オープンスペース街・日誌


2004年4月E

4月Dへ 4月Fへ
 ヨッシーとジュゴンの家    4月参加スケジュール!
4月28日(水) 「まよなかしんやライブ」
 オープンスペース「街」(西武新宿線「武蔵関」駅下車) 19:00〜

 1000円
4月29日(木) 「命どぅ宝・平和世コンサート18」
上野水上音楽堂 13:30開演  13:00開場
前売2000円 当日2500円 中高生1000円

名護新基地建設絶対反対!   ボーリング調査絶対阻止!
 
座り込み支援カンパ!!
         
よろしくおねがいします!



4月26日(月)日誌
4月25日(日)    いますぐイラクから自衛隊撤退を!!有事7法案・3条約を成立させるな!!浦和デモ
                         14:00〜 リレートーク
                         15:15〜 市内デモ  
                         よびかけ:自衛隊のイラク派兵反対!埼玉実行委員会
 浦和デモに参加しました。リレートークで僕は「自衛隊を今すぐ日本に戻せ」と「なぜ沖縄に…」を唄って
沖縄・辺野古に新基地を作らせないために、地元のオジイ・オバア、そして名護「ジュゴンの家」の若者、
「ヨッシーとジュゴンの家」の3人が命がけで頑張っていることを訴えました。  ヨッシー


4月25日(日) 沖縄・名護「ジュゴンの家」日誌より転載
425辺野古阻止行動日誌
4月25日(日)
今日、週休二日制の那覇防衛施設局は来ませんでした。

辺野古にくる人々は本当に忙しい中で切羽詰った中で訪れているのに、防衛施設局の職員は週休二日の上、辺野古に来ればふんぞりかえり那覇やシュワブに帰ればゆうゆうと羽を伸ばして生活している。この差別は一体なんなのか、辺野古の人々はこの8年間眠れない夜を過ごしてきた。イラクの人々を殺すこととなんらかわりのない辺野古へのかかわりかたなのだと思います。

この間、本当にたくさんの激励のメール、ファックスをいただいたり、寄付やカンパをいただきました。本当に感謝しています。座り込み行動にこられないたくさんの人々の思いがここにいるのだと感じられる一週間でした。本当にありがとうございます。

しかし、やはり重要なのは「継続」するということです。初日の座り込み集会で東恩納琢磨さんが「この闘いは継続こそが勝利だ」と言っていました。やはりそこで必要なのは「人」です。おばぁ達の「足、腰」になる人が必要です。

政府は基地建設計画が始まってから8年間の私達の怒りに、おばぁたちの座り込みに終止符を打つためにボーリング調査を強行しようとしています。もちろんそんなことでは倒れない意思を持った、おばぁたちの思いを受け継いだ私達がいる限り終止符なんてことはありえないのです。しかし、政府が「終止符」を打とうとしているということは私達が今、集うことによって「基地建設計画」そのものを破壊することができることに他なりません。
本来、日本国、米国の思惑では今頃「基地」は半分以上出来上がっているはずでした。そして天皇にそれを見せるはずでした。しかし、8年前おばぁ、おじぃの怒りが歴史を変えたのです。彼らのシナリオをぶち壊したのです。
私達がもしその思いを引継ぎ、勝とうとするならもう一度日米政府の描く歴史を変えてやりましょう。

今日は午後から「ジャン草ウォッチ」(ジャン草=ジュゴンの食べる草の調査)のためにたくさんの人達が訪れていました。報告では「ジュゴンの食み跡を発見した」ということだそうです。人間であれ、ジュゴンであれ、基地建設のない平和な生活がしたい。「基地建設さえなければ・・・」ジュゴンの叫び声が聞こえてきます。

その後は綿から種を取り出す「わたぬき」をして座り込みをしていました。「何もなければ本当に静かで平和ですね。本当に静かだ。」と参加者が言っていました。海ではこめつきがにが海の泥をとり海をきれいにして、しおまねきが潮を招く。しらさぎが飛び、にわとりが鳴く。事務所にはマングースがあいさつに来る。カヨウノおじぃが「静けさこそが平和だ。」と言っていました。防衛施設局さえこなければ静かです。

明日が山場と見ても良いでしょう。先週はマスコミ発表が「午前9時からの工事」で午前5時30分から強行しました。明日そういうことがないとは言い切れません。明日の集合は午前6時としますが、早いければ早いほど良いでしょう。
多くの人達が集まることを願います。基地建設をとめましょう。未来のために。
辺野古より。富田 晋
マキシさんから連絡があり、那覇防衛施設局があるとまりんから防衛施設局の車3台が消えたようです。
先ほどキャンプシュワブ内の施設局建物を確認しましたが、電気はついておらずこちらに来ているかは確認できません。
426現場より、緊急!!!
旧の豊原公民館にユニック1台、2トントラック1台、乗用車4台。業者が集合しています。
辺野古漁港には警察車両が5台来ており、かなりぴりぴりしています。動きがあるようです。
集まれる方は至急辺野古へ!!!
426 現地から報告
先ほど、9時に防衛施設局が来ました。
マスコミの目を狙った形だけの行動だったようです。「話し合いをしにきたが排除された」と。ところが向こうは形だけできているものですから言うことを言ったら帰ろうとします。私達の側がそれを引きとめ話し合いを持とうとしたため、マスコミ受けがしませんでした。肩を落として帰っていく防衛施設局を見て座り込みの参加者が私達の代表に拍手。

しかし、いまだ業者は旧の公民館から立ち退いていないのでいつ来るかわからない状況です。
ひきつづき現場に来る人を増やしてもらえるようにお願いします。

4月25日(日)

辺野古からのメール
4月25日(日)現在の辺野古。
午後3時現在、何もなく、穏やかな一日が続いています。防衛施設局は公務員なので週休二日制を守っているのでしょうか。
座り込み現場では「わたぬき」内職をして時を過ごしています。
晋くん日誌
4月24日(土)
朝、6時から座り込み。沖縄の朝は思っているよりも寒く感じます。
土曜日なので辺野古にたくさんの人達が集う。仕事で来られなかった人達が「ごくろうさん」と声をかけてくれます。
今日も本当にたくさんのカンパ、寄付をいただきました。お菓子がありすぎて、虫歯になりそうですが。おいしいです。
今日も週休二日制なのか防衛施設局はきませんでした。

たくさんの人達が仕事があり、その中で行動しなければならない中で一体、防衛施設局ってなんなんだ。人の税金で食っているのに・・・
税金泥棒とはあんたたちだ!!

座り込みをしている場所では、瀬嵩の繁師匠が三線を弾き、まよなかしんやさんがフォークソングを歌う。時には沖縄の植物を良く知っている宮城さんが色々な植物の話をしてくれる。
一度「人間の鉄の鎖」の練習をしました。私は警察役になり、本気でかかっていきましたが人の力とはすごい。弾き飛ばされてしまいました。おばぁが本気になると正直怖い。
防衛施設局さん達、向かってこないほうがいいとおもうよぉ。

午後からは4席の船で「浜下り」。
参加者が約100名の人達が浜下りを楽しんでいました。4隻の船を出した人達は大変だったと思う、お疲れ様でした。
帰ってきた人達の笑顔がとても晴れ晴れしていてうれしく感じました。
「今まで何で海なんかに入るかねぇと思っていたけれど、病み付きになるねぇ」とか「貝だ。貝がざっくざっく採れたよ。辺野古の海は宝物だらけだよー。」とか。
この海がとてもとても大切なことを、海人として生きることの大切さを感じた気がします。

命を守る会の炊事場は毎日火の車です。全国のカンパが食事代を支えてくれているおかげで本当に助かっています。おじぃ、おばぁの野菜と浜下りの海産物で本当に栄養ある食事ができています。
今日は巨大はまぐりのお味噌汁。おにぎり。うんじゃなバーの和え物。油味噌。
ぐわっちーさびたん。ごちそうさまでした。

本当に久しぶりにゆっくりした一日だと感じます。色々なことがたくさんある毎日ですが、必死に気楽に闘っていこう。
ボーリング調査は許さない。
アッ君日誌
アッ君には、うららちゃんが辺野古に言っている間、お店番をお願いしています。
4月17日(土)
店に着いたら篠原さんとユキさんと玉那覇さんが待っていた。(ちょっとびっくり)
お昼近くまで篠原さんといろんな話をした。辺野古の事、イラクのこと、沖縄戦のこと、人生の事・・・・自分が何をしたいのか?どの道に進みたいのか?それを見つけることは難しい。今は何でもやってみるしかない。
いろんなことをしてそれから得たものを積み重ねて行くうちに何か見えるんじゃないかなぁって思った。

お昼頃、見知らぬおじさん、金城さんが来店した。金城さん、僕の名字「あずみ」が覚えにくいらしくて、ずっと「あずさだ、あずさ2号だ、ぎゃははは!!」って笑っていた。(僕は別に怒ってはいないョ)
明日はお休み。どっか行こうかなぁ。海にでも行こっかなぁ〜。

4月18日(日)
今日はお休み。特に行きたいところがなかったので、近くの海をぶらついたり、449号線の道路沿いをず〜っと歩いていた。やっぱ、沖縄暑いなぁ〜。
今日も夕食を自分で作った。自分としては上出来かな?けっこううまかった。
明日は「ジュゴンの家」を手伝う予定。

4月19日(月)
今日はジュゴンの家をお手伝い。お昼ごろ、玉那覇さんが来た。僕がノートにアッ君日誌を書いていたら「字、きれいだねぇ」って言われた。(ちょっぴりうれしい。)

う〜ん、やっぱ「街」と比べるとお客さん少ないなぁ。
でもお客さん達、うららちゃんを見るとすごく喜んでいるような気がした。
うららちゃんの元気な姿を見て、お客さんが「来て良かったー」って思うことってすごくいいなぁ。
自分も人に喜びを与えられる人間になりたいなぁって思った。

午後5時頃から雨がやんで、空が晴れてきた。夕日、すごくきれいだったなー。
きれいな夕日と青い海、このコンビネーションがなんとも言えないくらい美しかった。

4月20日(火)
今日もいろいろお客さんが来た。
1時ごろ、藤本さんというおじさんが来店した。その人といろんな話をした。今の教育の話をした。
今の時代の教育は「押し付け教育」のような気がする。知識や理屈をあーだこーだと押し付けて、「何故、そうなるのか」というかんじんな所は教えない。知識だけを詰め込むのをず〜っと続けるといつかパンクする。
僕もそうなのかなぁと思った。
将来やりたいこととか目標が見つけられない僕に「大学休学したのはいいんじゃないか?」と言ってくれた。
夕方、店を出て名護市役所近くの公園を散歩した。夕陽がきれいで、風も穏やかで、海がきれいで、ホント気持ちよかったー!!
夜は近くのタコライス屋に行き、タコライスを食べ、オリオンビールを飲んだ。タコライスってけっこういける!!ビールも飲みやすさ抜群!!
24日の夕ご飯
中馬さんが作ったゴーヤ・チャンプルー モズク モーイと中華イカのサラダ
←田芋の素揚げ


→「東京の店で沖縄物販をやってるんです」と話したら
「これ、使いなさい。持ってけ」
と島田善次さんがくれました!!
沖縄で魔除けに使う貝殻と、灰皿や小物入れにできる貝殻。スゴーイっ!!善次さんありがとうございます!!

4月25日、今日は防衛施設局はきませんでした。
朝。一人でカヌーを運びはじめる与那覇さん 朝のヨガ 差し入れのパンを配る、広島から駆け
つけた女性


うららちゃんが「ジュゴンの家」に届いた座り込み応援のメールを読む



夜の間漁港の入り口を塞いでくれる車

                      →
阿部さんの体操コーナー。体をほぐします 毎日来ている阿部さん 足の指をマッサージ。いててて
サオリちゃんが作る予定だった「イラク料理」を楽しみにしていた修さん。「作らなかったの?楽しみだったのに困ったなぁ・・・」「“街”に帰ってから作って日誌に載せます!!」とサオリちゃん 今日は辺野古でジャングサウォッチ(ジュゴンの餌となる海草の調査)が行なわれます 船に乗って出ていく調査団
施設局が来ない間、綿ぬきをする とれた綿から種を抜き 糸状に紡ぐ
まよなかしんやさんが歌う 歌にあわせ踊るヨシタミさん 平良夫妻と金城祐治さん
カンキチさん ニュース23のキャスターが取材に来ている。一緒に写真を撮る富田さん・サオリちゃん。本土にちゃんと伝えてくださいね!! ジャングサウォッチを終えた「日本自然
保護協会」理事の吉田さん
浦島さんと山口洋子さん 嘉陽のおじいと中馬さん 真喜志さん
月桃の花 みごとに咲いている。

4月25日(日) 日誌
小美野さんから沖縄カンパ            昼食は太刀魚、おからなど
 与論島から荷物が届きました。もずく・ジャガイモ・インゲン。どれも与論の人たちの真心がこもったものばかりで、
感謝して受け取りました・写真にも撮りました。

 今日はオーヤジが、みんなの昼ごはんの配膳準備をしました。感謝を込めて美味しくいただきました。平和な食卓、
豊かな世界でありますことを祈って終わります。ごちそうさま。
夕食は「リサイクルショップ・すぎなみ」
に行って11人で食べました。
4月24日(土) 沖縄・名護「ジュゴンの家」日誌より転載
昨日の夜はA&W(“エンダー”。沖縄にあるハンバーガーショップ。)で遅い夕食。

「メルティリッチ」とルートビアを頼んで
「おなかすいたー!!」とかじりつく
うららちゃんとサオリちゃん。
座り込み6日目
今日は応援の人がたくさん駆けつけました。防衛施設局は来ませんでした!!!
朝から超ハイテンションな悦美さん 阿部さんが差し入れを届けてくれました フーチバー入り手作りケーキ!!
「命を守る会」であったかいコーヒーをいただく 朝の集会 晋君が全国から来ている応援のメールを読み上げる
盛り上がる女性陣 今日は土曜日なので浜集会の日ですが、場所を変更し座り込みと合体して浜集会が行なわれる 漁民の人たちに迷惑をかけない行動をしましょう。漁港内は駐車禁止です!!!
安次富さん
今日はじめての人もいるので、毎週行なわれている浜集会の紹介
名護市議・大城ヨシタミさん
「臨時議会を行ないたい。住民に対し説明を求める決議をあげたい」
具志堅トオルさん
写真パネルを使って新基地の事・辺野古の海の中の様子を話す
きれいなサンゴ礁とクマノミの写真
悦美さん「ケーソン式護岸」というのを私なりに説明してみます。コンクリートでできた25mのプール(幅をもっと広くしたもの)を70個作って、海でポイントまで引っ張っていって水を入れて沈める。琢磨さんが心配していたサンゴ礁の破壊が、自分なりにわかってきました。 大西さん「護岸は78mの幅を持った構造物です。どれだけの地面をならすのか、恐ろしいほどのサンゴ礁が破壊されると思います」
初めての人に向け、篠原さんがカヌー体験を語る。「カヌーの練習をずっとしてきました。今でも泳げないけど、どうしてもボーリング調査を止めたい!!という思いだけで始めました。今ではどんな波でも乗りこなせるようになりました。海の豊かさを体験できます!」 希代子さん
「浜集会で多いごみは、タバコのフィルターのゴミですね。各自がきちんと自覚を持って行動して欲しいと思います」
当山さん「座り込みを続けるには、ローテーションを組んでやる事が重要」

浜集会の後、防衛施設局が攻めて来た時に備え「人の鎖」の練習をする
防衛施設局員役 ぜったいに譲らないぞ!!!
座り込み開始!!
平良夫妻 スッパイマンを我慢して食べる島田正博さん 平島まで行く船と、カヌーの受付コーナー
篠原さんはボーリング調査反対の署名を集める
サオリちゃんはカヌーに乗る 「楽しーい!!」 与那覇さんにカヌーの乗り方を教えてもらう
まずは陸で練習!! いよいよ海へ 進んだぞー!!
お昼になり、お弁当を食べる
ハンバーグ弁当・鯖の煮物弁当、おかずがいっぱい入って350円。
アダンの実 でいごの花
浜の端っこ、堤防のそばの岩場では・・・ 正博さんがハマグリを採っていた 今日の収穫
平島のすぐ近くまで船を出す 船からキャンプ・シュワブが見える 中央の白く見える筋が、水陸両用車が出入りする道だそうだ
「キャンプ・シュワブを返還させてここを国民休暇村にするぞ!!その時は僕が村長ね!!」と立候補する琢磨さん 平島の砂浜 裏のほうに行くと・・・・洞窟のようになっている。「海賊になったみたい!!(byサオリ)」
「たのしかったー!!!」 修さんも裸足になる 中学生達も船に乗りに来ていました
さて、座り込みの場所では植物博士の教養講座がまたまた始まる 「この植物の名前を知っている人いるかな?これはね・・・」
草笛教室あり しんやさんたちも お次はホラ貝を吹く
先生はさすがにいい音が鳴る! 「必勝」とかかれた色紙を晋くんに贈呈 「ぷお〜〜〜」敵が来たぞー!!ホラ貝で知らせてみようか

←東門美津子さんも来ました



→照屋寛徳さんも
しんやさんが歌う
阻止行動日誌
4月24日(土)
朝、6時から座り込み。沖縄の朝は思っているよりも寒く感じます。
土曜日なので辺野古にたくさんの人達が集う。仕事で来られなかった人達が「ごくろうさん」と声をかけてくれます。
今日も本当にたくさんのカンパ、寄付をいただきました。お菓子がありすぎて、虫歯になりそうですが。おいしいです。
今日も週休二日制なのか防衛施設局はきませんでした。

たくさんの人達が仕事があり、その中で行動しなければならない中で一体、防衛施設局ってなんなんだ。人の税金で食っているのに・・・税金泥棒とはあんたたちだ!!

座り込みをしている場所では、瀬嵩の繁師匠が三線を弾き、まよなかしんやさんがフォークソングを歌う。時には沖縄の植物を良く知っている宮城さんが色々な植物の話をしてくれる。
一度「人間の鉄の鎖」の練習をしました。私は警察役になり、本気でかかっていきましたが人の力とはすごい。弾き飛ばされてしまいました。おばぁが本気になると正直怖い。防衛施設局さん達、向かってこないほうがいいとおもうよぉ。

午後からは4席の船で「浜下り」。参加者が約100名の人達が浜下りを楽しんでいました。4隻の船を出した人達は大
変だったと思う、お疲れ様でした。帰ってきた人達の笑顔がとても晴れ晴れしていてうれしく感じました。「今まで何で海なんかに入るかねぇと思っていたけれど、病み付きになるねぇ」とか「貝だ。貝がざっくざっく採れたよ。辺野古の海は宝
物だらけだよー。」とか。この海がとてもとても大切なことを、海人として生きることの大切さを感じた気がし
ます。

命を守る会の炊事場は毎日火の車です。全国のカンパが食事代を支えてくれているおかげで本当に助かっています。おじぃ、おばぁの野菜と浜下りの海産物で本当に栄養ある食事ができています。今日は巨大はまぐりのお味噌汁。おにぎり。うんじゃなバーの和え物。油味噌。ぐわっちーさびたん。ごちそうさまでした。

本当に久しぶりにゆっくりした一日だと感じます。色々なことがたくさんある毎日ですが、必死に気楽に闘っていこう。
ボーリング調査は許さない。
新たなカンパ
ジュゴンの家の皆さん。街のみんな。

沖縄・辺野古にすぐにでも行きたいという気持ちです。でも現場での行動はハードすぎて無理だろうなと思うので、カンパで協力したいです。沖縄サミットの時には沖縄に行ったけどへとへとでした。行った甲斐はあったと思いますが、しばらく調子を崩してしまったものです。

関西「障害者」解放委員会に訴えて5000円獲得してきました。月曜日に送ります。

高見元博 <兵庫県精神障害者連絡会>
http://2.csx.jp/00 沖縄物産/oototoro.gen.gan@nifty.ne.jp
http://homepage1.nifty.com/takamitousou/

4月24日(土) 日誌
昼食風景
沖縄 支援カンパ 

続々と寄せられる

4月22日(木)そのA 座り込み4日目
 沖縄・名護「ジュゴンの家」日誌より転載
午後、監視は続く 三線を弾く島田正博さん(那覇市議) 反戦地主・照屋秀伝さんにサインをもらう
←照屋さんと記念撮影




→師匠と。
午後3時、大潮で干潟になった浜にはコメツブガニがいっぱい!!!
辺野古でとれた大きなハマグリ 大好物の天ぷらを食べる きょうのまとめ集会
琉球新報の我那覇さんから取材を受ける中馬さん・サオリちゃん
県民大会開始
県民大会に集まる報道陣 満月祭りのチラシ 辺野古のおばあたち
集会開始 山内徳信さん
ヘリ基地反対協・安次富さん 「命を守る会」代表・金城祐治さん
「私たちの海は世界に誇れる海です」
東恩納琢磨さん
「長い闘いになります。楽しんでやりましょう!!」
夕食は、富田さんが作った激辛カレー!!スパイスたっぷり。おいしかった!! サラダ じゃがいもの辛いやつ(名前を忘れました)。辛味と塩味がおいしい!!
中馬さんの日誌
4月22日(木)
 今日早朝に辺野古に到着。
 ボーリング調査をするための資材置き場を監視するために、警備員2人がゆっくり歩き回っているのが見える。まだ、見張るべき資材が何も置いてない資材置き場だが、警備員だけはいなければならないらしい。

 夜が明けてきて、座り込むためのござを敷いたり準備して、座り込み開始。
 一日中座り込んでいるととにかく暑い。日差しとのたたかいだ。沖縄の日ざしは肌に「かみつく」と言っている人もいた。
 防衛施設局は、米軍基地内にある監視所から座り込みをしている人たちを見ているらしい。こちらが大勢いると、防衛施設局はやってこないのか。それとも、座り込みをしている人たちを焦らしているのか。
トラックが来る事も無く、緊迫した中にもゆっくりと一日が過ぎてゆく。

 とにかく1人でも多くの人が座り込みに参加して欲しい。粘り強く続けて行くには、やはりたくさんの人数は力になる。
そして、全国からメールやカンパもお願いします。座り込んでいる人たちに、ほんとうに励みになります。

4月23日(金) 座り込み5日目
今日は朝から雨だったので、シートをかけて監視活動。
9時、防衛施設庁の車が来たという情報が入った。 かかってこーい! 防衛施設局に説得をする夏芽さんと安次富さん。
そのころ、少し離れた建設途中の資材置き場の前で約60人が人の鎖を作って待ちうける。 大西さん「お互いを離さないで、いてください!」 はりつめる緊張
防衛施設局「市からも県からも許可が出ているので、強行する気はない」
安次富さん「私たちはここを譲る気はないので、お帰りください」 安次富さんの迫力に負け、去って行く施設局員。 大西さん「また今日来ると思いますが、一糸乱れぬ行動をしてください!」
一旦は戻るが、緊張は続く。 がんばるぞー!! いぇい
ウエットスーツに着替えた晋くん 楽しそうにシートの雨水を落とす 精神統一をする
「モデル代高いぞ!」 石川真生さん登場! 12時、小集会
午後1時、弁当を食べていると・・ 施設局員が再び来る 土木課長「やはり作業をさせて欲しい」
←安次富さん、夏芽さん、再び説得。







   なんともあっさりと帰って行く
                施設局員→
「こんなにあっさりと帰って行くのは、何か意図があるんじゃないか。アリバイ作りのためか・・」
また来るかもしれないので、座り込み続行。
教養講座が始まる。




←「こんにちは!私たちが毎朝やっているヨガを紹介します!」
まず両足を肩幅の倍に開いて、
息を吐きながら・・ 腰から上半身を倒してください。 いたたたーっ
おおいに盛り上がる
日本自然保護協会の吉田さん
「明日からジャングサウォッチを開始します」
知花昌一さんがやっている作業所、さばにくらぶのメンバー達。とれたての卵を差し入れでいただきました。 おいしそうに天ぷらをたべる2人
チャンプルー(練馬でやっていた沖縄料理店)にきた事がある男性と偶然会う。みんなで記念撮影。
晋君日誌
4月23日(金)
・今日は工事はありませんでした。

今日も午前6時からの座り込みです。どしゃぶりのため、代表者と監視を置いて全員が事務所で待機。
午前の7時に旧の豊原の公民館に乗用車7台、2トントラックが1台、ユニック(クレーンがついた)トラックが1台きているとの情報がありました。

緊張が高まります。
漁港には防衛施設局の車両が2台、公安警察の車両が5台来ています。
連絡をみつにとりながらどしゃぶりの辺野古漁港を見つめます。
午前9時14分「白いヘルメットをかぶった作業服が漁港に向かっている」と連絡。
すぐさま待機している人達に連絡。40人が作業場の入り口に立ち「鉄の鎖」を組む。
漁港の入り口ではこちらの代表者が対応。
「作業場作りの邪魔になっているので退去していただきたい」と防衛施設局。「私達は調査を認めてはいません。容認できません、阻止します。」とこちらの代表者。その後、防衛施設局側は退去した。マスコミの目を狙ったものだろうか。私達は暴力的な人間に排除されたと。
しかし、「鉄の鎖」を作るときの早さはすごいものがありました。人の必死さが実践力につながっています。

その後も業者の動きが活発で何がおこるかわからない状況があり、緊張が抜けませんでした。
11時すぎになり、防衛施設局の動きがないので事務所で休む人達が増えました。監視活動をしている人達は気を抜けない状況が続き、大変な苦労をしている。「こなくなる」ということは今のところ絶対にありえないからです。

午後1時30分に辺野古についた○○さんに見張りの一人が指笛で挨拶をしようとした。しかし、緊張していたみんなは緊急事態かと走り出した。笑って警戒を解除。
午後1時35分、午前中に来た防衛施設局の車が再び近づいてくる。あわてて指笛と声でみなに合図をするが、最初ほどの緊張がない。それでも代表者たちが対応している間に「鉄の鎖」を完成させることができた。2度目の訪問である。訪問内容は、一
回目とほとんど同一。住民たちと対話を持とうとしたが拒絶されたというアリバイを作ろうとしているのかもしれない。

土、日、月とまだまだ気が抜けない日々が続きます。
引き続き呼びかけます。こられる方は辺野古に来てください。手薄になればすぐにでも襲ってきます。今日も「雨」だったので動いたのかもしれません。

県民会議のみなさんは、昨日の県民大会の決議をもって、県庁と防衛施設局を訪問。
県庁では、「地域住民への配慮を行う」という協議書許可の条件が守られていないと詰め寄り、県担当者は言葉につまったそうです。そのやり取りで新しく発覚したのは、県が独自に行った専門家への聞き取り調査の結果を、河川課課長が4月15日に防衛施設局にもって行ったが受け取りを拒否されという。防衛施設局は、覆面学者の意見だけを尊重し、沖縄県が独自に聞き取り調査を行ったものを無視する形で着手届けを行ったことになる。県は、これだけ侮辱されてなぜ怒らないのか。

その後、県民会議のみなさんは、防衛施設局に申し入れに行き、入り口ですったもんだしたが責任者が出てこないので座り込みを開始。結局、午後3時ころに部長代理という人と広報課長が対応。
いろいろとやりとりがあったようだが、結局、調査を進めるという答えでしかなかった。緊張が継続される。
緊急の行動を呼び掛けます。
沖縄県、辺野古  命を守る会より 皆様へ。

現在、辺野古の基地建設は待ったなしで進められようとしています。
4月19日から防衛施設局によってボーリング調査が開始されました。ボーリング調査は事実上の「基地建設着工」であり、許せるものではありません。
8年間基地建設に反対し、命を守る会は座り込み、申し入れ、抗議行動を続けてきました。
それに対する基地建設をする側の答えがボーリング調査であると受けとっています。
私達は徹底して基地建設に反対し、阻止していきます。

命を守る会に来訪された方々にあらゆる形での抗議行動を呼び掛けます。
私達に力を貸していただけるよう呼び掛けます。
ここに訪れた方々、一人一人の力が基地建設の阻止を実現すると考えます。

署名活動や街宣活動、デモ、基地建設に反対した行動、アクションならなんでも結構です。
何らかのアクションをおこした場合、命を守る会メールかFAXのどちらかで報告などをしていただければ幸いです。

命を守る会 メールアドレス
henoko@f5.dion.ne.jp

TEL・FAX
0980−55−3131
琉球新報

<普天間代替>退去申し入れ住民側が拒否

調査実施を伝えに来た施設局職員と「阻止する」と突っぱねる市民団体メンバー=23日午前9時すぎ、名護市の辺野古漁港

 【名護】普天間飛行場代替施設建設に向けたボーリング調査への阻止行動が行われている名護市辺野古漁港に、23日午前9時ごろ、那覇防衛施設局の土木課長らが出向き「調査をしたい。どいてほしい」と反対派住民らに申し入れた。これに対し住民らは「私たちは調査は認めない。阻止する」と突っぱねた。土木課長は「現時点で調査を強行する考えはない」として、退去した。住民らは警戒を続けている。

 雨の中60人の市民団体や住民らたちは、午前6時ごろから漁港周辺で調査着手の監視を開始。午前9時ごろ施設局職員七人が到着し、施設局土木課長が、作業実施を通告。

 これに対し、ヘリ基地反対協議会の大西照雄共同代表、ジュゴン監視団の平良夏芽事務局長が「施設局は秘密主義で調査の手続きを進め、説明会も開いていない」と指摘し「調査を阻止する」と言明した。

◇ボーリング調査中止考えてない/防衛施設庁長官

 【東京】防衛施設庁の山中昭栄長官は23日の衆院外務委員会で、名護市辺野古沖で実施する普天間代替施設の建設に伴うボーリング調査について「普天間飛行場の移設返還という大きな目的に沿う調査であり進めていきたい」と述べ、現時点で調査を中止する考えはないとした。東門美津子氏(社民)への答弁。

 東門氏は、反対派の地元住民が予定地で座り込みを続けている現状を説明。今後、国が調査に踏み切る際、警察出動なども想定しているのかとただした。

 これに対し山中長官は「どういう状況になるか予断を持って申し上げられないが、われわれとしては円滑に調査が進ちょくすることを期待している」と述べた。

「作業強行せず」/辺野古調査  施設局、住民らに示す  沖縄タイムス

 米軍普天間飛行場の代替施設建設に伴う名護市辺野古沖のボーリング調査で二十三日午前、那覇防衛施設局の和泉孝夫土木課長らが辺野古漁港を訪れ、反対派住民らに「作業継続の方針に変わりはない」と、調査を行う姿勢をあらためて示した。一方で「強行するつもりはない」とも説明、十分ほどで現場を離れた。

 和泉課長らは同日午前九時前、ヘルメットと雨具姿で現場を訪れた。十九日以来、四日ぶりに姿を見せたため、反対派住民や環境保護団体のメンバーらは作業場前で人垣とロープで阻止線を張り、周辺は一時緊迫した。

 同課長は「(ボーリング調査は)県の公共財産使用許可を得て、資材置き場も管理者の市の許可をもらっている。皆さんがいると作業できない。どいてほしい」と住民らに求めた。

 ヘリ基地反対協の大西照雄共同代表らは「こちらも阻止の姿勢に変わりはない」と返答。「ジュゴンなど多様な生物がすむ海を踏み荒らすのは、沖縄の財産を破壊することだ。住民説明会を開いてほしい」と要求した。

 反対派メンバーの一人は「強行しないと言っているが、二十三日の行動は強行するとの警告。世界の人と共同して闘いたい。断固阻止する決意を固めている」と話した。

きのうの県民大会で中馬さんとサオリちゃんがインタビューを受けました!! 琉球新報

<普天間代替>「調査中止」400人が決議

米軍普天間飛行場移設予定地の海の前で、計画への反対を訴え気勢を上げる反対派住民ら=22日午後6時15分、沖縄県名護市辺野古

 【名護】那覇防衛施設局が着手した普天間飛行場代替施設建設に向けた辺野古海域ボーリング調査に反対する集会(基地の県内移設に反対する県民会議主催)が22日夕、名護市辺野古の浜で開かれ、調査の即時中止と県が施設局に与えた同意撤回を求める決議を採択した。関係団体代表が23日、県土建部、施設局に申し入れる。

 集会は平和運動センター、統一連、平和市民連絡会、ヘリ基地反対協、社民、社大、共産などの構成組織、労組員、地元住民ら約400人(主催者発表)が参加した。
 山内徳信県民会議共同代表らは「県が依頼した専門家のほとんどが調査は海域を破壊すると指摘している。県、施設局が説明を行わないままの調査は許されない」と糾弾し、「現地の阻止行動に多くの県民が結集しよう」と訴えた。

 施設局は20日以降、作業を中断しているが、反対する団体、住民らは23日も辺野古漁港で座り込みを続けることにしている。

◇豊かな海に基地いらない

 【名護】「体を張ってでもボーリング調査を阻止するぞ」「戦争のための基地は造らせない」―。ボーリング調査の中止を求め、市民団体などの座り込みが続く22日、名護市辺野古の浜で開かれた反対集会。各団体の代表が次々にマイクを握り、調査に同意した県や、強行する那覇防衛施設局への怒りをあらわにした。参加者は「調査を中止しろ」という発言者に同意の拍手を送り、調査阻止へ思いをひとつにした。

 日が沈み始めた辺野古の浜辺に、ボーリング調査に反対する人びとが続々と集結。最終的には約400人に膨らんだ。

 地元のヘリ基地反対協議会の安次富浩代表委員は「調査中止の座り込みを支援してほしい」、命を守る会の金城祐治代表は「私たちを助けて」と訴えた。ジュゴン保護基金委員会の東恩納琢磨事務局長は「カヌーを出してでも調査船の出港を止めたい」と決意を述べた。

 地元の「命を守る会」の宮城清子さん(76)は「朝早くから必死にやってきた。たくさんの人の応援を受け、気持ちを強く持ち頑張りたい」と力を込めた。

 ギターと三線の若者のグループ「さんご」はオリジナル曲を披露。中部農林高校定時制2年の徳里健次さん(18)は「こんな素晴らしい海に基地を造ってほしくない」と平和への思いを歌に込めた。

 東京から参加した、障害者の作業所で働く中馬由紀子さん(49)と末木沙織さん(19)は「カンパを集め駆けつけた。地元の思いを伝えたい」と語った。

◇手紙で米に直訴/命を守る会

 【名護】ヘリポート建設阻止協議会命を守る会(金城祐治代表)は22日午後、名護市辺野古の同会事務所で会見し、普天間代替施設の建設計画中止を米国政府に直訴する手紙を発表した。「おじい、おばあの声を聞いてほしい」とする手紙では、辺野古の海がジュゴンがすむ貴重な海であることを強調。「米軍基地被害に泣く生活はもうご免だ」と訴えている。

 手紙は、辺野古の60歳以上の住民や支援者など20人の連名。英訳ができ次第、米国大統領、国務長官、国防長官、上下両院議員あてに送付する。

 「アメリカの理性と良識に訴える」と題した手紙は「ジュゴンにとって辺野古の海は安らぎの海でなければいけない」「辺野古の海は次の世代に伝えていく宝の海」と訴え「基地の県内移設をやめ、米国本国へ移転せよ」と求めた。

 金城代表は「国は8年余り、弱者の私たちを苦しめ続けてきた。全国、いや地球上の全人類にこの思いを広く伝えたい」と感情が高ぶった様子で語った。同会の嘉陽宗義さん(82)は「一言『辺野古の計画はとりやめる』と言ってくれれば、われわれもあなたの子孫も救われる」とブッシュ大統領あてに訴えた。


4月23日(金) 日誌
21日の夕方、3人が名護に到着!!!
「応援に来たよ!!」サオリちゃん・チューやん。空港から直接辺野古に行ってきました ナオコさんも。アッ君と再会!! ボーリング調査を絶対にとめるぞー
!!!
明日に備え夕御飯。八重そばを食べに行く 「ハイ、三枚肉ソバね」
「おーっっ!!!」と歓声が上がる
ヤカンからスープを注いで・・・・
「これがいいのよねぇ」と富田さん はじめて八重ソバを食べるアッ君。「変わってるなぁ」 「いただきまーす!!!」
その夜はジュゴンハウスに戻って、辺野古の様子、明日からの動きを話し合う。
座り込み4日目。早起きして辺野古へ向かう。 ジュゴンの旗 朝の集会
真剣に聞く3人 座り込み開始!!! 今日もたくさん人が集まっている。この様子をニュースで見て駆けつけた人もいる
辺野古の海には貴重な植物や生物がたくさんいる。実物を見せてミニ学習会も いろんな人が発言する中、「これを言わなきゃ!!」と発言する。
防衛庁に抗議に行った時の話
東京でカンパを呼びかけると反響がすごく、続々とカンパが集まりました。ここに来られないけれど、日本中に、応援している人たちがいます。
若者からも一言!!
「辺野古の事を店のお客さんと話しています。娘にも話すよ、と言ってくれました。こうやって伝えていきたいです。」
「基地はいーらなーい♪」 三線を弾く師匠
午前11時20分現在、施設局側の動きはありません。
サオリちゃんの日誌
今日は、練馬から辺野古に飛んで来た。座り込みをしているいろいろな人たちの話を聞いた。一緒にがんばりたいと思う。
ナオコさんの日誌
4月21日(水)
辺野古に5:00近く到着。今とってきたばかりのイカや、肉を焼いている人に声をかけられ、イカを御馳走になる。
そうか、今日は浜下りだと言っていた。
漁港のほうを見ると、左側に数メートルの仮設フェンスが立てられ、そこに座り込んでいる人達数十名が見えた。そのフェンスをたててそこを資材置き場にしようとしている。今日はブルーシートで日よけが作られていた。4月20日の沖縄タイムスで朝刊では「漁協は漁民が安全に操業できるよう求める文書を名護市に提出した」とあったが、今日は漁民の人が屋根を作ってくれた、と座り込みの皆さんはうれしそうに話してくれた。
色々な方に、東京でのカンパのお礼を言われました。カンパを下さった皆さん、ありがとうございます!!
ジュゴンの家日誌でいつも拝見している、懐かしい人たちがたくさんいた。連日の早朝からの座り込みで、お疲れの方がいないか心配だったが、みなさん、淡々としていた。そこには、真(まこと)の姿、というのか、特別な気負いもない、「やるべきことをやっているだけだ」という、りんとした姿があった。テレビ局が、1人のおばあを取材していた。

明日も朝から座り込む。
チューやんの日誌
ボーリング調査が始まってしまうのを何としてでも止めたい、と、矢もたてもたまらず、沖縄へ飛びました。
辺野古の漁港に着くと、座り込みをしている人たちの姿が目に飛び込んできた。
「たたかう、という形をとっている、というわけではないのよ。本気で勝つために座っているの」ときっぱりと言った。
私たち3人に「東京から来たんだから、力になってもらわなければ困るよ」と声を掛けてくれる人もいる。
高齢のおじい、おばあもたくさん座り込んでいる。皆、疲れも見せず、元気に生き生きと話をしてくれる。
このきれいな海に絶対に基地を作らせてはならない、もう戦争はゴメンだ、と、改めて、熱い思いがこみあげてきた
詳しくは沖縄・名護「ジュゴンの家」日誌

阻止行動日誌
4月21日(水) 午前5時から待機して座り込みの体制をとりました。 「応用地質」の拠点となっている豊原(辺野古の隣の集落)の旧の公民館を見に行きましたが今日は集まっていない。 7時になり漁港には反対する住民が100名あまり集まります。防衛施設局が来た場合の対処をお互いに確かめ、その体制をとる。

7時30分、私とかんきちさんでキャンプシュワブから出てくる防衛施設局職員を見張ります。 2人ともとにかく眠いので「しりとり」をしてねむけをさましていました。何か少しでもあると連絡をとりあって確かめる。 しかし、1時間たち、2時間たちいまだ現れず。一度「9時に動きがある」との情報がはいり緊張が走る。しかし、あらわれない。

 浜下りが11時ごろから始まるのでそれまでが正念場だと言われていましたが、11時になり、浜辺や漁港に人が集まりだし ます。こうなると防衛施設局も動けなくなる。私とかんきちさんも浜下りのついでに開放されたキャンプシュワブに入ります。

「なか(基地内)は別世界のようだ」とかんきちさん。2人でピザを食べましたが、すごいボリューム。おばぁたちに一皿おみやげにもって帰りました。 キャンプシュワブの中にある防衛施設局の施設を見に行きましたが、人がいない。看板には「防衛施設局 キャンプシュワブ監督官事務所」と書かれていた。日米が一緒にやっているという確固たる証拠です。施設内に人がいないということを座り込みの人々に告げる。緊張が少しだけやわらぎゆんたくが始まりました。この段階でと りあえず1段落しました。

また飯を炊き、汁を作る。東京からのカンパもあって食費が助かっています。カンパをしてくださった方々に感謝しています 。この日は状況を知った県外の心ある人々も駆けつけ、座り込みは強固なものとなっている。 明日は最大の正念場を迎えることでしょう。緊迫した朝を迎えます。心ある方たちは駆けつけて欲しい。一人の心が基地建設を止め、すべての差別されている人々と未来を作ることができます。 心からお願いいたします。
4月22日(木)
朝、6時今日も緊張した一日の始まりです。
40名ほどり人たちが漁港に集まり座り込み開始。カヌー隊も今日は陸上に集中して待つ。
しかし、今日も一日、防衛施設局はきませんでした。
防衛施設局が来ないかわりに漁港で監視している警察官達は随時どこかに「今、何時何分人数は何人。
」と報告していました。人数が手薄になれば必ず防衛施設局はやってきます。油断はなりません。
 
1分、1秒が緊張の渦の中にあって参加者それぞれが持ち場を離れることはありませんでした。キャンプシュワブ内では米兵達が今日も訓練をしています。シュワブのヘリパッドからは中型のヘリが飛び立ち、座り込みをしている人達に騒音を撒き散らしていきます。
 
92歳のヨシおばぁはとても元気。「私はあの時代にあって5人の子供を大学に行かせた。」と家族の自慢をする余裕もあります。しかし、部落内での緊張関係は高まっていて、何か部落の人達との間で問題があるとそのしわよせはすべておばぁたちに行きます。漁港内に車を止めるだけで色々とある。ここにこられる方達の思いと決意が必要です。そしてモラルと意識が必要です。そういう意味でも厳しい闘いが続いています。
 
私達は負けるわけにはいきません。
本当に明日にでも終わって欲しいこの攻防ですが、一ヶ月でも一年でも座り込み続けます。
私達は譲り合って生きている人間です。しかし、生命に関しては譲れないのです。
おばぁたちのために助け合いましょう。
おばぁたちの笑顔を絶やさないために多くの人達が辺野古を訪ねてくれるようにお願いします。
 留守を守るクロちゃん  洗濯機を磨くタカちゃん  現場監督・オヤジさん
沖縄 支援カンパ 

続々と寄せられる
 会長「ワシも沖縄へ行きたーい!」
 ハネやん、いつもご苦労様です

泡盛を飲んでください

とタカちゃん


4月22日(木) 「街」日誌
今日も続々

沖縄 支援カンパ

ボーリング調査阻止 座り込み3日目
今日は「浜下り」(はまうり)。
地元の人たちが浜に下りて、貝やタコなど、磯辺の海産物を採ります。
地元の人の邪魔にならないよう、
あちこちに出歩くのは控えて、ゴザに座り込みます
午前中は防衛施設局も業者も来ませんでした。しかし、油断はできません。一人でも多くの参加を呼び掛けます
<普天間代替>名護市、反対派に退去要求  琉球新報
炎天下で3日目の座り込みを続ける反対派市民団体=21日午前10時半ごろ、名護市の辺野古漁港

 普天間飛行場代替施設建設に伴う名護市辺野古沖でのボーリング地質調査を阻止しようと辺野古漁港で座り込みを続ける反対派市民団体に対して、名護市が漁業従事者の安全を理由に、港からの退去を求めていたことが分かった。名護市が20日、名護漁業協同組合(神山正樹組合長)が出した文書に基づき、ヘリ基地反対協の仲村善幸事務局長に電話で伝えた。

 一方、市民団体は21日早朝から約70人が同漁港で3日目の座り込みを始めたが、午後1時現在、那覇防衛施設局の職員や作業員は現場を訪れていない。

 ヘリ基地反対協と命を守る会は、調査業者に同漁港の使用を許可した名護市に対し「基地建設のために市が場所を提供したことが混乱の原因」として、21日午後に市に許可撤回と市民への説明会を申し入れ、港からの撤去については正式な文書を出すよう求める。

 市民団体の幹部らは「節度ある行動で漁民との信頼関係を維持する」ことを確認し、参加者らに呼び掛けた。

 仲村事務局長は「事業がここまで進められる前に、合意形成のための説明会などの手順が踏まれなかった。自分たちが出て行けばいいという問題ではない」と話した。

 漁協は20日、名護市に文書で(1)港内でのカヌーなどによる海上の蛇行操船が危険(2)港内での集会のために出漁できない―の二点を挙げ「生活に直結する問題」として善処を求めていた。

 港からの退去を求めたことに関し、名護市の末松文信助役は「港内を占拠しカヌーを出すなどで漁に支障が出ており、管理者として対処してくれと漁協から要請があった」と説明。同漁協組合長から文書で、同辺野古支部長からは口頭で要請があったという。市職員、同助役が現場の状況を確認した上、「港内での集会をやめるよう求めた」としている。代替施設建設、ボーリング調査への市民の反対行動については「別の場所でやればよいのでは。漁港の管理者としては漁業者の立場を最優先に考えざるを得ない」と話した。

こんにちは。ご苦労様です。

今日ボーリング阻止闘争費用カンパ5000円送りました。僕 とがんちゃんからのカンパです。ホームページから振込先を見つけたのですが、「ボーリング阻止カンパ」と書くように指示 があったのですが、郵便局の窓口の人がややこしいことを言っ たものだから、書いていたのを取り消してしまいました。後で ハネやんから来たメールにも必ずそう書くように書いてあるのですが、何も書かすに送っています。何も書かずに僕から送っているものは「ボーリング阻止緊急カンパ」ですので取り扱いよろしくお願いします。

ではまた。 高見元博 
日本で人質は己の解放費用を支払わなければならない ルモンド
以下は知人から送られてきたメールの転送です。

日本で人質は己の解放費用を支払わなければならない ルモンド http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3216,36-361630,0.html

日本では人質の解放は自弁 フィリップ・ポンス特派員 @  ル・モンド4月20日付
頭を垂れて、顔つきは暗い。それが、最初の3人の日本人の人質が4月18日に東京に 到着した時の様子だ。コメントは何もなし。この慎ましさが示す「心的外傷後ストレ ス」は、おそらく誘拐だけによるものではあるまい。3人とも(他にも誘拐後に 解放 された日本人が2人、火曜に日本に到着の予定)、子供が日本 政府を困難な状況 に陥れたとして家族に向けられた批判にショックを受けているのが ありありだ。周りの人たちは、事態をさらに悪化させないようにと、彼らを報道陣から遠ざけている。
解放直後、人質のうち2人はイラクに戻りたいと述べた。高遠菜穂子は人道支援活動 を続けたいと言い、郡山総一郎は写真の仕事をこのまま続けたいと語った。2人の発 言は、保守系新聞と政府の間に、無理解と激昂の嵐を巻き起こした。

「家族は謝罪をすべきだ」
「おしおき親爺」となった小泉純一郎首相は、このボランティアたちを叱りとばした。「よくもまあ、人が寝食を忘れて解放に尽力したというの に、そんなことが 言え るもんだ。目を覚ましてもらいたい」と、中川昭一経済産業相がさらに厳しい調子で 述べる。こうした無遠慮とともに、制裁を求める声が上がる。「家族は自分たちが引き起こした問題について、また自衛隊の撤退を求めたことについて、謝罪をすべきだ」と 、防災担当の井上喜一大臣は述べた。

だが、家族たちは、社会秩序を乱した者は遺憾の意を表明するという日本の習慣 に 従って、すでに何度も謝罪を繰り返している。報道によれば、解放された人質は、受信した医療検査と帰国の費用として、それぞれ 35万〜40万円(3200〜3700ユーロ)を支払わなければならない 。議員の中には、解放に要した費用(右派の産経新聞によれば20億ドル)の一部負担を主張する者もいる。

その一方バグダッドでは、ムスリム・ウラマー委員会(スンニ派)から、同委が 5人の人質の解放に 決定的な役割を果たしたことに対し、日本の首相が一言の感謝 も述べていないこ とへの不満が出てきている。日本の政治家と保守系報道機関は、必ずしも誉められたものではない日本のイメージ (死刑制度の維持、限定的な難民庇護政策)を引き上げている はずの、一本気と直情を備え、人道的な価値観に突き動かされる若者たちを誇りに思うべきなのに、解放された人質の「無責任」をこれでもかとばかりに叩きまくる。彼らが励ましの言葉を受けたの は、コリン・パウエル米国務長官からだった。「誰もリスクをとろうとしなければ、 決して前に進むことはできない」と、彼はテレビで述べた。


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