2010年10月3日

あけまして、ヒサンです
もうはや二月になります、えばっちより
なかまが、精神科医にイビられ
看護士にヤキを入れられ車椅子になる日々です。

新年早々に、キーサンセーカツのバクハツドンヅマリです。

 昨年末から、岩倉に入院中のなかまがひとり、向精神薬を全面的に打ち切って輸液、車いすになり、心配しています。
だからあれほど、クスリを減らしてくれと言い続けていたんですが・・・・

正月十三日、原因不明のけいれん発作をおこし、意識不明の重態になって岩倉から、総合病院へ緊急搬送され、一時危篤でした。今も重態で、面会や、事務手続きや、悲惨です。悪性症候群ではないそうですが、友の会に病状説明してもらうには、色々な手続きが必要で、大変です。友の会がナントカ正式に、病状説明を受けたのは十九日でした。

 一月二十三日に行ってきましたが、先週土曜日とは、格段に良好会話が成立した「いまばんか」「ひぐれどきか」「もう少しおってくれ」とかでも、写真で、分かるのは「わしや」のみ。あとは、誰も分からんなあぁーえばっちが誰かも、べんちゃんが誰かも、分からなくなっていました。水枕しとったで、聞いたら、熱が、七度一分あるのでしているが、大事はないとの事点滴も、していなかった「もっといてくれ」と言うんで、できるだけいてたけれど、そいで、何度か立ち上がると、そのたびに何度か、ハッキリと、そう言ってくれるので、おったけれど、それでも、たちあがって帰りかけると、右手振ってバイバイしてくれました。

 二十六日には主治医から病状説明を受け、翌日岩倉に戻りました。もうすこし、リハビリをしてもらいたかったですが、ともあれ、良かったのはここの内科の主治医の処方が理想的なものでした。現在は岩倉病院の観察室でなんとかべんちゃんに向かって「べんちゃん、お金おいてってや」と言ったらしいです。まだベッドの上です。そのまま、とうとう、車椅子と、ベット生活になってしまいました。

結局「低ナトリウム血症」という精神科のクスリの大量ぶち込みによる深刻な副作用だったわけです。「SIADH」というものだったのです。結局総合病院の内科医も岩倉病院の精神科医も、ぼくたちに、教えてはくれなかったわけです。半分以上は、いいように、『騙され』とったわけです。この岩倉病院の主治医、「発達障害」の専門医として、講演までしているというのですから、恐れ入ります。今後、「発達障害」で、ポロもうけしようということでしょう。

どうも、そこの総合病院で、風邪でも、貰ってきたようで1月中旬は、えばっちはへたっていました。七度八分の熱がでてしまって。聴覚過敏のせいで、ゆっくり寝込んでもいられません。風邪とインフルエンザには気をつけないと、今や友の会は、誰か一人が風邪を引いて倒れても立ちゆかなくなってます。
 
 折悪しく、団地で、工事が始まってしまいました。電気容量の増設だそうです。二月中旬まで、日曜以外、毎日工事です。二十九日は、みんなの部屋で、今日一日かけて、イマまでのメールまとめて、文章にしています。「意見上申書」とともに、みなさんで、みていってもらえたらと、想っています。このところ、自分の書いた文章が、ちょこっと、ヘンです。
なかまのセーカツを維持し、イノチを守り、
真の意味で観察法と対決する日々です。
本当になかまのひとりが観察法に引っかけられました。

昨年十二月十日に、なかまのひとりが「放火の容疑」で逮捕され、留置場の中で、年末慌ただしく簡易鑑定の後、クリスマスの日に移送され、現在京大病院に鑑定入院中です。観察法適用です。セーカツの場に観察法が牙を剥いて迫ってきました。
今年に入ってずっと、病状を理由に面会を、拒否されました。心配です。今年になって、何人かで、行っていますが、面会できたかどうか、わかりません。警察に勾留されてたときの方が、面会もできたし、国選弁護人が接見にも行ってた。京大病院に移送されて、元旦に面会したときは、げんきそうやった。その後、独語を理由に面会拒否されて、しまった。
 
家族は、焼けた家の請求書が、大家からどのくらいくるのか、それが、キビシイんやろと想います、友の会には、本人が反省せんから、面会にこないでくれと、言われる始末。でも、ナントカ家族を説得して・・そのためにも、弁護士、家族、友の会で、話し合いをもてたらと、想います。弁護士さんが、今の状況をご家族に、説明してもらえたら一番良いのですが・・・・「観察法」「鑑定入院」ということも、説明してもらえずに、医師にも、僕たちにも、弁護士にも、本人へも、怒りをあらわにし続けているといった事態が、ずっと続いています。友の会が、ナニカいうことが、ますます、悪化させる気がしています。ずっとこちらから連絡しようとしていましたが、やっと26日に連絡が付きました。「もう二度と顔も見れない遠いところへ一生閉じこめといてくれ」「なにも画策してくれるな」ということらしいです。27日に、社会復帰調整官に、呼び出されているということでした。
もう「上申書」を出すことを決意しました。

岩倉の主治医は、警察からの事情聴取がおわつたら、いっさい、関わりを持とうとせず、逃げ回っているというカンジにみえる。何度か、電話してみるも、逃げるばかり。

一月二十五日には、イワクラに、何人か、行く予定でいます。えばっちは、まだ、行かないでおこうと想っています。ただ、措置入院になったら、岩倉病院としては、受け入れる、という言質を取ったのみは、昨年中のことではありました。ナントカイワクラの主治医には、ガンバッテ欲しいものです。二十五日の話し合いでは、岩倉の主治医はきたらうごける、いまは、うごけない、といったカンジです。これは、すばらしい、第一歩です。岩倉の主治医には、期待しています。

国選弁護人には、十二月二十二日に友の会で打ち合わせしたときに、付添人研修も受けて、審判も一度経験したっていうから、そのまま、観察法の付添人になってくれるよう、頼どったんやけれど、まったく、その弁護士に一月になつてから連絡が、つかない。28日に「意見上申書」をなんとか、書き上げ、みんなでミーティングして、FAXしたんですが・・・・。この国選の付添人弁護士に動いてもらうよう、また別の観察法をよく分かった弁護士さんに友の会が費用を出しても良いので、何とか友の会の相談役になってもらえないか、ある人を通して打診中です。その弁護士さんはすばらしい「梃子」になると期待しています。

 想いおこせば、昨年十二月十日当日深夜、なんとか本人にクスリを入れようと山科警察署に駆けつけ岩倉病院の主治医に連絡をつけようと電話をかけ続け以来今日に至るまで、枕を高くして眠れません。

 事件翌日の新聞報道では「生きているのがいやになつたので火をつけたと、供述している」と報道されて、仰天。二十年以上にわたる、つきあいから、こんなこと、言うような奴じゃないことも、わかっているので、面会できてたときに、確認するも、「やったやつた」というのみ。ちなみに、刑事さんはやさしかつた、と、喜んでいる様子。二十二日に、やっと、やっと、国選弁護人より、今年初めて、連絡が、つきました。

 それによると、三月九日火曜日に、京都地裁にて観察法審判を、開くと、判事から、連絡が、あったそうです。準備が、間に合わない、デス。本人に面会もできないママ、審判では、どうにもならないカンジで結局正月になって面会できたのは、元旦と、十四日だけです。本人に、みんなが心配していること、そして、審判になるということを伝えて、本人の無事を確認したいところです。しかし、面会はできませんでした。差し入れは、いけました。ずっと、保護室でしたが、そのうち一般病室に移すので、その時は、面会できるといわれ、引き上げてきています。一月二十九日の所の実態です。ちなみに、京大病院への電話は、毎日入れています。

 だんだん、面会の条件がきびしくなつてきているようですが、本人に、面会するのが、最重要と、電話の事前連絡と、代表者一名だけという、条件を、みんなで話し合って、受け入れました。が、毎日確認の電話と今日も行きましたが、面会はできませんでした。ただ、ずっと保護室だったのですが、一般病棟に変わったとのことです。もっとも全閉鎖なので、外に出られなくて具合が悪くなることを心配しています。

 一月二十九日、みんなの部屋を閉め際に、MK弁護士からの電話がありました。ご家族には、これから、電話をして、説明するとのこと。岩倉主治医との話し合いもするとのこと。ぼくたちとの話し合いは二月十六日午後四時から友の会みんなの部屋にて、するととのこと。なんとか、書き上げてFAXした、上申書については、「上申書」は、「これまで、なにをしとって、これから、本人に対してなにができるのかを具体的に」書かれたものが、良いらしいです。しかも、たくさんあると、良いらしいです。二月二十五日に、審判前の事前協議があるので、それまでに、なるたけたくさんの「上申書」がそろうといいらしいです。

今年は、協力要請を致すかもしれません。何卒、ヨロシクお願いいたします。当日地裁前には、なるべく大勢で行きたいと想っております。また、審判の三月九日までにナニカできることはないのか、お知恵や、お力を、おかしくださいませ。
なかまの何人かは、うつで、出てこれなくなったり、各種の身体病、糖尿病、人工透析、高血圧、ガン、ポリープ、肺気腫、脳梗塞、橋本病、等々を抱えて、くるしんでいます。えばっちは、聴覚過敏でクルシンデいます。

今年も、すばらしいとしでありますよう。
みなさまのご健康、ご多幸を、お祈りしています。
友の会のホームページの「キチガイの戯言」が、現況ですわ。
じゃあまた
二千十年二月朔日 えばっちより

観察法の魔の手から、のがれられました
観察法の魔の手から、のがれられました。
みなさん、ありがとうございます
観察法の魔の手から、のがれられました
観察法の魔の手から、のがれられました。
みなさん、ありがとうございます。
三月九日、
なかまの観察法審判がありました。
観察法適用の医療は、必要なし
ということになりました。
今後のことは、不透明ながら、
最悪の事態は、さけられました。
ありがとうです。
タイヘンでした。
ツカレました。
ではまたえばっちでした
10/3/10

その後、MSさんは、硬膜下血腫で、アタマに穴開けられ、胃ろう造設で、ハラに穴を開けられ、しながらも、精神科医にイビられ、看護士にヤキを入れられ、車椅子になりながらも、しぶとく、岩倉病院で生きている日々です。ついに、生活保護の関係で、アパートを引き払うことになりました。大事なモノと言っても、結局は段ボール箱一杯分を友の会に引き上げてきました。30年近くを洛南病院で、過ごさせられ、20年ほどをシャバでくらしたら、あとは、もう、死ぬまで、岩倉病院な訳です。これが、世の中からおいてきぼりにされた年老いたキチガイの末路なのです。

ミスターMMさんは、兄やんが保護者の医療保護入院になっています。観察法からは、逃れられましたが、なかなか、退院は難しそうです。未だ、外出許可も出ません。兄やんが、どうも、やすらぎの里へは、行って欲しくないと、言ってるミタイで、こちらにも、直接縁切りしに来はりました。あっ、そういう電話があったのかな。どちらにしろ、そういったことを理由に主治医も、外出許可を渋っている様子がかいま見えます。精神科医療と福祉と警察と司法と地域に、お隣に、町のヤクザ坊に、家族にイビられつづけ、イヤガラれ続けた濃厚なキチガイの末路なワケです。
とにもかくにも、前進友の会やすらぎの里として、週一回金曜の食事会にこちらから岩倉病院に向けて送迎車を出し続けているので、それに乗って、また、一緒に食事会ができないかと、想う、なかまのセーカツを維持し、イノチを守り、真の意味で観察法と対決する日々です。
2010.10.03  えばっち

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