1992年

キーサン革命を叫びながら西へも東へも 江端 一起  
狂気乱舞 長岡バクチク炸裂 病地学会
 いゃっつほーう! やったやったやったねぇーーーー凄かった。時は去年の十月、場所は長岡、「見えにくい悪事のハンニン」「私達は恵まれない精神病患者さんのために、こんなにいいことをたくさんやっていまーす」ちゅう(共依存型良心派改革派医療従事者彗たち(ウーキモチワルイ)の化けの皮が、剥ぎ取られてしもうた、やっほぅ!

 しかもしかも、わいらキーサンにしか、できんような、全くのキーサン風やった。詳しくは「ごかい通信」や「しんまつ」の通信に詳しく実況中継されてまんがな。ほいでごォっいビデオもありますので、詳しくは、ご注文くだされ。サイコーだっせ、いやほんまこのビデオえばっち二〇回ぐらい見て、そのたぴに大興奮!。
 
 それにしても、わしらはキーサンやった。初日はユックリ二日目に本番や、とだけ決めとったんに、それもいざはじまってしもうたら、パアーっとどっかへ吹き飛んでしもうた。

 会場に入って10分とたたんうちに、いきなりバーンと「ごかい」作成の「新たな利権さらなる談合−役人とのつながりもうけるはりあい」「犀潟殺人病院林茂信オマエが死ね!」の大横断幕を入り口の真上に粘って、そのまんま、大激戦に突入。あっちゃでも、こっちゃでも、ワァワァゴォーゴォーウや。

 礼子さん藤井さんのアホバカ口撃のすさまじさ。山吉さんのキョーレツな一撃、広田さんの全く動ぜずひたすらノポリ旗もって座っている、凄み。そのノポリ旗が

 また、「ごかい」力作の

「トイダドイタ、ドクタートイダ、ドケドケトイダ、ドクダトイダ」
「タハラリハブ、リハブタハラ、クダタダリハブ、バカダタハラ」
「クボタヒトラー、ドクタークボタ、ヒトラークボタ、クボタドクダ」
「卑虎窪田」「樋田!謝罪するのはオマエじゃあ!」
「イケハラアドボガ?アボガド?アホカノ!」
「仲間をおいてけ堀、窪田糾弾!」
「反厚生省反全家連反全精連」

 このノポリ旗もって、みんなで、ゼッケンも着けて全くの支離滅裂の、それでいて、キーサン狂気凶器大乱舞に、あわてふためくこいつらの分厚いつらの皮が、コレだあー。

 トイタ理事長こいつは全くの「まぬけづら」さらしとった。なーんもわかっとらんかったんやろ、最初から最後まで。この「おまぬけ」を裏で動かすタワラ副理事長ますます「悪党づら」になっとった。フルヤ理事こいつは「策師づら」PSW協会でも国家資格化でさぞや、寝技でもつこうとったんやろ。東北百人委員会の親玉だったシラサワヒデカツ副理事長、こいつは、わしらの真ん前にボウエイタイはって、そのまん真ん中で腕組みしてわしらを「挑発づら」大阪沢病院のサワ理事「ニコニコ顔の下に鎧づら」、この沢を無言で睨む、礼子さんの迫力が一番強烈やった。

 クボタは「バカボン銭ゲバづら」おいてけ掘協会事務局長イマイマキコ「キレイなオベベの嫌みづら」ここで、きむさんの「おまえらが変な事すれば、病者は反乱するんだ!」の一発には会場から拍手が。全精連ヒロタカズコ「ゴテゴテ首飾りユーザーエリートづら」これには一木さん今津さんの二連銃が奔流のようにとめどもなく炸裂し続ける、凄かった。
 そして、うめちゃんの肝心な時の肝心な判断は、わしらキーサンをしっかりと間違いない方向に進めてくれはった。「とにかく中に入るのが先決や、旗も拡声器も置いていけ」の一言がなかったら、わしらシラサワボウエイタイとの押しくら饅頭だけで、消耗しとったもんな。しっかし、みんな凄かった。こんなん四時間はどもやったんやから、凄いもんやった。さすがにホトホト疲れてわしらは帰ったんよ。と、突然勢いづいたのが「バカボン銭ゲバづら」クボタに東京人権センターの「チャラチャラキレイオベベアボガドづら」コバヤシノブコに全国『精神病』者集団の「名古屋女0様忠臣づら」ヤマモトマリの面々だったそうな。ところが、なんの計画も打ち合わせもなかったにも拘わらず、巧いことバトンタッチで「ゴキブリ従事者の会」がキッチリ片を付けてくれはったとの事、おおきにい!

 で、こんな状況だったんで、持って行った本売れるはずもなく、それは藤枝友の会の売り場に置いて・・(不明)・・も前進友の会として七冊買ってきました。あきら君もやざわ君も元気そうやった。かとちゃんもくみさんも元気で「ひとりぐらしのうた」売ってはった。若い青年も新しく増えとって、また会おうなぁー。

 翌日は、なんと総会議事が一五分間になったと、突然の知らせ。わしらキーサンもうへトヘト、最後の力を振り絞って総会へ。「ゴキブリ従事者の会」サゴジョウ元木さんにゴキブリ広瀬さん会員資格もっているので、すかさず「議事進行動議」を出すが、相手にされず、逆に取り囲まれる。

 ゴキブリカメラマンまでもが包囲されている。わしらキーサン、そこで立ち上がった、礼子さんレッドカードを出して笛を吹きならす、藤井さん、山吉さん、今津さん、きむさんみんな、みんな叫び続ける、一木さんえばっち、ついにバクチクに点火、投げ付ける。

 総会会場にバクチクが響き渡った。そして会場警備のためと警察署に連絡するとの全館放送流される。わしら、ここまでやった、あとは「ゴキブリ従事者の会」頼んだぞと、ノポリ旗の字幕まで全部、会場のガラスに貼りまくって帰って来ました。

 歴史に残るレクレーションでありました。負傷者は一木さんえばっちのバクチクのやけどのみ。わぉぉぉぉぉん、みんな、凄かったなぁ−、「ごかい」「しんまつ」「ニューカトレア」「前進友の会」「ゴキブリ従事者の会」とこれを一緒にやったみんなを忘れる事はないと思うんよ、やったなぁー。わぉおおおんーー。
キーサン革命を叫びながら、西へも東へも(後編)
博多の水炊きは、サイコーでした!!
 時は昨年98年12月、全障連九州ブロックの集会に呼んで貰うてねぇ、「優生思想受精卵診断」の話で、少し難しかったけれど、一生懸命に、とりくんではるなぁーと思いました。全障連九州ブロックは、どこぞのブロックとちごうで、地道にじっくり取り組んではって、知り合うことができて、良かったです。(《注》ちなみに今年の全障連大会でのえばっちの原稿またまたボツになりました。どこぞのプロックが横ヤリ入れたんでっしやろな)

 わらびの会からは酒見さんが、前進友の会としてえばっちも、大体精神病者の日々のセーカツの話をしてきました。少し、上がってしまいました。

 京都から博多までの新幹線の中で、宇都宮病院をずっと取り組んではる谷口さんと一緒で、もう15年以上もずっと宇都宮病院を監視して、面会に行き続けている話を聞いていました。これもどこやらとちごうて、ハデハデではないけれど、延々とずっと取り組み続けている、その姿勢に共感しました。ずっと続けさい。(《注》今年の初夏の事です、この原稿を書いて随分たっていました。僕たちに信じられない事が伝わって来ました。宇都宮病院を糾弾する会が分裂するというのです。僕たちには、理由も分からず、唯々困惑しました。宇都宮病院に入院中の精神病者が一番の被害者ではありませんか。宇都宮病院糾弾15年と云う節目の集会に、僕たちは、どちらへも連帯メッセージを、送る事は出来ませんでした。悲しいことです。来年こそは、僕たちが連帯メッセージを、送れるようになって欲しいなぁと切に望んでいます。最大の被害者は、宇都宮病院に入院をせざるを得ない精神病者じやないですか!)

 そして集会が終わって、「わらびの会」のみなさんと一緒にたまりばへ行きました。なんと会場からたまたまですが、歩いて15分くらいのところでした。金永さん、酒見さん、長崎学会以来の再会でしたね。お元気そうで、ほんとうれしかったです。和田さん和田くん今井さん神原さん安広さん明美さんいゃっほーーーう、会えなかった皆さんもおられますが、あのときみんなで囲んだ博多水炊きは旨かったぁーー。4時頃から10時頃まで、ほんと良く語り合いましたねぇ−おナベを囲みながら。あの味は忘れられません。そうそう、その時、「ごかい」の礼子さんから電話もあって、松山と博多と京都の患者会が、あの部屋であの電話で、交互に話しましたよねぇー。

 わらびに泊まって和田君とおこたで12時頃まで語り合ったね−ぇー。帰るときは、みんな、新幹線の車両の中まで見送ってもろうて、最後に握手したねぇー、金永さん。えばっち初めて博多に行って、「福岡わらびの会」のみなさんに、あんなにあたたく迎えてもろうて、ほんと幸せでした。なんとなく、博多にはまた行くような気がしています。その時は、作業所を勝ち取った「わらぴの会」ですね。勝ち取るまでも大変でしょうが、勝ち取った後も、結構大変と、思いますが、皆さんなら、スンバラシイ新生「わらびの会」できますよ。京都からわぉおーーん!!!を送りまーーーす。(注*何と、ついにわらびの会は、勝ち取ったとのことです。お目でとーーーう!!!次に、皆さんに会えるときは、本当に新生わらびの会「わらび家」ですね、色々大変な事もありましょうが、一緒にボチボチヤッテイキマショウ。わぅおーー−ん!!T!おめでとーーーう!!!)

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