1999年

「おりふれ通信」投稿原稿
「ノボリ旗をもった当事者達」の一人として言わして貰うわいや

多田朝子へ  意識的にか、それとも無意識的にか、それは知らん。そやけどな、ほかのヘタな小理屈なんかどうでもエエ、おまえの「BGM」ちゅう言い方にゃあ、わいはアタマにきとるんや。唯でさえもアタマにきとる病気をこっちは抱えてんねんで、ほんま。わしらは自分らの病状が悪化するやろうちゅう、わしらにとって、いっちゃん大事な事も背負って行ったんや。わしらは、生活保護や年金でヤリクリして行ったんや。それでも、わしらが叫び続けることは「BGM」なんかいや。

 わしらは十年以上も前から『反社会復帰』唱えとった。おまえらにゃあ、「BGM」だったんだろうぜ。『反手帳』も『反全精連』も『反厚生省』も『反社会復帰施設』もおまえらにゃあ、「BGM」だったんだろうよ。おまえらのわしらに対する基本姿勢がこの「BGM」ちゅう言い方に端的に現れとるワナ。
 次に会う時にゃあ、おまえらに絶対に絶対に「BGM」などとは言えへんような、言えようもないような事になるやろうぜ。

月崎時央へ 誰やら、何者やらも知らなんだ。「外の立場から」とか「ジャーナリスト」とか紹介されとるからてっきり、そうやと思うとるがな。しかも、ちょっと高みからモノ言うとる、いつもわしらに投げかけられとる、そんなカンジの文章や。

 ところがどっこい、思い出したぞ、おのれ何が「外の立場から」じゃあ。あのとき、窪田の隣に座って、一段高いトコから喋べっとったキレイなおベベ着た、ほんま、精神病者の世界、精神医療のヘドロの実際の一番ドロドロしたトコなんかわかっちゃあいなかったのがアンタやないか。「決して内部の人になってはいけない」だと、窪田や広田和子とならんで、高いトコから喋ったお人や、こんな文章を表明しはったお人や、もう十分「内部の人」やがな。今度一段高いトコから喋るときにゃあ、回り見渡せや、わしら「ノポリ旗をもった当事者達」がおらへんかどうかな。

小林信子へ あのナ、わしら「ノボリ旗をもった当事者達」がいっちゃん言いたかった事はな、わしらのビラの@は何やった読み返してみいよ、おのれが96年の大阪の学会総会で大騒ぎした結果でてきたこっちやないかいや。突然の患者会への「謝罪要求書」や。しかもそれに投稿せぇと書いてあったから投稿したんや、それから2年間なしのつぶてや。それとな、みんなグルで手帳やら社会復帰施設やら欲しがった事や。犀潟で患者四肢拘束して息詰めて殺したんも、みんなグルで手帳やら社会復帰施設やら欲しがった事も、悪どさでは『地続き』なんや。それがわからんか、わからんかったら、「ゴキブリ従事者の会」に頭下げて教えて貰えや。わいは、アホらしうて、書く気にもならんわ。

 それとナ、掲載しよるんやったら、「皮肉タップリ嫌みテンコモリ編集部注」なんかつけさらすなよ。まったくあんたらのやりようというたら、ホントどうしようもねえな。柳原さんの投稿の時もこのやりようやったなぁ、そういえぽ。掲載しとうないんやったら、トットと満載拒否の理由書いた文書と一緒におくりかえしてこいや。掲載するんやったら、アンナモン付けんとトットと載せぇや。

1999年2月11日 江端一起
京都市山科区日ノ岡坂脇町7−5 日ノ岡荘2階 前進友の会

目次のページに戻る
inserted by FC2 system