広島原爆の被爆者のうち約1万人が運ばれたあと、多数が死亡し、〈犠牲者の眠る島〉といわれる広島湾の似島(にのしま)で、14年ぶり3回目の遺骨発掘が先月から今月にかけて行われており、21日までに62体の遺骨が見つかった。遺骨は8月6日の広島原爆忌までに、平和記念公園の原爆供養塔に納められる。
似島は広島市の沖合約4キロに浮かぶ。面積約4平方キロ・メートル、緑の小山がすそを引く小さな島だ。発掘場所は、犠牲者が埋葬されたという馬匹(ばひつ)検疫所跡地。過去2回も同跡地で行われた。
民有地との境界が昨年画定したのを受け、島民から市に発掘の要望があり、未発掘の国有地660平方メートルで実施されている。
発掘は6月14日から始まり、遺骨のほか、学生服のボタン、腕時計、ベルトのバックル、印鑑、朱肉など34点も出てきた。市は遺品を公開し、遺族探しを進める。
戦後間もなく島内各地から収集された遺骨2000体分は1955年、この年建てられた原爆供養塔に移された。その後、同跡地での土木工事に伴い、71年には617体の遺骨が、90年にはスコップ300杯分の骨灰と骨片が掘り起こされた。
45年8月6日の原爆投下直後から、被爆者は島に運ばれてきた。「男も女も区別できないほど、焼けただれていた。運び込まれると、すぐに死んでいった。死者はモノのように処理された」。似島在住の宮崎多助さん(86)が、当時看護婦として被爆者に接した妻(故人)から聞いた惨状だ。
死体は馬匹検疫所の構内や周辺で積み重ねられて火葬され埋葬されたが、火葬が追いつかず、防空ごうに埋葬されたこともあったという。
似島は、日清戦争時に、陸軍の似島検疫所と馬匹検疫所が設置され、戦地から戻った兵士たちが伝染病の診察を受けたりした。原爆で廃虚化した広島市街に対して、爆心地から約8キロ離れた似島では、建物はほぼ無事だった。このため似島検疫所は8月25日まで臨時野戦病院に転用され、被爆者が船で収容されたのだった。
原爆による死者は、45年末までに、14万人に達したといわれる。似島にもまだ犠牲者が眠っていると見られるが、埋葬場所がはっきりしないことなどもあり、市は今後の発掘予定はないとしている。
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原爆忌の8月6日、平和記念公園で平和記念式典が開かれる。昨年並みの約4万人が参加し、原爆が投下された午前8時15分には、遺族代表ら2人が平和の鐘を鳴らす。