オープンスペース街・日誌

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名護新基地建設絶対反対!   ボーリング調査絶対阻止!
 
座り込み支援カンパ!!
         
よろしくおねがいします!


6月24日(木) 「街」日誌

今日の昼ご飯は春巻きと皿うどん ボランティアの斉藤さん 棚を磨くタカちゃん
         事務に悩む中馬さん→
かわいい収納ケースがきました!
ベイブレードのテレビゲームで遊んでみる。
夕ご飯は鯖の塩焼きとジャコじゃがサラダ いただきまーす!




辺野古・阻止行動日誌
6月24日(木)
・防衛施設局は来ませんでした。

慰霊の日から一日目、防衛施設局は警戒をしているのか来ませんでした。警察の巡回などはありました。
朝から50名を超える人々が座り込みに集い、トータルでは150人ほどの人が座り込みに来ていました。
午後2時には参院選に「基地建設絶対反対」を掲げて立候補した糸数慶子さんも訪れ、「参院選を勝ち抜いて辺野古の基地建設を止めよう」と訴えました。
今回の参院選はとてもとても重要な位置にあります。自公公認の候補、尾長氏は「憲法9条の改憲」「基地建設の着工」を掲げていて互いの候補の意見は真っ二つに割れています。
ヘリ基地反対協の安次富代表は慰霊の日に「辺野古座り込み、そして選挙に行かないのなら、それは革命的な犯罪者」だと強く訴えています。
防衛施設局が来るたびに血圧が10も20も上がるおばぁ達を殺すのか、私達は絶対に引けないのです。生き抜くために。

伊江島の人々や本部P3C基地反対の人々、沖縄の問題を訴えて行動し、27年間も無実の罪で拘束を国から受け続けている星野文昭さんの連れ合いの暁子さんも辺野古に訪れていました。
沖縄のために、世界の未来のために生きる、そういう人達と共に座り込みは続けられています。

事務所はおばぁ達がたくさん来ていてにぎわっていました。
「いつまでこんなことが続くのかねぇ・・」ぽつりと言葉が出ます。
「勝つまで続くのさ!!」ユキおばぁが誇り高々に答えていました。小さな言葉だけれどとても大切にしたい言葉です。
小禄さんは85歳の高齢で杖をついて歩いていますが、事務所から座り込みの場所までの300メートルほどをよっこらよっこら歩いていきます。本人いわく「私の運動!勝つまではがんばって体を元気にせんと。」ということだそうです。
伊江島の阿波根のおじぃが「私が病むことは戦争屋を喜ばす。ですから、体も精神も健康に保たんと。」と言っていました。小禄さんもそれを体言しています。
でも歩く姿がまるで水戸黄門のようです。
そんな人達のために全てを覚悟します。基地は絶対に作らせない!
どうぞ皆様の力をお貸し下さい。

かんきちさんは・・・
那覇の県庁前で「基地建設阻止座り込み・・・日目。座り込み参加者募集」の看板を持って立っているかんきちさんから電話がありました。

「今日はねぇ、たのしかったよぉ。この間怒鳴り込んできたおっちゃんが来てさ、"この間は大声出したりして悪かった。俺も基地建設に反対だ。一緒にがんばろう"と言ってくれた。それに名古屋から来たっていう高校生の兄ちゃん、どうみてもヤンキーなんだけど。"辺野古ってどこよ"って聞かれたから色々説明したんだ。そしたら"ふーん。直接小泉に言えばいいじゃんよ"って言われたよ。"そりゃぁそうなんだけどさ。中々難しいから手伝ってくんない"って言ったら笑ってたよ。」

とのこと。
「毎日の中で日々たくさんの人々と濃密に時間をつくること。そういう中で人は成長していく。」という言葉を聞いたことがある。かんきちさんはそういう中で輝き、強くなっている。
「泣いて帰ってくる」ことがあってもそこに信頼できる仲間がいること、それがかんきちさんへの支えにもなると思います。私は辺野古で精一杯の行動をし、そういう仲間としてかんきちさんと向き合っていきたい。切磋琢磨して自分を磨いていきたいと思います。
ありがとうかんきちさん。

・下の写真は夏芽さんが今日の夜に夜釣りで釣り上げた50p以上もあるタマン!!

読売新聞
深夜勤務の免除制度利用で賃金減、旧日航の2人が提訴

 子育てのため、社内制度に基づき深夜勤務の免除を会社に申請したところ、賃金を大幅に減額されたとして、日本航空インターナショナル(旧日本航空)の客室乗務員2人が23日、減額分計約560万円の支払いを同社に求める訴訟を東京地裁に起こした。

 訴えたのは村中佳美さん(43)と中井万里子さん(48)。いずれも20年以上、客室乗務員として勤務している。

 訴えによると、同社は育児・介護休業法の施行に基づき、1999年4月以降、就業時間が深夜にならない日帰り便の乗務を選択できる「深夜業免除制度」を設け、2人も制度の利用を申請、適用された。

 ところが、乗務は月1、2回しか与えられず、村中さんは月額約88万円が約16万円、中井さんは同約71万円が約4万円まで激減。このため、中井さんは今年5月から通常勤務に戻った。

 同社広報部の話「訴状を見ておらずコメントは控えたいが、深夜業免除のため最大限の努力をしている」

琉球新報

平和の礎 韓国人教授、委託終了に不満

 「平和の礎(いしじ)」に刻銘する朝鮮半島出身戦没者調査をしてきた韓国・明知大学の洪鍾必(ホン・ジョン・ピル)教授は24日、記者会見し、今年3月に県からの委託が終了したことに不満を表明。「まだ多くの調査中の人がいるにもかかわらず、非常に残念なことだ。遺族に対して、説明する言葉がない」と話した。

 洪教授は1996年から今年3月まで、県の委託を受けて、韓国出身の刻銘者数341人のうち、286人の刻銘に協力した。

 委託終了について県は、「2001年に洪教授との間で、今年3月までの期間で委託契約を結んだことに基づいた対応」と説明した。

 今後、同戦没者の調査については、昨年6月に一部改正した「刻銘の基本方針」を踏まえ、厚労省が所有する戦没者名簿を再点検。さらに、韓国の遺族会などからの情報提供を得て、新たな名簿を作成し、調査を継続するとした。

 同日、対応した比嘉茂政副知事が洪教授に感謝状と記念品を贈呈した。洪教授は面談を終えて、「なぜ感謝状をもらわないといけないのか。むなしい、本当に悲しかった」と話した。




6月23日(水) 「街」日誌

レンジをきれいにするタカちゃん 今日のお昼はウィズのパン お客さんが日傘をみせてくれました。
玉ねぎの皮で染めたそうです!
前のマンションの階段掃除を終えたタカちゃん リンタローのお友達のパイタン 夕ご飯の大根サラダ

ジュゴンの家日誌より             6月23日(水)

座り込み66日目・慰霊の日
今日は沖縄戦で亡くなった人を追悼する「慰霊の日」。テントには人がいっぱいだった 愛知から、「命どぅ宝・愛知」の方達が来ました。うららちゃんは伊江島出身の小山さんと初対面!!



辺野古・阻止行動日誌
6月23日(水)
・防衛施設局は来ませんでした。

今日は慰霊の日です。沖縄戦で殺された多くの琉球の人々に思いをはせ、その人々の思いと共に生きるために座り込みは今日も続けられています。
午前中からキャンプシュワブ内の防衛施設局施設の窓が開いたり、警察の巡回が行われ、海上保安庁が見回りに来るという騒がしい一日でもありました。慰霊の日にもかかわらず、彼らには常識というものがないのか。
しかし、そんな緊迫感は慰霊の日のために集った沖縄中、日本中から人達が跳ね返していました。
慰霊の日なので人は余り来ないだろうと思っていたら合計で130人ほど来ていました。

毎回、防衛施設局、小泉首相によって沖縄の慰霊の日は汚され、煮え湯を飲まされてきました。
去年、慰霊祭に小泉首相が来るということで抗議をしにいきました。目の前を小泉首相が公用車で通ったときにタイミング悪く止めに入ることが出来ず、とてもとても悔しい思いをしました。
慰霊祭の中では北中城村村議の宮城成光さんが「有事3法案成立絶対反対」の団扇を掲げ、「小泉かえれーー!!!」と叫びました。
その行動に慰霊祭に参加していた遺族達は共感し、その場では盛大な拍手が巻き起こったそうです。
今回はどうなったのか。遺族達に対しても身体検査があったのではないかと思います。
本当に腹立たしいですが、座り込みからこの状況を変えていきたいと考えています。

戦時下の中でそれを指揮する小泉首相が沖縄の慰霊祭に参加するということは、彼は靖国神社と同じように献花したのだと思います。そう考えると怒りが噴出しそうになる。
「もう一度、国益のために沖縄は犠牲になれ。」というのでしょうか、そんなことは絶対に許されません。
私達は闘う中でしかこの状況を変える事は出来ないのだと感じます。

韓国の人々はイラクで拘束された韓国人が殺されたことで戦争に突き進むのではなく、それを止めるために立ち上がっています。本当の意味での慰霊とはそこに真実があるのではないでしょうか。

                                アキちゃん日誌
6月23日(水)

今日は慰霊の日で、各地で様々な集会や慰霊祭が催された。
沖縄の人たちにとって、とても大切な日だと聞いていたし、
私もそれに参加してみたいという気持ちもあった。
でも、誰かが言った“辺野古に座っていることが、一番の慰霊になる”
という言葉がすごく心に響く。
本当にその通りだと思う。
今日もかんきちくんは、魂魄の塔で看板を持ち、ビラをまいた。
それぞれの場所でがんばろう!というかんきちくんの言葉も胸を打つ。
繋がっているんだと思う。

今日という日が沖縄の方々にとってどのような意味があるのか、、
あいまいにしか捉えていなかった私は、改めて、それを聞きたいと思った。
その中で、悦美さんと浦島さんの話はとても考えさせられるものだった。
沖縄戦を経験した人にとって、またその後を経験した人にとって、
今日という日だけでは表せないそれぞれの特別な日があること、
慰霊の日を通して戦争を過去のことにしてしまうのではなく、
今起きている戦争を考えるうねりを生み出すことの大切さ。

それは沖縄の基地、辺野古の問題に直結している。
まさしく、今は戦後ではない。戦中なのだ。
今日という慰霊の日を通してもまた、考えさせられることが多い。
また色んな方々の「慰霊の日」を聞き、考えていきたいと思う。

沖縄タイムス

「真の平和」を希求/慰霊の日、非戦誓い戦没者追悼

 「慰霊の日」の二十三日、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた。五十九年前の過酷な戦火を生き抜いた人たちや遺族ら約七千人が参列。正午の時報とともに犠牲となった二十万人余のみ霊に黙とうをささげ、冥福を祈った。有事法の成立や自衛隊の多国籍軍参加決定などの動きの中、小泉純一郎首相も二年ぶりに参列、「二度と悲惨な戦争を起こしてはならない責務を負う」とあいさつ。稲嶺恵一知事は「沖縄が恒久平和の発信拠点となるよう県民の総力を傾注する決意」と平和宣言、平和を求める「沖縄の心」を世界へ発信した。

 戦時中に亡くなったハンセン病患者百十一人の名が今年、「平和の礎」に刻銘された沖縄愛楽園と宮古南静園は「ハンセン病患者の『生きた証』の扉が一枚開かれ、無念が晴らされた想い」との声明を発表した。

 正午の時報が響くと会場は一斉に静まり返り、厳かな雰囲気に。激戦で亡くなった人々への鎮魂の祈りに包まれた。

 小泉首相はあいさつで「沖縄は今も米軍施設・区域の集中が県民生活に大きな負担となっている。県民の負担軽減に向け、誠心誠意、努力する」と述べた。

 稲嶺知事は基地問題に言及、「整理・縮小や日米地位協定の見直しは国民一人ひとりが自らの問題として取り組むべきだ」と呼びかけた。

 伊良皆高吉県議会議長が「紛争やテロの起こっている地域に一日も早い平和を願う」と式辞。県遺族連合会の座喜味和則会長は「先の大戦が風化する中、世界では紛争が激化している。一日も早く真の平和を」と追悼の言葉を述べた。

 首里高三年の金城実倫さん(18)は、自作の平和の詩「戦争をしないと決めたこの国で」を朗読。「今、また世界のどこかで戦争が起きている。人は何を求め、何を奪うために戦争をするのか。目をそらさず見つめていこう、命の尊さ、世界の素晴らしさを、平和の真の意義を」と心をこめ、力強く読み上げた。

冥福祈る・全戦没者の冥福を祈り、焼香する参列者=23日午後零時40分、糸満市摩文仁・平和祈念公園 (写真説明)冥福祈る・全戦没者の冥福を祈り、焼香する参列者=23日午後零時40分、糸満市摩文仁・平和祈念公園

鎮魂の祈り、島包む/慰霊の日

 五十九年目の慰霊の日を迎えた二十三日、沖縄戦最後の激戦地糸満市に、今年も非戦を誓う人々の波が押し寄せた。平和の礎に刻銘された仲間の名前を確かめ指でなぞるハンセン病元患者、家族を失った悲しみにくれる遺族、戦争の記憶を子や孫に語り継ぐお年寄り…。そんな中、世界各地の地域紛争は後を絶たず、イラクでは流血や惨事が終わらない。「戦争が憎らしい」「イラクのニュースを見るたび何とも言えない気持ちになる」。せみ時雨と強い日差しの下、平和を願う人々の祈りが続いた。児童・生徒らは平和行進や元学徒の足跡をたどる平和学習で、沖縄戦継承の決意を胸に南部路を踏みしめた。

 「人間回復の証しだ」。沖縄戦で犠牲になったハンセン病患者の百十一人が今年初めて刻銘された糸満市摩文仁の平和の礎を訪れた名護市の「沖縄愛楽園」「宮古南静園」の両自治会の元患者十数人は声を震わせた。礎に刻まれた名前を一つ一つ確かめ、指でなぞった。

 病の偏見・差別に苦しめられ、戦争中は飢えと病の悪化のため、県内で約四百人が沖縄戦で命を落とした。

 礎と対面した愛楽園自治会副会長の迎里竹志さん(71)は「やっと刻銘ができて、感無量。戦も終わって五十九年に、戦没した先輩たちの無念さを晴らし、入所者一同喜んでいる」とうれしさを語った。

 礎が建立されて九年。両自治会の再三の訴えがかなった。「刻銘実現までは長かった」と迎里さん。

 南静園からは自治会の宮里光雄会長(69)と比嘉賀雄園長が参列。宮里会長は「戦争の極限状態で園でも百十人が戦没した。防空壕づくりなどで手足を失い、家族の名を呼びながら死んでいった患者もいた。やっと県民と同じように刻銘され、魂が故郷に帰り、慰霊ができた」と静かに話した。

 愛楽園を退所し、具志川市に住む回復者の金城幸子さん(63)は「人間が回復された瞬間だ」と涙した。熊本地裁が二〇〇一年の「らい予防法」の国家賠償請求裁判での勝訴以来、刻銘を訴え続けた。「いつも心の中に、戦争で死んだ患者さんたちへの思いがあった。やっと鎮魂ができる」と花を手向けた。

 愛楽園の松岡和夫さん(82)も「胸がいっぱい」と語り、祈りをささげた。

 祖父恵花さんが刻銘された浦添市の伊志嶺恵哲さん(70)は礎に手を合わせ、「これまでずっと寂しかっただろうね。これで成仏できるのではないか」としんみりとした表情で語った。

 長年、宮古南静園に入所した祖父のことは家族でもタブーであり、伊志嶺さんは顔も覚えていないという。「ハンセン病の理解が広がったことが、刻銘実現につながったのだろう」と話した。

     ◇     ◇     ◇     

多国籍軍参加首相に批判

 「多国籍軍への自衛隊派遣はやめてほしい」「今の日本は戦争に向かっている」。二十三日、糸満市摩文仁で行われた沖縄全戦没者追悼式の参列者から、イラクに派遣した自衛隊の多国籍軍参加を決めた小泉純一郎首相と政府に批判の声が相次いだ。

 戦争で父を亡くした海勢頭孝さん(63)=与那城町=は「ブッシュ米大統領の顔色をうかがって多国籍軍参加を決め、後で理屈をつけている。きょうは小泉首相が来ているが、外国でなく国民に参加の根拠をきちんと示してほしいと言いたい。このままでは平和憲法が政府に都合がいいように変えられてしまう」と静かな口調で語った。

 島袋カズさん(65)=具志川市=は「(自衛隊の多国籍軍参加は)反対です」と即答。「私は四歳の時に戦争で亡くなった父の顔も知らない。イラクで自衛隊員が戦闘に巻き込まれれば同じように父を知らない子どもが増えてしまう」

 糸満市の高野アキさん(72)は「水をちょうだい」と言いながらひざの上で死んでいった妹の名が刻まれた碑の前に水を供え、「戦争が憎らしい。最近の日本の政府を見ていると悔しくて眠れない。後戻りできなくなる前に、政治家は考え直してもらいたい」と涙をぬぐった。

 南風原町の高校三年生吉浜創さん(17)は「(首相のあいさつを聞き)この日だけのお題目にしないでほしい。今の日本は戦争に向かっているようで怖い。イラクなどの若い世代がどう暮らしているか考えると、人ごとではいられない」と話した。

戦争の記憶後世へ/戦没者の冥福祈る

魂魄之塔
花を供え平和に思い

 波の音が静かに響く糸満市米須の魂魄之塔には、二十三日午前六時ごろから多くの人が訪れ、戦没者の冥福を祈った。周辺には線香の煙がたなびき、千羽鶴や花が供えられて、平和への祈りがささげられた。

 那覇市の玉城小太郎さん(76)は午前六時半ごろ、夫婦で足を運んだ。近くで爆撃を受けて亡くなった両親や、沖縄戦で犠牲になった五人のきょうだいを悼み、「五十九年という歳月は、長いようで短いような感じだ。六月に入ると沖縄戦のことが思い出される。多くの人が亡くなったのに、世界では今でも戦争が続いていることが悲しい」と話した。

 祖父のみ霊を慰めるため、毎年訪れているという山里建司さん(40)=那覇市=は、小さい子らとともに祈った。「戦争経験のない自分たちができることは、親から受け継いだ戦争の記憶を、子どもたちに伝えていくことだ。子どもを戦争に巻き込まないためにも有事関連法などには反対だ」と、かみしめるように話していた。

     ◇     ◇     ◇     

平和行進
遺族ら誓い新た

 第四十三回平和祈願慰霊大行進(主催・県遺族連合会・壮年部・婦人部、日本遺族会)は二十三日午前、糸満小学校を出発、沖縄全戦没者追悼式会場の摩文仁・県平和祈念公園まで行われた。遺族やその子、孫ら約八百人が戦没者に思いをはせ、約十キロを歩いた。

 一行は「平和大行進」のゼッケンを胸に国道331号を南下。強い日差しの中、遺族らの列が延々と続き、沿道では高齢者らが平和への願いを託すように見守った。

 孫二人と参加した金城キヨさん(73)=那覇市=は「家族を亡くした時の苦しい思いは二度とさせたくない」。崎間ヒロさん(78)=浦添市=は「戦争の時のつらさに比べると苦にならない。八十歳を過ぎても歩けるまで続けたい」と汗をぬぐった。

 出発に先立ち糸満小学校グラウンドで平和祈願大会が開かれ、大会宣言と決議を採択。「世界情勢はわれわれの悲願とはうらはらに紛争が絶えず、イラク戦争など平和がおびやかされている。平和に逆行する行為に反対するため総力を挙げよう」と誓った。

平和の礎
刻まれた名に涙

 糸満市摩文仁の平和の礎には、朝早くから花束をたずさえた多くの遺族が訪れ、刻まれた家族の名前の前に花や果物などを供え冥福を祈った。

 平良和男さん(67)=具志川市=は妻と娘みどりさん(31)、孫の琉飛ちゃん(3)と一緒に手を合わせた。サイパンで母と当時一歳の妹を失った。妹のためにミルクを入れたほ乳瓶を手にしながら、「毎年この時期になると子どもを守りながら死んだ母や栄養失調で死んだ妹を思い出す」。

 初めて来たというみどりさんは「父から聞いた戦争の話を息子にも伝えていきたい」と話した。

 豊見城市の大城トミコさん(83)は三本のたばこに火をつけ、礎の前にたむけた。戦争中は大阪にいて沖縄戦に巻き込まれずにすんだが、両親や兄弟ら家族七人を一度に失った。「帰って来たらだれも残っていなかった。語りかけても何も返事がないのはさびしい」とハンカチで目元を何度も押さえた。

小泉首相あいさつ要旨

 沖縄戦では、苛烈な戦いの中で多くの人命が失われた。肉親を失った遺族をはじめ県民の悲しみと心の痛みは今も消えることはない。私たちは、この歴史を後世に語り伝えるとともに、将来にわたって平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならない。

 戦後、沖縄は焦土の中から立ち上がり、困難を乗り越え力強い発展を遂げてきた。

 しかし、今なお米軍基地の集中が県民生活に大きな負担となっている。政府は、県民の負担軽減に向け誠心誠意努力する。

 また沖縄大学院大学設立構想の推進に努めるほか、産業振興や雇用創出などの課題に全力で取り組み、活力ある自立型経済の構築と豊かな県民生活の実現を図っていく。

 沖縄が一層の輝きを増すよう、今後とも県民と力を合わせて取り組んでいきたい。

稲嶺知事の平和宣言要旨

 沖縄は第二次世界大戦で住民を巻き込んだ地上戦の場となり、二十万人余の命が失われた。愛する者を失った悲しみは、戦後五十九年たった今も癒えるものではない。

 また現在も米軍基地の過重な負担を強いられている。このような体験を通じ、私たち県民は命の尊さ、平和の大切さを知っている。

 沖縄の基地問題はわが国の安全保障のあり方の問題で、国民全体にかかわる課題だ。基地の整理縮小や日米地位協定の見直しは、国民一人一人が自らの問題として取り組む必要がある。

 私たち沖縄県民は、世界の人々が平和を脅かすさまざまな問題から解放されることを願い、平和を希求する「沖縄の心」を世界に発信し、平和創造に貢献できるよう取り組んでいく。

 沖縄が恒久平和の発信拠点となるよう、県民の総力を傾注していく決意をここに宣言する。

平和の誓い世界へ 追悼式に7140人


沖縄全戦没者追悼式で沖縄戦の犠牲者を悼み、焼香する参列者ら=23日午後零時40分ごろ、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 沖縄戦で亡くなった犠牲者のみ霊を慰める「沖縄全戦没者追悼式」(県主催)が23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた。イラクへの自衛隊派遣、有事七法案の成立など、日本が戦争に巻き込まれる懸念が高まる中で迎えた「慰霊の日」。参列者約7140人が哀悼をささげた。2年ぶりに出席した小泉純一郎首相はあいさつの中で、米軍施設・区域が集中する沖縄の現状について「県民の負担軽減に向けて誠心誠意努力していきたい」と述べた。

 今年は平和の礎に、ハンセン病療養所で亡くなった111人が追加刻銘され、同療養所・沖縄愛楽園(名護市)と宮古南静園(平良市)からも関係者が参列した。

 伊良皆高吉県議会議長が「二度と悲惨な歴史が繰り返されないよう、恒久平和の構築に努めることは私たちの責務」と決意を示した後、正午の時報に合わせ、全員が黙とうした。

 県遺族連合会の座喜味和則会長は「世界各地で紛争は絶えず激化している。二度と悲惨な歴史を繰り返さぬよう平和を希求する『沖縄の心』を発信し続ける」と追悼の言葉を述べた。

 小泉首相、茂木敏光沖縄担当相、坂口力厚労相ら招待者35人が献花した後、稲嶺恵一知事が「沖縄が恒久平和の発信拠点となるよう、県民の総力を傾注する」と平和宣言した。続いて、首里高校3年の金城実倫(さねのり)君が戦時中に住民が置かれた状況と平和の尊さを込めた「平和の詩」を読み上げた。

 小泉首相は「私たちは悲惨を極めた戦いの歴史を後世に伝えるとともに、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならない責務を負っている」と誓った。

 早朝、糸満小学校を出発した県遺族連合会などの平和行進団約800人も同式に参列。式終了後、一般参列者が次々と焼香し、犠牲者のめい福を祈った。

◇首相、2年ぶり参列

 小泉純一郎首相は23日午前、那覇空港に到着。国立沖縄戦没者墓苑で献花をした後、2年ぶりに沖縄全戦没者追悼式に参列した。小泉首相の参列は、就任以来3度目。来県は通算5度目。

 首相は追悼式終了後、記者団の質問に答え、米軍普天間飛行場の辺野古沖移設に向けたボーリング調査が反対運動で計画通り進んでいないことについて「地域住民の皆さんとよく話し合っていきたい」と述べた。地位協定見直しには「運用改善で対応していくように努めたい」と述べ、否定的な見解を示した。

◇平和宣言要旨

 沖縄は、第二次世界大戦で、住民を巻き込んだ過酷な地上戦の場となり、20万人余の貴い命が失われ掛け替えのない多くの文化遺産が破壊された。家族など愛する人々を失った悲しみは戦後59年がたった今も癒えない。戦後の米軍統治下から現在に至るもなお、米軍基地の過重な負担を強いられている。

 沖縄の基地問題は国民全体にかかわる重要課題。基地の整理縮小や地位協定の見直しは国民一人ひとりが自らの問題として取り組む必要がある。

 世界では、地域紛争やテロ、貧困などにより多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなど深刻な問題が存在している。

 慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、沖縄が恒久平和の発信拠点となるよう、県民の総力を傾注していく決意をここに宣言する。

2004年6月23日

沖縄県知事 稲嶺恵一

琉球新報

戦没者追悼式 鎮魂 平和 祈り深く


早朝から多くの人が魂魄の塔を訪れ、沖縄戦で犠牲となった戦没者のめい福を祈った=23日午前10時10分すぎ、糸満市米須

 「また会いに来たよ」。慰霊の日の23日午前、沖縄戦の犠牲者が刻銘された平和の礎には、早朝から遺族が訪れ、戦争で引き裂かれた家族と“対面”した。強烈な日差しの下、遺族は家族の名前を見つけると、「暑かったでしょう」と刻銘板に水をささげ、渇きを癒やした。沖縄戦から59年。遺族も老いてきたが、「あの戦だけは忘れられない」と壮絶な記憶を焼き付けたまま戦後を生きた。今年はハンセン病療養所の戦没者111人が刻銘。県に要望し続けた入所者らは「やっと人間として認められた」と喜んだ。

 那覇市松川に住む與那嶺清一さん(76)は毎年、戦死した父親と弟、祖父母を弔うために夫婦で礎を訪れる。父親の繁さんは牛島中将がいた部隊に所属していた。清一さんは学校から軍属として直接召集され、家にも帰れず本や衣類も軍から家に届けられた。北部に配属され、南部の本隊と合流しなかったために生き残れたという。礎の前に座り、花や線香を供えた清一さんは「みんなのおかげで自分たちが元気でいられる。生きている自分たちが弔ってあげないと」と語った。

 那覇市識名の平野キヨさん(82)は戦争中、南洋群島にいた。そこで3歳と3カ月の子ども2人を亡くした。本島にいて戦死した弟2人、祖母やいとこたちも礎にまつられている。現役兵だった弟はどこで亡くなったか分からず、遺骨もない。ごちそうを礎の前に供え、ひざをついて手を合わせた。

 平野さんは「何を話していいか分からない。ただ忘れてないよ、と声を掛ける。ここに来ると涙がでる」とうつむき、ほおをぬぐった。

 浦添市の金城幸松さん(70)は、19歳で亡くなった兄幸太郎さんの名が刻まれた刻銘板をじっと見詰めていた。「兄は防衛隊に取られ、首里で亡くなったと聞いているが、どこかも分からない」。戦後、亡父は兄が亡くなったと思われる首里に行き、遺骨代わりの石を拾って墓に納めたという。

◇肉親の姿思い涙ぬぐう/魂魄の塔

 身元の分からない遺骨を多くまつった糸満市摩文仁の魂魄(こんぱく)の塔には23日、戦争で家族と生き別れになった人らが朝から足を運び、どこで最期を迎えたか分からない身内の顔を思い浮かべるなどしながら、線香と花を手向け、静かに手を合わせた。

 古堅トミさん(83)=那覇市=は弟2人を戦争で亡くした。「下の弟はまだ17歳で防衛隊に取られた。なんでこんな若い人まで戦わなければなかったのか。毎年この塔に来ると弟たちの顔を思い出し、涙が出てくる」と話した。

 山里全武さん(74)=同=は戦争では弟を亡くしたが、最期の場所は「島尻のどこかとしか分からない」。北部の山で食料を持って避難小屋に逃げ込もうとした時、日本兵が自分たち家族に向けて銃を発砲したことが今でも忘れられない。有事法制化や自衛隊のイラク派遣などの動きには強い懸念を持っているといい、「もうだれも戦争で命を落とさない平和な世の中になってほしい」と願いを語った。

◇「生きた証し刻まれた」/ハンセン病元患者

 今年、平和の礎に新たに刻銘されたのは672人。このうち111人がハンセン病療養所での戦没者だ。23日午前、国立療養所沖縄愛楽園(名護市)と宮古南静園(平良市)の入所者らが糸満市の平和の礎を訪れ、新たに刻銘された仲間の名前に花をささげ、黙とうした。その後、両園自治会は「ハンセン病患者の生きた証しの扉が開かれた」との声明文を読み上げた。

 沖縄戦時、両園では計約450人が爆撃やマラリア、栄養失調、壕掘りによる傷の悪化などで犠牲となった。入所者らは以前から県に礎への刻銘を要望していたが、遺族の申請に限るという条件がネックとなっていた。今回、県が条件を緩和したため、刻銘が実現した。

 午前10時半すぎ、両園の入所者らは追加刻銘された名前を確認。愛楽園自治会の迎里竹志副会長(71)と南静園自治会の宮里光雄会長(69)らが献花し、黙とうした。

 55人が刻まれた愛楽園自治会からは入所者10人が参加。元患者の金城幸子さん(62)=具志川市=は「きょうは(戦没者が)人間だったことが認められた日だ。裁判で勝った時と同じぐらいうれしい。今後1人残らず刻銘されてこそ人権が回復される。ほかの遺族も勇気を持って名乗り出てほしい」と呼び掛けた。

 56人が刻銘された南静園の宮里会長は「同じ県民として扱ってもらい、心から喜んでいる。人間回復の1つとなった。亡くなった方々も心の平安が得られたと思う」と静かに話した。

◇戦の愚かさ後世に/平和への道踏みしめ

 【糸満】平和を願い一歩一歩―。「慰霊の日」の23日午前、県遺族連合会と日本遺族会主催の第43回平和祈願大会が糸満市の糸満小学校運動場で開かれ、県内外から約千人の遺族らが集まった。梅雨明けを告げる強い日差しの中、参加者は黙とうで戦没者のみ霊を慰め、恒久平和の思いを胸に同市摩文仁の平和祈念公園まで約10キロの道のりを歩んだ。

 大会で遺族らは「世界に再び戦争を引き起こす一切の行為をやめさせること」「非核三原則を順守すること」などを政府に求める「6・23慰霊の日平和アピール」を高らかに宣言し、世界平和への思いを再確認した。

 あいさつで座喜味和則県遺族連合会長は「戦没者らが歩いたであろう道を一歩一歩踏みしめ、真の平和が訪れること祈願する」と願い、日本遺族会長の古賀誠衆議院議員は「戦争の惨禍や多大な犠牲があったことを心に刻み、慰霊行進を通じてわが国はもとより、世界の国々に平和を発信したい」と参加者に呼び掛けた。

 沖縄戦で戦死した父親をしのびながら毎年参加する浦添市の与座盛一さん(59)は、「戦争は無慈悲で残酷なものということを子や孫たちに伝えないといけない。若い人たちももっと平和行進に参加してほしい」と語った。夫を失った大里村の新垣千代さん(82)は「疎開先に届けられた十・十空襲の様子をつづった手紙を最後に、夫との連絡が途絶えた。当時を思い出すととてもつらい。イラク戦争などをテレビで見ると、将来がとても心配だ」と世界の現状を憂い、平和な世界を祈った。

戦場の記憶いまだ鮮明 なお進まぬ戦後処理


撤去される不発弾。県内にはまだ2500トンが埋まっていると推計されている

 沖縄は23日、戦後59年の慰霊の日を迎えた。イラク多国籍軍への自衛隊参加決定や憲法改正論議が高まる中、激しい地上戦を体験した遺族らは複雑な思いで追悼式を迎える。59年経た今も、旧軍飛行場所有権回復や遭難船舶犠牲者への補償などは解決せず、沖縄の地には戦没者の遺骨が横たわり不発弾が眠る。平和の礎(いしじ)には追加刻銘としては過去2番目に多い名前が刻まれ、追悼の気持ちを思い起こさせる。戦後処理の現状と課題をまとめた。

◇不発弾/見えぬつめ跡2500トン/かさむ処理費10倍に

 那覇市や浦添市などは2002年度から不発弾の周囲を掘削して6メートルほどの鉄製の強固な防護壁で囲み処理する手法を取り入れている。避難範囲が縮まり住民生活への影響も抑えられるが、従来の手法に比べ10倍の処理費がかかる。不発弾処理経費の50%は特別交付金で還付されるが残りは市町村負担。増える負担に県は、戦後処理の一環として全額国負担にするよう求めているが、進展はない。

 今年4月25日に那覇市首里大名町で行われた強固防護壁による不発弾処理では避難半径を260メートルから106メートル、避難対象者も1900人から780人と約4割に抑えられた。一方で従来手法なら約10万円で済んだ費用は約90万円と9倍に。

 那覇市の03年の処理費は535万円。強固防護壁による処理費がかさみ、前年度の4・3倍に膨らんでいる。

 2003年度に県内で処理された不発弾は25トン。復帰後では1425トンが処理された。しかしいまだに2500トンの不発弾が埋まっていると推計されており、すべてを処理するには60年はかかるとみられている。

◇戦時遭難船/遺族補償の動き鈍く

 太平洋戦争中に米潜水艦の魚雷を受けて沈没した学童疎開船「対馬丸」の悲劇を伝える対馬丸記念館が那覇市若狭に完成した。犠牲になった1418人の名を刻銘し、ランドセルなどの遺品や遺影、証言VTRなどを展示する。8月22日に開館する予定。同館は遺族会が求めていた船体引き揚げに代わる慰謝事業として国が総工費2億3000万円で建設した。

 沖縄戦で陸上の戦闘参加者には援護措置がなされたのに対し、船舶の犠牲者には遺族補償もない。今に残る戦後処理問題の一つだ。

 米軍の攻撃で沈没した嘉義丸、湖南丸などの戦時遭難船舶遺族会は結成20年を迎えた。「遺族が高齢化する中、1日も早く問題解決を」と国に遺族補償と遺骨収集などを求めているが、国に補償に向けた目立った動きはない。

◇遺骨収集/戦争体験者減り場所特定困難に

 沖縄戦の戦没者の遺骨収集作業は戦後すぐ、住民によって各地で始まった。国による遺骨収集は1956年から日本政府の委託で琉球政府が実施。復帰の72年に厚生省(当時)の事業になった。個人やボランティア団体の収集作業も続いている。

 しかし、遺骨収集を行う場所は住民の証言が頼り。戦争体験者が減る中で、収集も難しくなっているのが現状だ。

 2003年度までに収集された遺骨の数は18万3590柱となっている。

 沖縄戦では20万人以上が犠牲になっており、県は遺骨収集の対象となる18万8136柱のうち4546柱が未収集のまま残っていると推測している。

 今年は国が2月に名護市、中城村、西原町で遺骨収集を実施。民間の収集分と合わせ133柱を国立沖縄戦没者墓苑に納骨した。

◇旧軍飛行場/意向一本化難航か/地主会 個人補償の声根強く

 戦前、日本軍に接収された飛行場用地の所有権回復を旧地主が求めている旧軍飛行場用地問題は今年4月、学識経験者らによる検討委員会が、個人補償ではなく法人化による団体補償を国に求めるべきだとする報告書を示した。

 これを受け、県は報告書の結論を9地主会に説明するなどの作業を進めているが、地主会の中には個人補償を求める声も根強い。

 県は本年度中に沖縄振興計画に基づく戦後処理策を国に求めたい考えだが、その前提となる地主会の意向の一本化には厳しい環境が横たわっている。

 検討委員会は報告書で「旧軍飛行場の設置とその後の経過や現状は飛行場ごとに異なっているため、統一的な処理は現実的でなく、個々の飛行場に応じた団体補償がなされるべきであり、条件が整った市町村から順次事業化すべきだ」との方針を示した。具体的には旧地主への慰謝を前提に地域振興に寄与する事業の推進を挙げ、旧地主や所在市町村を主体とする法人を設立し、国からの補助金を受け入れ、老人福祉や福利厚生など幅広い事業の展開を想定している。

 県は同報告書の概要を9地主会のほか、内閣府、財務省にも説明した。その後に関係6市町村で組織する市町村連絡会議の幹事会を開催し、現在は関係市町村が地元地主会の意向を確認している。今月中に連絡会議を開き、国に求める戦後処理策の一定の方向性を詰める考えだ。

 県基地対策室は「検討委員会から一定の方向性が示されたが、問題解決には地主会の理解がどう得られるかにかかる。地主会ごとの経緯からさまざまな意見があることは承知しているが、解決には各地主会、市町村、県の連携が必要だ」と話している。

◇平和の礎/刻銘 前年度の4倍/多い遺族や関係者の要望

 「平和の礎(いしじ)」の本年度の追加刻銘は672人と前年度の4倍に増えた。これは県が遺族や関係団体の要望に応えて昨年から平和の礎に刻銘する戦没者の対象を広げ、申請要件も緩和したため。戦後59年が過ぎても、犠牲者の名を刻み供養したいという遺族や関係者の要望が多いことが浮き彫りになった。

 対象拡大により、県内では「遺族の申請に限る」との要件で阻まれていたハンセン病療養所・沖縄愛楽園、宮古南静園で亡くなった111人が刻銘された。戦争マラリアなどで戦後1年以内に死亡した人も対象になった。

 県外では沖縄へ向かう途中撃沈された富山丸や戦艦大和などの戦没者も加えられた。

 礎の23日現在の刻銘者は23万9092人。


ロイター通信で6・13芝公園集会が報道されました!!

A dog takes part in a rally demanding the Japanese government withdraw its troops from Iraq during a protest in Tokyo June 13, 2004. About 1,600 demonstrators participated in the rally calling for the pullout of Japanese troops from Iraq and the resignation of Prime Minister Junichiro Koizumi, organizers said on Sunday.     REUTERS/Kimimasa Mayama
Sun Jun 13, 6:08 AM ET
Reuters

A dog takes part in a rally demanding the Japanese government withdraw its troops from Iraq (news - web sites) during a protest in Tokyo June 13, 2004. About 1,600 demonstrators participated in the rally calling for the pullout of Japanese troops from Iraq and the resignation of Prime Minister Junichiro Koizumi, organizers said on Sunday. REUTERS/Kimimasa Mayama

Anti-war demonstrators, demanding the Japanese government withdraw its troops from Iraq, march past a Buddhist temple during a street protest in Tokyo, June 13, 2004. About 1,600 demonstrators participated in the rally calling for the pullout of Japanese troops from Iraq and the resignation of Prime Minister Junichiro Koizumi, organizers said on Sunday.     REUTERS/Kimimasa Mayama
Sun Jun 13, 6:08 AM ET
Reuters

Anti-war demonstrators, demanding the Japanese government withdraw its troops from Iraq (news - web sites), march past a Buddhist temple during a street protest in Tokyo, June 13, 2004. About 1,600 demonstrators participated in the rally calling for the pullout of Japanese troops from Iraq and the resignation of Prime Minister Junichiro Koizumi, organizers said on Sunday. REUTERS/Kimimasa Mayama
Demonstrators demand that the Japanese government withdraw its troops from Iraq during a protest in Tokyo, June 13, 2004. About 1,600 demonstrators participated in the rally and demonstration calling for the pull-out of Japanese troops from Iraq and the resignation of Prime Minister Junichiro Koizumi, organizers said.     REUTERS/Kimimasa Mayama
Sun Jun 13, 6:08 AM ET
Reuters

Demonstrators demand that the Japanese government withdraw its troops from Iraq (news - web sites) during a protest in Tokyo, June 13, 2004. About 1,600 demonstrators participated in the rally and demonstration calling for the pull-out of Japanese troops from Iraq and the resignation of Prime Minister Junichiro Koizumi, organizers said. REUTERS/Kimimasa Mayama

A dog takes a part in an anti-war rally in Tokyo June 13, 2004. About 1,600 demonstrators participated in the rally and demonstration calling for the pull-out of Japanese troops from Iraq and the resignation of Prime Minister Junichiro Koizumi, organizers said.     REUTERS/Kimimasa Mayama
Sun Jun 13, 6:09 AM ET
Reuters

A dog takes a part in an anti-war rally in Tokyo June 13, 2004. About 1,600 demonstrators participated in the rally and demonstration calling for the pull-out of Japanese troops from Iraq (news - web sites) and the resignation of Prime Minister Junichiro Koizumi, organizers said. REUTERS/Kimimasa Mayama

保安処分病棟建設を阻止しよう
7・8兵庫県交渉に集まってください

7月8日木曜日午後1時半 兵庫県庁1号館1階ロビー集合
(JR・阪神の元町駅北10分) 交渉は2時からです

「心神喪失等医療観察法」=保安処分反対

「心神喪失等」医療観察法=保安処分新法が昨年7月に成立し、来年7月までに保安処
分病棟が稼動することになっています。この保安処分は「精神障害者」は犯罪を
繰り返すと言う何の根拠もない差別でもって、「精神障害者」を特別の隔離施設に収容
するものです。
この法は、池田小事件の衝撃を最大限利用して作られました。しかし、池田小事件の
容疑者は「精神障害者」ではなかったのです。彼は「心神喪失」でも「精神障害」でも
ないとして死刑判決を受けています。それにもかかわらず自民党・公明党政権は、池
田小事件の衝撃をもって、「精神障害者」は何をするか分からない怖い人というデマを
まきちらし、労働者市民が反対運動に立ち上がれないようにしたのです。政府・与党
は反対者に対して「池田小事件を繰り返してもいいのか」という脅迫を繰り返しまし
た。政府・自公は、以前からなんとしても作りたかった保安処分を実現する絶好の
チャンスととらえ、デマキャンペーンを繰り返したのです。
もそもそもデマでもって作られる法律なのですから、中身は矛盾だらけです。政府・
坂口厚労相は、「イギリスの医学教科書に再犯予測は可能であると書いてある」という
大ウソをつきました。「再犯予測」ができるから「精神障害者」は将来犯罪をする可能
性があると立証できるというのが彼等の主張の骨格です。しかし、このウソは暴かれ
ました。実際にイギリスの教科書を翻訳してみるとそこには「再犯予測は極めて難し
い」と書かれていたのです。再犯予測が難しいなら保安処分は成立しません。あわて
た政府・坂口は今度は「再び同様の行為をすることがなくなるまで収容する」と書き換
え、「これは再犯予測ではない」という新たなウソをつきました。「同様の行為をす
る」というのは「再犯」ということ以外の意味はありません。かえって、「同様の行為
をする可能性がなくなるまで収容する」ということで収容の要件が強化されたので
す。そして、議論では完敗しながら池田小事件を利用した脅迫だけをもって強行採決
したのです。

精神医療の破壊

日本の精神医療は遅れているということが1970ごろから精神科医にも認識され、
医療改革運動が進められてきました。それは、「精神障害者」の糾弾を受けた医療す
る側が、それに応えるものとして進めてきたのです。日本の「精神障害者」は病院の
金儲けの材料としてしゃぶりつくされ、人格であることを否定され、虐待を受けてい
ました。その底辺からの決起と糾弾に応える医療者が改革を進めてきたのです。とこ
ろが、心神喪失等医療観察法=保安処分は医療改革を破壊し、40年前の状態に逆戻
りさせるものです。
私たちは保安病棟建設の対象となる兵庫県立光風病院の岩本院長と話し合いを持ちま
した。そのなかで岩本院長は、法律への反対運動が弱かったことを反省された上で、
本来作りたくはないものを国と県から強制されてくるという趣旨を述べられました。
まじめに精神医療に取り組んでいる医者にとってはやりたくない制度なのです。一方
で、電気ショックという人権無視の措置を繰り返し続けてきた京都府立洛南病院の岡
江院長は保安処分病棟にもろ手を上げて賛成しています。保安病棟が患者の人権を無
視する人にしかできないことを証明しています。

保安病棟は医療の場ではない

保安処分病棟で何をするのでしょうか。犯罪をする「精神障害者」の8割から9割は家
族へ危害を加えたり、自宅への放火をした人です。実際には「通り魔」というのはほ
とんど存在しないのです。その人たちに後悔の念を植え付けるのが治療だとされてい
ます。家族に危害を加えたりして後悔の念であふれている人に対して、さらに加え
て、ざんげせよ、後悔せよと迫るというのです。それがいかに残酷なことか。また、
「認知行動療法」というのが行なわれることになっています。これは法律を犯した
「精神障害者」の6割を占めるとされている統合失調症の人に対しては効果あるかど
うかも試されたことがない療法です。保安病棟の精神科医は効果がないことを承知の
上でこの療法を施すことが強制されるのです。これは人体実験を患者本人の了解なし
に行なうことです。これは医療ではありえません。保安病棟は、日本の精神病院が4
0年前ほとんどすべての病院であったように、また今でも悪徳病院がそうであるよう
に、患者に対する人格の否定、虐待が繰り返される地獄絵図となります。
私たちは、この精神医療の破壊を許さず、兵庫県交渉を行ないます。また、保安病棟
の対象となる国公立病院に対する交渉と糾弾を順次行ないます。ぜひとも多くの人が
私たちと共に行動に参加されることを訴えます。また、私たちの会に入会したい人は
下記の申込書で申し込んでください。「精神障害者」が人として生きるために。   
  
             

保安処分病棟に反対する有志連絡会への入会申込書
氏名             
住所                         
電話番号                
ファックス                     
Eメール                                
入会金(年会費) 1000円を添えて   
2004年   月   日


保安処分病棟に反対する有志連絡会

   (「精神病者」有志、精神医療従事者有志、「障害者」有志、労働者・市
民有志、兵庫県精神障害者連絡会、虹の会、医師小川紘その他)

尼崎市長洲中通1-13-51-401共生舎   

http://homepage1.nifty.com/takamitousou/





6月22日(火) 「街」日誌

扇風機付き帽子が寄付できました! 太陽発電で、おでこについた扇風機が回るしくみ 全然涼しくないし・・
ってか、かっこ悪・・ うっちん茶ペットボトルを買ってくれた方と沖縄話で盛り上がりました! サングラスでハネやんライダー登場
飯田さんからコーヒーミルクゼリーをいただきました! 「ハエチョウ」 夕ご飯は焼肉
ビールがうまいっ!!

辺野古・阻止行動日誌
6月22日(火)
・防衛施設局は来ませんでした。

今日は慰霊の日の前日ということもありたくさんの来訪者がありました。
三重県の愛農高校生達は手作りの野菜を辺野古に届けてくれました。毎回のように思うのですが、人が苦労してつくった野菜、思いがたくさんつまった野菜はとても重く感じます。とてもおいしく思います。
今、団結弁当で使われている野菜のほとんどは農業を営む人達との間でいただいたり買ったりして手に入れています。お米は全国の人達からのカンパとして袋ごと送られてきたりしています。魚介類はたいがい辺野古の海で採れたものを使っています。
そんなこんなでとにかくおいしいのです。最高なのです。
辺野古でいただく食事は本当に豊かです。愛農高校の皆さん、本当にありがとう。

今日はその他にも滋賀県からいらした人達や東京からこられた人達と大勢が押しかけ一時的に130名ぐらいに膨れ上がっていました。これじゃあ防衛施設局も来れませんね。訪ね来る人達に金城繁師匠が三線で出迎え、とてもにぎやかになっていました。
防衛施設局!明日来たら本当に最低だ。絶対に来るなー!!


<民主労総声明>
無辜の市民の犠牲をこれ以上傍観することはできない  
キムソニル氏の犠牲は、政府が派兵を強行する限り予見されたことだった。だが、必要な措置はとられず、ついに悲劇が発生した。
われわれは無辜の市民を虐殺する行為に怒りを禁じ得ない。同時に、こうしたことを招いた現政府のイラク派兵にも強く抗議するものである。
 国民の生命よりも重要な国益はない。政府がどんな論理で派兵を正当化したとしても、現実に起こることは、国民を、アメリカが起こした戦争に引き込むことだ。
今後も我が若き軍人たちや無辜の市民の犠牲は続くだろう。  こうしたことはただちに中断されなければならない。イラク派兵政策は原点から全面再検討されなければならない。
 民主労総は、これ以上の無辜の犠牲を防ぐために、上半期闘争の重要な要求として イラク派兵撤回を要求する。これ以上アメリカの対外政策に寄り添うのではなく 、 堂々と立ち向かい、市民の権利と生命を守るよう要求する。  
 民主労総は全組合員の力でイラク派兵撤回闘争に立ち上がることを明らかにする。
2004年6月23日  全国民主労働組合総連盟




6月21日(月) 「街」日誌

お昼ご飯は冷し中華 今日は台風接近中でお客さんが少なかったので、映画鑑賞。
日活映画「戦争と人間」を見る
カメをもったお客さん 今日の夕ご飯は新ジャガ肉ジャガと ひじきサラダ


琉球新報

在沖海兵隊2600人削減案

 【ワシントン20日=本紙駐在・森暢平】在日米軍の再編に関連して、在沖米海兵隊の司令部の一部と砲兵部隊の計約2600人を、本土のキャンプ座間(神奈川県座間、相模原市)とキャンプ富士(静岡県御殿場市)に分散して移転する構想が米政府内部で浮上していることが20日、日米関係筋の話で分かった。米軍は自衛隊との運用の「一体化」を図る狙いから、首都圏に司令部機能を置く方が効率的と判断。機動性を維持しながら、沖縄の負担を軽減したい考えだ。しかし、移転先の自治体と住民の反発も予想され、実現するかどうは不透明だ。

 同筋によると、具志川市のキャンプ・コートニーにある第3海兵師団司令部など司令部機能を座間に、金武町のキャンプ・ハンセンに駐留する砲兵部隊(第12海兵連隊第3大隊)を富士に移す構想が検討されている。

 キャンプ座間には、米陸軍第1軍団司令部(米ワシントン州)を移転する構想もあり、地上部隊の司令部機能を集中することで、米陸軍、海兵隊、陸上自衛隊の相互運用性(インターオペラビリティ)を高める狙いがある。また、座間は米第5空軍司令部がある横田基地(東京都)、在日米海軍司令部がある横須賀基地(神奈川県)にも近く、4軍の司令部を近くに集めることで朝鮮有事の際の即応体制を高められる点も考慮されている。

 砲兵部隊については陸上自衛隊矢臼別演習場(北海道)への移転も検討されているが、遠隔地であることや気候などの理由で米側が難色を示したという。砲兵部隊は沖縄の県道104号越えの155ミリ実弾訓練が廃止されて以来、主要な演習を矢臼別、王城寺原(宮城県)、北富士(山梨県)、東富士(静岡県)、日出生台(大分県)の各演習場に移しており、本土移転の利点が大きいとみられている。

 座間、富士への移転は、地元の反発も予想されるほか、既存施設との関係で部隊を収容しきれるかどうか難しい面がある。

 また、これとは別に、牧港補給地区(浦添市)にある第3海兵役務支援群についても、合理化や業務の民間委託で約600人の人員を米国内に戻す削減案も浮上しているという。

 日米両政府は7月の参院選終了後にも局長級協議を開催。在日米軍の再編について、これまで出た案を中心に具体的な協議を始める。

◇「基地負担の軽減に期待」/県基地対策室長

 在沖海兵隊2600人前後の本土への分散移転構想が浮上していることについて、比嘉忠信県基地対策室長は「北海道の矢臼別演習場への移転などさまざまな報道があり、現段階で個別の報道についての見解は差し控えたい」と述べた上で、「いずれにしても県は米軍再編作業で兵力削減や訓練移転など思い切った変革を求めている。現在、日米間ではさまざまなレベルで米軍再編協議を行っていると承知しており、沖縄が求めている基地負担軽減が議論されることを期待したい」との見解を示した。

朝日新聞
神奈川・座間基地、機能変更の可能性示す 米側が知事に

 訪米中の松沢成文・神奈川県知事は21日、国防総省と国務省を訪れ、世界規模の米軍再編に関連して浮かんでいる同県座間市のキャンプ座間への米陸軍第1軍団司令部(米ワシントン州)移転構想に反対する意向を伝えた。米国側は構想の真偽には言及しなかったが、米軍再編の中で基地機能を変更する可能性を示した。

 松沢知事は、国防総省の東アジア担当者と会談し、米陸軍第1軍団司令部の座間移転構想について「これ以上の基地機能強化には地元住民の強い反対が予想される。神奈川県としては絶対に受け入れられない」と伝えた。

 これに対して国防総省高官は「(米軍再編で)どうなるかは分からない。将来は(基地機能)変更の可能性が大いにある。キャンプ座間のあり方は近代化が必要だ」と説明。一部メディアが報じた、沖縄駐留の米海兵隊をキャンプ座間などに分散して移転させる構想については「そういうことはまったく決まっていない」と否定したという。

 また松沢知事は米海軍横須賀基地に配備されている空母キティホークの後継に原子力空母が浮上している問題で「日本では原子力についてアレルギーが相当に大きい」と述べ、原子力空母を配備しないように要請。しかし、米国側は「原子力空母はまだ一度も事故を起こしておらず、安全性には絶対の自信がある」と述べ、理解を求めた





5月20日(日) 「街」日誌

サンデー夕食会はおそばと天ぷら



6月19日(土) 「街」日誌

値付けをするタカちゃん



        ライトを磨く洋平くん→
今日のひるご飯はでっかいフライドチキン
2階にあったベッドを移動 お客さんの飯田さんも手伝ってくれました! 狭ーい階段からやっと脱出
3時、沖縄アピールタイム! 工事現場の親方や、
偶然通りかかった方、 若者も
沢山の人が署名してくれました。 タカちゃんが配った「街」ニュースに見入る2人 カンパをいただきました!!
「戦世やならん沖縄と結ぶ東京集会」in 阿佐ヶ谷にいってきました! 「街」はお弁当を持って参加
←石川元平さんの講演






モッ君は沖縄物販を営業


産経新聞
防災力1位は東京 消防庁が初めて数値化  
総務省消防庁は21日までに、自然災害や原子力事故、テロに対応する「地域防災力・危機管理能力」について、都道府県の自己評価に基づいて数値化した。全国の平均は100点満点で43・5点、1位は東京(69・4点)、最下位は群馬(25・7点)だった。地震に比べて風水害対策が不十分で、公共施設の耐震化や住民との情報共有に関する取り組みが遅れていることが分かった。

 防災力を数値化して比較したのは今回が初めて。消防庁は「評価の結果を踏まえて、対策の改善や強化に活用してほしい」としており、今後、調査方法の見直しをした上で市町村レベルの調査も実施する考え。

 調査は、消防庁の検討委員会がまとめたガイドラインに沿って(1)リスク把握・評価、被害想定(2)体制整備(3)情報連絡体制−など9つの指標に沿って約800項目の設問を用意し、都道府県が自己評価により択一式で回答した。

 地域別にみると、東海地震の強化地域に指定されている8都県は総合平均が51・1点で高かったが、東南海・南海地震の推進地域だけを含む15府県では41・1点と全国平均をやや下回った。危機管理専門職を1998年以前から置いていた9府県は49・6点と全国平均を上回った。

 9つの指標別では、災害後の検証をして対策を強化する「評価・見直し」が23・9点と最も低く、「リスク把握・評価、被害想定」が30点、「住民との情報共有」が31点と水準の低さが目立った。

 風水害に対する備えは全国で低調傾向で「リスク把握・被害影響」が37・4点、「情報共有・目標設定」が15・6点にとどまった。

 防災力 地方自治体が総務省消防庁の定める客観的な基準で自己評価する。各自治体の防災意識を高めるのが狙いで、基準は「被害の予防策」「体制の整備」「備蓄の確保」など9分類。分類ごとに100点満点で採点し、通信簿を作成する。基準の中には「夜間や休日に防災担当職員が宿直しているか」「1回以上備蓄を点検しているか」など約800の項目があり、備蓄では飲料水、毛布、医薬品なども個別に採点の対象としている。

(06/21 10:54)



読売新聞
国民保護基本指針策定、ミサイルなど4攻撃対応明記へ

 政府は20日、先の通常国会で国民保護法が成立したことを受け、有事における避難や救援の具体的対応などを定めた「国民の保護に関する基本指針」の策定に着手した。 わが国への武力攻撃を〈1〉地上部隊が上陸する攻撃〈2〉ゲリラや特殊部隊による攻撃〈3〉弾道ミサイルによる攻撃〈4〉航空機による攻撃――の4つのケースに類型化し、それぞれの場合の国の対応を明記することにしている。

 指針では、例えば、住民避難に関して、上陸攻撃の場合は、鉄道・バス・航空機などを活用した大規模避難を実施し、短時間で飛来する弾道ミサイル攻撃の場合には、地下鉄構内や屋内施設への緊急避難を行うことを明示する。

 有事における警報発令、武力攻撃に伴う災害対処、発電所や浄水場といった生活関連施設の安全確保などに関しても、武力攻撃のケースごとに対応を定める。

 また、武力攻撃とは別に、大規模テロなどの緊急対処事態での対応も指針に盛り込む。

 国民保護法は、基本指針に基づいて、各省庁と地方自治体が「国民保護計画」を、放送・運輸・電力事業者などの指定公共機関が「業務計画」をそれぞれつくることを義務づけている。

 政府は来年3月までに基本指針を策定し、省庁と都道府県の国民保護計画策定を2005年度中に終えたいとしている。

 ◆国民保護法=わが国への武力攻撃や大規模テロが発生した場合、国民の生命・財産を守るため、避難、救援、被害の拡大防止に関する国や地方自治体の役割などを定めた法律。国民への協力要請、一定の私権制限も明記。通常国会終盤、有事関連法の1つとして、自民、民主、公明の3党などの賛成で成立した。



北海道新聞
イスタンブールで反米デモ NATO首脳会議前に  2004/06/21 10:13

 【カイロ21日共同】北大西洋条約機構(NATO)首脳会議を28−29日に控えたトルコ・イスタンブールで20日、ブッシュ米大統領のトルコ訪問や米政権のイラク占領政策に反対するデモが行われ、参加者は米国旗を燃やして気勢を上げた。

 AP通信によると、デモには数千人が参加、同市中心部の広場で「イラクの占領と虐待に反対」などと書いた横断幕を掲げたり「殺人者米国は中東から出て行け」と叫んだりして抗議行動をした。

 首脳会議にはブッシュ大統領のほか、ブレア英首相、シラク・フランス大統領ら各国首脳が出席。イスタンブールでは昨年、英総領事館などで大規模な自爆テロが繰り返されたこともあり、治安当局は厳重に警備している。

 トルコは親米でNATO唯一のイスラム国家だが、国民の間ではイラク戦争や米国のイラク占領政策などから反米感情が高まっている。





6月18日(金) 「街」日誌

←青木さんから梅の差入れ!



保養所の営業をやっている方。関東中の作業所をまわっているそうです!
今日の昼ごはんはかやくそうめん
←斉藤さんが栽培したサニーレタスをいただきました!



夕ご飯はそーめんチャンプルーと
うな丼だー!
村松さんがジャンベを教えてくれました

「波がきらきら輝くように叩く・・・・・・・客観性を持って叩くのが大切・・・」

難しーい、奥が深ーい話でした。
今日は夕方6時から沖縄アピールをしました!!
会社帰りの方や、買い物帰りの方など沢山の方々が署名・カンパをしてくれました!

辺野古・阻止行動日誌 
6月18日(金)
・防衛施設局は来ませんでした。

今日は台風6号が沖縄に近くなってきたため、漁港入り口の座り込みテントはたたみ命を守る会の前で座り込み「61日目」を行いました。
台風でこれない方が多いのではと思っていたですが、労働組合の人達がたくさん駆けつけてくださり合計50名ほどの人が座り込みを行いました。
漁港には警察の出入りや「現場視察」と称してくる第11管区海上保安庁の出入りがあったため緊張が走ることが何回かありました。
防衛施設局のキャンプシュワブ内の建物もブラインドが開いていました。平和の塔(漁港のすぐ近くに見える小高い丘)には白いバンが止まってこちらを伺っていたりということがあり、防衛施設局は一応現場の様子を伺ってから帰っていったと思います。

今日、うれしかったのが労働組合の人達からカンパをいただいた時に組合の方が「これは個人個人に訴えかけてカンパを募りました。組合のものということではありません。」と言ってくれたことです。
一人一人が主体性を持ってかかわっていくことはとても大切なことだと思います。
防衛施設局が来るかもしれないという緊張があったものの今日は三線を弾いたりと少しゆっくりした日でした。
しかし、台風が余りに大きいため、用心して徹底的に台風対策を行ったので皆お疲れだったと思います。沖縄の台風は侮ってはいけません。皆様、お疲れ様でした。
台風と共に基地も全部吹き飛ばしてくれたらなぁと思ったりします。

今日の団結弁当は大西さんが釣ってきた大量の魚でお汁を作りました。もんのすごくおいしかった。グワッチ−サビタン。
無事に61日目の座り込みは終了しました。
明日の座り込みは台風のため大きくは行いませんが、名護からだけでも少数で集まり命を守る会事務所で行うことになっています。遠くから来る方は無理はしないようにしてくださいますように。

沖縄タイムス

緊張の中、続く警戒/辺野古座り込み2カ月
ボーリング調査着手は参院選以降か

 米軍普天間飛行場の代替施設建設に伴う名護市辺野古沖のボーリング調査を阻止しようと、反対派住民らが辺野古漁港で座り込みを始めて十九日で二カ月。座り込み参加者は十八日までに延べ五千三百八十八人に達し、警戒を緩める様子はない。こうした状況を受け、防衛施設庁幹部は「実際問題として、選挙期間中は難しい」と調査着手は、七月十一日の参院選挙以降になるとの見通しを示す。

疲労とこう着

 台風6号の接近で風が強まる十八日、住民ら約二十人は「命を守る会」の事務所前に場所を移し座り込みを続けた。

 金城祐治代表(69)は「先の見えない真っ暗な壕の中に入っていく思いもあるが、後ろを振り向けば支えてくれる人がたくさんいる。何カ月かかろうがやめるわけにはいかない」と話す。

 こう着状態が長引くにつれ、座り込み現場には調査を阻止しているという自負心が強まる一方、疲労とピリピリした緊張感も漂う。

めどたたず

 台風対策のため、通過後の再設置を条件に、那覇防衛施設局はフェンス撤去を求めたが、再設置は認めないとする住民らが対立、新たな火種となっている。施設局は、住民らが求める県の環境配慮事項への対応への説明会について、実施しない方針を崩していない。

 ボーリング調査には、地元漁民も調査を請け負った業者に雇われているが、船を出さなければ用船料は支払われない。漁民の一人は「最初の一カ月ぐらいは船を出す予定も入れられなかった」と振り返る。こう着状態が長引き「今の状況ではできないだろう」と、漁に出始めている。

 施設局は、作業船出入りのためキャンプ・シュワブの一時使用許可を求めているが、防衛施設庁幹部は十八日、「米軍からの許可はまだ出ていない。日米合同委員会にあがる手順になるのではないか」との見通しを示した。その上で「シュワブやほかの港を使う案も完全に排除したとは言えない。さまざまな方法を検討している段階だ」とし、打開策を見いだせずにいる。


朝日新聞
日本の富裕層、5.8%増え131万人 世界の17%
 大金持ち増加中――。メリルリンチ日本証券が16日に発表した世界の個人資産家に関する報告書によると、03年末時点の日本で不動産をのぞく金融資産を100万ドル(1億1000万円)以上持つ富裕層は前年末より7万2000人(5.8%)増えて131万2000人。全世界の17%を占めた。

 報告書によると、全世界の03年末の富裕層は、前年末比50万人(7.5%)増の770万人で、保有資産は同7.7%増の28兆8000億ドル(約3168兆円)。富裕層の投資対象は、低利の債券商品から、変動幅が大きい株式やヘッジファンドなどに重点を移しており、保有資産は08年までに40兆ドル(4400兆円)を超えると予測している。

 富裕層人口の伸び率ではインドが前年末比22%増、米国が同14%増、中国が同12%増と高い数字を示した。

 調査は米大手証券メリルリンチと仏コンサルティング会社キャップジェミニが毎年行い、世界銀行や国際通貨基金(IMF)などの所得統計をもとに推計している。





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