日 誌


2004年9月A

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メール・アドレスを、dugonghouse@yahoo.co.jp に変更しました。

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、必ず「阻止行動船カンパ」と明記し、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611
西 陽子

辺野古と共に!国会前座り込み
 国会座り込みの様子を毎日更新!!
  大好評!!    辺野古新基地建設反対!!
         「顔署名」
はコチラ!!→ (^0^)


9月14日(火) 「街」日誌
 桑江テル子さんからパパイヤの差し入れ !(^^)!  昼食はキノコ&ナスのナポリソース  久しぶりに則子さんと神保さん再会
 一ヶ月ぶりに「街」に戻ったタカちゃんを刺身で歓迎  久々の田上さん
 東さん  琉球朝日放送のビデオを一緒に見る
国会前、座り込み。辺野古149日目。
国会前座り込み44日目 トミタ
辺野古に行っていたので、一週間の間ずっと座り込みを続けていた仲間たちに久しぶりに会えました。8日、9日は辺野古の様子が逐一国会前にも届けられ、みんなで喜んだり、憤ったり、辺野古と一体になっていたのだそうです。
練馬のお店でも、お客さんの一人は会社に行ってもネットで辺野古の様子ばかりおいかけて、仕事にならず、他のお客さんはテレビニュースで小さな
船の上に知った顔を捜すのに目が痛くなってしまった、といっていました。
こちらでも、想いが近づいてきたと実感します。
帰り際に国会前でであった若者のノートへの書き込みを載せます。
”今日 国会図書館に行く途中に、この活動を発見しました。
 私は沖縄県の出身で(山内徳信さんの奥様の教え子だそうです!)
大変興味があり、話しかけました。県民の方と思いきや、沖縄を応援する
本土の方々でビックリしました。沖縄だけの問題としか考えられていないと
思っていたのですが、本土のほうでも気にかけてくださっている方がいたのを知って、とても光栄に思った反面、沖縄県民である私自身が参加しない
ことを恥ずかしく思いました。いろいろお話も聞きたいので、またきます。”(読谷村、0さん)
継続は力なり、確実にひろがっています。
闘いは これからです!!
淡々と座り込みは続く 国会前に帰ってきましたー
沖縄タイムスに見入る 読谷出身の大学生が参加
9月13日(月) 「街」日誌
国会前、座り込み。辺野古148日目。

今日の座り込みは、
12名でした
防衛庁防衛施設庁、毎週月曜日・抗議行動


昼食は焼きサンマとサンマのなめろー  「街」の留守を守ってくれた佐竹さんから差入れ
← 差入れジュースで乾杯 (^o^)丿

 

村山先生から、
辺野古へ5000円のカンパ →
夕食は、
焼き鳥・アナゴ丼


12日(日)速報
「普天間」返還要求/市民大会で決議採択

 八月十三日に発生した沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故に抗議する宜野湾市民大会(主催・同実行委員会)が十二日午後二時十五分から同大グラウンドで開かれた。最も被害を受けた同大や市内の全自治会、保育園長会など七十一団体のほか、県内各地から多くの参加者が集まり、事故を厳しく糾弾。普天間飛行場の早期返還や名護市辺野古沖移設の再考、被害者への完全補償などを県と日米両政府に求める市民決議を採択し、危険からの解放を強く訴えた。
(写真説明)2004年9月12日午後発行の沖縄タイムス速報

琉球新報 2004年9月12日 日 15:30

【速報】「普天間早期返還を」 米軍ヘリ墜落、沖国大で宜野湾市民大会

 【宜野湾】沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落に抗議し、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民大会(主催・同実行委員会)が十二日午後二時すぎ、同市の沖縄国際大学グラウンドで始まった。普天間飛行場の早期返還を訴えようと、大勢の一般市民や各種団体などが詰め掛けた。実行委員長の伊波洋一市長は「二度と私たちの住宅上空を米軍機の訓練場としてはならない。市民の声を一つにし、事故が再び起こらない宜野湾市をつくっていこう」と宣言。児童・生徒やPTA、老人クラブなど各世代の代表が意見表明し、大惨事につながりかねないヘリ墜落への怒りをぶつけた。市民決議と大会スローガンを採択する。

9月12日(日) 「街」日誌

第7回 横田・大空まつり
第二部の終わりは、「ヨッシーとジュゴンの家」
 第7回「横田・大空まつり」アピール
 本日、私たちは第7回横田・大空まつりを開催し、「静かな夜と空を返せ! 飛行差し止め訴訟勝利! 横田基地の軍民・軍事共用化反対!」の思いを一つにしました。

 去る8月13日、沖縄の普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故は基地周辺に暮らす住民を
恐怖に陥れました。ここ横田基地においても、同日に横田所属のヘリコプターが横須賀に不時着したり、8月21日にデモ飛行中の米軍機から米兵のヘルメットが瑞穂町の工場に落下したりしています。沖縄だけでなく基地周辺住民が大惨事と隣り合わせで生活していることを改めて示したものです。また、横田基地の上空では米軍の指導のもとイラクに派遣される自衛隊パイロットの訓練まで行われたのです。

 こうした中で、今、アメリカは世界的な海外駐留米軍の再編構想を検討中です。世界的な機動力の強化と合理化を基本としたこの構想には、横田基地の空軍司令部の再編計画が含まれています。また、この動きと合わせて、政府は航空自衛隊の横田基地移転を検討していると言われています。これらの、どちらの構想も私たち周辺住民に大きな影響を及ぼすものであり、放置すれば、横田は戦争に直結した一層危険な基地へと再編される可能性さえあるものです。

 一方で、軍民共用化に固執する石原都政は、横田基地への民間機乗り入れへの動きを執拗に続けています。横田基地の軍民共用化、自衛隊機乗り入れの軍軍共用化、いずれも基地被害に苦しむ住民の意向を無視したもので、基地の永久使用、被害の拡大につながるものであり、断じて認めることはできません。

 アフガン・イラク侵攻に見られるアメリカの「力の政策」は暴力の連鎖につながるものとして世界的な批判にさらされています。また、日本の「戦争ができる国家づくり」といえる動きも内外で批判を受けています。

 私たちは国際的な反戦・平和の力とともに、また、沖縄・厚木をはじめとする全国の基地被害と闘う仲間と連帯して闘い、「静かで平和な空」を私たちの手に取り戻すまで、さらに頑張りぬきましょう。

 以上、決議する。
 2004年9月12日
                                        第7回「横田・大空まつり」参加者一同

 国分寺エクスペリエンス  バンブーダンス、カフィン・フィリピンの皆さん
さっちゃんが唄う。2ヶ月以上の不当拘束され起訴された。
起訴状
                           平成16年3月19日
東京地方裁判所八王子支部 殿


                            東京地方検察庁八王子支部
                            検察官検事    崎坂誠司

下記被告事件につき公訴を提起する            
 公  訴  事  実

 被告人3名は,共謀の上,「自衛隊のイラク派兵反対!」などと記載したビラを防衛庁立川宿舎各室玄関ドア新聞受けに投函する目的で,平成18年1月17日午前11時過ぎころから同日午後0時ころまでの間、 東京都立川市栄町1丁目6番地の1所在の自衛官らが居住する同宿舎の敷地に立ち入った上,同宿舎の3号棟東側階段,同棟中央階段,5号棟東側階段,6号棟東側階段及び7号棟西側階段の各階段1階出入ロから4階の各室玄関前まで立ち入り,もって正当な理由なく人の住居に侵入したものである。

罪名及ぴ罰条
住居侵入 刑法第130条前段,第60条
高田幸美さん(さっちゃん)の陳述。いつもニコニコ笑っているさっちゃんからは感じられない、厳しい検察批判でした。そしてまた、検察の卑劣で過酷な取調べの実態が明らかにされていきました。どうどうとした確信に満ちた意見陳述は昔から知っている大沢(さんのホームページから転載)としては涙が出るほど感動しました。第一回公判
意見陳述書
 私は、立川の自衛隊の官舎に反戦を呼びかけるビラをポスティングしました。しかし、その行為の何が「犯罪」なのか全く理解できず、激しい憤りを感じております。はじめに申し上げておきたいことは、この「事件」は立川で30年以上に渡って反戦運動を続けてきた立川自衛隊監視テント村の正当な活動に対する、不当な刑事弾圧事件であり、それと同時に、全国あるいは全世界で上げられるイラク戦争反対の声を圧殺する為の、国家権力による攻撃に他ならないということです。私は、この弾圧に負けることなく反戦の声を上げ続けることを宣言すると共に、以下、この弾圧の不当性とその狙うところについて明らかにしたいと思います。

一,逮捕・起訴の不当性について
 勾留理由開示公判でも述べた通り、立川は基地の町です。戦前には旧陸軍第5連隊の基地があり、戦後1970年代前半までは米軍立川基地があり、1973年には市民の広範な反対の声をけちらして自衛隊が移駐を強行したという歴史を持っています。その中にあって市民は常に、基地、すなわち軍隊による暴力にさらされ、それに抵抗しながらも、兵士たちに呼びかけることを続けてきました。
 自衛隊官舎へのポスティングは、私たち立川自衛隊監視テント村を含め、多くの個人や団体が日常的に行ってきた表現活動のひとつです。私たちは、強烈な思想教育によって「自衛隊」という殻の中に閉じ込められがちな自衛官やその家族に、地域の声や反戦運動側の視点を届け、自衛官やその家族が人権や憲法の問題にぶつかった時に、自分自身で考え判断する材料が提供できればと願って、活動を続けてきました。
 今回の突然の刑事弾圧が、イラクへ自衛隊の先遣隊が出発した翌日のポスティングに対して真先に起こったということは決して偶然の出来事ではありません。寿司屋さんのチラシでもピザ屋さんのチラシでもなく私たちのビラが標的になったことは、国家が地域市民と自衛官の間での、異論や反対意見も含めた自由な議論に暴力的に介入したという事実を示しているにほかならないのです。

二、取調べの不当性について
 刑事による取調べは苛酷なものでした。朝、昼、夜と息をつく間もない取調べが連日6時間〜8時間にも渡って行われ、それがびっしり二十日間続きました。その内容は、被疑事実について調べるというよりは専ら、私をいたずらに疲労させ、支援者や弁護団への不信を煽り、転向を強要する為のものでした。その暴言を例にあげれば、「二重人格のしたたか女」「この寄生虫」「立川の浮浪児」といった人格を攻撃するもの、「運動をやめて立川から出ていけ」「運動を続けるなら、立川の街をフラフラ自転車で歩けなくしてやる」「立川テント村をつぶしてやる」など脅迫を含んだ転向要請、あるいは「他の仲間はみんな『俺はやってません』と言ったぞ」「おまえは鉄砲玉で、他のヤツらはお前に責任をなすりつけるつもりだ」といった支援者や仲間を誹ぼう中傷するものなど、許しがたいものばかりでした。これが、「正当な取調べ」だなんて、私は絶対に認めません。また、私の実家に対して刑事を名乗る者から「お宅の娘さんはヤクザの使い走りをさせられてる」といった虚偽の内容の電話があったことも付け加えておきます。

三、長期勾留・接見禁止の不当性について
 私たちは5月6日現在で60日を越える長期に渡り不当に勾留され、接見禁止という許し難い「処分」に処せられています。これらの「処分」の根拠は「逃亡の恐れ」と「証拠隠滅の恐れ」とのことだそうですが、これもはなはだ不当な判断です。まず、「逃亡の恐れ」についてですが、私たちは自衛隊立川基地に対しての働きかけを主な活動内容としている団体である以上、立川を離れて逃亡することは活動の放棄を意味するのであって、それはあり得ないことです。また、私個人の職場やその他の日常的な活動についても、立川近辺に生活基盤が確立している為、どこかに逃亡してしまっては生活が成り立ちません。
 次に「証拠隠滅の恐れ」についてですが、もう何ヶ月も前のビラ配布の「証拠」を、家宅捜索もとっくに終了し、取調べも終わった今になって、どうやって消せるというのでしょうか。消せる「証拠」とやらがどんなものなのか、具体的に示して欲しいものです。

四、家宅捜索の不当性について
 家宅捜索の際に押収されたものの多くが、ビラまきとは全く関係のないものでした。捜査員に「これはビラまきとは関係ないので持っていかないで下さい」と抗議しても「イラク戦争云々と書いてあるものは全部持っていく」「テント村の活動に関係あるものなら何でも持ってっていいんだ」などと強弁し、他団体の発行物や集会資料、更には住所録の入ったパソコンや、合宿のレジュメなどまで持ち去りました。これらの事実から、この捜索の真の目的が、テント村とその周辺の反戦運動の動向を調べ、介入し、最終的にはテント村を黙らせつぶすことにあるのだと思わざるを得ません。

五、基地の町で、自衛官への呼びかけや反戦運動を続けていくことの意義
 基地の町には、軍隊による有形無形の暴力に永年さらされてきたことによる問題が幾つもあります。立川の街もご多聞にもれずジェット機による市街地上空での危険な訓練や騒音の問題や、いわゆる「砂川闘争」以降、亡霊のように再浮上しては保留され続ける基地拡張問題などを抱えています。
 これらの問題は、アフガニスタンやイラクの地で起こっていることと無関係ではありません。自分達の足元で起こっている国家による人権侵害の数々を、遠くの空の下で「対テロ戦争」というかけ声のもとに殺されてゆく多くの人々と結ぶことで見えてくるのは、「軍隊は市民を守らない」という、私たち立川自衛隊監視テント村の基本的な認識にもなっている事実です。
 であればこそ、私たちは基地の町に暮らす者として、その「銃後」を支えることを拒否し、士官には部下に命令を下すことの重大さを認識させ、個々の自衛官や街ゆく人々には一緒に考えよう、戦争に反対しよう、と呼びかけることが責務であると考えられます。
 巷では、反戦運動の参加者に対する弾圧が急増し、マスコミは国家とは別の判断でイラクへ行き発言する人々へのバッシングを始めています。私達は、反戦運動に対して「黙れ」と言わんばかりの暴挙の数々を許すことなく、これからも基地の町で戦争反対・自衛隊のイラク派兵反対の声をあげ続けます。地裁八王子支部の裁判官の皆さんは、私たちの活動への国家による不当な介入に加担することを今すぐやめて、私たちを速やかに釈放し、私たちが「犯罪者ないことを認めるよう強く求めます。
 出番も終わり、ドリンク・食事タイム
 ふかし芋  イカ焼き  フィリピンのチマキ・もち米
やっぱり酒は焼き鳥だなぁとハネやん
 カンパは30、026円、集まりました。演奏中に国分寺エクスペリエンスの
おちょこさんがカンパ箱を持って集めてくれました。
「街」を作るキッカケになった日野「アイ
アム」を立ち上げた人と出会いました
フィリピンのベルトランさん 風船飛ばし
 静かで平和な空を返せ!
米軍基地はいらない!
 中に植物の種が入った風船が大空高く舞い上がりました

9月11日(土) 「街」日誌

「街」職員 沖縄研修 最終日
 沖縄でいろいろ研修・交流を重ねた後、研修最終日は、那覇のパレット
久茂地の広場で「沖縄県精神障害者福祉会連合会」の障害者雇用促進
コンサートに参加しました
 まよなかしんやさんが沖福連で開いている音楽・ギター教室の人達と唄う
 那覇学園の人達のエイサー
 「ヨッシーとジュゴンの家」のライブ。テーマ曲と「命の海」を歌いました
 ギター教室の桃原さん
 お馴染みのヤマジンさん  鉢嶺ゲンジさん
12日に開かれる

宜野湾市民大会の実行委員貝

の人たちもアピール
   沖福連・比嘉会長の挨拶 
無事、沖縄研修も終え、深夜、東京に戻ってきました

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