日  誌

2004年12月A

メール・アドレスは、dugonghouse@yahoo.co.jp です。

 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と200日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 東京の国会前座り込みで知り合ったアユさんは、バッグパッカーを夢見てお金を貯め、その仕事をやめたばかりで辺野古へ行き、今のところ彼女の旅は辺野古でとどまっている。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20台だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。

 ご協力をよろしくお願いいたします。
 ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、11/29 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子

辺野古 阻止行動船カンパ
カンパ報告の頁へ 
 上記、カンパはすでに「命を守る会」に手渡し致しました。
今後、順次、カンパをいただいた団体名、また個人についてはイニシャルで報告していこうと思っています。
ありがとうございました。m(__)m

辺野古と共に!国会前座り込み
 国会座り込みの様子を毎日更新!!

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12月8日(水) 日誌


 差入れのウドンと岩のり  石神井川に落ちた猫騒動  救急車が来て、無事、助かりました
 昼食はサンドイッチ他
 う〜ん、牛がいるぞーっ \(◎o◎)/!  タカちゃん牛でしたモウ !(^^)!  夕食は揚げ鶏のネギソースかけ
 リンゴ・デザート オイちゃんが作りました

  今日の国会前、座り込み
国会前座り込み128日目、辺野古座り込み233日目。参加者12名、カンパ3.432円
今日は、夕方から、続々と人が集まってきました。
辺野古から帰ってきたばかりの菊地さんから、現地の様子を話してもらいました。
辺野古の連日の様子を聞いて、
今、私たちが東京でなにができるのか、参加者みんなが考えさせられる1日でした。
今日で国会前128日目 反戦自衛官・小多さんも参加
辺野古から帰ったばかり、という男性
←菊地さんから辺野古のようすをきく。
みんな真剣

久しぶり、田場さん登場→

12月7日(火) 日誌


昼食はケンチン汁 メザシ・イワシ・ハタハタなど

←リンゴ・鳩サブレの寄付


 佐竹さん、

自家農園で採れた春菊の差入れ →
 
牛のヌイグルミを着る周ちゃん。これを着て、9〜10日の「関のボロ市」で
ウシまくるぞ〜う (^^)v
関町にある東京演劇アンサンブル」のクリスマス
公演「銀河鉄道の夜」のポスターです
夕食は、カキ・白子・鶏肉、ネギ・豆腐・椎茸・白菜・の上に水菜と佐竹さんの春菊入り。則子さんの田舎から送られてきた柚子で食べました
ミコのママのミカさん作・パラボク(ビーフン炒め)。タルデレータ(カレーみたいなもの)、ゼリーなどのフィリピン料理も食べました
顔 署名
190 尾崎太郎(27才)

辺野古 100円カンパ
5000円を入れてくれた人に喜ぶ則子さん

  今日の国会前、座り込み
国会前座り込み127日目、辺野古座り込み232日目、参加者15名、3.339円
今日は午後2時ごろから出しましたが、たくさんの人が参加し、辺野古からの現地報告で
もりあがりました。警察があせってやってきて「あのー何人ぐらいになりますか?」とコソコソ
たずねていきました。
愛知からの学生さんが座り込みに参加。
辺野古の基地建設に反対です!
賑やかに、座り込みを展開 イラク派兵延長反対の院内集会から
帰ってきた人たちが座り込みに合流
おーっと「街」の会長がはじめて参加 休まず、ビラを配る会長 楽しそうに座り込む三人組?
沖縄からカヌー隊に参加し帰ってきた
ばかりの菊地さん
現地報告がはじまる
このやぐらが珊瑚を踏んでいるのだ!
リアルな報告に聞き入るみんな 灰谷さんの船や国頭の海人の船の
応援の話でみんなから拍手が!!
必ずとめられる!!東京でも粘り強く
やっていきましょう!!

12月6日(月) 日誌
← 昼食はサンマの梅・生姜煮、
サツマイモのオレンジ煮、
クーブ・イリチー


 ミコの誕生日のおすそ分け。
ビーフン炒め、
タピオカのデザート他  →
 夕食は牛肉炒め   冬の「街」の定番・タコキムチ オイちゃん作のホウレン草のおひたし
 
鈴木さん支援費削減抗議署名ご協力のお願い
鈴木敬治と介護人および支援者一同です。
お世話様です。

大田区は、支援費「移動介護要綱」の上限一律適用による支給料の大幅削減に対し、かたくなに「要綱は見直さない」と居直っています。
私たちは、あくまで自主交渉の場での解決を目指していますが、同時に、大田区に多くの仲間の抗議の声を叩きつけていきたいと思い、下記の署名活動を取り組むことにしました。
ぜひ一人でも多くの皆さんの抗議と怒りの声を寄せてください。

●署名用紙を添付しますので、お手数ですが出力して周りの皆さんにお渡ししていただければ助かります。

●ホームページをお持ちの皆様で掲載していただける方はよろしくお願いします。

●メールでの署名も受け付けています。
 メール署名宛先(鈴木敬治):cbc.00829@nifty.com

大田区に住む障害者の外出に必要な介護の制限を改め鈴木敬治さんへの不利益処分の撤回を求める請願

   年  月  日
大田区長 西野 善雄殿
大田区保健福祉部部長殿
請願の理由

 2003年4月から国の新たな障害者施策として支援費制度が始まりました。当初国は、この制度により障害者なら誰でもが申請さえすれば、区市町の勘案事項調査にもとづき一人一人に必要な介護支給量の決定を受け、必要な介護人を必要な時間だけ派遣させることができるとふれこみました。

 大田区で一人暮らしをする重度の身体障害者である鈴木敬治さんもこの支援費制度を使い自らの生活をつなぎ、様々な活動をしてきました。中でも鈴木敬治さんは、外出時に必要な介護である移動介護を大田区から月に124時間(1日あたり4時間)支給されていました。

 ところが大田区福祉行政は、2004年の3月に突然、大田区保健福祉部作成の「移動介護要綱」を4月以降、区内の全障害者に一律適用するとして、鈴木敬治さんにも同意するよう強く迫りました。

 この「移動介護要綱」では、障害者の「社会参加等余暇活動」の外出・移動を、月に32時間(1日あたり1時間)を上限にすると決めています。障害者の外出・社会参加の保障を1日1時間に制限するという、このような人権侵害(外出禁止令)とも言いうる「要綱」は、他の区市町にあっても類をみないものです。

 そして、大田区福祉行政は一人一人の必要量を認定するはずの勘案事項調査もまともにすることなく、一方的に「要綱」を適用し、鈴木敬治さんの移動介護を月に124時間から32時間へと大幅に削減する決定を下したのです。

 鈴木さんのように地域で一人暮らしをする重度障害者にとって日々の外出は、生きる上で必要不可欠なものです。外へ出かけ地域のコミュニティに積極的に関わっていくということは、自らの障害や、差別をなくす活動に共感し共に生きる仲間=介助者を確保していく上でのまさに命綱ともいえるものです。移動介護の32時間一律上限について区側の説明では、「一般区民の余暇活動は、1日あたり4時間×週休2日×4週間=32時間/月という想定に基づく」というものでした。これでは全く、障害者の生活実態とかけ離れたものであるというだけでなく、地域で生きる障害者の生活に対して一般の健常者の生活を無理矢理当てはめるというとんでもない「想定」です。何のための福祉施策なのか皆目見当もつきません。

 以上のような不利益を解消し、障害者の生活、とりわけ外出・社会参加をあたりまえに認めさせるために、私たちは憲法第16条及び請願法第5条に基づき下記の請願を行います。

請願の趣旨

1.障害者の外出/社会参加の介護保障を月当たり32時間以下に制限する大田区「移動介護要綱」の一律適用を改め、 一人一人に必要な支援費支給を求める。
2.鈴木敬治さんの移動介護支給量を月当たり124時間へと原状回復するよう求める。
3.2003年7月大田区保健福祉部作成の「移動介護要綱」の移動介護の一律上限条項の撤廃を求める。

賛同署名

 上記「大田区に住む障害者の外出に必要な介護の制限を改め鈴木敬治さんへの不利益処分の撤回を求める請願」の趣旨に賛同し署名します。

名前 又は、団体名 :
住    所 :
名前又は団体名の公表の可否(○で囲んでください)公表する/しない

<11月30日事前折衝報告>
11月30日に、12月13日の交渉に向けて山田課長・小泉課長との事前折衝を行いま した。
前回10月28日の大田区交渉のまとめでは、「次回は大田区側の解決案を提示する」確認 であったにもかかわらず、山田課長は「大田区議会で鈴木さんの陳情を審議中なので、区議会での結論を待たなければ動けない」「すでに大田区全体の問題となっており、保健福祉部の一存では決められない」などと、理由にもならない理由で、またぞろ居直りと引き延ばしを諮ってきました。

前回の区議会では「当事者間での話し合いによる解決の努力を期待する」という方向でまとめられていること、「要綱を作るときは勝手に作っておいて、その不備を指摘されると『一存で決められない』などという逃げは許されない」と、口々に反論。

山田課長は、「12月2・3日の健康福祉委員会にて再審議し、結論(採決か継続審議か)が出される予定なので、その結論を受けて出す」と、あくまで区議会審議の結論にこだわってきました。「区議会で区に都合の良い採決をさせて、それを盾に居直るつもりとしか思えない」「自主交渉で解決をする気がないなら、こちらも構えを変えなければならない」と区の姿勢を弾劾し、「解決に向けた努力をしろ」と迫りました。

大田区が解決案を出さなければ一歩も進まないこと、あくまで自主交渉の場で解決を諮ること、区議会に対しても解決に向けた働きかけをしろ、とつきつけ、次回交渉には『解決案』を出す方向で努力することを確認させました。

12月5日(日) 日誌
「リサイクルショップすぎなみ」で、

ディパックさんから差入れられた

カレーを「街」で試食
日曜の夕食は、

銀座・直久のラーメ




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