オープンスペース街・日誌


2004年7月E
7月Dへ 8月@へ

名護新基地建設絶対反対!   ボーリング調査絶対阻止!
 
座り込み支援カンパ!!
         
よろしくおねがいします!




 

今月の定例ライブ

7月
31日(土)

 PM7:00頃〜

入場無料

  

被 爆 59 周 年   
title
http://hw001.gate01.com/hiroshima8-6/

  被爆58周年8.6ヒロシマ大行動実行委員会:
  連絡先:〒730ー0016 広島市中区幟町 14ー3 田戸康ビル 303
  Tel & Fax : 082(221)7631
   e-mail : http://hw001.gate01.com/hiroshima8-6/mail.htm  (メールフォームへ)
     


7月31日(土) 「街」日誌
 
砂川 芋掘りに行こう (^o^)丿
朝9時、砂川の自主耕作地 集合
 来年は、砂川闘争から50年になります。米軍基地の拡張を阻んで以降、自主耕作をつづけて、
半世紀にわたって立川基地の拡張を続けてきました。 
 タカちゃん、洋平くん・ヨッシーの3人  のどが渇いたなぁ  やっと到着
 オイちゃんも来てました
 こんなに採れたぞう
 収穫の後は、

バーベキューで乾杯

(^o^)丿

芋のように
たくましく
粘り強く
闘うぞーっ 

その頃、「街」では・・・
女の館で枯れそうになっていた花がきれいに復活しました! 畑を通ったら、とうもろこしを収穫し
ていました
今年は雨が少なくて、全部ダメにな
ってしまったそうです。
今日は、じゃがいも掘りの日なので
「街」は超少人数で店出し。
ゆいまーる沖縄から頼んだかりゆし
ウェアが到着!!
ジュゴン柄もあります。
今日はヨッシーとじゅごんの家ライブです!おいちゃんがポスターを作ってくれました!
 辺野古からマンゴー到着  佐竹さんから野菜の差し入れ
 昼食は信州そば ひょうきんな珍宝堂の社長 飯田さんから差し入れ
 夕食…写真を撮り忘れて、ほとんど残っていない
「ヨッシーとジュゴンの家」ライブのスタート
沖縄ゆいまーるに頼んだジュゴン柄のかりゆしウエアを着る高ちゃん・洋平くん  ライブのスタート
 父・娘・孫の三人で参加する人も
「街」オープン以来のお客さん・東さんも初めて聴きました。戦争は絶対に反対よ  砂川闘争の話
 ドラムはマック村松ちゃん
 夜に買い物に来るお客さんも聞きます  毎回、顔を見せる珍宝堂の社長
 最後に乾杯 飯田鮨さんからイカの差し入れ (^o^)丿

7月30日(金) 「街」日誌

飯田さんから採りたてみょうがをい
ただきました!!
今日の昼ごはんはミートソースと明
太子の2種類スパ
喉が乾いた小学生。
京都からえばっちと皿沢さんが来ました!!

二の腕を鍛える道具を試す2人
おやつの時間にアイスを食べました! ジェネジャン鑑賞・・ 今日の夕ご飯はカレーライス
いただきまーす
飯田鮨さんの卵焼きをいただきました えばっちと皿沢さんが帰りまーす!またねー!

外環道建設のための説明会 「PIフォーラム IN練馬」に行ってきました!
外環が造られる場所からかなり離
れている練馬区役所で説明会が
行われました。
これでは地元住民の方は気軽に
行けません。
練馬駅の商店街でジャンボとんか
つ発見!

説明会に1時間程前に到着して、区役所前で外環道反対の歌を歌いました♪「外環道はいりまーせん!!」♪

18:30

説明会開始

開始前に、「住民が発言・質問もできな
いようなフォーラムのやりかたはおかし
い」と地元住民が抗議したが、行政側は
「今回はそういう場ではない、時間がな
い」と取り合わない。
1時間程、行政側が外環の重要性に
ついて話す。
IP協議員(外環の必要性について話し
合う委員)8人のうち5人は推進派であ
る区や都の行政の人間。この方は唯
一の反対の方。

行政側は会場からの自由な発言・質問を
認めず、来場者の書いたアンケートを読む
だけ。

それもアンケートのほとんどは外環反対の
意見であった。会場からの「私の文章を端
折って読むな!」という声にも耳を貸さない。

はっきりとしない読み方にも野次が飛ぶ。

会場からの発言の場を設けないまま説
明会を終わらせようとした行政に、怒っ
た住民が申し入れ文を読み始める。
「何回も私たちが出した質問の回答を
要請してきたが、一回も応えてないじ
ゃないか!!」という発言に対し「時間
が押していますので・・」と聞こうとしな
い行政。「大事な話だ!住民の声を聞
け!」など司会者に野次が飛ぶ。
騒然とする会場、この後も怒りの声が
続く。

しかし、司会者は「次回もフォーラムを
設けます。」と「フォーラム」を終了さ
せた。

この2人の方は「次世代に借金残すな
インター一千億円」という横断幕を作っ
てきていた。
ヨッシーは署名を渡す。 「行政の信頼を失くすことをやっていて
いいのか?」



7月29日(木) 「街」日誌

今日の昼ごはんはかやくうどん


     ちらしを折る洋平くん→
「街」アピールタイム!



「基地はいらない」団扇も活躍→
←夕ご飯は焼肉

         ごぼうつみれ汁→
ゴーヤーの浅漬けとかぼちゃの煮付け 「うまいうまい」 いっぱい食べるぞ〜!!


平良夏芽さんが国会前での座り込みを行います。「8月2日〜3日」までです。
関東方面の方たちは 集ってください。

 平良夏芽です。辺野古の座り込みも102日を越えました。本来は、辺野古では
なく東京の国会前で座り込みがなされるはずだとずっと思っていたのですがその
ような動きはなかなか伝わってきません。私たちの声を届けるべく選出された糸
数慶子議員の初国会の時に、辺野古の想いを携えて国会前に座り込むことが必要
だとテントの下で話し合いました。しかし、那覇防衛施設局長が変わったばかり
で辺野古は予測不能な緊張の中にあり、多くの者が長期間留守をすることは許さ
れない状況があります。そこで、私(平良)が一人で国会前に座り込むことにし
ました。平和市民連絡会の共同代表の一人として、そして辺野古座り込みの有志
として東京に行ってきます。8月2日(月)〜3日(火)の午前8時から夕刻ま
で座り込みます。関東地方の仲間のいる方はご連絡下さい。共に座り込む仲間を
募集中です。


7月29日(火)  座り込み102日目。辺野古・阻止行動日誌
防衛施設局午後3時30分に来る。「100日集会アピール」

・防衛施設局が午後3時30分にきました。

午後3時30分、防衛施設局長が代わってからの初めての訪問でした。車2台、施設局員8名、業者が2名、運転手2名。公安警察車両1台。こちらは平良夏芽さん、大西照雄さんが代表者として対応しました。その時間座り込み参加者は50人以上いました。

防衛施設局は前回はいつもどおり、「基地建設を進める」「今すぐ立ち退いてほしい」という。
それに対して平良夏芽さんは今まで基地によって受けてきた被害、そして現在の基地はイラクの人々を殺し、朝鮮半島へも行こうとしているということを話しました。
印象に残ったのは「この間までわらバーだった、この間まで僕達と一緒になって海で遊んでいた米兵達は一旦外に出たらあんなに残虐なことをしてしまう。彼らはこの基地の中で人格を破壊されていくんだ。あなたたちは国民を防衛するといいながら米兵達の人格破壊に手を貸しているのですよ。そしてその米兵達はイラクへと飛び立った。本当に防衛するということは彼らをイラクに行かせない、そして人格を破壊する基地を造らせないことじゃないのか。」という夏芽さんの話。
「・・・・・」施設局職員は答えられませんでした。
仕事上答えられないのは分かります。だから、心に刻んでほしい。
人として私達が本当に必要なものが「基地」なのか「防衛」と名を借りた侵略行為なのかを考えてほしい。
午後4時30分に防衛施設局員は引き上げていきました。
仕事で来ている彼らの「チム」の部分に訴えていかなければならないと思います。人はそんな簡単には変われない、けれどそれは私達が自分を引き受け、訴え続けることで人の心を揺り動かせるのだと思います。
「このことをチムに染めてほしい」と夏芽さんは最後に職員達に話していました。

※その夏芽さんは8月2日〜3日まで国会前の座り込みを行います。以下その文章。


平良夏芽です。辺野古の座り込みも102日を越えました。本来は、辺野古では
なく東京の国会前で座り込みがなされるはずだとずっと思っていたのですがその
ような動きはなかなか伝わってきません。私たちの声を届けるべく選出された糸
数慶子議員の初国会の時に、辺野古の想いを携えて国会前に座り込むことが必要
だとテントの下で話し合いました。しかし、那覇防衛施設局長が変わったばかり
で辺野古は予測不能な緊張の中にあり、多くの者が長期間留守をすることは許さ
れない状況があります。そこで、私(平良)が一人で国会前に座り込むことにし
ました。平和市民連絡会の共同代表の一人として、そして辺野古座り込みの有志
として東京に行ってきます。8月2日(月)〜3日(火)の午前8時から夕刻ま
で座り込みます。関東地方の仲間のいる方はご連絡下さい。共に座り込む仲間を
募集中です。


以下、「辺野古100日集会」で配られた「100日集会アピール」。


新基地建設阻止座り込み100日集会アピール

去る4月19日早朝に那覇防衛施設局によるボーリング調査を阻止し、座り込みを行ってから本日で100日目を数えました。
 この100日間、私たちは基地建設は絶対に許さないとの思いを込めて、猛暑の日も雨の日も、台風襲来の日も1日とも欠かさず座り込みを続けて来ました。この先頭に立って頑張ったのが辺野古のおじーおばーたちでした。
 おじーおばーたちは、工事を強行しようとする那覇防衛施設局職員に対しときには「どうしても工事をするというなら私を殺してから行きなさい」と立ちはだかり、ある時は「戦前戦後、何もないときも海のものを食べ子や孫を育ててきた。この豊かな海に基地は絶対につくらせません」と詰め寄り、辺野古の海に一歩たりとも踏み込ませませんでした。
 おりしも、座り込みの最中に行われた参議院選挙では、新基地建設反対と普天間基地の無条件返還を掲げた糸数慶子さんが基地建設推進の候補者に大差をつけて圧勝しました。その直後に、宜野湾市の伊波市長が訪米し普天間基地の早期返還と辺野古移設反対を訴えアメリカ政府をゆり動かしました。又、世界中から1500人が参加して開かれた「第10回国際サンゴ礁シンポジューム」でも、サンゴ礁を破壊に追い込む新基地建設問題が大きくクローズアップされました。
 いま、おじーおばーを先頭にした私たちの行動は、全県民、全国民、いや全世界の人々に大きな共感の輪として広がり続けています。
 先日のマスコミによる世論調査でも普天間基地の県内移設反対が6割を超え、辺野古移設賛成はわずか7%に過ぎない結果が判明しました。1997年の名護市民投票で示した「名護移設反対」の民意は沖縄県民の確固たる民意として輝き続けているのです。もはやいかなる理由を持ってしても県民の意志を無視したり抑えつけたりすることは許されません。
 一方、アメリカ政府からも「見直し」を求められていながら、日本政府と稲嶺知事、岸本市長がいまもなおしがみついている「SACO合意」は今や完全に形骸化していることは誰の目から見ても明白です。
 来年は戦後60年を迎えますが、沖縄にはいまも全国の米軍専用施設の75%が集中しています。私たち県民は、もうこれ以上軍事基地の犠牲を受けるわけにはいきません。イラクの人々、世界の人々を殺戮する軍事基地をつくらすわけにはいきません。私たちは命をかけて豊かな辺野古の海を守ります。命をかけて戦争の為の軍事基地建設を阻止します。これが私たちの願いです。私たち県民の使命です。
 本日の座り込み100日目にあたって、私たちは県民の頭越しに基地建設を強行しようとする日米両政府と稲嶺知事、岸本市長に強く抗議するとともに建設を断念させるまで断固として座り込みを行っていくことを改めて表明します。
そして全県民、全国民に対して新基地建設反対に立ち上がるよう心から訴えます。

                             2004年7月27日 
                ヘリ基地反対協議会、基地の県内移設反対県民会議

6−7月 世界の反戦運動の写真
▲6/27トルコ・イスタンブールでのデモ。 ▲6/29韓国・ソウルで行われた、イラクからの韓国軍撤退と労働法の改善を求めるデモの様子。
▲6/29スペイン・マドリードで行われたイラク占領反対のデモ行進。 ▲6/29トルコ・イスタンブールで行われたNATO首脳会議の会場付近で衝突するデモ隊と警官。
▲6/30ポーランド・ワルシャワの大統領府前で抗議行動を行う市民。 ▲7/1インド・カルカッタで行われたイラク占領反対集会には5,000人以上が参加しました。
▲7/9インド・ボーパルでのデモには2000人以上が参加。アメリカ政府のイラク政策に抗議。 ▲7/9フィリピン・マニラで行われた、イラクで拘束されたフィリピン人トラック運転手アンヘロ・デラクルスさんの解放とフィリピン軍の撤退を求めるデモ行進。
▲7/9韓国・ソウルで行われた、3,000人の韓国軍の追加派兵に反対する集会の様子。
▲7/13フィリピン・マニラ市内の教会前で、イラクで拘束されたフィリピン人労働者の解放を求めて人文字のピースサインをつくる人たち。 ▲7/13フィリピン・マニラで、警察の放水銃の直撃を受けながらも懸命に耐えるイラク駐留部隊撤退を求めるデモ隊。
▲7/13フィリピン・マニラで、警官隊の弾圧に抗してイラク駐留部隊の撤退を求めるデモ隊。 ▲7/14フィリピン・マニラ市内で、連日のデモにたちあがる人々。
 
▲7/15のフィリピン・マニラ市内でのデモ行進。  
▲7/14イギリス・ロンドンでの抗議行動。イラク戦争開戦を正当化する根拠情報がデタラメだったことが明らかとなり、ブレア政権を追いつめています。
▲7/15韓国・プサン港に集結した米軍の車両。これからイラクに送られようとしているところ。 ▲7/18韓国・プサンの軍港のゲート前で、米軍の物資輸送阻止を試みる市民。




7月28日(水) 「街」日誌

佐川急便のお兄さん
「ジェネジャン見ましたよ!」
神保さんからいただいたお漬物。
スイカの漬物がありました!
でっかいクシだ〜!
市村さんと話すおいちゃん カメルーンのマリーさん 「街」アピール開始!
署名お願いしまーす! 今日の夕ご飯は五島列島のアジ
なすの煮びたし カンパをいただきました! ご飯の後、琉球朝日放送のニュースを見ました

住民ら阻止へ座り込み百日 普天間飛行場移設先の名護
炎天下の中、ボーリング調査を阻止しようと座り込む人たち=27日午前10時、沖縄県名護市辺野古で
炎天下の中、ボーリング調査を阻止しようと座り込む人たち=27日午前10時、沖縄県名護市辺野古で

米軍普天間飛行場の移設が予定される沖縄県名護市で、沖合での海底ボーリング調査を阻止する住民らの座り込みが27日で100日目を迎えた。金武(きん)町では、米軍の都市型訓練施設の建設計画に反対する活動も続く。米軍の配置を世界的に見直す再編が注目されているなか、沖縄では「新たな基地負担」に抵抗の声が上がっている。

 沖縄本島北部、東海岸に位置する名護市辺野古で、政府の進める基地建設が、地元住民らの抵抗でストップするという異常な事態が続いている。

 普天間飛行場の代替施設となる埋め立て飛行場を建設するには、海底の地盤を事前に調べる必要がある。作業をする那覇防衛施設局の職員を足止めさせるため、住民らが4月中旬から辺野古漁港内の通路脇で座り込みを始めた。賛同者は全国から集まり、参加者は延べ8千人。地元集落の80歳以上の高齢者もいる。

 27日も朝から50人ほどが、炎天下に座り込んだ。夜には「座り込み100日集会」があり、地元高齢者を代表して金城祐治さん(69)が「今やらなきゃいつやるのかという思いだ」とあいさつした。

 「オジイやオバアには『休め』と言ってるんですが、『その間に作業が始まったらどうするか』と聞かないんです」。連日の座り込みで真っ黒に日焼けしている「平和市民連絡会」の平良夏芽さん(42)は言う。

 職員は車に分乗して数人でやってくる。当初は毎日だったが最近は数日おき。戦争を知る地元のオジイは、職員の一人を指さして「こういう若い人たちを戦場にいかせてはいけないよ」と職員らに語り始める。最近は米国や韓国からの参加者もいる。

 平良さんは、米軍再編によって沖縄の基地が減るとは期待していない。7年以内の普天間返還をうたった日米特別行動委員会の最終報告から7年半たつが、政府や稲嶺恵一知事は「辺野古沖移設」の方針を堅持している。「問題は米軍ではなくて日本政府の姿勢だ」と平良さんは言う。

 名護市の南に位置する金武町。米軍キャンプ・ハンセンのゲート前に毎朝、のぼり旗を持った数十人が集まる。市街戦を想定した特殊部隊用都市型訓練施設の建設に反対する地元・伊芸区の人々だ。抗議は60日になり、町職員も交代で参加している。

 来春完成予定の施設は、隣接する住宅地域まで約300メートル、高速道路まで250メートルしか離れていない。伊芸区では過去、庭で遊んでいた女児らに銃弾が命中した。88年には高速道のサービスエリアに銃弾が着弾した。

 「地域住民だけの問題ではない。高速道路に流れ弾が当たったら観光産業がどうなるか」。運動の先頭に立つ伊芸区長の池原政文さん(47)は警鐘を鳴らす。「今までは泣き寝入りをしていたが、今度は粘り強く抗議します」


読売新聞
中国観衆、異様な反日ムード…サッカー・アジア杯

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 【重慶(中国)=伊藤彰浩】重慶など中国各地で開催中のサッカー・アジアカップで、日本代表に対しブーイングを浴びせるなど、中国人観衆の反日的行為が問題になっている。

 過去の歴史を巡る根深い反日感情がスポーツを通じて、露骨に表面化した形だ。「こうした状態が続けば、2008年北京五輪でも『反日』が噴出するのでは」との懸念も出ている。

 28日の日本―イラン戦。中国人観客は、試合開始後、日本がボールを取ると激しいブーイングを浴びせた。アウエー試合を思わせる異様な雰囲気だ。

 中国で開催されるスポーツの国際大会では、日本の選手、チームはこれまでも、中国人観衆に冷たく扱われてきた。

 24日の日本―タイ戦の後、日本人のチームバスが中国人に取り囲まれ、一部の選手とスタッフがスタジアムに取り残された。また、現地の日本人によると、この試合では、日本のサポーターに対し、ペットボトルが投げつけられたという。

 こうした事態を受け、日本サッカー協会は、中国側に警備の強化を要求した。開催国としては、失態と言える。

 地元組織委員会は、「過激な言動を慎みマナーを守ろう」と呼びかけたほか、警備を強化した。これ以上の混乱や、サポーター同士の衝突など不測の事故が起きれば、北京五輪を前に、スポーツ国際大会の開催能力に疑問符を突きつけられることになるからだ。

 ただ、警備強化という「力」による封じ込めは、問題の根本的解決にはつながらない。

 これまでも、何かきっかけさえあれば、過激な反日論が沸騰してきたインターネット上の掲示板は、今回も盛り上がっている。重慶での中国人観客の動きについて、第2次世界大戦で旧日本軍が行った重慶爆撃に触れながら、「日本選手はブーイングの意味をよく理解すべきだ」などとする声も出ている。


東京新聞

『人格』より『人材』づくり ヒトゲノムで選別も?

教基法の改正 『機会均等』に暗雲

 「国民の質を高める」。教育基本法(教基法)「改正」を視野に政府が開いているタウンミーティングで、こんな発言が政府側出席者から繰り返されている。子どもの早期選別に「ヒトゲノム」の活用も語られ始めた。同法「改正」問題では「愛国心教育」ばかりが注目されがちだが、もう一つの柱は国家や企業のための「エリートの養成」だ。戦後の平等教育の理念は崩れるのか−。

 「そういうのは差別っていうんじゃないですか」。会場から思わずヤジが飛んだ。ことし五月十五日、松山市での国民対話集会「教育改革タウンミーティングイン愛媛」(内閣府主催)の会場。「教育改革」をテーマにした対話集会は、昨年十二月の岐阜市を皮切りに三回目だった。

 パネリストは河村建夫文部科学相のほか、教基法改正の答申を昨年三月に提出した中央教育審議会(中教審)の鳥居泰彦会長、経済同友会の北城恪太郎代表幹事、そして宇宙飛行士で日本科学未来館の毛利衛館長の四人だった。

 ヤジは閉会直前に毛利氏が語った発言に対してだった。内閣府のホームページによると内容はこうだ。

 「昨年、ヒトゲノム、(すなわち)私たちの体をつくっている遺伝子情報がすべて読みとられた。それは一人ひとり違う。その差は残念ながら持って生まれた遺伝子の組み合わせの差だ。(中略)そこをどう埋めていくのかが習熟度別学習であり、もっと伸びる子を伸ばす、それから今のままではついていけない子をどう救うか、が重要だ」

■「遺伝情報検査就学時に実施」

 この発言の重さは単に毛利氏個人の考えでないところにある。二〇〇〇年に教基法「改正」の答申をした首相の私的諮問機関、教育改革国民会議の江崎玲於奈座長は同年、ジャーナリスト斎藤貴男氏のインタビューにこう答えた。

 「遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。(中略)いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子どもの遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」(『機会不平等』文春文庫)

 一九九〇年代後半の文部省(当時)教育課程審議会元会長で、作家の三浦朱門氏もこう話している。

 「(戦後教育で)落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた努力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張ってきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえればいいんです」(同)

 松山の対話集会でも同じ方向性の言葉が、パネリストの鳥居氏から漏れた。

 「米国がレーガン政権下の八三年に出した報告書は『優れた国民をつくるには、大変なコストがかかる。しかし、長期的にみるともっとコストがかかることがある。凡庸な国民を大量につくってしまった時の後始末である』という印象的な言葉で締めくくっている。この言葉を日本も大切にしなければならない」

 ヒトゲノム研究が「優生思想」の助長につながりかねないという論議は、これまでも絶えなかった。

 教育評論家で法政大学教授の尾木直樹氏は「教育に関連して、ヒトゲノムうんぬんという話が語られるのは科学主義の落とし穴だろう。人類の平和主義という理念が抜けてしまえば、何のための科学なのか。そういうことが相次いで、平気で語られてしまうのは、弱肉強食が進む社会の表れではないか」と危ぐする。

■連立与党内では「愛国心」が争点

 先の参院選期間中、自民党の森喜朗前首相は「選挙に勝てば、小泉首相は間違いなく教育基本法を改正する」と述べ、同法「改正」に強い意欲を見せた。

 連立与党内では、公明党が「右傾化のブレーキ役として決意したい」(神崎武法代表)と憲法や教基法問題で歯止めをかける意向を示してはいるものの、争点は「愛国心」をめぐる表現で、競争や市場原理を重視するという考えは対立軸として浮上していない。

 教育基本法は四七年三月に制定された。教育勅語が「一旦緩急アレハ義勇公に奉シ」として、日本を軍国化したという反省に基づき「個人の尊厳」と人格の完成を目的にする。これに対して、昨年三月に提出された中教審の最終答申は「人材教育立国」が「国家戦略」だと位置づける。

 背景には財界の要望もある。ことし四月に出された日本経済団体連合会の「二十一世紀を生き抜く次世代育成のための提言」には、「(日本経済が)グローバルに展開される競争を勝ち抜いて」いくには「トップ層の強化」が必要で、「教育機会の均等は生徒・学生の個性や能力を無視した教育内容の均質化を招いた」との見方を示している。

 こうした財界の要望を重んじた教基法「改正」への流れについて、前出の斎藤氏は「中曽根康弘元首相が八四年に設けた臨時教育審議会が導入部だった」と指摘し、こう批判する。

 「勉強ができない生徒は無理にしなくても、早くから職業能力を伸ばせばいいとだけ聞けば、聞こえはよい。だが、それは教育の機会を奪うことにもなる。いまの教育改革が進めるのは例えば食堂にあった五百円の定食四種類のメニューを二種類に減らしたうえ、一万円や五千円のメニューを作って『選択の幅を広げた』と宣伝するようなもの。でも、実際に食べられる人は限られる」

■広がる所得格差 教育機会に影響

 東大生の親の平均年収はすでに九〇年度に一千万円を突破した。この数字の発表当時、幼少のころからの塾通い、お受験など教育投資にかけられる金額の度合いが、教育機会の格差につながる、と騒がれた。

 ただ、その流れは強まっているといえそうだ。厚生労働省が発表した二〇〇二年の「所得再分配調査報告書」は日本の世帯の所得格差は過去最高になったと報告。一握りの「勝ち組」と多数の「負け組」という社会的な分離が一段と進んでいることを示唆した。

 斎藤氏は「いまや市場原理に任せた新自由主義の教育改革で、教育機会や所得の格差が広がっている。競争の中で、自分よりも弱い者、劣る者を探す意識が生まれてくる。(その裏返しとして、政府が)公共心や愛国心を強調し、エリートに尽くす従順な国民をつくるという考えがある」とデータを読み解く。

 「教育基本法は個人の尊厳に基づいた人格の完成を目指すという揺るぎない理念を示した」(尾木氏)が、いま、その「人格」は「人材」に取って代わられようとしている。その行き先には何が待っているのか。斎藤氏はこう懸念した。

 「法律で国に役立つ人づくりが強調されれば、一転して日本の国益のため個人が死ぬことが肯定されかねない。戦後守られてきた教育の機会均等が奪われる影響は想像以上に大きい」




7月27日(火) 「街」日誌

今日の昼ごはんは夏野菜カレー ポテトサラダ おいちゃん来店

下田禮子さんがお米とトイレットペーパーを送ってくれました!
感謝感謝!

「街」アピール!

辺野古座り込み100日目!防衛庁に行きました!
6:30防衛庁到着。 申し入れ

ヨッシーとじゅごんの家は防衛庁で歌う
「基地はいらなーい」

大田さんも歌う

では、泡盛でかんぱーい!

自己紹介タイム

最後はカチャーシー!!

陽子ちゃんとアリちゃんがきました!!

7月27日(火)  座り込み100日目。辺野古・阻止行動日誌
座り込み100日目!!!  生きることの全てを賭けて。

・防衛施設局は来ませんでした。

今日で座り込みはついに100日目を迎えました。
今までの大変な苦労、消耗を考えると「なぜ100日も・・」と思います。また、多くの人々との歴史的な出会いの中で一人一人が可能性を見出し、成長し、基地建設を100日間も止め続けている誇りはとても強いものがあります。
いつものように午前7時より、座り込みは50名以上で行われました。そこに朝から座っている人ほど100日間座り続けてきた仲間たちだと感じています。
「基地建設を止める」という1つの目的を貫き通すこと、決して一人では出来なかったことです。ただ、平穏な生活を取り戻したい。私達はそれだけです。
静かな、海、星空、太陽の中で魚を獲り、畑を耕し生活する。
「何者にも脅かされず、脅かさず。その土地にあった野菜を作り、労働をする。そういう中で平和を創造する、平和のために行動する人を育てていく。そういう生活こそが平和ではないか。」
1フィート運動の代表である仲村文子さんがそんなことを話しておられました。

防衛施設局がいつくるか分からない。機動隊がいつくるかわからない。そういう緊張感の中で今日もそして明日も座り続ける。

午後7時、座り込み現場で「100日集会」が行われ、500人もの人達が集まりました。多くの人達が集いました。島の人達の強い思いはやはり状況を変え始めてると感じています。
集会では、糸数慶子さんや東門美津子さん、嘉陽宗義さんなどの議員の紹介と発言がありました。歌では、前半に瀬嵩の金城繁師匠が三線で盛り上げ、海瀬頭豊さんが「キセンバル」を歌いました。
沖縄の抵抗の音楽が波の音共に聞こえてきます。生活の歌である三線。抵抗の歌「キセンバル」。
女性の代表では村山友子さんが発言しました。「私達は毎日座り込みの炊き出しをして"団結弁当"を作って支援してきましたーー!」と元気に。本当に苦労をかけてきました。ありがたく、ありがたく団結弁当をいただいています。
「生活から出発している基地建設を止める闘い」なんだと毎日認識させてくれるお弁当でした。
一番印象に残ったのは「命を守る会」の代表・金城祐冶さんの話でした。
「若者たちに言いたい!!今やらなくていつやるんだ!と。今やらなくて皆さん!!いつやるんですか!!!今こそ立ち上がる時です。」と祐治さん。
心に奥の方に強く強く響きました。「今やらなくて、いつやるのか!!!」その通りだーー!!!そして、もう祐治さんにそんなことを言わせたくはない。もう私達が引き受ける時が来ている。

100日目を迎えて自分が辺野古へ関わった原点を改めて思います。
命を守る会で共に生きようと思ったおばぁの言葉があります。
「あんたぁー"森"って何か知っているか!?」と聞かれました。
「森??木があって、緑で、ヤンバルクイナが住んでいますよね。」と私。
「うんー。それもそうなんだけどね。わったーにとって森と言うのは、木というのは人間の手本みたいなものだと思っている。でもねぇ、見てごらん、裏の山を。"国立高専"を作るだとか言って山がアカンチャ(木がなくなって赤土がむきだしになっている)になっている。あれは基地建設の見返りよぉ。なんて人間は愚かしいのかや。」とおばぁ。
「そうですね。」と私。
「だけれどね、森っていうのは諦めないんだ。種1つになっても木一本になっても絶対に諦めない。常に蘇る可能性を持って、そうやって闘っている生き物なんだ。わったーたーもおんなじさぁ。この辺野古にガジュマルの木のように根をはっている。ここに種1つでも木一本でも残せたらこの基地建設問題はわったー達の勝ちさ!!!」おばぁはそう誇り高々に語ってくれていました。
何も出来ない人間ですが、共に生きることは出来ると思いました。
「基地建設が始まって、もし、埋め立てが始まったら、わったーは海に座るさ!!そういう覚悟で今日もここに座っている。」と92歳のヨシおばぁに言われました。
そういう言葉を聞く度に葛藤してきました。

沖縄戦を押し付けられ、米軍の占領と基地を押し付けられ、そしてまた基地建設を押し付けられた。私は東京の出身です。沖縄にそれを押し付けた人間です。
ここで闘う、意味とは自分らしさがここにあるというだけではなく、琉球の人と大和の人が本当の意味で連帯するためなのだと感じます。そして今までの歴史において犯してきた私達の罪に対する謝罪の意味があります。
絶対に基地は造らせない、沖縄に対する日本政府による差別的な構造を変えなければならない。基地は自衛隊基地も米軍基地も全て撤去させなければいけません。それが私なりの責任の取り方であり、それが出来れば世界中の状況を変えることさえも出来ます。

いつか、日本とアメリカの手によって、現在二分されてしまっている辺野古の浜のフェンスを引っこ抜き、フェンスのなくなった浜辺でイラクの人とも、パレスチナの人とも、イスラエルの人とも、アフガニスタンの人とも、朝鮮半島、中国、フィリピンの人達とも、部落民、在日の人々、アイヌ、琉球、大和、障害のある人もない人も、世界中の人達とともに差別なく、月明かりの下、一緒に三線を弾きながら泡盛を飲めたらどんなにすばらしいことだろうと思います。
途方もない夢なのかも知れません。しかし、私達の次を生きる人達のために、その夢のために犠牲になったとしても私は構いません。それがおばぁ達から教えられた生き方です。

これからも生命を賭けてこの海を守ります。生きることの全てを賭けて。


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