いよいよ明日、とにもかくにも、これ以上
セーカツしてる周りの病院で電気ショックの蔓延を
止めるぞ・・・・その想いで・・・・・あの研究会だけは
タタキツブシテキマス!!!

ありがとう
えばっちパソコンより
前進友の会無事に帰れました
キーサンナカマのみなさん
キーサントモダチのみなさん
ほんま、ご声援、感謝です。
ご心配、おかけしました。
とにもかくにも、前進友の会六人で行き
無事に帰ってきました。
「急性期治療研究会」の「洛南病院電気ショックの実践報告」は、
『中止』に追い込めました。
少しツカレました。
とにもかくにも、全員無事、そして、『中止』に追い込みました。
セーカツの周りの病院で電気ショックの蔓延はどうしても、防ぎたい、それだけでし
た。
ありがとうございます。
ちよっとシンドイですが、みんなでやりきりました。
どうも、ご心配おかけしました。

ではまた
えばっちパソコンより

抗議文

抗議文

府立洛南病院
院長 岡江晃殿

 私たちは、今回2003年10月20日に、貴病院で行った病院調査において、衝撃的な事実を知り、怒りを禁じえない。この事実は、今までの貴病院に対する信頼と安心を裏切るものでもある。

 私たちは、地域で闘いながら、患者会を組織し、生活を共にすることから安心できる精神医療、地域を目指してきた。とりわけ、前進友の会は1976年から、悪徳病院十全会東山高原サナトリウムの非人間的医療、殺人医療を糾弾しながら、命からがら生き抜いてきた病者の患者会でもある。その告発の中では、懲罰としての四肢拘束、大量投薬、電気ショック療法に対しては、断固として反対してきた。入院したばかりの患者さんが、電気ショックを受け死亡する、大量のクスリによって便秘のあげく死んだ人、四肢拘束により10代の若さの若者が辱そうを創られ、汚物をのどに詰め死んだ人、そうした全く医療ではない現実を、告発しながら京都の地で幅広い活動もしてきた。この運動は、殺されていった多くの病者、囚われ血の涙を流している病者の恨みや、憤死の、瀕死の叫びに支えられ、答えるとこの運動でもあった。そうして、私たちは京都の数ヶ所の病院に週に1回は面会活動もしながら、仲間を集めてきた。

 1978年頃には洛何病院にも行くようになり、多くの仲間との出逢いや、医者、看護者とのつながりも出来、多いときには7、8人の患者さんが友の会に出入りするようになった。そうして「闘う医者」と言う人々とも出会い、レクや病院行事にも参加しながら、活動の幅を広げ、とりわけ「闘う医者」集団の人々とは、連帯できると信じてきた。

 しかし、この日岡江院長が「電気ショック」についての質問に対して、想像を絶する答えをした。「当院では1970年以前は懲罰的な意味での電気ショックを行っていた。反省の意味でその後2、3年は行っていなかったが、1973年からは電気ショックは今日まで行っている」この恐ろしい事実の私たちは、愕然とした。この事実は、これまでの洛南病院に対する信頼、安心を木っ端みじんにした。そして怒りと共に、絶望感でいっぱいになった。この30年間、「闘う医者」は、病者を切り刻んできた。驚愕させてきた。そして、裏切り続けてきたのだ。

 これまで「闘う医者」は、何に対して闘ってきたというのか。
保安処分反対闘争、赤堀闘争、十全会闘争、ロボトミー反対闘争をやってきたと言うだろう。しかしである。病者の叫びにほんとうに答えてきたというのか。悪徳病院で何度電気ショックが行われ、多くの人が恐怖におびえ、そして虐殺されてきた事実を知らないと言うのか。今年も、6月に横浜で男性患者さんが電気ショックで殺されている。その多くの運動の中心になって「闘ってきた」というなら、あなた方は、いったい何を感じてきたというのか。何故30年の長きにわたって延々と続けてきたのか。
この現実は、告発運動をしながら、自己の医療機関においては、安穏として電気ショックを、最後の手段として使い、自らの弱さを隠してきたのではないか。精神医療を改革すると言いながら、日本で著名な医者としての名声を得た人も、「闘う医者」という肩書きを持って、実は電気ショックを続けてきたのである。

 そして、今年から緊急医療の南部施設として、昨日する中で、多くの入院患者をかかえ、より効率的な運営をするために、電気ショックが増えてきたという。そこには、機能分化のために、開放病棟を少なくし、閉鎖中心の医療構造に再編したという事実。回転率がその変質を支えているというのか。そして、早く治療するために、電気ショックもやむを得ないと言う。ここに、私たちは重大な誤りを感じる。そして、かって洛南病院で感じていた安心感や信頼はなくなってしまった。

 私たちは、断固として抗議する。
電気ショック療法は、あくまでも非人間的医療である。殺人医療である。
私たちは、だまされてきた。それは、病者を馬鹿にし、踏みつけてきた事である。
この40日間私たちは、沈黙してきた。あくまでも病院を信頼してきた仲間や、外来に通う仲間のことを考え、そしてこれまでの医療観をも、考慮してきた。しかし、もうこれ以上の譲歩はできない。電気ショックは、病者の敵であり、悪である。この点を確認し、私たち前進友の会は、貴病院での電気ショック療法を、糾弾し、断固として抗議するものである。

2003年12月1日
前進友の会
京都市山科区日ノ岡坂脇町7−5


みんなグルで保安処分反対大合唱しながら     電気ショックをやり続けてきたクソバカタレどもへせめて電気ショック止めとけや       このクソアホンダラ

みんなグルで保安処分反対大合唱しながら
電気ショックをやり続けてきたクソバカタレどもへ
せめて電気ショック止めとけや このクソアホンダラ


 これはな、あくまで「ひとりキーサンカクメイ」エバッチ個人の罵詈雑言じゃあーー、よく読みさらせ、バカタレガァーー、もう、このイカリは、おさまらん、ほんま、いいかげんにせえよ、おのれら。

 エエかげんにせぇよほんま、1973年から、ずーっっと電気ショックやってたんかいや、三十年間も。京都の「プシ共闘」の拠点病院やないか、「京都府立洛南病院」ちぇやぁ。チガウとは、言わさへんぞ、こらぁぁぁーー岡江も、大越も、小沢も、小池も、松本も、ト部も、田原も、星野も、上野も、高木も、このクソバカタレガ、みーーんな、府立洛南病院で電気ショックやり続けてたの知っとって、電気ショックをやってて、なにが「精神病院解体」じゃぁぁぁ、笑わすなよ。府立洛南病院で三十年間も電気ショックやってた今もやり続けているんを、誰が、どこまで、何時から知ってたんや、ダァーれも、ほんまもう、信用できんようになってしもうた、ほんま、バカタレがぁぁぁーーなにが「反十全会闘争」やなにが「反保安処分」なんや。

 ほんま、ふざけやがって、エエかっこばっかりしさらすなよ、バカタレが!!!「拘束的収容所的精神医療反対」なら、「電気ショック」なんて、とっくに反対してたんちゃうんか、ダマサレとったんかいや。ダマシとったんかいや。今更「電気ショック反対」再度言わなあかんのかいな。大体が、そんな気も無いクセに、さも「病者」側に立って「反十全会」「反保安処分」闘争を一緒にやりましょうってか、それこそ、「キーサン」をダマし、見下してきた「サベツ者」そのものやないか。しかも、キサマら、コレで出世してエロうなって、今の「チイ」を築きやがったんやないか、ほんまコレこそ、「サベツ者」の所行じゃあああーーークソッタレガーーー!!!

 なにが「反保安処分」なんじゃあ、それ言う前に「電気ショック」止めや。ナサケナイわ、ほんま今は「薬物大量処方」やら「悪性症候群」やらを批判してかなアカン時やないんのか、それを「クロルプロマジン換算」なんてことも、知らせる努力もせず、一方で、三十年間も、電気ショックやりながら、「プシ共闘」として「精神病院解体」「保安処分反対」のビラ撒いてきたんかいや、おのれら、どあほが!!ウラギリじゃアーー、こんなもん。「転向」ですらないがな、はじめっからの、ウラギリやないか、ばかたれ、ふざけやがって、それで、「反保安処分の大合唱」ってか、笑わせるなよ!!!アホンダラがぁーーー

 しかも、病院機能分化と社会復帰路線、ずっと、政策提言してきた行き着いた先が「心神喪失者医療観察法案やということも、分かってないみたいやないか、アホンダラどもが。確信犯で、「病院機能分化」押しすすめてキタンヤないか、その先に、「保安処分病棟」「保安処分病院」できるのは、当たり前やがな、おまえらが、こさえたんやないか、ばかたれがぁぁぁーいったい三十年にわたる「プシ共闘」の「反保安処分」って、何やったんや、おのれら、ちゃんと、説明してみぃよ、「精神病院解体」いいながら、ずっと、「電気ショック」やってたんかいや。一事が万事、この調子やないか。ええ、それで、まだまだキレイ事の「医療観察法反対大合唱団」をやるんかいや、その前に「電気ショック」は、止めや、せめて。

 せめて、「電気ショック」に反対してから「保安処分」に反対と言いさらせ、バカタレガ、なさけないわ、こんな事、言わなあかんとは!!!ほんま、なさけない。

 それで、「セイジ大好き病者運動ボス」の側も、なーーーんも、知らんかったふりして、ハイ「一点共闘」で「保安処分反対大合唱ネット」かいや、フザケルナよ、バカタレがぁぁぁーーーー今「電気ショック」の蔓延止めんと、キチガイのセーカツなんて、できゃしいひんぞ、「タタカウ精神科医」とやら、ジブンのセーカツの診察室見直せ、せめて「電気ショック」は止めとけ「四肢拘束」」「薬物大量ブチコミ」をナントカしてから、イイカッコせぇや、セーカツに根ざさんとやってきたら、「見えにくいアクジの張本」ども、見えやすく「電気ショック」やってやがった、ふざけやがって、あほんだらがぁーーー

 それで、こんどは「反保安処分闘争のウンドーのソーカツとやらをするんかいや、もういいかげんにせえや、このクソアホンダラがぁぁぁーー!!!

 キサマらを「同士」やと、信じて、いやさ、信じこまされて、「精神医療改革運動」のなかで、死んでいった、いや、キサマらにコロされていった「キーサンナカマ」「キーサンセンパイ」が、餓鬼畜生、悪鬼怨霊、魑魅魍魎になってなぁ、キサマらを待っているんや、いや、もう待ちきれん、えばっち、ハヤイトコ送り込んでくれんか、ちゅうて叫んでキテるンや、これは幻聴やないで、ほんまや。わし「タクマ」と一緒や、キサマら送り込んだる、そこで、そこでキサマらソーカツせぇや、クソバカタレがぁぁぁーーー!!

2003年11月27日「ひとりキーサンカクメイ」江端一起

【コレガ資料とはナサケないわ、バカタレ】

平成15年11月吉日

『第8回精神科急性期治療研究会』プログラム

謹啓
 晩秋の候、先生方におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 さて、『第8回精神科急性期治療研究会』を下記の要領にて開催させていただくこととなりました。
 お忙しいこととは存じますが、万障お繰り合わせの上ご出席賜りますようお願い申し上げます。

【プログラム】

日時:平成15年12月6日(土)15:00〜17:30
場所:ぱるるプラザ京都 7F
    京都市下京区東洞院通七条下ル東塩小路町676−13
    TEL 075(352)7444
    ※当日は公共機関でお越しください

    15:00〜15:45 座長 京都府立洛南病院院長 岡江 晃先生
                「当院における精神科救急の1年間の報告」
                     京都府立洛南病院 診療部長 川畑 俊貴先生

    15:45〜16:00 休憩
    16:00〜17:30 座長 京都府立洛南病院院長 岡江 晃先生
                「洛南病院におけるECTの実践」
                     京都府立洛南病院 枝 雅敏先生

主催 精神科急性期治療研究会
    世話人
    京都府立洛南病院
            岡江 晃

みんなでグルで保安処分反対大合唱団のアホンダラどもへ裏の条文をよう読んでみいや       このクソアホンダラ

みんなでグルで保安処分反対大合唱団のアホンダラどもへ
裏の条文をよう読んでみいや
このクソアホンダラ


 ええか、『見えにくいアクジ』の張本人ども、この裏の条文よう読んでみいやアホンダラが「保護観察所」の「精神保健観察官」は「社会復帰調整官」とイコールやと、厚生省の官僚が、ご丁寧にも、正直に告白してくれてるちゅうことでわからんか、よう見てみいや、ドアホが。

 つまりな、「反保安処分」なら当然「反社会復帰」になるっちゅうこっちゃ、まだわからんのか、おのれら、だって、そう書いてあるがな、「精神保健観察官」のやることは何もかわらんのに、名称だけを変更する訳やろ、つまり、精神病者にとって「社会復帰調整」とは『保護観察所』の『精神保健観察』をされるちゅうことやないか。

 エエか、オノレら、全てはセーカツからや、セーカツから滲み出てこんウンドーは、上っ滑りするだけなんや、たしかに「反社会復帰」がココまでロコツに「保安処分」につながってくるとは想うていなんだ、ただただ「社会復帰」することは「仕事することで」、そのためのいろんな「社会資源」作りましょういうことやったんや。でもなぁ、セーカツから想うたんや、「仕事」して「社会復帰」しようとして、一体どれだけの病者がシンドくなって、コロサレテいったんや、だからこそ、あれだけあれだけ患者会がセーカツから「反社会復帰」叫び続けてきたんやないか、そしたら、案の定、その「社会復帰」は「精神保健観察」なんやったんやと、当局からばらしてくれたんや。実はな実はな、保安処分に反対していく最大の想いは反社会復帰に繋がっていく中にこそやったんじゃぁぁぁ、あれほどあれほど、セーカツから臭うプンプン臭うと叫び続けてきたやないか。

 だから、みんなでグルで反保安処分の大合唱団どもに、バクチクなげこんでやりたいちゅうんじゃあーー、でめえらの「社会復帰」路線に『反』を唱えてから『反保安処分』を言いさらせ。有り体に言えば『社会復帰路線推進』してきた『見えにくいアクジの張本』どもが、これをこしらえたんじゃぁぁぁぁーーーわかったかぁぁぁーーードアホどもがぁぁぁ、それを今更なんでなんで『反保安処分』などと、なんで言えるんじゃあぁぁバカタレガぁ、手帳も社会復帰施設も資格も適正手続も病棟機能分化も病院機能分化も高度医療もPICUもSSTも人格障害も統合失調症も、誰が始めよったんじゃぁぁぁーーアホンダラがぁーーーヂゴクへの道は善意とやらで舗装されとったんじゃぁぁぁ、そして今や、それをリヨウしなければ生きていけんようになりつつある、このセーカツのゲンジツの矛盾した苦しみが、てめえらに分るかぁぁぁ、呪ってやる、呪い殺してやる、この怨念はこの執念は、自分でも、オソロシイわぁぁぁぁぁぁ、このドアホが、わいにコロサレンように、気をつけて、道歩きさらせぇやぁアホンダラガぁ。

 もうひとつついでに、もう一本の柱『再犯予測』じゃあ、この条文読んでみい、リクツでスウジでいくかぎり、どんな作文でもしよるんじゃぁ、「だから廃案しか無いんです」っていうんなら、ゴチャゴチャ、スウジやリクツでやろうとすな。「廃案」だれを唯それだけをリクツ抜きで何処までも何処までもスウジ抜きで押し通して、診察室のセーカツ、医療従事者としての想いでやったらエエんや。それをわしから見りゃぁ、ウンドーなんかに拘わり得ないほどの診察室のゲンジツにドップーリツカッとったら、こんなご立派なスウジとリクツを、よう書けるな、てなもんや。あっちが、リクツとスウジでくるんやったら、なんで、ヂゴクのような診察室のゲンジツセーカツから想いからいかんのじゃあ、スウジでリクツで反対する限りむこうのドツボにはまるんやぁぁぁーーー一体何遍言うたら、どれだけ言うたら、分かるんじゃぁぁぁ、このアホンダラどもがぁぁぁぁーーバカタレがぁぁぁ。

【このビラは、えばっち江端一起個人がすべての責任を負い、はじめて、誰にもそして、どの患者会にも原稿を前もって見せたことのない、つまり全くのひとりキーサンカクメイの鬼としての2003年6月1日書いたモノである、文句があるんやったら、わし個人に言うてきさらせ、わかったか、もうどうせ病者運動ボスじゃ、自宅の連絡先くらいてめえで調べやがれクソバカタレが】

精神保健観察官の名称を「社会復帰調整官」に変更するとともに、その資格に係る第20条を以下のように変更する。

第20条 保護観察所に、精神保健観察官社会復帰調整官を置く。

2 精神保健観察官社会復帰調整官は、精神障害者の保健及び福祉その他のこの法律に基づく対象者の処遇に関する専門知識に基づき、前条各号に掲げる事務に従事する。

3 前二項に定めるもののほか、精神保健観察官に関し必要な事項は、政令で定める。社会復帰調整官は、精神保健福祉士その他の精神障害者の保健及び福祉に関する専門的知識を有する者として政令で定めるものでなければならない。

○法案第42条第1項第1号等に規定する入院決定の要件等について、「入院をさせて医療を行わなければ心身喪失又は心身耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれがあると認める場合」
を、

「対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、入院をさせてこの法律による医療を受けさせる必要があると認める場合」
に変更する。

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