2007年

イマの今時に「心神喪失者医療観察法」にハンタイするために

そしてなんとしてでも「電気ショック」を廃絶するために含む 

「障害者自立支援法」「敷地内退院支援施設」にハンタイするために

 またまた、ひとりキーサンカクメイの鬼の怨念節やがな、もう言い飽きたこの呪い節、恨み節をまたまた言わにゃあならん時がきた。イヤやったら、読まんでも、いいんや、もう。

 ほんま、だいたい、さんざんパラ言うてきた「見えにくいアクジのハンニン」ども、なにが、「医療観察法反対」なんや、もうはや「条件闘争」始めたんかいや。「絶対反対」は、どこにいったんや。実際出発してしもうたら、泣く泣く、現実には対応していかなあかん。一人ひとりの生きた人間がひっかけられていってるんやから、なんとかせにゃならん。しかも、とんでもない適用のしかたや。でも、だからこそ、ここで「絶対反対」の軸をはっきりせんならん。それをや、どういうわけか、「反対」に名を借りた「ノウハウづくり」か「毒を少しでもうすめようや集会」かいな、そりゃあ、必要や。必用やで、でも、それは、あくまで「泣く泣く」であって、大々的にに「反対集会」としてやることか。それは、泣く泣く内々のべんきょー会やろが。キーサンの想いからくる「絶対ハンタイ」と医療従事者弁護士やらの「できてしもたんやからすこしでも、こちらに条件を有利にしよう反対」とは、チガうで、ほんま。とにもかくにも、わしらはハンタイや。

どこからはじまったんや

そもそも90年代に、「処遇困難者専門病棟つくったらどうや」と、厚生省に制度政策提言したのは、どこの誰やったんや。旧プシ共闘のご一統さんやなかったんか。「病院機能分化」を、「高度精神医療」を、「精神保健推進十カ年計画」や「今後の日本の精神医療のあり方に関する研究」として厚生省に制度政策提言してきたのは、どこの誰やったんや。その「振り返り」もなしに「観察法」にハンタイなんかいや。そもそも、病棟機能分化、病院機能分化、社会復帰路線すすめたのは、誰やったんや。その「病棟機能分化」の先に、「社会復帰路線」のその先に大口開けて、待ってたんが「観察法」やったんちがうんか。

「観察法」の施行のために、厚生省から出されているモノが、法成立直後から、どんどん拡大されていくように見える。これはそもそも読み込みずみのことではないのかと、カングリたくなってくる。そして、実際に出発したら、その適応のありさまときたら・・・・・。

 このままでいくと、日本中、重保安病棟、中保安病棟、軽保安病棟だらけになりそうです。大阪のさわ病院の澤温の「スーパー救急病棟」を含めて考えれば、もうそうとしか想えない。そうすると、それは一次医療圏から五次医療圏、もしくは六次医療圏という十余年程前の『制度政策提言』を取り入れたモノになる。森山、卜部らのだした、厚生省科学研究班の報告「今後の日本の精神医療に関する研究」、精神神経学会の「精神保健推進十カ年計画」を見てください。そもそもの「処遇困難例の研究」を出しやがったのは、中山に、道下ときた、「プシ共闘」とはなんだったのか、電気ショックまでし続けていたではないか、えばっちのただでさえイカレたこのクソドタマに、血がのぼるぞ、ほんま。こんなことなら、なんも、せんとってくれたらよかった。

 例えば、一次医療圏がクリニックとACTなら、二次医療圏が民間精神病院となる。それが例えば六次医療圏が日本に二つから四つの重保安病棟なら、五次医療圏は全国二十四カ所と言われている「観察法」の新病棟となる。四次医療圏は、全国の都道府県にばらまかれる十五床づつの病棟になる。もしくは「スーパー救急病棟」とすると、三次医療圏は、民間精神病院のなかで、応急入院の指定、あるいは「観察法」の強制通院先に指定された、もしくは各自治体で自主運用されている精神科救急システムの受け入れ病院となるではないか。みんな争って、手を挙げて受けていくこのアリサマ。どこが「反対」なのか。

 ご丁寧に、今は、「層構造」と言っているらしいですが、「五層構造」とか「六層構造」とか、言っているのでしょうか。ひょっとして、この言い方も、ゼンイに満ちあふれた「良心派改革派」が「欧米」に学んだのでしょうか。自らで提言し、自らがソレを受けていくミニクいアリサマです。

キチガイに刃物そして焼き討ち

 国家資格化のモンダイ。なぜPSWだけが、こんなに早く国家資格化したのか。これでわかりました。これからの新たな国家資格化が、なんなのかも、そして、「学会認定医」なるモノがなんなのかも。「観察法」上の審判員は、国家資格判事である。参与員は、国家資格指定医である。付添人は、国家資格弁護士である。社会復帰調整官=精神保健保護観察官は、国家資格PSWである。よくできたモノだと想います。とすると、心理職の国家資格化は、何をもたらすであろう、考えねば、なりません。

笑えるのは、「ゼッタイハンタイ」を唱えて大々的ウンドーとやらをやってきたという人たちが、こんどは弁護士の「付添人研修」を大々的にやっていることです。講師がイケハラというのが、笑わせマすし、主催や当事者の立場でまたもや、登場してくるのが、ヤマモトミユキにコバヤシノブコです。そしてまたもや、「欧米先進諸国」からのお客さんまで、登場です。どうしても、必要なことと言うなら、こっそり仕方なく、「泣く泣く」やるモノでしょう、これは。

たとえば、全判事と、全指定医と、全PSW、全弁護士が、受けなかったら、それで、シマイなわけです。或いは、受けやがった、判事、指定医、弁護士、PSWをヤリに行く、キリに行くというのもいいと想います。キチガイには刃物があります。

 これは警告でも脅迫でもありません。通告です。ニッポンで稼働する「保安処分審判」を受けた判事は、家族とともにそのアンゼンを保証できないことを通告します。クビとドウとが泣き別れ、そのクビは地裁の門に飾られることになります。その判事の子どもが通学する幼稚園、小学校、そして自宅は、乱入されます。受けた指定医は、拉致され、三ヶ月間四肢拘束され、山小屋保護室に閉じ込められ、貧者のES器械スタンガンによる電気ショックを5クールから6クール施術されます。受けた弁護士の車は放火され、別の法廷でクビとドウとが泣き別れ、自宅の町内会の浄水場に毒が放り込まれます。受けたPSWは、その家族、祖父母、両親、兄弟、子ども、従兄弟、にいたるまでその住所と顔写真が、もれなく配布送信され、毎日のように猫の死体が送りつけられ、高層マンションからは突き落とされ、突然車にひかれ、弓矢が飛んできます。以上、「観察法」上の審判員になる国家資格判事、参与員になる国家資格指定医、付添人になる国家資格弁護士、社会復帰調整官=精神保健保護観察官になる、国家資格PSWに対して通告します。受けた病院、弁護士事務所、裁判所は、毎晩毎晩火矢が放たれ、焼き討ちにあうのは、必定というものです。これでニッポンの「観察法」という名の保安処分は機能しなくなります。

 アホンダラガァーーーーーこれで少しは分ったか、過去五十年以上に渉るキサマらの仕打ち、これからやる仕打ちに対する、怨念がぁーーーーーーーーアホンダラガァァァァーーー

1)23)いちにぃさん心理職のみなさんオメデトウ! 

 1)司法、警察は、治安のことを考えます。2)医療・福祉行政は、出費を抑えることを考えます。3)病院、精神科クリニックの経営者は、儲けることを考えます。そのなかでおいていかれてしまうのは、キーサン精神病者のセーカツと想いです。特に老齢化してきたキーサンの想いとセーカツです。

 さてそこで、たとえばの話を。「観察法施行」で軽保安病棟、中保安病棟、重保安病棟と、出来上がったとして、上記の三点それぞれから、考えてみてください。大儲けするのは誰でしょうか。人を閉じこめやすくなるのは誰でしょうか。倹約出来るのは誰でしょうか。

 さらに、ひとつ、このところよく想うたとえばの話「油田と金脈」があります。3)の経営者にとって、大儲けするためには、「金脈」が必要です。でも、2)からの圧力も高まります。「金」はすくないのです。だから、精神科救急であったり、特殊保安病棟であったり、電気ショックであったりするのか。じゃあ「油田」は何でしょう。実は、これを「精神病」ではない人たちに、「精神病」の『病名』をつけることだと想っています。曰く、引きこもり、曰く、家庭内暴力、曰く、PTSD、曰く、節食障害、曰く、不登校、曰く、AC、曰く高機能発達障害、曰く加重労働、曰く成果主義被害、曰く格差被害、曰く労働災害、に「精神病」の『病名』を貼り付けていくのです。まさに「サイコバブル」です。それが、学校現場、教育現場、産業現場に配置されるであろう「国家資格心理職」の役割になるでしょう。まさに、「心のケア」「心の時代」の到来です。3)の人たちは、大儲けするでしょう。それこそ、喰いモノにしていくでしょう。そのなかで、1)、2)の人たちは、どんなことを考えてくるでしょうか。

 もうひとつ、今からはやっていくであろうACTは、1)2)3)それぞれからは、どのように、考えているのでしょうか。キレい事は通用しません。さぁ、ホンネをどうぞ。

 この文脈のなかで、心理職の国家資格化が、みえてきます。イマまで心理職は、ながらく、精神医療のお荷物でした。保険点数が付かないからです。儲けにカネにならないからです。でもイマからは違います。「油田」を掘り当てる掘削機、先兵となることでしょう。「国家資格心『離』職」のみなさん、いやはやオメデトウ。

「暴力」を振るうための資格とは

 しかも、看護士の振るう「暴力」にまで、「資格化適正手続化」がはじまっているではないですか。その名も「包括的暴力防止プログラム」とは、なんともはや、言い換えも甚だしいではありませんか。で、講習を受けて資格を貰うとは。患者に暴力を三人かがりで振るうチームテクニクスたらいうもんをやるための講習をうけて資格を貰うのです。これも欧米の輸入モノだというのですから、笑わせマス。コバヤシノブコはイギリスの「マインド」を最初に紹介する時にいっしょに「ブロードモア特殊保安病院」とセットであることを、そしてソコの看護士は訓練された「暴力実行資格」を有していることを紹介すべきだったのです。

 さぁ、キーサン患者会の「包括的看護士復讐プログラム精神病院おとしまえプロジェクト」を叩きつけましょうや。

 こういった流れのなかで、濃厚な「分裂病」「妄想病」「躁病」「鬱病」「躁鬱病」といった、長年、クスリを飲まされ、今も、そして今までも、そしてこれからも、もっとも劣悪なところに閉じ込められ続けてきた、特に年老いたキーサンのセーカツと想いが、ナシにされていくでしょう。本当に憎い、怒りと復讐の固まりです。「気ぃ狂い」そうなぐらい憎いです。このナガレを作り出してきた、奴らは、キーサンテロを覚悟すべきです。魑魅魍魎、鬼と怨念と呪いと「包括的看護士精神医復讐プログラム精神病院おとしまえプロジェクト」を覚悟すべきです。

「金脈」をつかんだか

 ゆくゆく先を見越して「精神保健福祉法」と「心神喪失者医療観察法」との一本化というか、合体の可能性がありや、なきや。「自立支援法」と「介護保険法」は、合体するのです。だったら「精神保健福祉刑事法」「精神保健福祉医療観察法」の可能性ありやなきや、このところ、そんなことを想います。当然と言えば当然ですが、「医療観察法」の参与員とか、保護観察官は、「精神保健福祉法」上の指定医であったり、PSWであったり、そもそも「精神医療審査会」のありようにもよく似ている。 だいたい、「精神保健福祉法」上の『措置入院』と、『精神科救急システム』と、「心神喪失者医療観察法」の『収容』とが、どうちがうというのだ。そして、「精神保健福祉法」とのすり合わせのためにも、「精神保健福祉法」を改定するはずです。25条検察官通報、26条矯正施設の長の通報、などは「観察法」との関係で、どうなるのだろう。

 また旧32条公費負担は、「自立支援法」の中に取り込んだ上で、「心神喪失者医療観察法」上からでは、強制通院制度にほうり込まれた病者には、どうなるのか。旧32条申請、年金申請、セーカツ保護申請、どれも、「自立支援法」の「応益負担」の美名でもってて「適正的」に抑制されていくゲンジツからすると、もしかすると逆に「観察法」に係わるところだけが、潤沢に公費負担をされて、タップリとカネがついていく、まさに「金脈」をつかんだわけです。

 「観察法」「精神保健福祉法」とも、『社会復帰思想』が基礎となっている。よって、病棟機能分化、病院機能分化、高度医療(電気ショック、薬物大量ぶちこみ、重禁固保護室、ロボトミー)を前提としている。

 「精神保健福祉法」上の「手帳」制度をとってみても、「心神喪失者医療観察法」施行となれば、「手帳」の持つ本来の『治安的要素』はどのようになるのか?

 そもそも、欧米型のモノマネ輸入というか「グローバル化」というか、「ジンケン」「ミンシュシュギ」にはじまって「適正手続化」「近代化合理化」「資格化」「第三者審査機関」みんなそうではないですか、だから、ハンタイウンドーとやらにもフシギなことに、欧米型や世界ソシキの皆さん方がガムバッて、またもや、『制度政策提言』していくのか、タマリマせん。それは「善意がヂゴクへの道を舗装する」が如く、「良心派改革派医療従事者」と「新規参入法律屋」や「当事者性看板型翼賛病者運動ボス」たちが、これまでも『制度政策提言』してきた如く、今回も又、「心神喪失者医療観察法」を少しでもその『毒』を消そうとしてナニかを提言することで、或いは、少なくともゲンジツ対応するんだということで、両法が結果として近づいてしまう危険性が、大きいことであろうこと。特に予定収容所周辺住民の反対運動とでも結びついたら・・・・・・?

みんなグルでグルに

 だいたい、ACT的方向と、「心神喪失者医療観察法」の強制通院と、ドコがどうチガウというのか。精神科救急とどうチガウというのか。この際、実はイッショだったんで、精神科救急も受けてたんで、どうせなら、保安処分病棟も強制通院も受けましょうってか。サテライトクリニックはACTやりますってかっ。理由は「少しでも毒を消し」「少しでも、実際適用されてしまったみなさんへの良心的取り計らい」のためですか。必要や、ホント必用や、でもなぁ、こんクソバカタレが、それヤッタラ、隠れてコソコソと泣きベソかきながら、ナサケナいと想いながらやりくされ、どアホが。「心神喪失者医療観察法」ハンタイと抱き合わせになることかぁ、いったい・・・・・・。

 「医療法」改定自体、また「保険点数」の改訂自体が、どの方向にすすめようとしているのか、日本の全体の医療のなかで、すけて見えそうなこと。自立支援法制度と介護保険制度と年金制度も含めると、日本の福祉医療制度がどこへいくのか?リハビリは半年で打ち切られているんです。さぁ「憲法」改定まで含めたら・・・・・・?

  「精神医療保健福祉法」「医療観察法」両法合体の可能性を、或いは合体させた上で、別の「三障害統合」の旗印のもとに、「障害者福祉医療ドウタラ基本ナントカ人権法」でも、一本立てる、そんなことはどうなのか。どうせ、ロクな事にはナらんのやから、そんなモンはいらんと警鐘を鳴らし始るべきではと想うが、かえってまたぞろ新法としてでも、提起するんやろなぁーー「見えにくいアクジのハンニン」どもが、ほんまどグサレがぁ。

 全家連が、厚生省からカネ貰い、日精協がカネを渡し、ドコかのダレかが、国会参考人にナリサガリして、モハヤ「見えにくいアクジのハンニン」どもが内部でグルなのではないのです。「見えやすいアクジのハンニン」どもと地ツヅキで繋がっているだけではなかったのです。もうグルなのです。クソバカタレが、「リヨウ」されただけやでは、スマナいモノがあるんですから。みんなグルでグル(導師)になり果ててシマッタ。なんのことはぁない、ヤマガミアキラとヤマモトマリがグルだったのです。十全会のアカギと府立洛南のオカエがグルだったのです。

噛んで含めるように言っておかなきゃならんのか

 もっとも、法律やガイドラインや関係文書や資料を、分析して、リクツ化しても、どうなるのか・・・・・・・・とも想います。

 なにはともあれ「見えにくいアクジのハンニン」どもが前提としているモノが「機能分化」と「社会復帰」であるからで、つまり、悪い子チャンには「保安処分病棟」を食らわしあるいはいっそのこと真反対の「医療拒否福祉拒否」であり、よい子チャンには「自由こそ治療だ」と「社会福祉制度」を賜るということになっているのである。だから、「良心派改革派医療従事者」には、噛んで含めるように言っておかなきゃならないと想う。

 まずもって、ナニやるにしたって、「ウンドースタイル」まで、キーサン病者が、参加したり、話せたり、読めるものにはなっていかない。もちろん、医療従事者活動家向きに作られ、語られ、書かれ、行われる「良心的学者」か「セイシン医」か「病者運動ボス」のモノなのでしょう。であればこそ、なおさら、当事者の多くは、その気すらおこってこないかもしれません。だからこそ、診察室でも、詰所でも、相談室でも、医療としてのまともなハナシも出来ないし、説明も患者に対して出来ない。あげくの果てが、電気ショックに山のようなクスリの大量投与に、四肢拘束、保護室になるわけか。そして、それに対してサケびツヅけている、コレを書いているえばっちも、「キーサンウンドーボス」でしかありえないのか。

 ずっと言いツヅけて来て、いまやほんと、シンドくなったが、「欧米的」「近代的」「人権的」「適正手続的」なモノが、すべて、いいとは、かぎりません。それどころか、逆です。実際リクツだけで真に受けた「良心的的改革派医療従事者」の諸君達、たとえば、「プシ共闘」のヤツラが、こんなザマをもたらしたのではないですか。「欧米」はススンでるんだと、紹介し、ニッポンに持ち込もうとして、同時に、セットで、電気ショックの再復活や、さらには、まさに「欧米的な保安処分」をもちこんでしまったのは、どんな、クソッタレどもなのか。タワラ、オオゴシ、トイタ、ミチシタ、ナカヤマ、モリヤマ、ウラベ、オカエ、クボタ、ウエノ、トミタ、タカギ、イケハラ、タカハシピン、ヤマネ、オオシマ、ツキザキ、オケタニ、タキザワ、アダチ、イガ、コバヤシノブコ、ヤマモトミユキ、ヤマモトマリ、ヒロタカズコ、カトウマキコ、こういう、クソバカタレどもが、『ヂゴクへの道をゼンイとやらで舗装』しまくってくれて、「欧米的」「近代的」「人権的」「適正手続的」なモノを、『制度政策提言』しまくった、このジジツを踏まえて、今こそ、サイゴのチャンス、振り返って自己批判すべきであろうに、このままだと、あろうことか『ロボトミー』の再復活にまで手を貸すかもしれん。足がかりをつくるかもしれん。

ここはドコいまはイツ

 ここは、アメリカでも、イタリアでも、イギリスでも、フランスでもドイツでもありません。ニッポンというゲンジツの今ここで、2007年ニッポンというオソロシいほどのゲンジツです。『テンノー』というバケモノがいて、未だに『武士』なるものが好きで、軍隊をアチコチに展開し、ついに防衛省になり、原子炉が臨界し、教育基本法を変えちまい、ケンポーを変えようとしているニッポンです。

 そんな、マサに、イマここで、キーサンとして「精神保健福祉法の改定」「心神喪失者医療観察法」を「オソレ」ています。これを、自分達のゲンジツのセーカツの、或いは、自分達の医療福祉のゲンバのモンダイとして、考えるべきです。欧米の「ススんだ」モデルを持ち込むのは、かえって、かえって、ドツボにはまりにいくだけなのが、なぜわからんのか。アメリカでもイギリスでもドイツでも欧米先進諸国は、しっかり「保安処分病棟」があり、「保安処分システム」がしっかり機能しているわけで、もちろんイタリアもです。そして、イマ2007年、ここニッポンで「保安処分」のシステムが稼働しているというわけです。「自立支援法」体制下でのこのゲンジツを心の底にしっかりと、留め置いてください。

「敷地内退院支援施設」にハンタイするために

 さらに、このトコロの「敷地内退院支援施設」の反対も、大合唱してるけど、そもそも「社会復帰施設」はどうなんやと言いたい。病院の敷地内に、グループホームは、どうなんや。精神衛生法が精神保健法に、そして精神保健福祉法に変わったときに、「これで精神医療は福祉はよくなるんだ」と大喜びして精神障害者「手帳」と「社会復帰施設」に賛成したのは、どこの誰やったんや。そのとき、身体を張って、絶対ハンタイをサケび続けたのは、キーサン患者会やった。その「振り返り」がないままに、「社会復帰施設」は賛成で「敷地内退院支援施設」は反対なんかいや。歴史に学ばないとは、このこっちゃ。いやさ、歴史の改竄が行われるんやろな。

シラケるのも、むりがないのである、「良心的」「改革派」を自認する医療従事者達や「当事者性看板型翼賛病者運動ボス」達は「中間施設」には反対し「社会復帰施設」には賛成し、いままた「敷地内退院支援施設」には反対というわけなのである。一事が万事この調子で、この間「手帳」には賛成するわ、電気ショックはやり続けるわで、である。この中で、さぁ「退院支援施設」反対に立ち上がろうといわれても、それはムリである。逆に、この「振り返り」なしに立ち上がったら、足元スクわれるということが、なんで、わからんのか。

たちあがるとしたら、チョッと待て、ならなんで、「社会復帰施設」には賛成してきたのだと、精神病院敷地内に山のようにグループホームがもう作られているではないか、これをどうするのか、といういう歴史的事実を突き付けていくことだろうと想う。フシギでかなわん、「中間施設」には反対で「社会復帰施設」には賛成で、「退院支援施設」には反対なんやな。ワカランサッパリ、ちなみにこの「社会復帰施設」には、そもそものはじメッからキーサン患者会さんざんハンタイをサケび続けてきたけど、そのとうりになっているではないか。危惧していたとおり、病院敷地内にグループホームが乱立するありさまである。「手帳」にいたっては、ツイに顔写真が貼られることとあいなった。この「観察法」体制下で、この事が一体ナニをイミするのか、シカと、考えた方がよい。さらに付け加えるなら「赤い手帳」が欲しいと、賛成し、何時の間にやら「手帳」に関するアンケートをやって「反対」に軸足を移すという離れ業というか、歴史の改竄をやろうとしている全国ナンタラの姿には、怖気を震うのは、えばっちだけだろうか。「手帳」はほんとあめ玉ですらなかった。あれほどまで、キーサン患者会は、身体を張ってハンタイしたではないか。

で、今、年金の取得、年金の級下げ、生保の取得、生保の障害加算に、もろに使われているではないか。「手帳」を推進したのは、一体誰だったのか。推進した側はヤリに来られる、キリに来られるシンパイをすべきです。全精連や全家連だけではなく、全国「病」者集団も「赤い手帳」が欲しいと、「病者集団ニュース」に記載がアルというジジツは、忘れないようにしたいモノです。

「自立支援法」にハンタイするために

また、こういう視点もあります。旧32条が公費負担が「自立支援法」で「改悪」されて困るのは病者だけでしょうか。もちろん、病者にとっても困ります。とくに薬代はたいへんな額になります。しかも「自立支援医療費受給者証」が手元に来るまでの一人ひとりの病者のシンドさは、ほんとタイヘンでした。フアンだったのです。ソレを初めて病院の窓口に持って行くことも。でも、よくよく考えてみれば、精神科診療所、クリニックそして、精神病院の経営者達だってずっと、困るのです。でなければ、日精協がワイロを渡しますか。日精診だってナニかしてたでしょう。

たとえば、ディケアは一日6000円ぐらいでしょう。クリニックや病院はディケアで、ここ7、8年、「精神保健福祉法」以来大儲けしました。これが旧32条あるいは生保の病者にとっては『タダ』と想えたはずです。さて、この6000円、1割負担になったら、1日600円払って毎日ディケアに通うでしょうか。そこで、今度はACTになるわけですか。どれだけ、わしらを喰いモノにすればきがすむのか。

 この事ひとつをとっても、ずっと言ってきたように、「見えにくいアクジ」「見えやすいアクジ」「善意が地獄への道を舗装する」というようなことが、透けて見えてきます。もし、病者の側が「自立支援法」ハンタイの署名運動をしたとして、その書面が、全国精神科診療所協会が出すであろう「32条改悪」反対もしくは「自立支援法」反対のの「請願書」と同じモノであってはアカンのです。また、全精連などが、ご丁寧に「三障害統合」を旗印にしたことが、「自立支援法」の足場を与えたかもしれません。大体、「精神にも社会福祉を」で「手帳」をおねだりした結果、今、その「手帳」で、生保が取れなかったり、年金が級下げされたり、されているではないか。こういったゲンジツからナニも学ばないのか。

「自立支援法」の毒とは

 一事が万事この調子で、「三障害の統合」を「障害サービスの窓口の一本化」を、「精神福祉は遅れているから」と提起したのは、どこの誰やったんや。その先に「自立支援法」が大口をあけてまっとんたんちがうんか。

実は「自立支援法」の最大の毒は「応益負担」にあるのではなかろう。もちろん、「応益負担」のモンダイは切実である。セーカツがかかっている。しかも、「自立支援法」に、事務的に対応しようとすると、小規模共同作業所などは事務上パンクしてしまい、実質的なセーカツの側面ができなくなる。とくに、急にNPOを取得したところなどは、悲鳴のような声があがっている。でも、である。実は、自立支援法の最大の毒は、できるだけ多くのウゾウムゾウゾーリムシなるモノを含めてすべてを『法内施設』とするための「適正手続化」できるところにあるのではなかろうか。

つまり、ここ30年を越えて、ありとあらゆるところの、ありとあらゆる手段と方法で、セーカツを支えるための下から持ち上がってきたモノやココロミを、『法律内に』取り込むための手口ではなかろうか。たとえば、どんな実践からであれ、形式上は小規模共同作業所の看板を掲げていたところは多いと想う。前進友の会・やすらぎの里もそうである。そして、その小規模共同作業所は、2006年10月1日までは、いかなる日本国家の法律内の存在ではなかったのである。それで良かったのである。ところが、いまは自立支援法内の「地域活動支援センターV型」というモノになったのである。これは、ただの『看板の掛け替え』ではない。今後5年後くらいに、この毒の意味がわかるときがくると想う。オソロシい。

ちなみに、医療職、福祉職の新たな国家資格化や、学会の認定医制度もこの流れで考えるとオソロシくてしようがない。なぜ、こんなことを自らが制度・政策提言するのか。

セーカツから

セーカツのないところにウンドーは、ないという、患者会のナカマとともに、セーカツをしています。何度も言ってきたことですが、全国ナンタラとか、全国ドウタラとかイウヨウなアホンダラどもが、「代替的」に「大々的」に署名運動を始めて、国会中心的な、上っ滑りするようなことはしたくないなぁぁーーー、そもそも、できゃせんがな、というのが、みんなの部屋からのセーカツからきている、えばっちの想いです。

 電気ショックに拘わります。何年も前から続けていた地域の「精神病院訪問調査」も続けたいです。そして、それらを、患者会のセーカツのなかで、セーカツを大切にしながら、息長く、やり続けることが、「精神保健福祉法」『改定』や、「心神喪失者医療観察法」、年金や生保の「改悪」や「自立支援法」にむけての、目立ちはしないけれども、ジミチな闘いへと、繋がっていくと、カンジています。国会や議員どもを相手にするのではない、自分達のセーカツのあるところで、自分達に最も関係深い病院を訪問調査したり、電気ショックを取り上げていくことです。

 自分たちの街のなかで、京都市、京都府、もしくは、山科福祉事務所なり、身近な生活保護のケースワーカーとの闘いがはじまりそうです。これも、とてもタイセツなことです。そして自分たちの通う病院やクリニック等々、自分たちの身近なトコロヘ訴えていくのだ、と、考えていマス。つまり、身近な医療の監視と点検です。でも、アタマのグアイだけではなく、カラダの介護まで必要になってきたキーサン患者会のセーカツに、それが出来るかどうか、シンドイです。

 そして、今日も、そうなのですが、本当に日々のセーカツにおわれていることも確かです。今日も、みんなで、食事会です。日々のキーサン患者会セーカツも、なかなか、口では、言い表せないほど、タイヘンです。セーカツ保護と年金で暮らす、日々のセーカツもなかなか、タイヘンです。自分のアパートでの洗濯やお風呂の掃除、冷凍食品のチンするだけでも、そして、コンビニ弁当の食事も。ナカマのいる友の会みんなの部屋にイルという事だって、キレイ事ではない、ほんとタイヘンなこともあるんです。

  そして、一番大切なことは、自分のビョージョーを崩さないことです。五年ぶりの入退院をして、4年です。6度目の入院は、したくありません。去年は、アブないトコロでした。

クスリの大量ぶちこみ

 「良心派改革派医療従事者」のみなさん、なにか、エラそうに「反対行動」する前にせめて自分のやっている医療の質を、診察室を詰所を相談室を見直せ。キーサンにセーカツが在るなら、あんたらのセーカツとは、ソコにこそ在るのではないか。そんなこと言われなくてもやってると言うのなら、なんで、電気ショックは止められんのか。なんでこんなにクスリが多いのか。四肢拘束を保護室を閉鎖病棟を大量のクスリのぶち込みを止めてから、モノ言うたらどうや。オマエら『毒殺医』か、『拷問医』か。大体、クロルプロマジン換算で6000rや8000rものクスリを投与している精神医は、もはや『合法的毒殺者』そのものである。何十年にもわたって飲むのである、せめて、500、600rに抑えてくれ。

 今、クスリの大量ぶち込みに対して、「地上の旅人」でテロを敢行している笠さんを笠さんならしめたのは、患者会「ごかい」である。けっして逆ではない。だから、イマ笠さんは、精神医としてセカンドオピニオンという、テロに邁進しているのである。だからこそ、特に「地上の旅人」の家族のみなさんに、くれぐれも言っておきたい。笠さんを鍛えてこの様な精神医にならしめたのは、「ごかい」という患者会と一緒にやり続けたからに他ならないと。プシ共闘のようにスローガンを叫ぶだけではなく、ただただ、患者会と一緒にやってきたという一事あるのみであって、そのことを忘れてはならないと想う。逆に言えば、「良心派改革派」を自認してきた精神医が何故今このザマなのか、が心底わかろうというモノである。

セーカツからウンドーへそしてキーサンカクメイへ

 医療従事者として、セーカツとは診察室を詰所を相談室をだいじにすることである。病者にとってセーカツとは、それは「ごかい」のように「わしらの街じゃあ」とサケび続けることであるし、藤枝友の会のように「ひとりぐらしのうた」を唄い続けることであったろう。新松橋亭同人のように「同人」することであるのだ。それは、だから、なにはともあれ喰うこと、クソをすること、ケンカをすること、そこに行けばハナシができるナカマがいて、精神病者であることを、ナントカナントカムリにでも納得し、開き直って、病者であることを誇れるような、お互いのセーカツをナカマ同志がナントカ支え合って「イキノビつづよう」とするキーサン患者会であったハズである。そこから、「ウンドー」というモノが出発しなければナラなカッたのでは・・・・と想う。かえすがえすも、残念だし、ナサケナい。今やナントカ、在ったモノを在ったようにしなければ、歴史を改竄させないように、『在った』キーサン患者会は『在った』のだと、『在りつづける』のだとヨロヨロしながら、サケび続けるより他にはない。もちろん、そのセーカツをツヅけながらである。みんなで、得手や不得手をハナシしながら、分担したりチカラを合わせたりして、食事会をしながら、ナカマの血糖値を気にかけながら、転院のハナシをすすめながら、退院の打ち合わせをしながら、便所掃除をしながら、ゴミ捨てをしながら、ナカマの薬を毎朝渡しながら・・・・・・・・である。

そのようななかで、そもそも、全国ナンタラ日本ドウタラが、いや世界ナンタラなんてものが、できるモノだろうか。「ニクマン」ということばがあるとうり、病者が集まるところ、「支え合って生きる」というキレイゴトだげではない妬み、嫉みなどが、ナカマに向かってバクハツすることも、しばしばである。それは、もちろん患者会のなかでも、あるいは患者会同士のあいだでもあったりする。とすると、キーサンそのものが全国ナンタラ日本ドウタラには、そもそもそぐわないのではないか。

でも、「観察法」ハンタイの大合唱以降、そして、「敷地内退院支援施設」ハンタイの大合唱以降、雨後の竹の子のように出来るである。どうにもこうにも、エバッチのキーサンセーカツからはわからない。もっと言うなら、患者会のセーカツだけでヘトヘトである。自分自身の病状の波にヘトヘトである。どうしたら全国ナンタラたら全国ドウタラの得上っ滑りした活動があんなにできるのか、不思議であるとしか言いようがない。

そして、そのセーカツをツヅけルために、このセーカツの場をマモラないかんがために、NPOにならざるを得なかった、このクルシミを。このイカリを、このなんとも言えずシレンこの悔しさを、どうしたらいいのか。ココからここカラしか、ウンドーもキーサンカクメイも本来はないのである。

明日にでも出来る電気ショック廃絶

いろいろなハンタイの大合唱団があるが、敵は「グローバリズム」や「国家」と言わなくても、少なくとも厚生省のオヤクニンである。時間も金も人手もたっぷりあるのである。もぐら叩きをしていれば、いずれこちら側が疲れる。しかも、自分の診察室や病棟、相談室で、もっとやらなければならないことがあるだろうと想う。なかんずく、「精神病者」自身はとくにツカれやすい。

しかし、明日にでもできることがある、それは、電気ショックを今ココで、ジブンのいる病院、診療所、シセツ、診察室、詰所、相談室で、反対し、ゼッタイにヤラナイ、ヤラセナイ、ミノガサナイということである。これは、踏ん切れば、誰でもが、そして明日からでも出来ることである。特に精神医は、自分は絶対にしないと決めて実行にうつせば、明日にでも、電気ショック廃絶である。それが、なぜできないのか。えばっちが生きているあいだに電気ショックの廃絶すら見られないのであろうか。

そして、より、根本的なことで、電気ショックには日本の精神医療のナニかおぞましく悲惨な根元的なナニかを象徴しているかに想えてしかたがないからである。もしかすると、精神医療そのものの『ナニか根本的な非人間的欠陥のようなモノ』を、表象しているように想え、しかたがない。

 そして、やっとこさ、ニッポンの精神医療の『重大なナニカ』を表している電気ショックに、とにかく電気ショックに拘わり続けて、「懲りない精神医療 電パチはアカン!!」千書房から発刊しロシナンテ社からは「むすぶ 電気ショックは嫌や」を発刊できました。そして、特に、十年前に出た社会評論社刊の「天上天下[病]者反撃!」を一緒に読んでください。『在ったモノ』は『在った』のだと、サケび続けたい。『無かったコト』にしたがってる「共依存型良心派改革派医療従事者」「当事者看板型病者運動ボス」に対するキョーレツな証拠のブツと想っています。

チガイとは

 コレを、ココまで書いている江端一起えばっちは、所詮は「キーサンウンドーボス」です。「全精連」という御用組織をこさえたり、セーカツ感無しで「活動家集団」でしかあり得なかったり、やたらと「全国」をつけ「連帯」するのが大好きな、ヤマモトマリ、ヤマモトミユキ、カトウマキコ、コガネザワ、ヒロタカズコらと、変わりはありません。「チガイ」があるとすれば、それはナニか。にしても、ともかく、今コレを書いているえばっちは「キーサンウンドーボス」です。そのことは、忘れないでください。

 そして、そのチガイは・・・・・・ヤッパリ、書いておきます。

 まず、セーカツがあるかないか、である。ナカマとのセーカツがあるかないか。何度言っても、言い過ぎることはない。ナカマとのキーサンセーカツが、ホンマにあるのかないのか。

 そして、「オソレ」があるかないか、なのであす。えばっちはいつも「オソレ」ています。この「ウンドー」とやらで、入院するところがなくなるのではないか。主治医のなり手がいなくなるではないか。クスリが増やされるのではないか。強制入院させられるのではないか。いつも「オソレ」ている。そして、その「オソレ」は現実のモノとなる。去年も現実となり、主治医のなりてがいなくなり、薬があやうく切れるところでした。結果、アブナいトコロに行ってしまいました。ソレこそ、ナカマが、えばっちを説得してクスリを追加で飲ませるべく、ナカマとして、受けてくれた新しい病院にまで付いていってくれはりました。実に、ナカマが支え合って生きるということなのでした。

 もうひとつ重要なのが、「キーサンウンドーボス」としての自覚があるかないか、である。とても、苦くクルシイ自覚である。この自覚なしになんでまた国会やテレビに出まくって、ウンドーをリヨウし、議員さん巡りをし、国会の参考人になったり、学会のシンポジストになれるのか。

「手段」とはそして「勝利」とは

 そして、もう一つ決定的な点は、その表現の手段の違いである。これは、なにが「勝利」で、なにが「敗北」か、につながってくる。たとえば、国会議員巡りをし、首長選挙を自治体議員選挙を応援し、国会の参考人になり、マスコミに登場し、学会役員と裏取引をし、厚生省の役人と交渉し、とある法律を止めたとしよう。それは本当に「勝利」なのか。それは本当に病者運動の表現手段としてマコトなのかどうか。いやもっと言えば、病者が病者としてビョーキを抱えながらセーカツをしたうえでウンドーするとしたら、こういう表現手段には、なろうとしてもなりえないのではないか。

 例えば、学会のシンポジストなんてものになって話をするのか、それとも病状のバクハツとともに「カチコム」のか。結果、結果としてその法律を止められなかったとしたら、さて、どっちが、病者のウンドーとしてマコトがあるのか。。

 もっと具体的に言えば、学会のシンポジストになって、電気ショックを廃絶しようとするのか、地域の電気ショックの勉強会たらいうモンに、身近な医療従事者達の冷たい視線の中、その中には己れの主治医もいる、ソコに「カチコム」のか。そしてその「カチコン」だうえで、自分たちが係わり合いのある病院や診療所で、医者が自分を引き受けてくれなくなるのではないかという「オソレ」と背中あわせで、セーカツ保護が打ち切られて生活できなくなるのではないかと、年金の診断書を書いてくれなくなるのではという「オソレ」と背中合わせで、「カチコン」だ上で日々電気ショックが行われていないかどうか監視していくのである。

 そして、その「オソレ」を薄めてくれるのは、前進友の会みんなの部屋のナカマなのです。歳がいって病気が悪うなって、野垂れ死ぬんではないかというフアンと「オソレ」を抱えながら、みんなで、イキノビていくのです。そこからしか「ウンドー」なんて、できゃしませんよ。「キーサンカクメイ」なんてありゃあしないんです。

 逆に言えば、己れ自らがアジあわされるかもしれないコトモノヒトにたいして「オソレ」「フアン」を感じないで、どうして、そのコトモノヒトに対して「ウンドー」ができるというのか。国会の参考人たらいうもんになって、シンポジストたらいうもんになって、世界ナンタラの理事たらいうもんになって、ほんまに自らが「強制医療」の被害者になるかもシレン、このマンマ野垂れ死ぬかもシレンという「オソレ」や「フアン」はあるのか。ほんとうにヒシヒシと身にこたえる「オソレ」は「恐怖」はあるのか。それとも、或いはどうしても「落としまえ」をつけにゃあならん「想い」や「ミジメでヒドイめ」をアジおうてきたんか。イマもアジあわされてるんか。「怨念」は「復讐心」はあるのか。

 「手段」に、もう一度戻るなら、「当事者性看板型翼賛病者運動ボス」の「手段」がああなら「道具」が「会議室」や「ネット」や「携帯電話」や「FAX」で、事足りてシマウんではないか。キーサン患者会にだって「ネット」「携帯電話」「FAX」は必要かもシレン。でも、ワシらが必要なんは、二十人近くがイッショに飯を喰える場所や机それに皿や茶碗をいれておく水屋、二十人前一遍に炊けるおひつに、クソを垂れる便所なのです。しかもイマ前進友の会みんなの部家に切実なのはナントか便所の一つを洋式トイレに改造せにゃ、高齢化とクスリで早く弱っちゃってて、クソも垂れられんようになってきたということなのです。このほんまに必要なセーカツの道具に比べたら「会議室」や「ネット」や「携帯電話」や「FAX」なんて、ナニほどのモノなのです。後は、数年に一度あるかどうかのカチコミ用に、ほんのちょこっとの「バクチク」がありゃあいいのです。「カチコミ」に必要不可欠の『狂気』は、てんこ盛りになってるんですから。

いよいよさいごに

 だからだからだからだからこそ、ともかくセーカツに密着したセーカツ保護や年金や入院や退院や転院や血糖値の患者会日々のセーカツで、ヘロヘロなこと。明日の食事会が大切なことではないか。だからこそ、キーサン日々のセーカツを大事にしていくしかない。ソコからしかナニも生まれないのだ。

 ともかく、ここマデ好き放題、書かせてもらった。これでも、おとなしく、なるたけ穏便に書いたつもりでなのである。しかも、「矛盾」に、「二律背反」に充ち満ちているのである。この「矛盾」に充ち満ちているというのが、実は大切なのである。病者のセーカツは「矛盾」に満ちている、だから、ウンドーも「矛盾」に満ちている。当たり前なのです。そしてそれは、おそらくは、とてもスバラしいことなのだ。なぜなら、「スッキリ」した「答え」や「方針」などというモノがあればあるほど、必ず、「リヨウ」されるからである。そして、マスコミや専門家を通して、みんなで「スッキリ」してしまうからである。みんなで「スッキリ」してしまうことほど、オソロシいことはない。「リヨウ」されるでもなく、「スッキリ」させるでもなく、「矛盾」を、キチガイのセーカツからの「矛盾」を「オソレ」を「想い」を「呪い」を「怨念」をサケびツヅケていくしかない。シンドいながらも。

そして最後に、よくよく最後に、ここに巡ってくるのである。

想うに、キーサンであろうがなかろうが、実はワシらはテロリストの側には、本来はいない。本当はテロリストに狙われる側なのだ・・・・・・と想う。

パソコンを持ち、新幹線で移動し、エアコンをきかせ、CDを聴く。地雷を踏むことはなく、クラスター爆弾が降ってくるのでもなく、劣化ウラン弾が打ち込まれることもない。そして太ることをシンパいするぐらい食べ物を食べているのだから。テロリストに狙われる側なのである。

そしてそれでも、イマここで、イマこの時をここで息をしているキチガイは、今日もそして明日も、キーサンナカマとキーサントモダチとともに、地を這うようにして、イキヌくんである。なんとしてでも、イキツヅけるんである。ナカマと一緒に。だからジャマだけはせんとって欲しい、ジャマはしないで欲しい、それだけ・・・・・・・である。

2007321 ひとりキーサンカクメイの鬼 江端一起


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京都市山科区日ノ岡坂脇町7−5 日ノ岡荘二階 前進友の会みんなの部屋気付 



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