2002年10月10日

バクチク本第二弾
『連帯』も『統一』もクソッタレ
キーサンのセーカツと想いから医療観察法案に反対
まえがき《みんなグルで反対の大合唱》なんかいや
 このパンフレット「バクチク本第二弾」は、去年二〇〇一年一〇月二七日の、つまり、今から一年も前の社会臨床学会でのえばっちの話したことを中心に、その時の資料も含めて、こしらえたものです。その時の『熱』みたいなものが、『文字化』はでききれなかったように想えてなりません。

 それでも、出そうと想ったのは、今年のこのところの《反対運動》の盛り上がりに危機感を感じたからです。《反対運動》に危機感を感じました、これはナンダカけったいなことになりよると。閣議決定されてからのこの半年間の動きは、《みんなグルで反対の大合唱》でありました。フト想うのです。『強制移送制度』『手帳』『機能分化』『リハブ』『ニーズ調査』には賛成でも、これだけは「保安処分になるので」反対というわけなのです。「もうとっくに保安処分されたぁるがな、強制移送制度と手帳と社会復帰施設と適正手続で」と想いました。「こんな事って、けったいやなぁー、何でやねん、『手帳』に賛成しといて、この『法案』には反対なんかいや」と正直想いました。違和感も感じました。

 そして、そう、ほんま、患者会のキーサンセーカツの実際は、そんなもん、もっとチガウがな、そう、ずっと、想っていました。そして、このまんまで、これが《みんなグルで反対の大合唱》が続けば、キーサンがもたへん、倒れてまうがな、患者会のセーカツはどうするんや、とずっと想っていました。もちろん、このクソッタレな法案には《反対》です、でも、キーサンのセーカツからくる《反対》と、『適正手続大賛成』のアホンダラどもの《反対》とは、どっか違うのではないかと違和感を、危機感を感じていました。

 それで、想ったのです、例えば去年のあの時、六月八日から、半年間に様々な声明やらナンヤラ、それこそ、山とでました。その半年間にでたものと、今年の三月の閣議決定後半年間の《みんなグルで反対の大合唱》の声明なんかとを、比較してみたらええんちゃうかと。

 だから、このパンフレットには基本的にすべて、あの六月八日からの半年の間に書かれたもので、できています。

 例外として閣議決定後の文章では、まえがき《突っ込め国会》と《みんなグルで反対の大合唱》だけです。だから、この際、今年の三月と今十月に書いたこの「まえがきの」とパンフレットの中の「本文」「資料」去年の六月チャンプラリズムや九月の友の会からの叫びそして、十月の社会臨床学会、とをみてみてください。『心神喪失者医療観察法案』の《反対》ではなく、あの時からのみんなの半年間の《叫び》をきいてみてください。去年のが真実で今年の閣議決定後の文章が駄目だと、簡単に言っているのではありません、すべてに真実があります、そのうえで、振り返ってみてみることが、いま、とても、大事だと想ったわけです。

 矛盾し混乱し、連帯も統一もなく、この半年間の、この一年間の《叫び》があるはずです。セーカツがあるはずです。そこから、キーサンのセーカツからくる《反対》と、『適正手続大賛成』のアホンダラどもの《反対》との、実感としてのチガイが、浮き彫りにできないものかと、想いました。キチガイの《反対》と、カツドウカイリョージュージシャリョーシン派の《反対》のチガイというわけなんです。だからつまりは、《廃案》のため連帯して統一して大枠で、《みんなグルで反対の大合唱》団や集会にバクチクを放り込みたい、そういうことです。

 あれから一年、誰かを殺さずそして自分をも殺さず、よう生きのびてきたなぁとつくづく想います。このバンフレットの文章のすべての責任は江端一起個人にあります。

 これからまた、臨時国会に向けて、「心神喪失者医療観察法案」を巡っての《みんなグルで反対の大合唱》となっていくとき、このパンフレットを出す意味があるかなと、想いました。そして、これは、たとえ『法』とやらがどうあろうと、キーサンはセーカツを続け、そして生き続けていくという、《宣言》みたいなものにならんかなぁーーと、だいそれた事も想いました。

 だからこそ、ひたすら地を這うようにしてセーカツを続けているすべての患者会のなかまたちに捧げたいと想います。たとえ『法』がどうあろうとも、街で村でそこら中で、ゾーリムシのように、ただひたすら生き抜き続けようとしているすべてのキーサンともだちキーサンなかまたちに。

最終脱稿
臨時国会が始まろうとしている、全家連が大会を開いているこの時に当たって
2002年10月10日えばっち江端一起

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