2011年4月2日〜19日

  震災と精神障害者
 キーサンがやろうとしたこと キーサンができなかったこと
        キーサンがイマ叫ばなければならないこと 
             市野&えばっち&さらちゃん
 3月15日、仙台の宮城野区にある青葉病院に280名分の食料と燃料がないという SOSを告げるメールが下司病院の下司事務局長から友の会に転送されてきた。今回の地震発生からテレビでは連日震災関連のニュースばかりやっていたので、仲間たちは「あてられて」いた。悲惨さを告げる情報を聞けば聞くほど、調子を崩す。それが、病者の現実でもあるけれど、でも、こんなに具体的にどこの誰が何に困っているという情報を知 ってしまったならば、僕たち患者会は、動いた。僕たちは自分ではどうしようもない悲惨というものに、今まで晒され続けてきた。それは病そのものであったり、劣悪な精神科医療、 それを取り巻く様々な施策など色々だったが、それでも僕たちは少なくとも今までは生き延びている。思い通りに行かないほとんどのことの中で、僕たちは、ほんとに小さな可能性を見つけながらここまで来たのだとも言える。だから、と言って良いのか、震災の中で孤立した精神病院がどんな病院であるのかは分かりはしなかったけれども、僕らはすぐに反応したのだ。生き残らなければならないのだ。

 支援を行うと言うことは緊急のミーティングで即座に決まった。具体的にどんな支援が良いのかについても話し合われた。下司さんは金を送ることがいいと言っていたが、果たして金を送っても、モノに替えることが出来るのかどうか疑問だった。そこで、一か八か青葉病院の現地に電話で聞いてみることにした。繋がるはずがないといった大方の予想を裏切って、電話は通じた。電話口に出てきたおそらく受付の方は、僕らのことを初めは怪しく感じていたようだった。あるいはもしかしたら、すでに色々な団体から電話攻勢を受けていて、対応に苦慮していたのかもしれない。それでも、丁寧になんとか僕らの趣旨を伝えると、上の人に繋いでくれた。「援助は、お金で送るほうが良いのか、モノでで送るほうが良いのか」と簡潔に訊ねると、「今は金を送られてもモノに替えることが出来ない。食料や燃料物資が欲しい」とのことだった。そして、僕らは、後から考えると文字通り後先考えずに食料を買出しに出かけた。その数レトルトのカレー、同じくレトルトのお粥合計1000 食分だった。

 買い出し隊が戻って来る頃、早くも問題が出てきていた。輸送する手段がないのだ。郵便局も、民間の運送会社も全てダメ。政府は、支援物資輸送を自衛隊に一元化すると、その日の夕方に決定したようだが、受付窓口として市区町村のレディネスがないのでコレもダメだった。作業所とアパートで、出来る限りの情報収集をした。ネット上では、少なくともその時点での個人の物資援助は止めたほうが良いという意見が趨勢だった。阪神淡路を経験した人々が、捨てるような衣類や賞味期限が切れた食料品が、無計画に送られてきて、それを処理することだけに数万人のボランティアが必要だったのだと言っていた。つまり多くの人が結局、政府や大手の企業が行うような確実でいて大規模な支援の方が的確だと言っていて、個人が出来ることはそういったところに金を落とすことだということだった。でも。でもだ。そういった行政や企業が行うような支援は、それが全く悪いことだとは思ってはいないけれど、避難所に避難できる人が中心なのじゃないかと、僕らは思ってしまうのだ。

 こんな、おそらくこの国を変えるような大震災のことを、喩えで語ることは憚られるが、例のない規模の地震とその後東北各地を襲った津波、そして原子力発電所の問題を見るにつけ、それは病のようだと僕には思えた。誰のせいだとも言えない、そしてもちろん自ら望んで引き受けたのではない病に侵された僕たちは、その病自体の重さですら絶望的ではあったけれど、僕らをさらに絶望させたのは、病院や医療や医者やカウンセラーや 看護士や製薬会社や、それを取り巻く政治施策や社会だった。つまり、僕たちは、病そのものに加えて、「二次災害」と呼べるような人の手によるさらなる苦しみを受けてきたし、仲間の中にそれを見続けてきた。そんな僕らの運動は精神科医療における、そういった「人の手による」過ちに向けられてきた。そして、これは繰り返し言い続けなければならないけれど、精神科医療という世界はその悲惨のほとんどが「人の手による」ものなのだった。だから、僕らはこの震災を前にしても、「体制」を疑った。はっきり言えば、これは僕らの怨念から来るものだ。今でも厳然としてある、およそ人がいることに適わないような精神病院のそれも閉鎖病棟の保護室と名づけられた牢獄の中で、あろうことか化学的拘束までも行われて、見捨てられた仲間を助けるために、その病院の体制を許している社会や国やまるで無自覚な慈善団体に金を寄付する馬鹿はいない。政治や病院を含めた社会が僕らに何をしてくれた。何もしてくれはしないのだ。それどころか、善意を装って出された手は汚れている。そうして僕らは、この震災でも見捨てられるであろうマイノリティーに目を向けるのだった。

 物資は用意できた。問題は輸送手段だった。物資を調達したその日から次の日にかけて、ネットでしらみつぶしに情報を集めた。災害の範囲があまりにも広いこともあるにしても、政府の対応は遅々としている印象を受けざるを得なかった。頼みの綱は民間の団体だった。宗教団体、労働組合、その他調べられるところは調べて、連絡を取ってみた。中には、ネットには既に援助活動として現地に赴き物資の配給を行っていると謳っていながら、実際にはしていないところもあった。何度も行き詰るうちに、下司事務局長が言っていた、「自分で行くのが一番手っ取り早い」という言葉が浮かんだが、僕らには警察に緊急車両の許可を得て、片道20時間をかけて現地に行く力も健康状態もなかった。

 最終的には、とある医療生協の団体が、宮城県の塩竃市にある坂総合病院というところに現地入りし、援助を行っているという情報を得た。その場所は、青葉病院のある宮城野区と15キロの距離にあった。その団体が現地でどんな活動をしていて、果たして精神病院まで援助の対象になりえているかは分からなかったので、連絡を取ってみた。しかし、返ってきた言葉はあまり僕らの期待に添うようなものではなかった。その団体の職員の方が言うには、その時点での援助活動は坂総合病院を拠点としながら、近辺の避難所を巡って医療活動をしているということで、その医療活動だけでもガソリンが不足しているので歩いて避難所間を2,3時間かけて移動しているのだという。ましてや物資を広く避難所に届けることは難しい。そんな状態だから、僕らが目指した青葉病院にピンポイントで物資を届けるということは困難だということだった。

 3月16日は、京都は昼から雪が降っていた。何とかしていち早く青葉病院に物資を届けたいと思っていた僕と江端さんは、結果的にはこの団体に物資を託すことを決断した。と同時に青葉病院に連絡を取り、坂総合病院でそういった団体が援助活動を行っていると言うこと、支援物資は、とりあえずはそこまでは届くということを伝えた。また、医療生協にも、「もしも可能であるなら、あるいは可能になったときには」という前置きをして、孤立した精神病院にも援助をして頂きたいと伝えた。後述するように、この判断は少し問題があったかも知れないが、少なくともその時点においては最良の策のように思えたし、物資の輸送がより活発になったその後においても、結局は最善の決断だったと思っている。

 翌週の火曜日の朝、つまり3月22日、友の会に医療生協から電話があった。それによると、僕らが用意した物資は、やはりガソリンの不足というどうしようもない状況の中で、宮城県まで届くことなく福島県の避難所で使われたと言うことだった。医療生協の電話口の職員の方は、彼らの支援活動に協力して頂いてありがたいということを重ねて言葉にしていたが、とても残念なことに僕らの精神病院への想いまでは理解していないようだった。言いたくはない言葉だが、仕方のないことなのかも知れない。この「仕方がない」という言葉を、僕らは今までにどれだけ繰り返しただろうかと思う。夕方、みんなが集まったところでミーティングが行われた。そこで、僕は前の週からの経緯と結果を報告した。仲間の中から、青葉病院に届けられず、違う避難所で物資が使われたことに対して、「勝手に使われたんですか!?」と怒り混じりの意見もあった。一方で、僕らの物資が、精神病院の孤立した仲間の食事として供されなかったとしても、被災した誰かを助けたことは事実だから良いじゃないかという意見もあった。実際、日を追うごとに被災地の様子が明らかになってきていて、被害の甚大な被災地の避難所へは物資はようやく届けられはじめたが、一見被害が少ないと見なされた場所の避難所が、孤立し、餓死する人もいた。一日に、おにぎり一個と乾パンのみという情報や、家が津波に流されることなく残った被災者が、避難所で供給される物資にありつけないと言うようなちぐはぐな現実もあった。ミーティングの中で、新たにどのような援助ができるだろうかという話し合いがもたれた。僕は、青葉病院の現状を知るために電話を入れてみた。すると、幸い青葉病院はライフラインがようやく整って、他の精神病院の患者も受け入れることが出来るようになったと言うことだった。一方で、気仙沼のとある保養所では孤立が続いているという情報が入ってきた。大手の運輸会社は、支店留めの形で輸送を開始し、支店が生きている場所へは全国から物資が送られはじめていたが、気仙沼の支店はその時にはまだ死んでいた。誰からともなく、もう金を送るしかないのかというあきらめに近い言葉が出てきた。金を送るしかないということは、ある意味、僕らには、僕らの経験上到底信ずるに値しない「体制」に甘んずることを意味していた。なぜなら、僕らは「体制」に弄ばれて来たし、すでに前号で江端さんが書いたように、異端者は排除されるのは、震災と言う状況であっても決して報道されない事実だからだ。それを、被害妄想だとあなたが言うのであれば、キチガイやアル中や乞食や犯罪者どもが、この日本の中でどう扱われてきたのか、どう扱われているのかを学ぶことをお勧めするが、「面倒くさければ」別に僕らは、少なくとも僕は理解して欲しいとは思わない。今までがそうであったように、これからも。

 「金を送るしかないのか」と、誰かが言って、僕らは何も言わずにそれに従うしかなかった。 こうして僕らの怨念は、自らの無力感とともに深まっていくのだ。

 さて、被災地の人々よ。津波は去り、地の揺れは収まりつつあるが、原発の問題はこれからも注視していかなければならない深刻な状況だ。遅い政府の対応など、すでに「人の手による」災害があなたたちを苦しめていると思う。僕らは、無力だが、遠い空の下から、とても理解しがたいかもしれないが、僕らの経験から分かる、これからあなたたちが巻き込まれるかもしれない「善意を装った手」による災害に注意を喚起しておかなければならない。この震災は、たくさんの人々の心に数え切れないほどの、計り知れないほどの傷をつけたと思う。ことに、親を亡くした子どもたちのことを考えると、僕は本当に身を切られる思いだ。だから、言わなければならない。これ以上、あなたたちや子どもたちが傷つかないために。

まだ避難所での生活を余儀なくされている方々。集団生活で疲れ、いらいらしたり眠れなくても、安易に睡眠薬や精神安定剤なんぞに手を出してはいけない。親族を亡くされた方の悲痛は、僕などの思慮をはるかに上回るだろうが、精神科医に明かす問題ではない。独りぼっちになってしまった子どもたちよ。カウンセラーと名乗る優しそうな人は、決して君たちのお父さんやお母さんにはならない。信じられないかもしれないが、あなたたちの心の問題を解決してくれそうなこれらの人々は、ある人は確信犯的に、多くの人は無自覚な無知のゆえに、あなたたちの傷ついた心を商売の道具にする。嘘だと思う人は、精神科医とか心療内科医とか名乗るモノにかかってみたら良い。一年もすれば薬漬けにされて、医者や製薬会社(実際彼らは結託しているのだが)が泣いて喜ぶ金のなる木の畑にされていることだろう。大人はまだいい。自分の責任で選べばいいかも知れない。でも、子どもたちは違うのだ。甘い顔をしたカウンセラーなどという人間に商売道具にされて、悲しみを悲しみ、苦しみを苦しむこともままならないまま、問題行動は監視され、「処遇」と言う名のもとに、まるで工場の生産ライン作業のように、カウンセリングルームから保健所、福祉事務所、精神科とたらいまわしされた挙句、後戻りの出来ない体にされてしまう。誰が一体、子どもたちを守るのか。

 被災地の人々よ。あなたたちだから出来ることがある。
                           

*実名で挙げられた団体への、物資やお金の寄付等は、必ず団体に確認をとってから行ってください。友の会がこの活動をした状況と現在では、状況がかなり変わってきています。
(2011年4月3日 市野)

 

被災地被曝地から、心のケアは、撤退せよ、この地獄の亡者ども、
シニクサレー
死にクサレーーーーーー
この糞たわけた地獄の亡者ども国から三十億もモロうて、
千数百人のスクカンセラーの新規就職口を確保かいやぁぁぁぁぁぁーーー
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
シニクサレーーーーー怒アホがぁぁぁぁーーー
被災地被爆地の子供らを
コレ以上ヂゴクに落とすなーーーすぼけがぁぁぁぁ
いいのぉぉぉーーーこの糞たわけた地獄の亡者ども
国から三十億もモロうて、千数百人のスクカンセラーの
新規就職口を確保かいやぁぁぁぁぁぁぁぅぅぅぅぇぇぇぉぉぉぁぁぁぁぁーーー
被災地被爆地の子供らをコレ以上ヂゴクに落とすなーーー
すぼけがぁぁぁぁ
この際被災地被爆地の子供ら地獄に落として、
実績積んで、国家資格かいやぁぁぁぁーーー
怒アホがぁぁぁぁぁーーーー


 
警告する。警告する。警告する。
被災地、被曝地から、心のケアは撤退せよ。
被災地、被曝地から、精神科医は立ち去れ。
被災地、被曝地から、臨床心理士は立ち去れ。
被災地、被曝地から、スクールカウンセラーは
速やかに立ち去れ。

被災地、被曝地の皆さんに警告する。警告する。
被災地、被曝地にいる、心のケアに騙されるな。
被災地、被曝地にいる、精神科医にクスリを貰うな。
コロされるぞ。
被災地、被曝地にいる、臨床心理士の認知行動療法の
副作用はイノチを奪う。
被災地、被曝地にいる、スクールカウンセラーに
相談してはいけない。


PTSDは、精神病ではない。精神病ではないのだ。
キーサンは、イマ、叫んだぞ。叫んでおいたぞ。叫んだぞ。
怨念とともに、イマ、叫んでおいたぞ。



 
警告する。警告する。警告する。
被災地、被曝地から、心のケアは撤退せよ。
被災地、被曝地から、精神科医は立ち去れ。
被災地、被曝地から、臨床心理士は立ち去れ。
被災地、被曝地から、スクールカウンセラーは速やかに立ち去れ。
警告する。警告する。警告する。
被災地、被曝地から、心のケアは撤退せよ。
被災地、被曝地から、精神科医は立ち去れ。
被災地、被曝地から、臨床心理士は立ち去れ。
被災地、被曝地から、スクールカウンセラーは速やかに立ち去れ。
警告する。警告する。警告する。
被災地、被曝地から、心のケアは撤退せよ。
被災地、被曝地から、精神科医は立ち去れ。
被災地、被曝地から、臨床心理士は立ち去れ。
被災地、被曝地から、スクールカウンセラーは速やかに立ち去れ。

 被災地、被曝地の皆さんに警告する。警告する。
被災地、被曝地にいる、心のケアに騙されるな。
被災地、被曝地にいる、精神科医にクスリを貰うな。
コロされるぞ。
被災地、被曝地にいる、臨床心理士の認知行動療法の
副作用はイノチを奪う。
被災地、被曝地にいる、スクールカウンセラーに
相談してはいけない。

PTSDは、精神病ではない。精神病ではないのだ。
キーサンは、イマ、叫んだぞ。叫んでおいたぞ。叫んだぞ。
怨念とともに、イマ、叫んでおいたぞ。

(2011/04/19えばっち)

         
 
俺はキチガイだから、本当はキチガイの人達のことだけを問題にしたい。しかし、今回の東日本大震災と原発事故は我々キチガイだけではなく、一般の健常者も含むそれ以外の人達にも大きく関係してくることなので、「被災者」「被爆者」みんなを問題にすることにする。
 
 そうは言っても、まずは、俺たちキチガイのことだ。今回の被災で、ただでさえ具合の悪いキチガイは異常な状況のなかで、被災地・被爆地で生きているだろう。もちろん、見殺しにされている人達もいるかもしれない。特に、精神病院の閉鎖病棟に閉じこめられている人達は、水は食糧は電気はどうなっているのか?放射能はどうなっているのか?マスコミにも取り上げられずにひっそりと見殺しにされている人達はいったいどれだけいるのか?まずは、そのことを俺たちは考えなければならないだろう。これがニッポンの現実だ。
 その上で、なんとか、いままで運良く「地域生活」を営んでいたキチガイは今度の被災でどうなったのか?当然具合は悪くなっているだろう。精神的にも、社会状況的にも、悲惨な現実を前に、なんとか生き延びようとしているに違いない。クスリもなくなっているかもしれない。それでも、生き延びようと必死なはずだ。俺が、被災地・被爆地で生活していたらそうするだろうからだ。
 しかし、それを邪魔しようとする悪魔の魔の手が伸びてくる。それは、「心のケアチーム」や「被災者精神医療チーム」などの名前で魔の手を伸ばしてくるだろう。俺らキチガイはそんなもの要らないんだ。いまを生き延びるので精一杯なんだ。入院している時は、閉鎖病棟の中で、医者や看護士、患者ボス、クスリ、保護室、電気ショックのあるなかで、生き延びてここから脱出するのに精一杯だったんだ。そのなかを生き延びて脱出するのに、どれだけ心身ともにすり減らしたか、私物を盗まれ絶対服従を強いられ、どんな理不尽なことでも受け入れ、大量のクスリからくる副作用に苦しめられ、イヤなこともイヤだとは口が裂けても言えず、少ない不味い飯できざみ食で粥飯を10分以内に食うことを強いられ、インフルエンザには感染し、それらを全てくぐり抜けて退院したんだ。それがどれだけ、高度な生存技術か、入院経験のない奴らには判らないだろう。そして、やっと地域で生活しているんだ。そうしたら、今度は大地震、大津波、原発爆発だ。俺は何としても、もう、あの精神病院の地獄には戻りたくないんだ。やっと、生き延びて脱出できたんだ。電気もない、水もない、食糧も少ししかない、クスリも切れてきて具合は悪い、放射能もかぶった、でも、あの閉鎖病棟の中よりは外の方がマシなんだ。俺をほっておいてくれ、そっとしておいてくれ、俺はとにかく生き延びたいんだ。しかし、この社会的・精神的状況のなかでも生き延びることが大変なのに、そこに「心のケアチーム」やら「被災者救済精神医」が避難所に乗り込んできて、保健婦に先導されて俺の所にも介入しようとしてきている。どうして、お前らの対応までしなければならないのか、ただでさえ精一杯なのに、俺が生き延びることを邪魔しに来やがった。もう、やめてくれ、俺も限界なんだ。ここで《ミス》をしたら、すぐ、閉鎖病棟へ送られる。もう一生出られないだろう、俺はそんなところで生き延びる気力は、もう、無いんだ・・・・。
 これが俺たちキチガイの本当の現実だ。実際、俺が被災地・被爆地で生活していたらこうなっただろう。
 
 そして、キチガイ以外の人達も実際は同じはずだ。俺らキチガイとの決定的な差は精神病院・精神医療の恐ろしさを知らないことだけだろう。ちょっと、精神的に具合が悪くなったら、保健婦に話して「心のケアチーム」に診てもらう。そうすればラクになれると思っているからだ。しかし、それは幻想だ。まずはクスリを処方されるだろう。身体がしんどくなってくる。億劫になる。今までテキパキできていたことが出来なくなる。余計に精神的にも追いつめられ、隣の人間と喧嘩したり大声を出してしまったりする。避難所では対応できないと判断され、遠く離れた精神病院に緊急移送される。本人は何がなんだか分からず、当然抵抗する。大量の抗精神病薬を投与され、四肢拘束をされて保護室に入れられる。気が付いたら、混乱し気がおかしくなり、呂律は回らなくなり、強い不安に襲われ、聞こえないはずの声やものが見えたりしてくる。それと格闘していると、担当の精神医はたくさんクスリを飲ませているのにおかしい、典型的な統合失調症だと診断し、電気ショックを1クール(10回)かける。そうするとリセットされ良くなったように見えるが、クスリの大量処方は続き、自分がこんな閉鎖病棟になぜ入れられているかも理解できないので、また「不穏状態」になり電気ショックを1クールかけられる。以下同じように続き、この人は本当のキチガイにさせられる。

 「普通の」人達には信じられないかもしれないが、このようなことが多かれ少なかれ被災地・被爆地では起きてくる。「心のケアチーム」や「被災者救済精神医」が避難所に入ってくるとこうなるのだ。実際、阪神大震災ではたくさんこのようなことが起きた。しかも、今回は、大人よりも子どもをねらっている。「スクールカウンセラー」なども動員して、大々的に行われるだろう。子どもの方が、精神的にも不安定で《ミス》を犯しやすく、簡単に「心のケア」の対象にされるだろう。そして、その後に口を大きく開けて待っているのは地獄である。《キチガイでない子ども》をキチガイ扱いするな!!《キチガイでない子ども》をホンモノのキチガイにさせるな!!!これほど大きな犯罪はない。子どもの未来は地震・津波・被爆よりも、「心のケア」の対象にされることによって奪われる。ただでさえ、震災・被爆で失われつつあるのに、バカな「スクールカウンセラー」や精神医によって問題行動(言動)を観察され、モノのように扱われ、大人のように生き延びる知恵もなく、むざむざと人間としての未来を奪われるのだ。いや、殺されるのだ。その犯罪の罪は万死に値する。
 
 とくに今回タチが悪いのは心理職の奴らである。「スクールカウンセラー」(時給5000円!!)も心理職だが、今回の災害・事故で「心のケア」の「成果」を上げて、今度こそ国家資格化を狙っている。大挙して被災地・被爆地に押し寄せるだろう。阪神大震災のときは、同じように精神医どもが「心のケア」で名を上げ精神医の地位向上に成功した。そして、精神科クリニックが街にあふれ、簡単に精神科に掛かるようになり、精神医療バブルが今も続いている。それにのって、開業した精神医も大もうけしたが、製薬会社も大もうけした。今度は同じ事が心理職に起きる大きなチャンスである。この好機を逃すはずは無い。そして、心理職や「スクールカウンセラー」が年収500万円と国家資格を得て、職域を学校・医療・保健・福祉・警察・軍隊・矯正施設・刑事施設・ACT・保安処分病棟・行政などに遍く広げ、自分の子どもを大学にやり、自分の家を建て、老後の資金の積み立てができるようになるころには、「心のケア」の犠牲になった子どもたちの屍は累々と重なり、そして、これからもずっと「心のケア」の対象になるべき子どもたちはそれぞれの職域で供給され続けることになるだろう。それはつまり、子どもたちが生きて成長していくうえで少しの《ミス》も許されない社会にするということだ。そうしなければ、有国家資格者の心理職の連中は、各々の職域で『持続可能』な職場を得られなくなるからだ。必然的にそのような社会になるだろう。
 だから、俺は最後に自分の怨念と友にこう叫ぶ。
 
心理職・「スクールカウンセラー」よ、被災地・被爆地から撤退せよ!! 「心のケア」の犠牲者を生み出すな !!まず閉鎖病棟の保護室を経験してからもの言いさらせ!! もし、子どもの犠牲者を一人でも生み出したら、俺がいつか、「スクールカウンセラー」・心理職を「被災者救済精神医」とともにミナゴロシにするから覚悟せよ!!!

 
キチガイは野放しにしろ!!! 
被災者・被爆者、特に子どもに手を出すな!!!

 

 (2011年4月2日記 さらちゃん)
連絡先 京都市山科区日ノ岡坂脇町七の五 日ノ岡荘二階 前進友の会
市野裕一 江端一起 皿澤剛
ロシナンテ社むすぶ四月号・五月号・六月号に、大部分は所収のされているモノです

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