強化は、それ自体が家族に養われる者、即ち経済的に家族に依存従属せざるを得ない者を増やすことを目的としている(そして経済的依存が心理的・精神的依存=被支配を生み出すというのは、分かり易い道理である)。というわけで、今般の生活保護改悪は、病者(障害者)が長年の苦闘の末に勝ち取った、家族や施設から独立し「自立生活」を送りたいのだという障害者運動の基盤を実質的に否定する、戦慄すべき事態なのである。──昨今の生活保護バッシングの出発点をなしたあの芸能人の母親の「不正」受給事件(全然不正でないのだが)は、この事情を象徴するものである。あの母親は、息子の世話になりたくないと考えていたのであった。息子の高収入を理由に、あの母親を息子の経済的従属下に置くことは、この母親の意志を無碍に否定することに他ならないのだ。

今回の参加で、生活保護改悪の問題が、基準額切り下げによる実質的な生活問題に直ちに関わることは勿論だが、病者・障害者の病院や施設からの脱出、家族からの独立という常に古くて新しい問題と同時に、病者・障害者の自立とその可能性の条件としての生活保護の確保という極めて深刻な課題を提起していると、筆者には思われてならなかった。




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