2001年7月23日

まえがき「ビデオと想いとセーカツと」
 このビデオは、今年の6月17日、東京の「街」のチャンプラリズムという、催しの最初に30分間ほど、《想い》をぶつけたものです。ヘロヘロになりました。でも、とても、密度の濃い話しができたと、感謝しています。こういうキーサン病者に、この機会があったのは、とてもすばらしいことでした。感謝しています。

 本音でいかなければなりません。キレイ事ではいけません。「反保安処分」のウンドーに寄与するのかしないのかが問題では、もうありません。生き方の問題です。

たとえば、「キーサンはキケンなんや」という出発点もあるからです。なんかで「殺し」の「セキニン」はとらにゃあ、「キーサン人生」を生きることにはならんという、出発点もあるからです。宅間氏のことは、人間として、わかりません、つきあつたことがないからです、でも、わしらキーサンとしてナカマとして、《一緒》なのか『違う』のか、セーカツから答えたいという出発点も有ります。そもそも、なんで、こうやっていつも「精神障害」を持ち出されなきゃならんのか、と腹立たしいと想う出発点も有ります。
 セーカツからにじみ出てきた、本音の実感から来るものをキーサンなりきにだしていかなければなりません。そう想います。結論はそう簡単には出ない事です。また出てはいけないとも想います。

 でも、とにかく、キーサンセーカツをつづけていきます。大事な事です。掲示板のような悪意に囲まれて、セーカツです。この掲示板に真摯に対応している「ごかい」のしんどさにに想いがゆきます、しんどいことです。そして僕達のセーカツ中で、しんどいなかまもいます。もう、テレビをつけるのを怖がっているなかまがいます。近くの小学校ではパトロールが始まっています。だからセーカツです。そして、「ウンドー」や「ジンケン」や「反保安処分」ではない、僕達なりの本音のキレイ事ではない、本音を何か出さなければと、想います、しんどいことです、が、これも、その一つと想い、だします。

 いま、前進友の会の次号の通信に、みんなが一人一人、自由にスペースを使って、自分の《想い》を書こうと言っています。原稿を書こうと想うなかまは、書こうと言っています。「友の会通信3号」がもうすぐ発行できると想います。お互いが矛盾しててもいいじゃないかと言っています。でも、それでも、表現したくても、表現できない
《なかま》もいます。

 このビデオから、「文字化文章化」できないことを、「文字化文章化」しようとしています。無理があります。《想い》が伝わらないと悩みました。どうしても、《温度差》が有るように想えて仕方ありません。苦しいです。「文字化文章化」した途端に、どのように「ロンリ化リクツ化」しようとも、『罠』にはまるような気がして、たまりません。現実にイロイロな所が出した声明や記者会見をみました。『罠』にはまると想いました。そして、このビデオを「文字化文章化」したえばっち自身のこれも、『罠』にはまっているような気がしてならないのです。それでも、「文字化文章化」は必要と想いました。苦しいです。

 だから、もしよかったら、このビデオを見て頂けないでしょうか。連絡を頂いたら、送ります。そして、このビデオを見てくれた青年が、手紙をくれました。とても、凄い手紙でした。えばっちへの私信ですので、匿名にさせて頂きました。青年には掲載の了承をしていただきました。どうか、お願いですこの手紙を読んでください。どうかビデオをみてください。どうかこの「掲示板」をみてください、どうか次号の「友の会通信」を読んでみてください。そして、どうか、セーカツ・・・・・すべては、セーカツが、セーカツからでてきた、《想い》こそが、みなさん、セーカツを続けましょう。

 そして、そうはいっても、「トオヤマテルヒコ」「ニッセイキョウ」「オケタニゼンカレン」「セイシンカナナシャコンダンカイ」「ドウタラジンケンセンター」「ガッカイリヂカイ」「PSWキョウカイ」なんかがさかんに声明を出しているのは論外にしても、つまり、僕たちの《想い》とはずいぶん違うからです。しかも、自らが『罠』にはまりにいってるとしかおもえないようなものです。それとも、ワザとにリヨーされにいっているのか。ウンドーには、ロンリには幾重にも『罠』がまちかまえています、そう想えてなりません、そしてこのビデオを「文字化文章化」して、えばっちもその『罠』にはまっているのではないかと、とても心配になってきます。でも、《心意気》持ってだしてくれてはる「反保安処分」の動きには、最大限《キョウドウ》したいです。これもみんなの一つの《想い》だからです。

 このビデオで何分か途中で途切れている所があります。そこはおおむね、「39条と29条一遍に両方とも無くしたらいいんや。39条は刑法の心神喪失心神耗弱で、29条は精神保健福祉法の措置入院なんや。29条の措置入院を無くすということは、精神保健福祉法全体が、精神病者に対する強制収容を保証している法律なんやから、精神病者への強制収容をみんなやめて、精神保健福祉法を無くせということで、そして刑法の39条の心神喪失心神耗弱も無くすんや」という、リクツとしてもロンリとしても、ムチャクャなことを叫んでいる所です。

 「表現したものは、真摯な問いに対しては、できる範囲で答えていかなければならない、それはしんどいし、なんでこんなにししゅつを求められるのか、つらい」と言っているところは《支出》という字です、この字を使うのがはたして良かったのかどうか、分かりません。

 「きょうせいなんか安易に言うな」のところは《共生》です。
 このビデオ、良かったら見てみてください、お願いします。連絡をして頂けたら、送りたいと想います。しんどいビデオです。自分でもおっかないビデオです。そして、手紙を、「ごかい」の掲示板を読んでください。掲示板全てを掲載できなかったことが残念です。

6月8日以降、しんどいです、手紙を送ってくれた青年に感謝したいです、掲示板を載せてくれる「ごかい」に感謝したいです。ビデオを撮ってくれた「街」に感謝したいす。テープおこしをして「あなたはキーサンと一緒に暮らせますか−池田小事件からの苦悩−」を特集してくれた編集部に感謝したいです。そして、一緒にえばっちとセーカツしてくれているなかまたちに。

 しんどいことです、が、とにかくセーカツを続けていきます。それしか、ないのです、本当に。同じクウキ吸って同じメシ食って、同じとこでクソするんです。セーカツからしか、何も無いんです。セーカツから出てくる《想い》しか、セーカツを続け
ていくしか・・・・・

        京都市山科区日ノ岡坂脇町7-5 日ノ岡荘2階 前進友の会
                     電話075ー591ー7926 FAX7925
                   01年7月23日  えばっち江端一起

あとがき
 私はそれを一言も言いませんでした。一行も書きませんでした。
 それとは、あまたある「声明」や「記者会見」での、まるで「定型文」のように「今回の事件は余りにも痛ましく、事件の犠牲者の皆さんに心からご冥福をお祈り申し上げます」という文言です、どの「声明文」にも、「会見」にも、「見解」にも、決り文句のようにまず書かれ話されました。最初の段落に。

 私は、一言もいえませんでした。一行も書けませんでした。なぜだろうかと、自問します。わかりません。ただ、つくづく自分が恐ろしいような気がします。なぜなんだろうか。みんながセーカツから、セーカツの実感から・・・・答えてくれると想うのです。セーカツから・・・・

(注)
「むすぶNo368  01年8月号」の「まえがき」「あとがき」として書いたモノ。中味は、是非とも、読んでください。
「池田小事件」の直後のモノですから、一読の価値有りと、想っています

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