2006年

電気ショック滅亡への『想い』と『リクツ』
 この電気ショックの連載もとうとう最終回を迎えました。よく半年間、連載を続けて来れたと想います。そこで今度の最終回は、今までの五回にわたる連載のなかで病者を中心とする電気ショックにたいするいろんな『想い』を読んで頂いたことを前提に、あえて『想い』だけではなく、電気ショックに反対する『リクツ』を『精神医』の立場で『精神医』に語っていただこうと、えばっちが依頼したものです。依頼するにあたって、誰に依頼するのか、また、電気ショックに反対の立場で文章を公表してくれる『精神医』は、閉鎖された『精神医者仲間』から相当な泥をかぶせられるだろうことも考えました。そこであえて、例の洛南病院の岡江たちが出した文書(むすぶ04年3月号、連載二回目、68頁)でやり玉にあげられたC医師こと黒川(島田)能孝さんにA会と匿名被疑者あつかいされてしもうた、誇りをもった精神病者の患者会・前進友の会のえばっち(江端一起)が、依頼しました。

 病者の立場から言えば、電気ショックに反対するのは『リクツ』ではありません。『想い』からだけです。セーカツを街でしたいからだけです。たとえば、えばっち個人で言えば、あの信州での一年間の入院中の出来事は忘れられません。あの映画「かけがえの前進」では、ぼくはこう言ってます。「 」。もう一つ付け加えるならば、あのパンフレット「バクチク本キーサン革命」ではこう書いています。「 」。電気ショックをやられていない一年間の入院経験しかない一病者『運動ボス』ですら、この『想い』から十五年経っても解放されないのです。いわんや本当に電気ショックを無理矢理受けさせられ、コロサレていった多くの声なき『キーサンナカマ』たちが、どのような『想い』、いやさ、『怨念』を抱いて魑魅魍魎、阿修羅、餓鬼畜生になって電気ショックをしやがった、いやさ、今から広めようとしているクソバカタレどもに、どんな『リクツ』を言えと言うのでしょう。だから、ぼくたちは前進友の会は昨年の12月3日、電気ショック実践報告会を、この『想い』をもって、叩きつぶしに行きました。

 さあ、今度は『精神医』として、この12月6日にどのような、あえて言います、『精神医』としての『リクツ』をもって演題にたった黒川さんに一緒に泥をかぶろうと、これを書いてもらうことにしました。

 電気ショックをこの世の中から滅ぼしたい、そのためには『キーサン』の『想い』だけでは、やはりわかりづらいものがあるのではとも、想いました。だから、今までの連載とともに、最終回に『精神医』としての『リクツ』を、もちろん診察室からの精神医としての『想い』とともに、何故電気ショックを滅亡させにゃいかんのか、みなさんにわかりやすく黒川さんが書いてくれはります。どうぞ、読んでください。では、黒川さん、どうぞ。


(この連載「あなた方は私たちを騙し続けてきたのですね!今も続く電気ショック療法」の連載企画責任はすべて江端一起個人にあります。今まで、本当にありがとうございました。またどこかで、お会いしましょう。あなた方の隣人にキーサンは確実に生きています。)

〈連絡先〉京都市山科区日ノ岡坂脇町7-5 日ノ岡荘二階
Tel075-591-7926 Fax7925

「むすぶNo403 04/08 電パチ特集 最終回」に前書きとして書いたモノ

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