2000年

名古屋人肉共食い反対集会
 名古屋掖済会病院の五島さんから、お誘いを受けて、行ってきました。なんでも名古屋掖済会病院は、「臓器提供施設」として厚生省から一方的に指名された338病院の一つだそうで、五島さんを初め精神科が一丸となって、やりたがっている心臓外科等の病院当局に問題提起をして、全国唯一になるかもしれない「臓器提供施設」を厚生省に返上するんだと、338病院から337病院にするんだと、それは我が精神科が提起するんだと、その危機感と熱意と頑張りに、えばっちも少しは役立とうと、行って来ました。五島さんガンバッテね!

 時は今年の2月ナント、高知日赤で最初の『脳死臓器移植』をやっている最中での反対集会でした。結局『脳死臓器移植』は医療の荒廃をまねく、なぜならそれは『人肉の共食い』にほかならないからだという発言に、えばっちは理屈ではない、ほんまもんを聞いたたように思いました。(《注》もう、この原稿を書いた時点より、現実に4回も実施されてしまいました。患者会としての原則の旗は脳死臓器移植反対です、聴神病者の患者会として、それは下ろせません。しかしながら、僕たちの患者会にも人工透析を受けざるを得ないなかまがいます。えばっち個人的な友達にも、苦しんでいる長年の友達がいます。僕自身も悩んでいます。でも精神病者の患者会としての旗は下ろすべきではないと、思います)

 ここで、久方ぶりに「ゴキブリ従事者の会」のサゴジョウ元木さんゴキブリ広瀬さんと再会しました。赤堀さんにも本当にお久しぶりでお目にかかる事ができました。とてもお元気そうなご様子でした。名古屋M女史女0様は嫌らしく、あの人一流のやりようで、マスコミやら集会参加者に、盛んに自己の存在をアビールし続けてましたわ。せっかくでしたから「わしらの全国『精神病』集団に、もう2年以上も前に投稿した原稿はどないなってるんや」と言うときました。名古屋Mの回答「山本真理に聞いて!」ヤレヤレですな。

 えばっちにも発言の番が回ってきたので、患者会として、日本総合病院精神医学会では「心移植における精神科医の役割」と称して、臓器移植の取られる側にも受ける側にも家族にも《心のケア》と称していっちょかみしたいとか、受ける側の適応除外条件に精神症状を入れてそれを判断するのは精神科医にさせろとか、好き放題発表されているんで(資料同封されています)あんたら精神科医は電気ショックや拘束や悪性症候群でさんざんばら精神病者殺しといて、今度また、脇死臓器移植でや人殺しに加担するんかぁーと叫んできました。そしてもちろん「沖縄県立那覇病院事件」の事をチカラコプ入れて発言しました。資料同封してありますが、ひどい事件です。精神病者が本人の生前意志も家族の反対も押し切って、あまつさえ「障害を持って生きる事が必ずしも幸せとは限らない」とまで抜かして、臓器を抜き取られて殺された事件です。裁判になっています。さすがに精神神経学会も調査委員会を発足させて、現在調査に入っているとの事であります。  

 だったらなんで、「福岡県立太宰府病院Mさん不審死事件」の予備調査委員会に、あんな保安処分推進バリバリのヤマガミアキラなんちゅう野郎にやらして、本調査はやりませんなどという決定させたんや(この事件の資料も同封致しました)。

 しかもこのヤマガミアキラのガキャあ、この事件の予備調査委員会の委員長というだけちごうて、学会の「法と人権委員会」の委員長やないか。「東京医科歯科大学難治疾患研研究所犯罪精神医学教室」のヤマガミアキラいうたらナカタオサム直系のバリバリの保安処分推進論者やないか!こんなクソガキ、人権語る資格あるんか。精神神経学会ちゅうトコも、まるで伏魔殿やなぁー。「共依存型良心派改革派医療従事者」の正体、これでも分かるわ!!(《注》ちなみに今年五月の精神病院神経学会では、極悪山上晧が金沢学会以来初の保安処分推進バリバリのシンポを警察庁消防庁法務省まで呼んで画策しよりました。が、しかし、関東勢御味方衆、壇上占拠にまで及び、ヤマガミを壇上より叩き落とされ侯せの事、ヤマガミよあんまりエエ気になって保安処分推進さらすなよ。それにしても、昔保安処分反対をあれほど叫んどった精神医どもは、こん時何をしてたんやろなぁ)

 三重県の多度病院で19人インフルエンザで死亡と報道されまレたが(これも資料として同封してあります)今はホントはその半分は不審死といわれてるんやが、これもどうすんねや。予備調査委員会こさえて、その委員長はまた、ヤマガミのクソ野郎かいな。

 滋賀県の滋賀里病院じやぁ、10メートル四方の部屋に30人詰め込まれて、三本の歯ブラシと10本のタオルで生活させて、その上に保護衣まで着させられて拘束帯で鉄格子にグルグル巻にしてるという告発続いとんねゃで。アンタらリハブたらいうて踊っとるバヤイやないで、エエかげんにせぇや。
 あーいかんいかん、だんだんカッカしてきた。クスリ効かんようになる。とにもかくにも、熱気ある集会で、えばっちもクウキはいりました。五島さんガンバッてな!!!! とにかく、出会ったみなさん、一緒に闘ったなかまのみなさん、おおきにぃー!!!!!!

(はぼ一年前の旅を前編と後編に分けて掲載したんで、現在の状祝と随分変わってしまった所など多々あり、《注》として入れ込みました、すんません。次号では続編として今年の夏の東京への旅を書こうと思ってています。「街」でのえばっちの38回目の誕生日のお話です。お楽しみにぃぃぃ!)

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