2003年

洛南病院長 岡江晃殿

 世の中が右傾化したからといって、過去の自分の立場や主張を捨ててまで副院長→院長になりたかったのか!

 S52年、あんたは高橋?さんともう1人、3人で太宰府病院を訪れた。あの頃は若い左翼だった、などとは言わせない。労組の書記長もしていたはず。過去にPsy共斗のニュースをみて、はげまされて、孤独に耐えて、病院改革をやった者からすれば、何もかも途中で投げだして、権力の手先になっていった者がいかに多いかと思えば腹が立つ。

今でも青春から変わらずに信念を持ってやっている者も少数ながらいるのだ。ESは太宰府が発祥の地。安河内が患者の前頭部2カ所に穴を開け、電極を直接脳にあて、ケイレンさせたのが最初だと記録されている。

 すぐに今の器具になった。安河内はゴム手袋に電極をつけて右手にはめ立っている患者にいきなり後から手を回し、ESをかけたという。

 そのようなことまでしてESを何十回もかけられた患者は、S52年にはまだ残っていた。ESへのうらみをなだめるのが私達の仕事でもあったのだ。

 医局会でESをやめましょう!!と例を出して提案したのはこの私し。院長以下、納得してESをすぐにやめる指示を出した。NSは不満だったけど、それも半年で終わったのだ。その後20年はESを1回も行っていなかった。洛南より太宰府の患者の方が軽症だとは言わせない。どんな重症でもESなしで薬と看護と医師能力で患者の治療はできるはず。薬も大量はいらない。つけ加えれば太宰府病院は薬物の大量療法の実験を病棟全員にやった所、古いカルテの記載を読めば大量療法の記録が残っていた。NSの説明によれば、便秘で死んだ患者もおり、黒くなって死んだ者もおり、発熱が続いて死んだ者、多数の被害者がいたという。そんな病院で薬物少量、ESだめ、をやり続けてきたのだ!!。もちろん同調したDrも決してそれらはしなかった。

 Psy共斗は過去に扇動した人に転向の声明文くらい書いたらよい。厚労省にすり寄った人、国会議員になった人。特に朝日は許せない。星野もそうだ。田舎者だとバカにしたのか、すみませんのあいさつの一つもない。

 院長職はそんなにいいか? 10億の赤字なら、今の太宰府のように将来きっとなるだろう。一日では見学できぬ。よく知ろうと思うなら、1W間かけて見学しろ!!。

太宰府にて 藤井洌


江端 一起 様

 岡江の洛南にFAXしたのは別紙の文章です。Psy共斗に腹が立って今だにおさまりません。これもインターネットのホームページに載せてもらっていいです。

 今年も早、終わりに近づきました。ESに関しては患者も医師も認めるやつは攻撃を続けましょう。日本中で復活すれば困ったことになります。

 東京のES事情がよくわかりません。わかったら又教えて下さい。

 麻酔をかけてやっていると聞いています。

 多分点数が高いのでしょう。また、てっとり早いと思っているのでしょう。

 大量療法、ES、拘束 反対!!を言い続けましょう。

15.12.19

くすの木クリニック

藤井洌


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