オープンスペース街・日誌


2004年5月C
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 ヨッシーとジュゴンの家    5月参加スケジュール!
5月19日(水) 有事法案成立阻止!国会前行動  正午〜
5月20日(木)
5月21日(金) 守ろう!平和といのち 5・21集会
明治公園 18:30〜19:30
5月22日(土)    国立武蔵病院に
「心神喪失者医療観察法」
 拘禁施設をつくらせない   5/22集会

 国分寺労政会館(JR国分寺駅下車) 14:00〜17:00
 資料代300円
5月30日(日) 満月祭り  in オープンスペース「街」 
   
    
田中 哲朗、ヨッシーとジュゴンの家
    カーミーズ 
           
 
    開始 19:00     参加費 1,000円

名護新基地建設絶対反対!   ボーリング調査絶対阻止!
 
座り込み支援カンパ!!
         
よろしくおねがいします!


5月20日(木) 「街」日誌

阻止行動32日目
5月20日(木)
・防衛施設局は来ませんでした。

 台風のため、少し人が少ない中で今日も座り込み行動は続けられています。どうやら台風がそれるようです。天候も私達の味方をしているように感じます。 ユタ(沖縄でいう神人)の人が「ニライカナイの神様はあなたたちを守っている。体に気をつけて続ければ必ず勝利するでしょう。」と言っていました。自分達の足元を見失わず、続けていくことの大事さを言っているように聞こえました。

 今日の団結弁当はゴーヤーの和え物、てんぷら、チキンの和風和え、白ご飯でした。差し入れで農家の人達が新鮮野菜を持ってきてくれ、炊事場の人達が朝早くからしこみをしてくれているのでどんどん豪華になっています。
 おばぁ達が「たまには休んでよー」と炊事場に声をかけると「いいーいいー。わったー達はおばぁに負けないためにやっているんだよー。」と必ずかえす。助け合いの中で お弁当は作られているので愛情がたっぷり入っています。クワッチーサビタン。

 午後、団結弁当を食べようと箸をとると、キャンプシュワブ内から「ウーー−ーー」と5分あまりサイレンが鳴り響きました。方角は弾薬庫。「まさか」と
思いましたが、もしも、弾薬庫から生物化学兵器が漏れ出していたら大変なこと。夏芽さんが防衛施設局に問い合わせ、私は基地の方角へとバイクを走らせました。弾薬庫には消防車が来ていて、赤いヘルメットをかぶった米兵達が集まっていました。何かあるのかと見ていると上官からレクチャーを受けていました。

 帰ってくると夏芽さんから「防災訓練と確認がとれた」と話を聞きました。良かった、辺野古は過去、実際に毒ガスが漏れ、大きな被害をうけたことがあ
る。それを思うとぞっとする。

 ひと段落して事務所でお昼寝をしようとするとおばぁ達が集まってきました。5分と立たないうちにおばぁ達の声にたたき起こされます。半分寝ながらおばぁの声に耳を傾けていると、92歳のヨシおばぁがこんな話をしていました。
「あのねー、酒をあびる人いるでしょう。タバコを浴びる人もいるでしょう。皆ねぇ魂に傷を負っているんだよ。わったーも一本ぐらい吸うけれどね。やっぱり魂に傷を持っているわけさ。それが人間だよぉ。」という。
 おばぁ達はポロッとすごい話をします。
 帰り際、ゆんたくをしながら相撲を見ていると朝青龍が負けた話になりました。たえさんが「あんたたち!!相撲とりなさい!今のうちに練習しとけばあの人達がきたときにはねかえせるさ。」と話す。
 「確かに腹だけ相撲とりはいるけれどねぇ。」と一同。腹だけって・・・どんなよぉ。



5月19日(水) 「街」日誌
相模原市議の西村綾子さん
 村中さん「政府は日本航空と全日空に対してイラクでの民間航空機の軍事利用を要請したが断った。私達が闘い続けてきた成果だと思います。」
有事7法案が今日、委員会採決されるのでは?ということで国会前にはたーくさんの人が集まり、「戦争をやるための法律は許さない!」という意志を示しました。そして、今日は採決されませんでした。
夜は、三鷹駅で街宣
三鷹市議の島崎さん 「ヨッシーとジュゴンの家」も基地はいらない!と訴えます。 ヨッシーは沖縄での座り込みの経験を話しました。
今日の夕ご飯はカレーライス!



19日の辺野古
14:00
防衛施設局が近くまで来ているとの情報がありました。瀬嵩で機動隊がいたとの声もあり現場は緊張しています。どういうことで来ているのかまったく分かりませんが、来られる方は至急辺野古へ!!
14:55
辺野古を心配しておられる皆様へ。
さきほどの連絡からしばらまくがたちましたが、今のところ動きがなく緊張態勢
を解
除しました。
物音1つ、身動き1つで反応すねのが座り込みです。ご理解ください。
16:06
辺野古からの情報。中城湾港に25メートル以上のボーリング調査に使うスーパー固定ブイを確認しました。その他、ボーリング調査に必要な関連機材の手入れを作業員がしています。いよいよという感じです


沖縄タイムス
<2004年5月19日 夕刊 5面>

ボーリング実施働き掛けを要請/名護漁協、市に

 名護漁協の神山正樹組合長と豊島貞仁辺野古支部長らは十九日、末松文信名護市助役に対し、普天間飛行場の代替施設建設に向けたボーリング調査中断で、待機している漁業者の生活が追い詰められている―として、早期実施を那覇防衛施設局に働き掛けるよう要請した。ただ、神山組合長は「座り込み住民などの排除を求めるものではない」とも話した。

 ボーリング調査では同漁協の漁船が作業船に使われるが、作業中断で漁業者は待機を強いられ、本格的な漁に出ることができない。待機料やキャンセル料もない。神山組合長は「長期にわたり収入がなく、生活が厳しくなっている」と述べた。

 辺野古漁港付近では同日、三十一日目となる座り込みが行われている。


防衛施設局の台風対策。阻止行動30日目
5月18日(火)
・防衛施設局の3度の訪問がありました。
今日で座り込みは一ヶ月を過ぎました。一日も早く基地建設がとまることを願います。

午前6時、どしゃぶりの雨の中、今日も午前中から60人あまりが駆けつけ座り込みが始まります。

午後、団結弁当を食べ少しゆっくりしていると「防衛施設局が来た」との連絡が入った。急いで駆けつけるとすでに防衛施設局員は帰っていた。事情を聞くと、「防衛施設局は作業ヤードの台風対策をしたいと言ってきた。とりあえずこちらも話し合いがしたいのでということで帰ってもらった。13時30分にまたくるといっていた」とのこと。
その前に警察隊が別件で辺野古漁港に来ていたため全員に緊張が走る。

13時30分、防衛施設局がまた訪問。
「台風対策のため、作業ヤードの補強をさせて欲しい」とすでにトラックまで用意してきていた。こちらの代表が「私達は撤去を望んでいる。台風対策なら補強でなくとも撤去できる
のではないか。」と答える。「一度戻って検討する」と防衛施設局。米兵に守られ、現場監督所がある基地内に帰っていく。

15時再度、防衛施設局が来る。
「検討した結果、撤去した物資は作業ヤード建設敷地内に置かしていただく。台風が過ぎた後、また再建する。」と防衛施設局員。物資の撤去作業には防衛施設局員3名。応用地質の作業員が3名。地元の請負いをしている作業員が10名で作業。
5名いれば出来る仕事をなんだか、たくさんでやっていた。よっぽど早く引き上げたいのだろうか。
再建する場合は先に応用地質が命を守る会事務所に電話するとのこと。再建しないでそのままほっとけばよかろうに。
応用地質にとって不況の中で5億4千万円(ボーリング調査の受注額)の仕事は大きいのだろうか。金が執着している理由なのだろうか。

人が建物を建設したり、物を作生産していくのは世の中を良くする為であって、壊していくことではなかったはず。応用地質株式会社はいつから住民を殺す側になったのだろうか。

座り込みには命を守る会のおばぁ達が12名も来ていました。防衛施設局が作業ヤードを撤去して帰って行くのを見て大喜び。「ここはわったーたーのうみどぉー」と92歳のヨシおばぁがどなっていた。それにしてもおばぁ達が現場で座っていると雰囲気と安心感がずいぶん違う。事務所のほうが安心感がなかったのはそのためか・・おばぁはすごし。

私は事務所のほうで今日一日、RBC(沖縄の放送局)の取材を受けていました。横にカメラがずっとあるのって結構緊張します。多くの人たちに訴える材料としていただければいいなと思います。

『海守れ』に支援続々/辺野古座り込み1カ月 琉球新報

1カ月を迎えた座り込み。規模を維持して行動を続ける=17日、名護市の辺野古漁港前
 【名護】普天間飛行場代替施設建設に伴うボーリング調査に反対する住民らによる名護市辺野古漁港前での座り込みは18日で丸1カ月を迎えた。参加者は、記録された25日間で2483人を数えた。那覇防衛施設局は17日も現場に姿を見せず、衰えることなく続く行動が調査を阻止している形だ。参加者は、仕事などの都合をつけて午前7時から午後7時までに入れ代わり立ち代わり漁港前に集まる。常連メンバーのほか、新聞やインターネットを見て新たに加わる人もおり、市民団体が記録を取り始めた4月23日以降1日平均約100人を維持。県外のほか韓国や米国など外国からも訪れている。

 港内での行動を「出漁しにくい」と主張していた漁民も、双方の話し合いで座り込み場所を港外に移動した後は表情も穏やかに。リーフ内など沿岸での漁も行われている。しかし作業の日程が明らかにされないため、施設局に雇われて調査に船を出す漁民は予定を立てられず、マグロ漁などの長期出漁ができない状態だ。委託業者も待機が続いている。

 ヘリ基地反対協議会の大西照雄代表委員は「基地建設に反対する地元のおじい、おばあに励まされてここまできた。よく頑張っていると思う。(伊江島で米軍の強制土地接収に反対した)故阿波根昌鴻さんの“無抵抗の抵抗”を方針として貫いてきた」とし、話し合いによる解決を求めた。

 仕事の合間を縫って連日足を運んでいる篠原孝子さん(40)=名護市=は「このきれいな海を本当に大切に思っている。問題を知った限り知らないふりはできないし、座り込みを続けないのは考えられない」と力を込めた。

 80歳を超えたお年寄りも毎日交代で足を運ぶ。高齢にもかかわらず、気丈に現場を守り続けるお年寄りたちの存在は、行動を支える大きな柱だ。「命を守る会」に詰める1人は「8年間、座り続けて工事をさせなかった。おばあたちが頑張ってるから大丈夫。勉強もたくさんしたし怖くないよ」と強い意志をのぞかせた。

◇<透視鏡2004>機動隊動員念頭も首相答弁足かせに/那覇防衛施設局

 普天間飛行場代替施設建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング地質調査について、那覇防衛施設局が4月19日に作業を開始してから1カ月が経過した。中止を求める住民や市民団体の座り込みによる強い反対運動に直面し、施設局は結局、初日に辺野古漁港で資材置き場を設置する短時間の作業をしただけで、その後は海上調査を含めて一切の作業を中断したままだ。反対派との直接衝突を避けるため、作業船の出港場所を辺野古漁港から米軍キャンプ・シュワブへの変更を検討しているが、さまざまな要因でボーリング作業全体の見通しは立っていないのが現状だ。(東京報道部・普久原均、政経部・松永勝利)

◇強行はできない

 4月26日、国会の衆院武力攻撃事態特別委で小泉純一郎首相が答弁に立った。ボーリング地質調査についてたずねられると「住民の気持ちを政府として受け止め、できるだけ円滑な形で必要な事業はしていかなければならない」と答弁した。

 防衛施設庁は首相答弁の「円滑な形で」とする部分に敏感に反応した。反対派と直接衝突しての強行実施をすべきでないと受け止めたのだ。

 「官邸から具体的な指示があるわけではないがうちの幹部は少なくとも(強行実施はできないと)受け止めている」と施設庁幹部は打ち明ける。

 当初は座り込みの反対派に対して立ち退き要求を何度か繰り返した後、立て看板を設置してさらに立ち退きを何度か求め、それでも座り込みが続く場合は作業実施に踏み切り、不測の事態に備えて機動隊の動員要請も検討していたようだ。しかし首相の答弁ですべてが流れた。

 別の幹部は「確かに首相からああ言われてはできないだろう」と話し、座り込みが続く間は辺野古漁港での作業は絶望的だとの認識を示す。

◇政治状況も見極め

 施設局は座り込みだけでなく、さまざまな社会、政治状況も考慮して作業開始の時期を見極めてきた。旧暦3月3日の浜下りに当たる4月21日は多くの住民が海に集まるため中止を決め、22日も辺野古での反対集会開催で見送った。5月の黄金週間明けも平和行進と普天間包囲が実施された14日から16日まで、金武町で都市型戦闘訓練施設の建設に反対する町民大会が開催される20日は作業を行わない方針をすでに決めている。

 さらに県議選が28日に告示、6月6日に投開票され、7月には参院選も予定されており、調査の影響で一方の候補が有利になるなどの事態は避けたいとの思惑もあり、シュワブからの出港を選択しなければ、作業実施は7月以降にずれ込む事態は避けられそうもない。施設局はさらに厳しい局面に立たされそうだ。


<普天間代替> シュワブ内から作業船

 米軍普天間飛行場代替施設建設に向けた名護市辺野古沖でのボーリング調査で、那覇防衛施設局が、作業船の出港場所を当初の辺野古漁港から米軍キャンプ・シュワブへ変更して実施するよう検討していることが17日、分かった。辺野古漁港近くで1カ月座り込みを続けている反対派住民や市民団体との直接の衝突を避けるためで、座り込みを迂(う)回する形での調査着手は、あくまで調査中止を求めている反対派の反発を招きそうだ。

 調査で契約している船はシュワブ基地内と水域に出入りできる許可証を既に取得しており、出港はいつでも可能な状態だが、実施時期は未定だ。

 施設局は調査着手を表明した4月19日から現在までの約1カ月、海上での作業が1度も実施できていない。辺野古漁港に設置予定の資材置き場も完成しておらず、作業は中断されたままだ。

 座り込みを続けている反対派に対し、施設局の担当者が断続的に訪れ、立ち退きを求めているが、住民説明会を求める反対派の理解を得られず、作業再開のめどは立っていない。

 このまま同漁港で作業を再開すれば反対派との衝突が避けられないため、作業を円滑に進めるためにシュワブからの出港案が急浮上した形だ。

 シュワブからの出港で始める調査はボーリングのための事前調査で、最初にボーリングを実施する2カ所の地点で潜水を実施し、海底の状況が昨年6月の潜水調査結果と同様なのかを確認した上で、不発弾の有無を確認する磁気探査を行う。

 シュワブには本格的な港がなく、大型資材の出し入れが難しいため、実際に海底に穴を掘るボーリングまでシュワブで継続するかは不透明だ。

 1997年に政府は、浮体式の海上ヘリポートの建設に向けて辺野古沖のボーリング調査を実施したことがあり、その際もキャンプ・シュワブ内から調査船を出した経緯がある。

<普天間代替>シュワブ利用検討を非難 琉球新報へ
台風の安全対策のために訪れた那覇防衛施設局の職員らと話し合いをする座り込みの住民ら=18日午前、名護市の辺野古漁港

 米軍普天間飛行場の移設が予定されている名護市辺野古で、那覇防衛施設局が計画しているボーリング調査に対する辺野古漁港での市民グループらの座り込みが18日で1カ月を迎えた。反対派メンバーは施設局が米軍キャンプ・シュワブから作業船を出港させることを検討しているとの本紙報道に、テント内では、「(シュワブからの出港は)政府はずるがしこい。問題を避けて通っている」と非難する意見が上がり、「絶対に座り込みを途絶えさせない」との意思を確認し合った。

 梅雨前線の影響で断続的に降る大雨がテントを打ちつける中、座り込みのメンバーは「頑張ろう」と互いを励まし合いながら約40人が早朝から座り込みを続けた。

 座り込みを続ける住民との衝突を避け、施設局が米軍キャンプ・シュワブから作業船の出港を検討しているという本紙報道のコピーがテント内で配布され、「アメリカの保護下に入ろうとしている」と施設局の動きをけん制する声が上がった。

 午前10時50分ごろ、施設局の職員ら八人がテントを訪れ、「台風のため午後から(漁港内の資材置き場の)安全対策をしたい」と申し入れがあった。監視団は「柵補強なら許せないが、安全対策ならわれわれも節度を持って接したい」と応じた。

 命を守る会の金城祐治代表は「姑息(こそく)なやり方はまかり通らない」と座り込みを無視した動きを嘆いた。30日に及ぶ座り込みに「私たちは整然と座り込みを続ける。このような矛盾がまかり通ってはならないと全国に伝えたい」と運動の広がりに期待した。ヘリ基地反対協議会の大西照雄代表委員は「県民の反対に遭って基地に逃げ込んだ。日本は米国の51番目の州だ」と厳しく批判。「シュワブからの出港は当初から予想しており、驚きはない。海上でも絶対に調査をさせない戦術を組んでいる」と穏やかに話した。

 基地軍隊を許さない行動する女たちの会の桑江テル子さんは「基地に逃げ込むのは政府の体質。沖縄返還の時も、佐藤総理は嘉手納基地から帰った。県民として許せない」と憤った。

 大宜味村の儀保昇さん(49)は「漁港からの正面突破はできず、基地から出れば裏切りになる。話し合いに応じるのが一番いい」と求めた。名護市の石橋麗さん(26)は「胸を張れることをしていないから私たちから逃げて基地から出すのだと思う」と力を込めた。



反戦共同行動のホームページから転載
5/17 チビチリがまを訪問 辺野古で座り込みに参加
5月17日、反戦共同行動委員会は知花昌一さんの案内で「象のおり」とチビチリがまを訪ねました。日本軍に見捨てられ、一方で「鬼畜米兵」と教えられたため、結局は攻めてきた米軍の前に集団「自決」をした村人たち。母が子を殺し、子が親を殺した姿。このチビチリがまでの悲惨な集団「自決」の話に、参加者は胸を打たれ、絶対に戦争を繰り返してはならないという想いでいっぱいになりました。

 その後辺野古に行き、「命を守る会」の座り込みに参加しました。すでに29日間、辺野古の住民の闘いは、新基地建設のためのボーリング調査を阻止しています。多くの参加者が、この闘いに参加できたことに感動し、本土に帰って再び仲間を連れて辺野古に座り込みに来ようと決意しました。
5/16 普天間基地を16000人で完全包囲
県民大会が3000人で高揚

5月16日午後、普天間基地包囲行動が16000人の参加で取り組まれ、普天間基地は完全に包囲されました。参加者は、「人間の鎖」を行いながら「普天間基地は出て行け! 新たな基地は要らない」と訴えました。子どもたちは、「基地を撤去して公園にしろ!」と訴えました。
 さらに夕方、県民大会が開催され、3000人が参加しました。集会では、基地撤去の闘いを強め、名護への新基地建設に反対していくとともに、有事法制の制定に反対する運動を広げていくことが確認されました。
復帰32年徹底糾弾! 5・15集会を開催
5月15日、反戦共同行動委員会と沖縄労組交流センターは、「復帰32年弾劾! 『新たな沖縄売り渡し』を許すな! 5・15集会」を開催しました。150人が参加し、基地の島として強化され、また実際にイラクへの派兵に使われている沖縄の現実を徹底弾劾しました。
 集会では、知花盛康さんが発言し、本土から来た多くの若者達に檄を発し、沖縄の現実と闘いから学んでともに闘って欲しいと訴えました。また宮城盛光さんも発言し、イラク派兵によって強まる沖縄の基地強化の現実を訴えました。
 多くの若い学生・労働者が次々と発言し、翌日の普天間基地包囲行動への決意を固めました。
知花盛康さん 知花盛康さん
サマワの治安急速に悪化 強硬派の攻撃拡大 サドル氏、占領統治への不満吸収  2004/05/20 02:00
北海道新聞
 【カイロ19日田中祥彦】比較的治安が安定しており、日本政府が「非戦闘地域」とするイラク南部サマワの治安情勢が急速に崩れつつある。米国の占領統治に反発するイスラム教シーア派強硬派の攻撃がサマワを含む中南部に拡大。サマワに駐留する陸上自衛隊の宿営地付近での迫撃砲攻撃の頻度も高まり、十八日には宿営地近くで対戦車地雷が発見される騒ぎもあった。陸自第二次派遣部隊の第一陣は十七日にサマワ入りしたが、今後のさらなる治安悪化が懸念される状況だ。 シーア派の対米強硬派指導者サドル氏の支持勢力と駐留米軍・外国軍の衝突は四月上旬から激化。中部クートやナジャフでは連日のように数万人規模といわれるサドル氏の民兵組織マハディ軍と駐留軍の交戦が発生し、多くの死傷者が出ている。十七日にはサマワの東約百キロのナシリヤで駐留イタリア軍と民兵組織が六時間にわたり武力衝突し、イタリア兵一人が死亡した。

 サマワでも十日、治安維持を担当するオランダ軍兵士が殺害され、ナシリヤなどから流入したマハディ軍の関与が疑われている。十五日未明にはオランダ軍、イラク人治安組織とサドル氏派武装勢力との間で銃撃戦となり、十六日には警察施設や車両が武装勢力に襲撃され四人が死傷した。

 イラク駐留米軍はサドル氏の殺害か拘束を目指してバグダッドや中南部で空爆を伴う攻撃を継続しており、マハディ軍や市民に死者が続出。これに対し、サドル氏は十四日、イラク駐留外国軍に対する蜂起を呼びかけ、対立は深まるばかりだ。サドル氏が籠城(ろうじょう)するクートでは米海兵隊の包囲網が徐々に狭められており、追い詰められたサドル氏がイラク全土でなりふり構わぬ反転攻勢にうって出る可能性も否定できない。

 暗殺されたイスラム教指導者の父親の威光だけが頼りだったサドル氏が広範な支持を集めている背景には、一向に改善されない治安情勢と市民生活にある。サドル氏支持者の大半は職のない若年層とみられ、占領統治に対する不満を吸収する形でサドル氏の支持率も高まっている。

 サマワ市内でも、壁や掲示板に掲げられるサドル氏の肖像画の数が激増。十四日には米軍によるナジャフのモスク攻撃を非難するデモが発生するなど、駐留軍に対する感情は悪化の一途をたどっている。同市の男性会社員、カマル・ジャシーさん(23)は「今後、何が起きても不思議ではない。多くのサマワ市民が不安を持っている」と語った。



第51回産経児童出版文化賞を辞退しました。
 「私たちはいまイラクにいます」
 http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2119188&x=B
が、第51回産経児童出版文化賞を受賞しました。
 しかし、イラク戦争やこの間の産経新聞の論調は日本政府やアメリカサイドの報道に偏り、イラクの独立のために抵抗している人々をテロリストと呼び、アメリカの戦争に協力的です。イラクのこどもたちの事を描いた本が賞をもらうことはとても嬉しいことですが、この新聞社からもらいたくないと言うのが率直な私の気持ちです。
 以下のような辞退の手紙を送りました。
第51回産経児童出版文化賞の受賞を辞退させていただきます。

 「私たちはいまイラクにいます」に登場するイラクの子どもたちの写真は、悲惨な戦争のなかでも、それを乗り越えてたくましく生きていました。彼等は無法なアメリカの侵略戦争を身をもって告発していました。空爆された跡に立つ少女や劣化ウラン弾の影響と思われる白血病の少年がじっと見つめる瞳はこの戦争を止められなかった大人たちの責任を静かに追及しているようでした。

 この戦争を産経新聞社はどのように伝えたのでしょうか?日本政府のこの戦争に加担する姿勢を一度でも批判したのでしょうか?

 この賞を受けてしまったなら、イラクの子どもたちに2度と顔向出来なくなってしまいます。
2004年5月10日


5月18日(火) 「街」日誌

沖縄出身のおキヨさん。
「辺野古が今大変なんです!」
と話をしたら、
「なんで早く言ってくれなかったの?辺野古行きましょうよ!」と行って、沖縄行き決定!!
お茶の時間、お客さんが今の社会に怒る怒る!! 神保さんお手製のジーパンバッグ。 寄付でもらった鉄の仏像。
今日の夕ご飯は水菜鍋。杉並の客さんにいただいたそうです。 市村さんが寄付をもってきてくれました。鞄の中からいろいろ変わったものが出てきてビックリ!
共謀罪阻止!国会前行動に行ってきました!共謀罪って超やばい法律だ〜!
「天下に挑戦状を叩きつける!」と行って国会前を歩き回っていたおじさん。 妙法寺の方も沢山いました!「ジュゴンの家のHP、写真がなくて残念だね・・」と、いろんな人が見ていることを知ったのでした。
国会前でお昼ご飯。
まいうー。

阻止行動29日目。広く広く辺野古の状 況を訴えましょう
5月17日(月)
・防衛施設局は来ませんでした。

午前中から200名ほどの人達が辺野古に集まっていました。普天間包囲行動を16日に終え、辺野古に来られた方が多いようでした。神奈川、東京、北海道、四国、神戸、九州、とにかく色々なところからです。今日だけで少なく考えても400名は座り込みに参加していきました。全国の関心度はどん
どん「拉致被害者」から辺野古へと動き出しています。
私達はもっと訴えを広げていかなければなりません。
辺野古の闘いは継続して人を全国から送り出し、継続して支援をしていただけるようにしなければならないと感じています。長丁場になるかどうかは相手の出方次第なのですが、状況は常に緊迫しています。

日々の闘いに求められることは自分達が常に緊張感を持って現場とかかわり、訴え続けることに誇りを持って実行することです。だからこそ、全国、世界中から私達に支援が必要です。共にそれを共有して闘い続ける事をやっていかなければなりません。

今日は午後からどしゃぶりとなりました。台風も近いせいもあってちょっと大変。座り込みをしていた人達は全員ずぶぬれ。風邪をひく人が出なければいいけれど。炊事場のせっちゃんはかやぶきの屋根のうちに住んでいるため「台風が来たら屋根が飛ぶー」と気が気じゃない。沖縄の台風は本当にすごい。プレハブ小屋さえもふっ飛ばす。なんとか、台風で守る会が飛びませんように。
防衛施設局の建物が飛ぶように。念力を送っとこう・・・・・うーーん。

辺野古の情報を毎日ホームページで更新させ、発信しています。周りにこのホームページを活用し、伝えていただければ幸いです。

ジュゴンの家(写真つきで発信しています)http://www47.tok2.com/home/dugong/index.html 
 現在、パソコン不調のため文章のみ「街」が送信しています。新しいパソコンを注文したので写真現地はしばらくお待ち下さい。

沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団(文章だけですが、とても早いです。)http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/  
の二つです。

ヘリポート建設阻止協議会 (命を守る会) / 〒905−2171 沖縄県 名護市字辺野古 243
пEFAX 0980−55−3131 / E-mail henoko@f5.dion.ne.jp
郵便振替口座 01710-8-53407 / 加入者名 命を守る会
<普天間代替>調査反対で座り込み29日目  琉球新報 17日

 【名護】普天間基地代替施設移設のためのボーリング調査に反対するため、名護市辺野古漁港内でヘリ基地反対協議会などが続けている座り込み行動は17日午前、29日目に入った。地元の辺野古区民のほか、県内外から多くの人々が参加。座り込み開始から約1時間後の午前8時ごろには、計約100人が座り込み行動に参加した。

 座り込みの合間、ヘリ基地反対協議会のメンバーらは、事業主の那覇防衛施設局がボーリング調査のため訪れないか警戒し、周辺の監視を行っている。

 伊江島における戦後の米軍強制土地接収に非暴力で抵抗した反戦運動家の故・阿波根昌鴻さんとともに活動した謝花悦子さん(65)も、同島から駆けつけた。

 謝花さんは「この闘いは世界を守る闘い。(座り込みの)長期化も予想されるが、伊江島の闘いでは、阿波根も身体を壊したら相手の思うつぼだと健康に気を使った。みなさんも体調に気をつけ、勝利しよう」と参加者に呼びかけた。

<5・15県民大会>新基地建設許さず  琉球新報 17日
米英軍と自衛隊の即時撤退や米軍基地の県内移設反対などを訴え、ガンバロー三唱で気勢を上げた大会参加者ら=16日午後5時すぎ、宜野湾市海浜公園

 5・15平和行進最終日の16日夕、宜野湾市海浜公園屋外劇場では「5・15平和とくらしを守る県民総決起大会」(主催・同平和行進実行委員会、沖縄平和運動センター)が開かれ、約3000人(主催者発表)が参加した。3日間の行進を終えた3コースの一行が結集し、米英軍と自衛隊のイラク即時撤退を求め、基地の県内移設反対などを訴える「復帰32年5・15県民大会宣言」を採択した。

 大会で、崎山嗣幸実行委員長は「復帰32年、県民の願いはことごとく踏みにじられ、米兵による事件・事故は絶え間なく続いている。今回の平和行進や普天間包囲が、基地返還の原動力になる」と総括。全国参加者を代表し平和フォーラムの江橋崇代表が「全国に散って平和のために行動したい」と強調し、佐久川政一・普天間基地包囲行動実行委員長は「辺野古移設による新基地建設は絶対に許してはならない」と訴えた。

 激励に駆け付けた伊波洋一宜野湾市長は「返還合意から8年、墜落の危険性と爆音被害に耐え忍んだが、むしろ訓練は増加している。これ以上放置は許されない」と批判した。基地の県内移設に反対する県民会議の山内徳信代表は、普天間の早期全面返還の実現や辺野古移設反対を訴え、「全国で発信してほしい」と呼び掛けた。

 会場は「軍事基地撤去」「基地のない沖縄を」など、それぞれの訴えを鉢巻きやゼッケンに託した人々で埋め尽くされた。県外参加者からは「戦争の流れをつくらせてはいけない」との声が聞こえた。

◇基地への不満強く

【解説】 普天間飛行場の早期全面返還を目指す3度目の基地包囲が成功した。日米の返還合意から8年を経ても、宜野湾市民は年々増加する騒音被害や危険と隣り合わせの生活を強いられている。包囲への大勢の人々の参集は、同基地が存在し続けることへの不満の強さを示した形だ。

 政府はSACO(日米特別行動委員会)最終報告に基づく名護市辺野古沖への代替施設建設が、返還に向けた最も近道だと主張している。ところが合意時の「5年ないし7年」との返還期限は1年前に過ぎ、3、4年かかる環境影響評価(アセスメント)と9年半の工期を合わせると今後12、3年後にしか完成せず、合意から20年以上を経なければ返還が実現しない計算だ。

 環境影響評価作業の方法書の公告縦覧も約10カ月遅れ、ボーリング地質調査も大幅に遅れて実施できないままとなっており、今後さらに計画が遅れる可能性も否めない。

 移設作業の遅れに米側から不満が出ている。県民の間では県内移設自体への反対も根強く、SACO合意に基づき移設作業を進めることが最も返還への近道だとする政府の主張は次第に説得力を失いつつある。

 日米合同委員会で合意した夜間飛行や住宅地域での飛行を制限する「航空機騒音規制措置」も順守されていないのが実態だ。「十数年以上も現状を放置するわけにはいかない」(伊波洋一宜野湾市長)との声は強まっており、日米両政府は新たな打開策の検討を迫られているともいえる。

(政経部・松永勝利)

◇大会宣言(要旨)

 戦後59年、復帰から32年。復帰に託した県民の願いはことごとく踏みにじられ、「基地の島・沖縄」の現実はいささかも変わらない。巨大な軍事基地は居座り続け、米軍人・軍属の凶悪事件は後を絶たない。

 日本政府は、沖縄から発せられる基地の撤去・整理縮小、地位協定の見直しに一切耳を傾けないどころか、普天間基地の辺野古移設や那覇軍港の浦添移設をはじめ、米軍の新基地建設を強要し、あらたな対立と緊張を持ち込んでいる。だからこそ私たちは行動を起こさなければならない。憲法改悪を許さず、戦争の惨禍が国民の頭上に振り下ろされないために。

 27回目を数える今年の平和行進は、各コースで反戦・平和、憲法改悪反対、自衛隊のイラク派兵反対・即時撤去要求、基地の県内移設反対、普天間飛行場の即時撤去などを訴えた。最終日には普天間包囲行動に合流し、普天間飛行場の即時無条件全面返還を訴えた。

 私たちは、米英によるイラクへの軍事侵攻を糾弾し、米英軍そして自衛隊の即時撤退を求め、日米両政府・小泉内閣によって進められる戦争策動を食い止め、また、沖縄の米軍基地の縮小・撤去とあわせて、基地の県内移設を決して許さないために、今後とも奮闘し闘い抜くことを宣言する。

<平和行進>普天間基地撤去で誓い  琉球新報 17日

 基地のない平和な沖縄を目指し、3日間にわたり県内を平和行進した県内外の参加者は16日夕、宜野湾市海浜公園で開かれた「平和とくらしを守る県民大会」に結集。体や足の疲れをものともせず、改憲阻止などを訴え、新たな“闘い”を誓い合った。

 3コースの参加者らが一堂に集まった会場は、それぞれが3日間で深め合った“平和の思い”があふれ出たような盛り上がりに。各コースの代表が次々にあいさつし、「多くの県民に見守られ、行進できたと実感した。基地撤去を夢で終わらせてはいけない。みんなで行動すれば必ず実現する」と訴えた。

 初めて参加した山口朋子さん(30)=東京都=は「民家のすぐそばにフェンスがあるのを見て、日米両政府はなんてひどいことをしているんだと痛感した」と怒りを込めた。真っ黒に日焼けした天野雄之さん(32)=大阪府=は「沖縄の基地被害の実態を目の当たりにしショックを受けた。自分に何ができるか考えていきたい」と述べた。

<普天間包囲行動>「人間の鎖」に1万6000人
普天間飛行場包囲行動に約16000人が参加、“人間の鎖”で早期返還への決意を示した=16日午後2時32分ごろ、宜野湾市真栄原の同飛行場周辺

 普天間飛行場の早期全面返還などを求めた「普天間基地包囲行動」(同実行委員会主催)が16日午後、宜野湾市の普天間飛行場周辺で行われた。平和運動団体や労働団体の関係者、一般市民ら約1万6000人(主催者発表)が参加し、飛行場の周囲約11・5キロを手でつなぐ“人間の鎖”で包囲した。名護市辺野古沖への代替施設建設に向け作業が進む一方で、日米合意の「5年から7年」との返還期限から1年を過ぎても変わらぬ現状に、参加者全員が早期返還の強い意志を示した。その後、宜野湾市海浜公園で「5・15平和とくらしを守る県民大会」が開かれた。

 普天間飛行場の包囲は1995年と98年に次いで3回目。嘉手納飛行場の3回と合わせると六回目の基地包囲となった。参加人数は前回とほぼ同じ規模となった。

 運動方針に(1)普天間基地の早期全面返還(2)日米地位協定の抜本的改定(3)返還後の環境浄化など跡利用整備(4)地主への補償、基地従業員への雇用対策―を掲げ、連合沖縄の加盟労組が初参加し、前回は自主参加だった全駐労も今回は組織として正式参加した。

 基地包囲は午後2時、2時半、2時50分の3回行われ、1回目は3カ所で輪が途切れたが、2回と3回は基地包囲に成功した。強い日差しの中、労組員、家族連れや若者、本土からの平和行進団参加者らが汗をぬぐいながら、金網沿いに両手を広げて手をつないだ。

 包囲終了後、佐久川政一実行委員長が包囲完結宣言を行い「目標が達成できたのは炎天下参加したみなさまの熱意と汗のたまものだ。普天間基地の早期全面返還を勝ち取ろう」と訴えた。

 地元宜野湾市の伊波洋一市長は「大成功の成果を7月の要請行動で日米両政府に伝え、1日も早い全面返還を実現できるよう行動を展開していく」と決意を述べた。

◇「基地要らない」声一つ
「基地をなくして公園を造れ!」と叫ぶ子ども=16日午後2時53分、宜野湾市真栄原

 「街なかの危険な基地はいらない」。普天間基地包囲行動が行われた16日、1万6000人(主催者発表)が11・5キロの金網を取り囲んだ。家族、友人、職場仲間、若者グループ、祖父母から孫までの3世代も。参加者は県内にとどまらず、本土や海外からも駆けつけた。握り合った手と手に、それぞれが基地撤去と平和への願いを込め、人間の鎖をつくった。普天間基地返還の日米合意から8年。なかなか動かぬ”巨体”に、ウエーブで、音楽で、風船で、リボンで、笑顔とともに立ち向かった。

 包囲は3回。午後2時半の2回目と2時50分の3回目がつながると、大きな拍手に包まれた。

 今回の行動はビデオや写真に収めて米政府に届ける予定。横断幕やゼッケンには、英語と日本語の併記が目立った。「静かな夜を返せ」「リターン・トゥー・アス・サイレント・ナイト」。シュプレヒコールにも英語が交じる。

 フェンスのすぐそばに住む女性(75)は、子供と孫の3世代で包囲した。「近所との関係もあり、普段は声高に『基地反対』とは言えないが、孫たちのためにも1日も早く返還してほしい。本当にうるさいんです」と静かに語る。「普天間の代わりに辺野古に基地が造られるのも反対。どうしてあんなに反対しているのに、国は造ろうとするのか」と首をかしげた。

 平和と福祉を語り合う場「土の宿」主宰の木村浩子さんは伊江島から車いすで参加。「基地包囲と日本国家が対極にある。どっちを選ぶのか、一人ひとりの選択が迫られている」と語った。

 韓国で米軍基地の被害実態を訴えている市民団体・駐韓米軍犯罪根絶運動本部事務次長の高維京さんは辺野古の座り込みも視察した。「基地被害に直面している人もそうでない人も連帯して意思表示する行動は、大変参考になった」と沖縄で見た市民活動に刺激を受けた様子だった。

 浦添市の港川学童クラブは、子供たちや父母らがリヤカーを引いてフェンスに沿って歩いた。「自分一人でも行動を起こそうと思っていたが、20人近く集まった」と指導員の森川武さん(44)。子どもたちと包囲の輪に加わった。

◇過去2回と同規模/95年1回、98年2回成功

 3度目となった今回の普天間飛行場包囲行動の参加者は、過去2回とほぼ同規模の1万6000人(主催者発表)だった。

 1995年に初めて行われた包囲行動には、主催者発表で1万7000人が参加。包囲は3回行われ、最初の2回は出足が悪く包囲できなかったが、3回目でつながった。

 2回目の普天間包囲となった98年には、主催者発表で1万6000人が参加した。1回目は輪が途切れ包囲できなかったが、その後の2回は包囲に成功した。


<2004年5月17日 沖縄タイムス朝刊 23・22面>
結んだ平和の心伝えた基地NO/5・16普天間飛行場包囲

 「つながりました」。16日午後2時半、30度を超す暑さのなか、普天間飛行場の「完全包囲」が伝わると、拍手が起き、フェンス沿いでウエーブが揺れた。県内外から集まった親子、夫婦、友人たち、3日間かけて歩いてきた平和行進の参加者の願いが1本の「人間の鎖」を結実させた。「名護のジュゴンと一緒に泳ぎたいので海を埋めないで」「基地は米国に持って帰って」。沖縄の声を米国に発信しようと設置したメッセージボードとメールコーナーには、平和への思いがつづられた。

「県内移設反対堅持を」/ヘリ基地反対協議会

 ヘリ基地反対協議会は約六十人が名護市から駆けつけた。「普天間基地撤去。辺野古移設反対」のシュプレヒコールを繰り返し、多くの参加者が声を合わせた。

 安次富浩代表委員は、包囲行動のスローガンから「普天間県内移設反対」がなくなったことに、「県内移設反対を降ろした一部の動きは、本当に悲しい」と嘆いた。その上で「普天間返還と県内移設反対は不離一体、分けられないんだ」と強調した。

 名護市の辺野古漁港では、四月十九日以来、米軍普天間飛行場の移設に伴う那覇防衛施設局のボーリング調査を阻止しようと、同反対協や「命を守る会」、環境団体などが座り込みを続けている。

 代表委員の宮城幸さんは「これ以上の基地は許さない。子や孫にその重圧を押し付けさせるわけにはいかない。命をくれる海を守りたい。負けるわけにはいかない」とつないだ手を振った。

「静かな夜を返せ」/爆音訴訟原告

 「普天間飛行場」と「嘉手納基地」の爆音訴訟に参加した原告住民らは、「静かな夜を返せ」との願いを込め、ウエーブを繰り返した。

 宜野湾市役所前で手をつないだ普天間爆音訴訟の訴訟団。島田善次団長は「県民は基地を受け入れないという意思を表せたと思う。沈黙は基地を認めること。声を上げ続けることが大事だ」と力を込めた。

 新嘉手納爆音訴訟原告団は同市野嵩の第三ゲート前に百五十人が集まった。仲宗根洋子さん(48)=石川市=は「宜野湾の人が基地から受ける苦しみは、私たちもよく分かる。お互いの夜が静かになるまで一緒に頑張りたい」と汗をぬぐった。

亡き父母のため、子のため大謝名/地区住民

 「もうすぐフェンスがなくなるからね」

 普天間飛行場の南西、米軍機による爆音が最も激しい宜野湾市大謝名地区に住む比嘉博さん(58)と和子さん(55)は、メッセージカードにそう書いた。飛行場を囲むフェンスを隔てて、数メートル向こうにある墓に眠る父母にあてた言葉だった。

 戦後、博さんの父母が野菜を作っていた畑と親族の墓があった土地は、同飛行場の一部として米軍に接収された。現在、墓から三十メートルほどの場所に誘導灯が立っている。年に一度の清明(シーミー)祭か、親族が亡くなったときにしか、墓に近づくことは許されない。

 小銃を持った米兵に見張られながら、おびえる子どもたちを連れて墓参りをしたこともある。夫婦は時折、墓の様子を見に来ては、眠る父母たちとの間にたちはだかる近くて遠い距離を思う。

 いつか、自分たちもこの墓に入ることになる。「子どもたちがいつも会いに来られるお墓に入りたい。包囲行動は、これで終わりになってほしい」と和子さん。夫婦でつないだ手には、一日も早い返還への期待が込められている。

 大謝名地区は、飛行場への着陸コースの真下にある。同地区に二十数年住んでいるという国仲昌寛さん(73)は「爆音で会話はできないし、胸に響く。孫が小さいときは、寝付けないので昼間に遊びに来たことがない」と話す。

 近くのガソリンスタンドのサブマネジャーの男性(44)は「石を投げたら当たりそうな高度で飛んでくる。墜落したらと考えると恐ろしい」。

 「早く飛行場がなくなってほしい」との願いを込めて、同地区の宮里勉さん(55)と悦子さん(55)は夫婦で包囲行動に加わった。連なる人の列を見ながら、悦子さんは「県外からたくさんの人が集まってくれたことはうれしいし、ありがたい」と語った。

子どもたち、手に力込め/笑ばあ会

 本島中部の小中高校生らでつくる「笑ばあ会」。十四人が平和への願いを込めて小さな手を握り合った。

 ほかの大人たちから「どこから来たの?」「がんばれよ」と声をかけられ、少し照れた表情だったが、「基地はいらない!」と力強く反戦平和への願いを訴えた。

 初めて包囲行動に参加した名嘉山舞子さん(14)=具志川市=は「ニュースでしか知らなかったが実際の基地は大きくて驚いた。基地問題などあまり関心がなかったがこれからも平和への取り組みを続けていきたい」と話した。

 包囲行動の前に宜野湾市の伊波洋一市長から普天間飛行場について説明を受けたメンバーたち。「基地がなくなったらどうなるんですか?」と質問。「みんなが憩えるような沖縄の中心的な地区にしたいですね」という伊波市長の答えを真剣な表情で聞き入っていた。

 「笑ばあ会」は環境問題や社会問題などの課題を自分たちの立場から考えている。包囲行動を前に、普天間飛行場について事前勉強したという。

基地いらないが失業したくない/全駐労、複雑な思い

 全駐労(六千五百人)は、約百五十人がフェンスの外から基地を見つめ、手をつないだ。

 一九九八年の包囲行動では「雇用対策に展望が見いだせない」として、組合員の意見がまとまらなかった。今回はスローガンに「基地従業員の雇用対策」が掲げられ、九五年以来の組織参加となった。

 兼次徳助委員長(61)は「前回とは状況が違う。連合沖縄も参加しており、組合員の理解は得られた」と強調。「基地の整理・縮小は多くの県民が望んでいる。『基地で働くわれわれには関係ありません』では、労組として孤立してしまう」と話した。

 空軍支部の男性(42)は「基地が必要とは言わないが、失業はしたくない」と複雑。ただ「基地従業員の立場を表明するためにも、今回の参加は意義がある」と力を込めた。

 嘉手納基地で働く真喜志康成さん(40)は三人の子どもがいる。「子どもたちが平和な沖縄で暮らすために、基地はいらない。でも、仕事がなくなるのは困る。雇用確保に責任を持って、早期返還を実現してほしい」と期待した。

基地ゲート3カ所閉鎖

 三カ所ある基地ゲートは閉め切られた。米海兵隊は平和行進参加者らが集まるエリアを避けるよう事前に勧告していたため、米兵らの出入りはなく、憲兵の姿も見られなかった。

 大山の第一ゲートでは前回と違い米兵の姿が見られず、直接アピールするつもりだった参加者はいささか拍子抜け。包囲が終わるごとに「普天間基地を撤去せよ」「米軍のイラク侵略を許さんぞ」とシュプレヒコールを繰り返した。

 佐真下の第二ゲート。シートを広げ弁当を食べる家族連れも。時折、MPが車で見回った。

 野嵩の第三ゲートは午後一時に閉門。日本人警備員の姿が見えるだけ。参加者は「NO MORE NOISE」と書かれた小さなカードをフェンスにくくりつけた。

<宜野湾市>メールで米に“直訴”琉球新報 17日

 宜野湾市役所ではブッシュ米大統領に電子メールを送るコーナーが設けられ、訪れた家族連れや学生らが平和への願いを思い思いに書いていた。メッセージは翻訳ボランティアが英訳し、ホワイトハウスを通じて同大統領やチェイニー副大統領あてに送られた。64通のメッセージが集まった。

 基地包囲を終えやって来た宜野湾市の比嘉朋子さん(37)と子どもたちは、全員で意見を書いた。娘のみのりちゃん(8つ)は「飛行機の音がうるさいです。基地はいりません。戦争はやめてください」と、末っ子の資(たすく)くん(7つ)も「基地がなくなるとうれしいです」と一生懸命考えながら書いていた。

 基地包囲を終えやって来た宜野湾市の比嘉朋子さん(37)と子どもたちは、全員で意見を書いた。娘のみのりちゃん(8つ)は「飛行機の音がうるさいです。基地はいりません。戦争はやめてください」と、末っ子の資(たすく)くん(7つ)も「基地がなくなるとうれしいです」と一生懸命考えながら書いていた。

 メッセージはワシントンポストとニューヨークタイムズの2米紙にも送る。

 同市はこのほか、普天間飛行場を描いた大きな板を市役所前などに設置。包囲行動の参加者が意見を張り付けていた。

「早く返還を」などと思い思いのメッセージを書き、ボードに張り付ける参加者たち=16日午後1時31分、宜野湾市


5月17日(月) 「街」日誌

うららちゃんに沖縄物販をいっぱい送ってもらったので、総出で値札付け! 午後1時、物販委員会開始! 今回の議題、「在庫管理について」
マック斉藤さん、辺野古カンパ! ブルジョアベア
再度来店、
鰹の刺身をいただきました!




3:45 
「街」ニュースと歌でアピール!→


鰹の刺身おいしくいただきました!!
マック斉藤さんありがとう!

辺野古の現在。8:06
旧の公民館に「応用地質」の責任者岡本がいます。公民館にはその一台だけです 。 防衛施設局の基地内施設の一階の窓が開きました。警戒が必要です。
 
精神障害者」の雇用促進というなら私を職場に戻せ
  厚生労働省は5月7日にペテン的な「精神障害者」の雇用促進策を発表しました 。障 害者雇用促進の雇用義務に「精神障害者」を新たに加えながら、雇用義務率は変 更し ないというのです。その率はわずかに1.8%。「障害者」は656万人、人口 の5 %です。今まで雇用義務のあった「身体」「知的障害者」でも人口の3%です。 雇用 義務率は不当に低かったのです。そこに加えられる「精神障害者」は258万人 、人 口の2%です。当然にも雇用義務率は2%高められなければならないはずです。 また、「精神障害者」を苦しめている欠格条項は今までと変更されません。欠格 条項 とは「障害」ゆえにある職業から排除すべきとされているか(絶対的欠格条項) 、条 件をもうけて排除しても良い(相対的欠格条項)としている法律です。私は国 家公務員の欠格条項によって免職となりました。すなわち、「精神障害者」は国 家公 務 員に向いていないからクビにしてよいという条項です。相対的欠格条項があるか らク ビを切られる人は多く、不当なクビ切りの口実とされています。 厚労省の調べによれば、雇用されていて「精神障害者」と認定されているのは、 わず かに5万1000人で、そのうちの25%の1万3000人は雇用された後で「 精神 障害者」になった人です。全「精神障害者」数の2%にも満たない人しか雇用さ れて いないことが分かります。企業はこの人たちを義務雇用に加えることができます 。雇 用義務違反は月一人あたり5万円の罰金を払わなければならないから、企業にと って は今までと変わらない数の雇用で罰金を逃れることができるのです。 雇用義務とある特定の「障害者」をクビにすることとは矛盾しません。企業にと って 金儲けにはつながりそうもない「障害者」のクビをきっても別の「障害者」を新 たに 雇用すれば義務違反ではないのです。実際に雇用されるのは、手を使う仕事なら 手に は「障害」がなく足の不自由な人とか、生産ラインで「聴覚障害者」を雇用する と か、 生産性にはさしさわりのない人だけなのです。雇用率が実際の「障害者」数より 低く 設定されているのはこの理由からではないのでしょうか。 「精神障害者」を新たに加えながら雇用率はそのままにすることは絶対に許せま せ ん。人口の2%、258万人など雇用する気は最初からないのです。あくまで、 欠格 条項には引っかからない人たち、普通の労働者と同等の仕事ができる人たちだけ を雇 用するのです。職場で「精神障害者」を洗い出し障害者雇用率に加えるというこ とも 行なわれるでしょう。こんなものは「障害者」の雇用促進でもなんでもない。「 精神 障害者」に新たな分断を持ち込むものでしかない。働ける「精神障害者」と働け ない 「精神障害者」に区別し、働けない人は今まで以上に差別して行くのです。 こんな新たな差別を行う≪厚労省版の「精神障害者」雇用促進≫に反対します。
以下、朝日コムより
精神障害者も法定雇用率算定対象へ 厚労省が法改正検討  厚生労働省は7日、精神障害者の雇用を促進するため、障害者の法定雇用率の 算定 対象に加える障害者雇用促進法改正案を、05年通常国会に提出する方向で検討 して いることを明らかにした。法定雇用率の算定対象は現在、身体・知的障害者に限 られ ており、厚労省は新障害者基本計画(03〜12年度)で、精神障害者の算定対 象化 を検討課題に挙げている。  算定対象に加える精神障害者は、日常生活や社会生活に制約があると認める精 神障 害者保健福祉手帳の取得を条件とする。新たに採用する場合だけでなく、すでに 雇っ ている場合や、公共職業安定所長から障害者雇用に配慮していると認定された「 特例 子会社」で雇う場合も対象にする。現在雇用されている人も、法定雇用率に算定 され るには、同手帳の取得が条件になる。  障害者雇用促進法は、従業員56人以上の企業に全従業員数の1.8%以上の 身体 ・知的障害者を雇うよう義務づけているが、03年6月時点で1.48%にとど ま る。  法定雇用率の未達成企業(従業員301人以上)は、不足人数1人につき月5 万円 を国へ納付しなければならない。精神障害者が算定対象になることで、企業が法 定雇 用率を達成しやすくなり、算定対象でないことを理由に採用を断るケースも減る と期 待される。厚労省は当面、法定雇用率を据え置くが、精神障害者を加えることで 将来 的な引き上げも検討する。  98年度の労働省(当時)の調査では、従業員5人以上の企業や事業所が雇用 して いる精神障害者は5万1000人。うち、約25%の1万3000人は雇用後に 障害 を負った。 (2004/05/07)
高見元博 <兵庫県精神障害者連絡会> http://jp.f25.mail.yahoo.co.jp/ym/Compose?To=oototoro.gen.gan@nifty.ne.jp&YY=47570&order=down&sort=date&pos=0&view=a http://homepage1.nifty.com/takamitousou/

> 共同通信より(5.16)
> > 陸自撤退につながる解釈 サドル派で内閣法制局が報告 > >  内閣法制局が、イラクで米軍との衝突を繰り返しているイスラム教シーア派 の対 米 強硬指導者サドル師支持派について、陸上自衛隊のサマワからの撤退にもつな がり か ねない解釈をまとめ、4月に福田康夫前官房長官に報告していたことが15日 分 かっ た。政府関係者が明らかにした。  内閣法制局が報告したのは、サドル派を「国に準じる者」とする解釈。福田 氏は こ れを政府見解とすることを留保。防衛庁は解釈を認めれば、サマワがイラク復 興支 援 特別措置法上の「非戦闘地域」でなくなる可能性もあるため、激しく反発して い る。  石破茂防衛庁長官はこれまでの国会答弁で、自衛隊の派遣先となる非戦闘地 域に つ いて「海外での武力行使を禁じた憲法9条を担保する規定」と説明。その際、 「戦 闘」については「国または国に準じる者による、組織的、計画的なもの」と定 義し て きた。  法制局の解釈に従えば、サマワでサドル派による攻撃や応戦があった場合、 イラ ク 復興支援特別措置法上の「非戦闘地域」でなくなる。 >




5月16日(日) 「街」日誌

普天包囲行動。歴史が動いていく。 私達の闘いと共に。阻止行動28日目
5月16日(日)
・防衛施設局は来ませんでした。

本当に久しぶりにゆっくとした日でした。普天間包囲行動でたくさんの人々けが南部に出ていたせいもあり、おばぁ達が辺野古区の運動会ということもあり、静かな日でした。

お昼に座り込みの参加者からも代表で包囲行動に出ます。皆で送り出す。「基地建設反対を訴えてこいよーー」と檄が飛ぶ。

普天間を返すといってから「約束の7年」はすでに過ぎた。橋本元首相は約束を守っていない。あのラムズフェルドが「返還してもいいんじゃないか」と言っているのにもかかわらず。政府は普天間に住む人達の苦しみ、痛み、その声さえ封殺してきた。
座り込みをしている辺野古では防衛施設局が来たときに「あんたたちは普天間飛行場の走路の真下に住んでみなさい。私達の気持ちが少しは感じられるはずだ。私達はここから逃げられないんだ。」と訴えた、けれど彼らは答えなかった。
この国は間違っているぜ。
だからこそ今回の包囲行動は多くの人々が参加した。人々の怒りが普天間基地の返還を呼びかけている。もっと多くの人々が一緒になって訴えない限り普天間基地の返還はない。訴え、もっと広げましょう。

宜野湾市では5月15日に「異常事態宣言」をしている。伊波洋一宜野湾市長が先頭になって普天間返還を訴えている。国はこの国にとっての異常事態をどう受止めるのか!
普天間基地をなくせーー!!

午後、座り込みに普天間に行っていた人々が帰ってきた。伊江島の「わびあいの里」の謝花さんが来られ、本部P3C自衛隊基地に反対しているおじぃ、おばぁが座り込みに合流した。まさに沖縄の闘いの歴史が辺野古で合流しているようです。闘い抜いてきた人達の独特の雰囲気はその場の空気を変えていた。辺野古の現在の闘いのものすごさを人との出会いが教えてくれる。

歴史が動いていく。私達の闘いと共に。

<普天間代替>包囲行動参加者が座り込みに合流

県外から大勢の人が参加した辺野古漁港での座り込み=15日午前、名護市の辺野古漁港

 【名護】普天間代替施設建設に向けたボーリング調査を阻止するため、名護市の辺野古漁港で続いている市民団体らの座り込みに15日、平和行進や普天間基地包囲行動で来県した県外からの参加者らが大勢加わった。代替施設が計画されている辺野古沖も船で視察し、海の美しさと代替施設の巨大さを実感した様子だった。

 県外の市民団体らが入れ代わり立ち代わり座り込みに参加し、延べ人数は約190人となった。

 市民団体メンバーの船に乗って海を見た福岡県の良山中学校教諭の高松美保子さん(41)は「話だけではピンとこなかったが、実際に藻が生えている所やウミガメも見えた。こんなきれいな海に人を殺すための道具を造ろうとしているのかと思うと悲しい」と感想を語った。

 闘争へのカンパと調査中止を求める署名を持ってきた「沖縄とともに基地撤去を目指す関西連絡会」の大川健二事務局長は、「座り込みの状況は本土ではあまり報道されていない」と指摘。16日の普天間基地包囲については「包囲行動の成功はもちろんだが、その先の県内移設なしの無条件返還を目指すために関西で地道に運動を広げたい」と話した。

◇ボーリング調査中止へ決議採択/東京でも集会

 【東京】復帰記念日の15日、都内でも沖縄・1坪反戦地主会関東ブロック(上原成信会長)が名護市辺野古沖への普天間代替施設建設の白紙撤回と普天間基地返還の実現を求める集会を開いた。会員ら約80人が参加して辺野古沖でのボーリング調査に抗議する決議文を採択し、集会後、防衛施設庁までデモ行進を繰り広げた。





5月15日(土) 「街」日誌

おおやじさん コンロを磨く洋平くん
今日の昼ご飯は3色そぼろ丼
そして、沖縄アピールタイム!!
ヨッシー作、アピールグッズ。 早速署名してくれました!
夜は杉並に集合!  「沖縄と連帯して、沖縄料理を食べよう!」会
則子さん作、スモーク三枚肉 すくがらす
ゴーヤチャンプルーを作りながら、沖縄そばをゆでる、シェフハネやん。
いただきまーす!                                   総勢14人が2回に分かれて食べました!
←高橋さん、律ちゃんが作ったアクリルたわしお買い上げ!





       後半組もいただきまーす!

ナーベラ(ヘチマ)の炒め物。 じーまみ豆腐
「おいしいわね〜」
じーまみ豆腐を始めて食べる、小島さん
最後に、タカちゃんが来て1周年!!記念のケーキを食べました!

阻止行動27日目
5月15日(土)
・防衛施設局は今日も来ませんでした。

5月15日沖縄が日本に復帰した日。まよなかしんやさんは「琉球は復帰するべきではなかった」と歌う。日本人である私はその意味を肌で感じるようになりました。この辺野古で。

5月15日ということもあり、たくさんの人々が辺野古に集まりました。200人は超えていたと思います。防衛施設局が来ないということもあり、夏芽さんやかんきちさんも安心して船を出し、金城祐治さんを乗せ気分転換で海に出かけていきました。
船の横を亀がずーとついてきて手を振ってくれたと夏芽さんが言っていました。
ぬぉぉ、亀に会いたい。
いい気分転換になったのではないでしょうか。
立てる人が立てない人を助け、立てない人が立てる人を助ける。そうやって闘い抜いていこう。

午後からは15日は「ジュゴンの日」。おじぃやおばぁ達がたくさん集まってきました。おばぁ、おじぃはどういう状況においても自分達のスタイルを変えない。それが血圧を保つ秘けつだろうか。

5・15の節目で少しの間だけ辺野古に平穏が戻っている。
毎朝、闘いの日が昇るたびに緊張が走っていたが今日は久々にゆっくりとした朝を迎えていました。
しかし、またその日は来る。覚悟をまた一段と強める毎日です。


5月14日(金) 「街」日誌

椅子の布を張替えま〜す! ホッチキスでばっちんばっちん カドがむずかしー
今日の昼ご飯は長崎ちゃんぽん。
飯田さんから、
「タカちゃんが「街」に来て1周年記念!」のマグロのカマをいただきました!
店の前で沖縄アピール!
「命の海」「愛国心」「基地はいらない」
を歌う。
店の前を通りかかった女性の方からカンパをいただきました!
斉藤さんが栽培した無農薬チンゲン菜をいただきました!
夕ご飯は唐揚げとタコキムチ おいしいおいしい

現在の辺野古。
今日は平和行進の出発式のため漁港には漁民の理解を得た上で500名以上の人
達が集まっています。
この状況で防衛施設局がこれるわけはないと思います。来られるものなら来てみ
ろ。平和行進の人々は集会を終え、座り込みに現在合流しています。
座り込み参加者はこれで2500名を越えました。
阻止行動26日目。
5月14日(金)
・防衛施設局は来ませんでした。

午前8時30分、5月15日「本土復帰、屈辱の日」のために平和行進の人達が約500名ほど辺野古漁港に集まりました。全国から集まっていましたが、辺野古は沖縄の人達が多いようでした。沖縄全体で8000人が歩きました。集会が始まり「イラクの侵略にこのキャンプシュワブから1700人が出撃している」と取り上げ、「だからこそ辺野古の座り込みを続けなければならない」と発言がありました。基地建設を阻止し続けることはイラクの人達のために。未来あるアメリカの若者達のために。

平和行進の参加者は「基地建設反対!!」と声を上げながら座り込みをしているおばぁ達の前を歩いていきます。この声が沖縄、世界全体に届いて欲しい。
5・15に近づくにつれ多くの人が辺野古に集まってきます。
辺野古の現実を見て受止め、考え、行動することを続けていきましょう。おばぁ達を写真や思い出で終わらせては絶対にいけない。

今日の団結弁当はおにぎりと天ぷら、天ぷらには「紅芋」が入っていました。てんぷら屋さんのてんぷらよりもおいしいー。くわっちーさびたん。

今日は韓国の「駐韓米軍米犯罪根絶運動本部」の方が尋ねてくださりました。この間に辺野古に激励のメッセージを届けてくれた方です。「生命と平和を守ることは、軍事力、物理力はなくても、真理であり、真実であるがゆえに勝利するのです。米国がイラク戦争で没落しているように、暴力と軍隊を全面に立てて、生命と平和を破壊する行為は必ず敗北するのです。」メッセージの中でもこの部分はとても印象に残っています。「真実」の勝利を信じています。

おばぁ達は今日来ていた看護師の人から健康診断を受けていました。今日来ていたおばぁは2人が少し血圧が高かったがほとんどの人が「異常なし」ということを伝えられました。おばぁ達は「本当にありがたい、健康診断を受けられることはとても安心する。」と言っていました。本当にありがたい。
傷たらけで闘う人々を殺すために防衛施設局はやってくる。闘いが一日も早く終わって欲しい。そして止めるために多くの人々が集って欲しい。


琉球新報

<平和行進>基地のない島訴え 8000人が参加

普天間代替ボーリング調査の抗議座り込みを続ける辺野古区民らの激励を受けながら、出発する5・15平和行進の東コース=14日午前10時すぎ、名護市辺野古

 1972年の復帰から32年を迎えても存在する米軍基地の撤去や自衛隊・米軍のイラクからの撤退などを求めて、3コースに分かれて本島を歩く5・15平和行進(主催・同行進実行委員会、平和運動センター)が14日午前、スタートした。名護市と那覇市を出発した平和行進団は、自衛隊のイラク派遣や憲法改正の動きに警戒感を募らせ、「基地のない平和の島を取り戻そう」と訴えた。行進は3日間、本島内を練り歩き、最終日の16日には、「普天間基地包囲行動」に参加。その後、宜野湾市海浜公園野外劇場に集結し、5・15県民大会を開催する。

 平和行進団は名護市辺野古を出発し、米軍キャンプ・ハンセンなどを回る東コース、名護市役所を出発して楚辺通信所や嘉手納基地などを回る西コース、南部戦跡を回る南コースの3つに分かれている。行進3日間で延べ8000人余が参加する予定。宮古、八重山でも15日に平和集会を開く。

 名護市辺野古漁港近くで行われた東コースの出発式には約400人が参加。普天間代替基地建設のためのボーリング調査に反対して座り込みを続けている地元住民との連帯集会を兼ねて行われ、参加者たちは「辺野古への基地移設反対」と気勢を上げた。また、名護市役所で行われた西コースの出発式には600人が参加した。

 那覇市役所で行われた南コースの出発式には約700人が参加。主催者の平和運動センターの崎山嗣幸議長らが「基地撤去の動きを全国、世界に広げていこう」と呼び掛けた。

◇平和の思い一歩一歩/韓国からも参加

 復帰後、27回目となる5・15平和行進が14日午前始まった。米軍普天間代替基地の建設予定地となっている名護市辺野古では東コースの参加メンバーが時折小雨の降る中、国のボーリング調査に反対して座り込みを続ける地元住民と連帯集会を開き、復帰後も基地被害を受け続ける沖縄の現状を批判し、「美しい海を破壊するな」「新たな基地建設を許すな」と抗議の声を上げた。また、南コースの那覇市スタートには、韓国から2人が行進に参加。「韓国と日本で力を合わせ闘おう」と連帯を誓った。

【南コース】

 那覇市役所内で行われた南コースの出発式には700人余が参加。平和運動センターの崎山嗣幸議長は「核もない、基地もない、戦争もない、平和憲法の下に帰ろうという県民の願いを実現するための復帰運動だった。しかし、復帰32年目を迎えても基地の島、沖縄の現状は変わらない」と訴え、米軍基地の撤去、憲法を守る運動のさらなる展開を呼び掛けた。

 また、韓国保健医療産別労働組合から韓容文(はんよんむん)さん(44)と安秉綱(あんびょんくん)さん(43)の2人が、日本の全国医療等関連労働組合連絡協議会からの招待で初参加。韓さんは「アメリカの軍事覇権主義に反対するために、日本と韓国の庶民が力を合わせて力強く闘おう」と決意を表明した。安さんは「韓国にも米軍の基地がある。同じ問題を抱えている沖縄の状況に共感して参加を決めた」と話した。

【西コース】

 【名護】平和行進西コース(団長・大湾充自治労県本部教宣部長)の出発集会は午前9時から、名護市役所前広場で行われた。この日西コースには約600人が参加した。

 連帯のあいさつでは、ヘリ基地反対協の大西照雄代表委員が辺野古漁港での座り込み闘争について語り「ぜひ駆けつけて1時間でも一緒に座ってほしい」と参加者に呼び掛けた。本土参加者を代表して埼玉平和運動センターの高坂潔事務局長は「沖縄の現実を見て、それぞれの地域に戻り平和のために頑張っていこう」とあいさつした。

【東コース】

 東コースは、米軍普天間代替基地の建設予定地となっている名護市辺野古を出発した。国のボーリング調査に反対して座り込みを続けている辺野古漁港で、午前9時すぎから地元住民との連帯集会を兼ねた出発式が行われ、県内外からの参加者約400人が「辺野古への基地移設反対」と気勢を上げた。

 出発式では、玉城義和北部実行委員長が「沖縄は大変だというのではなく、自分の身に引き寄せて、沖縄と国家との在り方を考えてほしい」とあいさつ。命を守る会の金城祐治代表が「新しい基地を造らせてはならないと26日目の座り込みをしている。この運動を全国に広めて、平和や自然を壊す体制にしっかりものを言い続けていこう」と訴えた。

 参加者らはこの後、海岸に移動。建設予定地の海を見ながら、移設計画の内容と地元の闘いの経緯の説明を受けた。横浜市から初参加した吉永進二さん(29)は「こんなに広くてきれいな海に基地を造るのは許せない。本土でも伝えていきたい」と話した。



第7回関西保安処分学習会のお知らせ
6月26日土曜日 午後6時15分 尼崎市立小田公民館(JR尼崎駅北東5分)  
第6回学習会は5月8日、報告にあるとおりの提起と熱心な討論が行なわれました。引き続き厚生労働省の心神喪失等医療観察法実施のためのガイドラインについて、報告と討論を行ないます。 報告者は兵庫県立光風病院の柴田明医師です。 前回で明らかになった「認知行動療法」が「統合失調症患者」に対して実施されることの問題などさらに学習していきたいと思います。強制入院の問題点に加えて、強制通院制度の問題点についても学習していきます。 光風病院への申し入れ・話し合いを6月初旬に行ないます。 日程は追ってお知らせします。兵庫県下の方に限らず、ぜひ多くのみなさんのご 参加 をお願いします。 関西保安処分学習会運動 尼崎市長洲中通1−13−51−401共生舎 090−3054−0947

宇野港立ち入り制限 テロ対策で保安態勢強化 岡山県
憩いの場減り市民困惑
門が設置され、立ち入り禁止になった宇野港の宇野地区第3突堤
 テロ対策で港湾の保安態勢を強化するよう改正された「海上人命安全条約」(SOLAS条約)の7月発効を前に、岡山県は玉野市・宇野港の一部を立ち入り禁止にした。禁止場所はさらに広がる予定で、釣りなど憩いの場だった港からの急な締め出しに市民は困惑。港を会場にしたイベント計画が見直しを迫られるなど波紋が広がっている。玉野市築港、会社員男性(40)は「岸壁に車を止め、家族で気軽に釣りを楽しめていたのに残念」と話す。

(2004年5月14日掲載)


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