2011年3月21日

自力で避難できないニンゲンがいるんだどうするんだ。
自力で避難できないニンゲンがいるんだどうするんだ。
正確に言おう、自力で避難することを禁止されているニンゲンがいるんだ。

例えば、精神病院の閉鎖病棟に入院中の患者さんはどうするんだ。閉鎖病棟の保護室だ。こんな時だから自由に逃げさせてくれるのか。精神病院の閉鎖病棟で外にも出してもらえず、当然避難所にも避難できず、食料もなく、水もなく、電気もなく、情報もなく、凍え、そして、飢えている。看護士に頼めば、避難所に行かしてくれるのか。看護士が、ちゃんと、配給物資のおにぎりを、くれるのか。看護士が、放射能被爆の可能性を親切に教えてくれるとでも・・・・・・・

例えば、医療保護入院で入院中、家族は医療保護を解除してくれるのか、その家族が避難所に行くのがやっと、だったり、遭難していたらどうするんだ。自力で避難できないんじゃない、閉鎖環境に閉じこめられているのだ。
例えば、緊急避難のため、措置入院を解除してくれるのか。
例えば、刑務所の受刑者、例えば、重度の心身障害者、例えば、重度の痴呆老人。例えば、外国語しか喋れない外国人。例えば、精神病患者。例えば・・・・・・・・
避難所は、本当にこころよく受け入れてくれるのか。

例えば、本当にうまく、避難所に、うまく避難できても、クスリがなくなってくるんだ。避難所生活で、グアイが、悪くなってくるんだ。避難所生活の中で、病状が悪化してきて、出て行けと、言われるんだ。地域からそう言われて、入院したように、この大災害の中で、避難所の中で、また、そう言われてしまうんだ。実際、この京都でグアイの悪くなるナカマが、続出なのだ。まず、間違いなく、せっかく避難できても、その避難所でグアイ悪くなって、別の精神病院に入れられるのか。精神病院のたらい回しにされるのか。

実際、避難所のみなさんに、お願いしたい、少々、風変わりだったり、奇矯な行動をとったり、奇異ななりををしている、病者や障害者を、例えば、刑務所の受刑者、例えば、重度の心身障害者、例えば、重度の痴呆老人、例えば、外国語しか喋れない外国人、例えば、精神病患者を、避難所は、受け入れて、他の人たちと同じように、おにぎりをわたして頂きたい。状況が厳しくなればなるほど、実は、優先されるイノチと、無視されがちなイノチとが、あることを、わしらは、知っているのだ。きれい事は、通じない。状況が厳しくなればなるほど、そうついに原発から100キロ圏内からの疎開が始まったら、ジュケイシャキチガイチエオクレカタワボケロウジンガイコクジンアルチュウを乗せてくれるバスは、最初には来ない、真ん中あたりにも来ない、最後の方に来たらありがたや、もしかすると、来ないかもしれない・・・そんな可能性をイマ声を大にして叫ぶキチガイが、ここにいる。余計なことだ、黙ってくれと、言われても、叫び続けるだろう。ジュケイシャキチガイチエオクレカタワボケロウジンガイコクジンアルチュウも、そのバスに乗せてくれーーーー乗せてくれないなら、せめてせめて握り飯と若い者には「安定ヨード剤」をワシラへも分けてくれーーーー乗せてクレーーー分けてクレーーー


例えば避難所は、精神病院の閉鎖病棟の入院患者280名と看護士を受け入れてくれるのか。受け入れてくれないのではないか。とある精神病院の院長が、閉鎖病棟の全入院患者とスタッフを、鍵を外して、病院をあげて避難所に避難することを決意したとき、ナニカが試されると想うが、そもそも、そう決断する精神病院院長や精神医はいないだろう。余所の精神病院の閉鎖病棟へ避難させて貰えるのが、せめてものナサケといわけなのか・・・・

地震があって、電気もガスも止まって、飯は、一食しかわたされなくて、鍵がかかっていて、自由に外に出られないんだ。避難所でも、受け入れてもらえないかも知れないんだ。大体、もう、保護室と閉鎖病棟の鍵の中で、死んでしまっているカモシレナイ。イマまさに、次々と、死んでいっているカモシレナイ。ナニモ知らされることなく。精神病院の閉鎖病棟の入院患者とは、そのぐらい、孤立しているものだ。
江戸時代ですら大火事の時は牢屋敷が開放された。被災地のそして、原発周辺の精神病院の入院患者と受刑者は、江戸時代の伝馬町牢屋敷に入れられていた咎人よりも、危険から逃れる自由がないというのか。
だから、政府的な物資搬入、支援活動とは別に、微力ながら被災地のたった一カ所の精神病院に食料を送ろうと試みた。レトルト食料1000食を、少なくとも、宮城県内塩竃市までは、間違いなく、運び込んでくれそうです。今のところ、食料品の買い出し費用が十万円近く、そして、運搬費用が一万五千円近く、かかりました。

山の中のとある精神病院の入院患者のモノローグが聞こえる気がする。
こんなだ。
『あの地震以来、おかしなことばかりおこるものだ。オレはこの病院の閉鎖に七年入院しているが、こんなに飯が喰えたのは、初めてだ。この七年間いつもいつも、オレタチは飢えていた、ギリギリの食事しか、あたえられなかったからだ・・・・ところが、あの地震以来、地震といっても、被災地から大分離れているここじゃあ、ほとんど、揺れなんて感じなかったほどなんだが、冗談じゃなくクスリの副作用でいつも、身体がぐらぐらしているから、少々の地震なんて、感じないんだ、そうそう、それで、その地震以来、病院の出す三度の食事が、増えたんだ。良くなったんだ。部屋長そいつは当然配膳係を兼ねているんが、ナンデも調理室には山のような食料品の箱があるらしい。もっとも「救援物資」とか「基準値超過廃棄処分」「基準値超過自主回収」とかいうハンコがベタベタ押されているらしいが、オレタチにゃあ、何のことだか、ワカラナい。どちらにしろ、出されたモノを食べるしかないんだから。
そうそう、それに、院外作業、院外作業療法とかいうらしいんだが、とにかく、病院から連れられていって地元の製材所で一日働くと300円くれたんだが、それがなんと、五倍の1500円になったんだ、と。ただ、シゴトも変わって、その製材所の裏の山に、ナンデモ建築廃材らしいんだが、とにかく、木材だのコンクリだの鉄筋だののゴチャゴチャしたものなんだが、それを地面に穴掘って埋めるだけなんだ。しかも、イマまでアルチュウ病棟だけの特権だったんだが、オレタチ精神の閉鎖病棟からも行けることになったんだ。モチロんオレは志願したよ、五年ぶりに病院の外に出られるし、うれしくてシカタがないよ。でも、アルチュウ病棟のヤツラは、なんでも、ソンナのをドラム缶に詰めるだけの作業で、一日2000円貰ってるらしい、うらやましいなあ。穴を掘るよりよっぽど楽そうだ。
そうそう、オレタチは、一部屋に十人いるんだが、この間から、どの部屋も十四人になった。いっぺんに新入りが四人も増えて、ベッドとベットの間が、狭くてやりきれない。もともと狭くてタイヘンだったんだが。ところで新入りのニックネームはフクシマだ。ボーゼンとシテいて、押し黙ったマンマ名前も言わず、なもんで、オレタチは新入りのことをフクシマって、呼ぶようになった。めざといヤツがいて、閉鎖病棟の一番大きな窓からいつも外を見ているヤツなんだが、ソイツが、フクシマ交通って書いてあったバスからゾロゾロ降りてきたのを見ていたからなんだ。あんまりしおれているから、オレタチは新入りには優しくしてやっているよ。狭くなってツライけどな。今度の地震のあったとこなんだろ。地震、怖かったんだろうなぁぁぁ、青い顔して、一言もしゃべんないよ。
そうそう、向かいの病棟で、二十年余りもここに入院しているヤツが、突如宮城の実家を見てきたいとか言い出して、あんまりしつこく言うもんだから、デンパチかけられて、保護室に入れられたみたいだ。そうだそうだ、その事件以来、入院患者が不安になるという理由で、全員一律にベゲタミンが一錠増えたんだ、あの赤玉というやつだ。オレは六錠も飲んでるから、一錠くらい増えたってどうって事ナインだが、他のヤツラはフラフラしてるよ。診察も無しで全員一律だっていうんだから、ムチャクチャだよな。
そうそう、一番奥にある真新しい病棟が満杯なんだとさ。なんでも、医療観察病棟っていうらしいだけれど、電気会社のエライさんトコに押しかけて座り込みしてしてたレンチュウが、そのエライさんの子供だが女房だかを、はずみで怪我させたっていうんで、まとめて精神病っていうことになったらしいよ、詳しいことは分かんないけど、ね。
オレは嬉しいよ。明日からは院外作業に出られるし、飯もよくなったし、言うことはナニモないよ、ほんとだよ。ナンダカ少しオッカナイって想うのは、きっと、オレの病気のせいだと想うんだ。』

これからは、友の会や周辺の病者たちナカマたちが、不安と病状の悪化を訴えてくる電話に、SOSにおわれるのじゃないかと、想います。もともと、外出困難なナカマが、益々、しんどくなってくる、なってきた、ところへ、様子を見に行ったり、食事会お弁当と食料品を持って行くことになると想います。そして、その先は、避難や疎開先になるだろうと想います。想えば、阪神大震災の時も、友の会みんなの部屋の事務室に避難されてきた病者が泊まっておられました。そう、そうして、友の会みんなの部屋の日々のセーカツは、食事会は、入院中のなかまへの訪問は、キーサンセーカツは、今後もずっと、続いていくのです。 (えばっち)

昨日(3/15)の夕方用意して貰った支援物資を何とかいち早く届けるべく、いろいろ調べましたところ、郵便局も、民間の運送会社も全てダメ。政府は、支援物資輸送を自衛隊に一元化すると言っていますが、受付窓口として市区町村のレディネスがないのでコレもダメ。結局は、民間で自力で緊急車両の許可を受けて現地入りしている団体が、もっとも可能性が高いので、しらみつぶしに調べてみましたところ、尼崎医療生協という団体が、現地入りし青葉病院のある宮城野区から15キロほど離れた塩竃市の坂病院というところで緊急医療活動や支援食料の配布などを行っていることが分かりました。連絡を取ってみたところ、青葉病院だけに物資を届けるということは出来ないということでしたが、青葉病院に連絡を取り、尼崎医療生協および坂病院に連絡を取って貰って、支援を受けて貰うことが今一番物資を生かせる方法だろうと判断し、尼崎医療生協に物資を送りました。状況は一日一日変わってきていますので、今後どんな手助けが出来るかも、また変わってくると思われます。アンテナを張っていようと思っています。(市野)

 2011年3月21日 京都市山科区日ノ岡坂脇町7−5 日ノ岡荘二階  前進友の会
江端一起 市野裕一



「ロシナンテ社刊行 むすぶ No.482 11/03」所収のモノです

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