オープンスペース街・日誌


2002年9月C

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 9・18(水)  住民基本台帳ネットワーク反対
関町住民の会 練馬区役所大行動 (^o^)丿 
国民、一人一人に背番号をつけて
一体この国をどうするつもりなのだろう
私達は黙っていてはいけない
戦争して国民の屍(しかばね)に番号を
つけて葬るというのか
そんな事はさせない
国民を甘く見るな
みんな住基ネットに反対しているのだ
ただ日々の忙しさに木をとられ実際行動にでないだけさ
みなさん時間をやりくりして区役所・区長さんの所に行きましょう。
きっと皆の想いが届くと思います。

9月16日(月) 「街」日誌

9・15の「街」
 「街」は休日だけど、午前中、沖縄のブルースシンガー・知念良吉さんが来店
映画「無法松の一生」パフォーマンス in 杉並
 「街」から8人が参加。
 オープンの前、最寄の西荻窪駅前で、ライブをしました。
                                「街」に営業で来たことのある有線の営業マンがいました
会場までチンドン屋をしながら行進。  ハネやんの作ったオニギリを食べる
 会場は立ち見がでるほどの大盛況  「街」に帰ってきて、サントクで買った惣菜で夕食
報告 電気けいれん療法の調査結果
報告 電気けいれん療法の実態について〜全国自治体病院協議会アンケート調査から〜

全国自治体病院協議会 精神病院特別部会  医療情報小委員会委員 佐々木青磁

はじめに
 全国自治体病院協議会(以下「全自病協」)精神病院特別部会情報委員会(現医療情報小委員会)では,2001年8月,電気けいれん療法の実態を調べるために,自治体立病院において施行された電気けいれん療法についてアンケート調査を行いました。結果の概略を報告します。会員病院の担当の方にはご協力をいただきました。お礼を述べさせていただきます。

概要
 全自病協加盟の単科45,併設有床113,併設無床123,計281精神科医療機関に対してアンケート調査を行った。アンケートは施設票と個票の2種類からなり,施設票は対象施設の所在地,診療圏人口,設立主体,他科病床併設の有無等の立地状況,精神科病床数,閉鎖病床数,隔離室数等のハード,精神科医(指定医)数,麻酔医数,有資格看護者数等のソフト,在院患者数,入院件数,(緊急)措置入院件数,医療保護入院件数,外来患者延べ数等の患者動態,修正型ECTと従来型ECTの診療報酬請求件数と施行した実人数等を調査項目とした。(修正型ECTとは筋弛緩剤を用い閉鎖循環麻酔下にて行うタイプ,,従来型ECTとは静脈麻酔下にてけいれんを伴うタイプを指す。単にECTと記した場合は修正型,従来型の両者を含む)
 個票は,2000年4月1日から2001年3月31日までの間にECTを行った各人の回答を求めた。性別,年齢,ICD-10精神科主診断,通算罹患年数,入院形態,入院病室の種別,2001年3月末の転帰,実施総回数,修正型および従来型ECT実施回数,実施理由,患者および保護者へのインフォームドコンセント(IC),効果,続発傷病の有無等を調査項目とした。

結果
A.施設票
1 回答数
 全体で162(回答率58%)で,施設類型別では単科43施設(96%),併設有床64(57%),併設無床55(45%)であった。

2 施設類型別の年間の施行状況
単科:施行せず19(44%),修正型のみ1(2%),従来型のみ19(44%),両方4(9%)
有床:施行せず35(55%),修正型のみ6(9%),従来型のみ12(19%),両方11(17%)
無床:施行せず55(100%)
 単科の56%,併設有床の45%でECTが行われていた。修正型は併設有床ではECTを行った施設の59%で施行されていたが,単科では21%にしかすぎない。麻酔科医を必要とする修正型が単科で導入が進んでいないのは当然としても,併設有床でも導入率はさほど高くなかった。外来のみの施設では,ECTは全く行われていなかった。

3 施行された人数と回数
 集計結果は修正型ECTで実人数232人,延べ施行回数1982回,従来型ECTで実人数356人,延べ施行回数4770回,無麻酔でのECTで実人数67人,延べ施行回数323回であった。多数例を含む数施設からの回答が不十分なため,実態を反映しているとは言い難い。

4 平均在院患者数を100に換算した場合の年間延べ施行回数
 年間在院患者数100人当たり,年間に施行されるECT回数は単科では平均0.13回(最大1.54回),併設有床では平均0.20回(最大2.79回)であった。

5 年間入院件数を100に換算した場合の年間延べ施行回数
 年間入院数100人当たり,年間に施行されるECT回数は単科では平均18.9回(最大128回),併設有床では平均12.9回(最大101回)であった。

6 年間非自発入院件数を100に換算した場合の年間延べ施行回数
 年間強制入院数100人当たりのECT施行数は単科で平均41.1(最大319),併設有床で平均56.9(最大758)であった。

7 ECTと相関する指標
 併設有床において,対在院患者数ECT延数は年間入院件数,措置件数,医療保護入院数と高い正の相関(相関係数0.74)が見られたが,単科ではそのような相関は見られなかった。

8 平均在院患者数を100に換算した場合の,地域別の年間延べ施行回数単科:北海道0.271,東北0.019,関東0.456,中部0.087,近畿0.015,中国・四国0.007,九州0.084,有床:北海道0.098,東北0.128,関東0.845,中部0.033,近畿0.079,中国・四国0.172,九州0.000
 北海道,関東において施行頻度が高く,近畿,中四国では低く,地域差がみられた。

9 年間入院件数を100に換算した場合の,地域別の年間延べ施行回数
単科:北海道45.6,東北5.3,関東64.4,中部16.7,近畿2.0,中国・四国2.1,九州18.5,
有床:北海道18,4,東北13.6,関東28.2,中部4.4,近畿8.8,中国・四国10.1,九州0.0
 年間入院100件あたりで比較しても,同様の傾向がみられた。

B.個票
1 性別(有効回答数465)
 全体では男性:274(58.9%),女性:191(41.1%),施設類型では単科:合計294,うち,男性188(63.9%),女性106(36.1%),有床:合計171,うち,男性86(50.3%),女性85(49.7%)。
 施設類型別では単科で男性64%,女性36%と性差がみられたが,併設有床では50%ずつであった。

2 年齢(有効回答数474)
10〜19歳:合計13(2.7%)。修正型4,従来型9,併用0
20〜29歳:合計96(20.3%)。修正型14,従来型78,併用4
30〜39歳:合計104(21.9%)。修正型20,従来型84,併用0
40〜49歳:合計93(19.6%)。修正型20,従来型72,併用1
50〜59歳:合計93(19.6%)。修正型19,従来型72,併用2
60〜69歳:合計49(10.3%)。修正型27,従来型20,併用2
70〜79歳:合計23(4.9%)。修正型21,従来型1,併用1
80〜歳:合計3(0.6%)。修正型2,従来型0,併用0,無記載1
 年齢別では,20〜50代の患者が施行患者全体の81%を占め,その約70〜80%が従来型ECTであった。60代以降は修正型ECTの占める割合が従来型ECTを上回るようになる。最年少は15歳(従来型),最高齢は従来型ECTで73歳,修正型で86歳であった。

3 診断(有効回答数469)
 疾患別では統合失調症(精神分裂病)が62%(293),うつ病・うつ状態が19%(89),非定型精神病4.3%(20),躁病/躁状態3.6%(17),その他10.7%(50)であった。施設類型別では単科で統合失調症が72%,うつ病・うつ状態が10%,併設有床では統合失調症が46%,うつ病・うつ状態が34%となっていた。

4 罹患年数(有効回答数471)
0〜1年:30(6.4%),1〜2年:45(9.6%),
2〜3年:25(5.3%),3〜5年:43(9.1%),
5〜10年:82(17.4%),10〜20年:110(23,4%),
20年〜:136(28.9%)。
 罹患年数の長短にかかわらず,ECTは施行されていたが,罹患年数10年以上の群で52%と半数以上を占めていた。統合失調症では65%が10年以上の罹病期間を有していたが,うつ病・うつ状態では28%にすぎない。反対に罹病期間が2年未満はうつ病・うつ状態で34%であったが,統合失調症では10%であった。
 施設類型別では,単科で罹患年数の長い割合が高く,併設で短いという傾向がみられたが,統合失調症とうつ病・うつ状態ほどの違いはみられなかつた。

5 開始時の入院形態(有効回答数470)
 措置入院:28(6.0%),医療保護入院:311(66,1%),任意入院:127(27.0%),入院外:4(0.9%)。
 ECT開始時の入院形態は措置,医療保護などの非自発入院が7割強を占め,自発的入院は3割弱であつた。

6 開始時の居室(有効回答数469)
 隔離室:239(51.0%),閉鎖病棟の個室:53(11.3%),閉鎖病棟の多床室:89(19.0%),開放・準開放病棟:84(17.9%),その他:1(0.2%),入院外:3(0.6%)。
 施行した患者の半数はECT開始時に隔離室を使用していた。

7 施行患者の転帰
 2001年3月末の転帰は,37%がECT施行施設に入院を継続しており,46%がECT施行施設に通院中であった。統合失調症では47%が入院中,37%が通院中であり,うつ病・うつ状態では20%が入院中,61%が通院となっていた。施設類型による転帰の差はなかった。

8 年度内の合計施行回数(有効回答数473)
 1〜4回:117(24.7%),5〜9回:236(50.0%),10〜19回:99(20.9%),20〜回:21(4.4%)。最多は42回(無けいれん8回・有けいれん34回)であった。

9 年度内の無けいれん性の施行回数(有効回答数393)
 0回:258(65.6%),1〜4回:23(5.9%),5〜9回:79(20.1%),10〜19回:29(7.4%),20〜回:4(1.0%)。

10 年度内の無麻酔の施行回数(有効回答数399)
 0回:334(83.7%),1〜4回:20(5.0%),5〜9回:38(9.5%),10〜19回:6(1.5%),20〜回:1(0,3%)。

11 導入した理由(複数回答可)
 ECTを導入した理由は「薬物療法で効果が得られない」が79%,「薬物で副作用が出現するため」「他害の危険あり緊急対応」「自傷の危険あり緊急対応」が各々2割弱となっていた。
 疾患別ではうつ病・うつ状態で「他害の危険」が2%と低いのは当然としても,「自傷の危険のため」が21%にとどまったのが意外であった。施設類型別では単科で「他害の危険」が23%,鎮静目的が15%なのに対し,併設有床ではそれぞれ9%,7%であった。

12 患者へのインフォームド・コンセント(有効回答数470)
 事前に文書で同意を得た:66(14.0%),事前に口頭で同意を得た:100(21.3%),直後に口頭で説明した:9(1.9%),退院(現在)までに口頭で説明した:29(6.2%),説明していない:230(48.8%),その他:36(7.7%)
 患者に文書でICを行ったのは14%にすぎず,施行前後を通して告知しない例が49%にも上っている。
 また,統合失調症では文書での同意が4%,施行前後を通して告知しない例が58%,うつ病・うつ状態では文書での同意が46%,告知しない例が21%となっていた。修正型ECTと従来型ECTでの比較では修正型で事前の文書同意が32%,施行前後を通して告知しない例が21%に対し,従来型ではそれぞれ6%,62%となっていた。

13 家族へのインフォームド・コンセント(有効回答数470)
 事前に文書で同意を得た:268(57.1%),事前に口頭で同意を得た:166(35.3%),直後に口頭で説明した:1(0.2%),退院(現在)までに口頭で説明した:10(2.1%),説明していない:16(3.4%),その他:9(1,9%)
 一方,家族に文書で説明を行ったのは57%であり,施行前後で告知をしなかったのは3%であった。患者,家族両方に事前に文書でインフォームド・コンセントを行ったのは12%(58例)で,患者にも家族にも告知しなかったのが1%(7例)で,これは主として市町村長同意による医療保護入院の場合でみられた。

14 平成13年3月時点での効果(有効回答数471)
 著効:199(42.3%),有効:220(46.7%),無効:33(7.0%),悪化:9(0.2%),評価困難:15(3.2%),不明:3(0.6%)
 ECTの効果は有効以上が89%であった。悪化したとする回答は1例であった。

15 続発傷病(有効回答数463)
 続発傷病は「なし」が94%,「あり」が6%であった。修正型と従来型ECTに共通のものとして,せんもう,もうろう状態,健忘があり,従来型では頭痛,腰痛,脳波異常,熱傷,歯牙損傷などがみられ,修正型では起立性低血圧,発熱,誤嚥性肺炎といった回答があげられた。骨折,死亡例などの重篤なものはみられなかった。
                                              (北海道立緑ヶ丘病院医長)

9月15日(日) 「街」日誌

残波ヒマワリ隊・番外編

出陣式で二期目への思いを語る昌一さん
まよなかしんやさんも駆けつけ唄う 出陣式にはチビチリガマの遺族を
はじめ多くの村民が駆けつけた
彫刻家の金城実さん
陶芸家の大宮さん 「昌一をお願いします」お父さんの
昌助さん
選対事務局長の知花盛康さん
が檄をとばす
金城さんの音頭でみんなで
団結ガンバロー
洋子さんと一緒に波平で最初の
スポット演説
残波ひまわり隊、則子&マリ登場
チビも一緒にハイ、ポーズ。
これから出発
4日目、残波ひまわり隊に
ヨッシーも参加
未来世ちゃんを真中に、さあ出発だ。
おやつはドラゴンフルーツ メガホンで波平区内を練り歩き 反戦・平和の知花昌一です。
旧ハンザスーパー前で じっと聞き入るお母さんのうめのさん
打ち上げ式で唄うヨッーと残波ヒマワリ隊 開票を待つにぎやかなオバーたち
二期目当選!喜びを語る昌一さん (^o^)丿

9/14 田柄高校 ハンセン病 森元さんの講演会
 都立田柄高校の文化祭でハンセン病の元患者・森元美代治さん・美恵子さんの「苦難を乗り越えてきた
青春の日々について」と題する講演会があったので、マリちゃん・チューやんが参加しました。

 会場には50名位の参加者。森元さんは子ども時代に発病し差別を受けたこと、つらい通院・隔離・入園、
一生、療養所内で生きていかねばならないと知ったときの絶望感などを話されました。療養所内に新設された高校でも、教師達から別されていて、教師は生徒が触ったものには絶対に触ろうとしない。職員室に入室する際には必ず手を消毒させられたことなど、療養所の中でさえ徹底的に隔離されていたことを話されました。

 私はこの「隔離さえしておけば良い」という考えは、「精神障害者」に対する医療観察法案と同じだと思った。私の質問に対して森元さんは「医療観察法案についてふれ、ハンセン病以外のいろいろな障害をもつ人たちとも手をつないで、差別・偏見をなくしていくために活動したい。呼ばれればどこへでも行って隔離されてきた体験を語ります。すべての人が生きていて良かったと思える社会を作りましょう」と力強く訴えました。
 
 「オープンスペース街」の話に興味を持った方々が、帰りがけに、住基ネット反対の署名に協力してくれました。

9/14 「街」日誌
昼食はサンマ。
沖縄のシークワーサー添え
将棋をするニイちゃん、則子さん 将棋の駒の動かし方が分からない
サクちゃんの為にハネやんが考案した
お金将棋。10円玉〜500円玉使用。
夕食はグリーンカレー ニイちゃんに将棋を教わる洋平君  三線を練習するマリちゃん
精神保健福祉士の講習を修了
して戻ってきたトミタさん
 マリちゃんのアピール

9月14日(土) 「街」日誌

江端一起氏の京都簡保抗議行動に刑事弾圧が
 (この「かわら版」は郵政関係および当方の知人で読んでいただけそうな方々に送信しています。ただし、ひょんなことからご本人の承諾なしにメルアドを手に入れたものもあり、ご不快の節は一報願います。住所録から削除します)
 
 ことしの4月9日に、江端一起氏が元の職場である京都簡易保険事務センターに抗議行動に訪れました。江端氏は、15年前の3月9日、職場の慣行問題(勤務時間中の食堂利用)をめぐる当局の陰謀の前に、課長にお茶をかけ(お釈迦様みたいで有り難いじゃないか)、停職6ヶ月の不当処分を受けたのです。ために「発狂」して、職場を去らざるを得なくなった人です。
 昨夏の参議院選挙・高祖憲治派の組織ぐるみの選挙違反で、逮捕された中京郵便局長の柳瀬吉則(元京都簡保総務課長)は、略式起訴で有罪となった刑法犯なのに処分は戒告でした。しかも、柳瀬の場合は、定年直前の身で定期昇給はなく(戒告は定期昇給が飛ぶ)、まったく実害のない処分だったのです。江端氏の処分がいかに重いか良く分かるでしょう。
 
 彼は、今までも年に数回はこの職場に来て、京郵労簡保分会(私ひとりです)のビラまきと「共闘」して、当局の非を徹底して暴く抗議行動を続けていましたが、ことしは発狂15周年の記念として、江端氏自身の手作りビラ配布に出たのです。
 ここで、すこし物件としての京都簡保を紹介しておきますと、公道に面した正門があり、そこから100メートルくらいの2車線通路(おのおの幅5メートルで歩道と車道に分けられる)があり、その先に5階建ての建物があります。ですから、この通路は国営企業の敷地であっても外来者が誰でも入ることが出来るもので、さらに建物の玄関を入ったところは受付で、この受付も誰でも入ることが出来ます。京郵労のビラまきは、建物の玄関前の通路上で行っていました。もちろん、労務屋が「無許可だから出て行け」(御用組合以外のビラ配布は許可しないそうだ)と脅してきますが、正義は吾にありで無視。今までは奴らも、罵詈雑言やまとわりついての挑発はあっても、直接手は出してきませんでした。
 ただ、これまでも江端氏に対しては、もはや部外者ということもあり、労務屋はかなりの実力行使をして公道まで押し出そうとしてきました。しかし、あくまで労務屋が壁を作って立ちはだかるという手法で、逆に江端氏の方が頃合いを計って、自ら拡声器攻撃の目的達成のためにさっさと公道に出て、ハンドマイクを握ったため、双方事なきを得ていたのです。
 
 ところが。
 ことしの4月9日は、江端氏の独自ビラ配布行動を、私ともうひとりの友人が見届けるという形で、始業前の午前7時半から始めました(8時半から仕事が始まる)。すると、あっという間に沸いてきた総務課長・斉藤重雄以下の労務屋5〜6名が、横一列に隊列を組み、何と「よし行くぞ」とのかけ声もろともに、ハンドマイク片手に玄関前でビラ配布していた江端氏を、文字通り突き転がし、突き飛ばし、足蹴にし、100メートルの通路の彼方の公道まで放り出してしまったのです(後方支援の労務屋は10人以上いた)。当局の方が、見境のない暴力をふるったのです。
 
 実は、何の因果か、この日は、御用組合「全逓京都簡保支部」執行部のビラまきと重なりました。10数名の御用役員たちが、玄関前でしょうもない御用ビラをまいている前で、事件は起こったのです。
 江端氏が、「おい田中くん(御用書記長、かつては江端の同輩)、わしが15年ぶりに作ったビラや。受け取ってくれーっ」と労務屋にもみくちゃにされながと絶叫しても、御用役員たちは冷たい視線。これが人間か。
 
 問題は、その先です。
 この当局が先に手を出してきた暴行事件を、奴らは臆面もなく下鴨警察署に告訴したのです。検察筋から入手した情報では、器物損壊をはじめ山のような罪名が付いているとのこと。どうやら、器物損壊とは、労務屋が江端氏を植え込みに放り込んだ時に木が折れたこと(国有財産の毀損)を言っているようです。なんと馬鹿な!
 さらに、その先です。
 この不当な告訴を容れて、下鴨警察署は8月末に現場で実況検分を行い、労務屋たちを当日の配置に付け、大きな背番号札を着用させて写真を撮っていたのです。警察がここまでするということは、当然、事件にするということです。世上、ほんの一部が伝えられるとおり、弱い個人の被害には目をつぶる警察は、公安事件となると俄然力をむき出しにしてきます。何たる腐敗ぞ。
 
 現在、江端氏の不当逮捕も視野に入れて、迎撃体勢を作りつつあります。さいわい、利権まみれ拝金売名主義のベンタローたちの中で、「例外は規則を証明する」良心的な弁護士が受任を快諾してくれました。
 江端氏は、本年2月に新宮市の「お燈まつり」に参じ、篤く祖霊に対したところ。まさに神仏の加護あらん。
 
 江端氏に、激励を寄せていただけるとうれしいです。
 zensin@mue.biglobe.ne.jp(これは江端氏が入っている患者会のアドレスです)まで、よろしくお願いします。
9・13 中村地労委闘争1日行動
 中村さんは国鉄労働者だ。2年前、国労は臨時大会で「四党合意」を受け入れ(臨時大会は、国労組合員不採用問題についてJRが法的責任がないことを認め、「四党合意案」を承認するかどうかが大きな争点)、機動隊を導入し、闘争団を切り捨てようとした。中村さんはその大会を開催させてはいけないと思いスクラムを組んで機動隊とぶつかり、そしてデッチ上げで逮捕され10日間拘留された。その後、JR職場の規律をみだしたとの理由で運転手を辞めさせられ、草むしりをやらされた。そして中村さんは地方労働委員会に申し立てをした。するとJRは中村さんに月3回だけ運転常務をさせるようになった。それ以外の日はベッドの敷布の取替えなどをやらされている。中村さんは「本当の労働組合は仲間を見捨てない。国労が真の労働組合になってほしい」と訴える。
 午前11時、JR東日本八王子支社へ申し入れに行ったが固く門が閉ざされ中に入ることができなかった。
田中哲朗さんがライブ
 守衛が対応したが申し入れ書すら受け取らない。自分達が悪いことをしているから会えないのだろう。住民との話し合いを頑なに拒否しつづけている岸本・名護市長と同じだと思った。

 参加者27名で門前集会。映画「人らしく生きよう」のテーマ曲を歌っている田中哲朗さんが3曲唄った。
 「会社の中で差別やイジメがあっても見て見ぬふり、経済さえよければ何をやってもよいという考え方が日本を悪くしている」「上司がやっていること、同僚がやっていることに対して、おかしい事はおかしいと言えないから会社の不祥事が後をたたない。労働組合が弱い世の中は、労働者だけでなく、すべての人々にとって不幸だ」と語る。田中さんの歌は素晴らしい。歌詞の一行ごとに「その通りだ」と納得し心にしみて来る。多くの人に聞いてほしいと思った。
訴えるヨッシー 闘うNTT労働者 中村幸夫さん
 闘うフッ君  皆で記念写真
 午後、JR八王子駅で署名集め。中村さんに対するJRの不当労働行為をやめさせる署名が50分で166筆集まった。ちなみにフッ君はなんと15筆も取った。多くの人たちがJRはいかにヒドイことをやっているか知っているんだということを教えられた。
 京王線に乗って新宿の都庁に移動。初めて都庁に言ったが、「本当にこんな立派な建物が必要なのか、絶対に無駄だ」と思ったけど、32階の食堂で中村さんと一緒に昼食を食べた。フッ君は熱心に質問をし、中村さんは丁寧に応えていました。中村さんは「街」からそんな遠くないところに住んでいるとのことで、今度「街」で「国鉄冬物語」の上映会をやるときにぜひ来てくださいと言うと、「しゃべるのは苦手…でも必ず行きますよ」言ってくれました。とても物静かで誠実な人でした。中村さんは、自衛隊がJRの貨物列車を使い、倉賀野で武器の積み下ろし訓練をやっていることを教えてくれた。有事法制制定を待たず、国は戦争の準備をしていることがわかった。
 真ん中が柴崎課長 柴崎課長、工藤さん、中村さん  ホームレスが寝れない為の異物
 労働委員会に行き、柴崎課長に合計1710筆余りの署名を渡し、申し入れをした。その後の総括集会である人が「われわれは労働力を売って賃金を得ているけど、心は売っていない」と語った。僕は「なるほど、その通りだ」と思った。今日も、スジを曲げずに、人として闘っている人々に会えて良かった。<ヨッシー>
9・13 中村地労委闘争1日行動 フッ君
 朝10時半にヨッシーと八王子駅に到着した。すでに10名ほど集まっており、挨拶をかわす。詳細はヨッシーの原稿でお分かりの通り。私から若干の補足を。

 昨年12月、JR八王子支社への抗議・申し入れ行動の際は、一旦全員を入場させたにもかかわらず、今回は門扉すら開けずに守衛2名が対応するのみ。しかも要請文すら受け取りを拒否する。これでは最高裁以下だ! 自からの不当労働行為にまったく正当性がなく、われわれの闘いにおびえているからこそ、こんなことができるのだろう。

 門前で1時間の抗議行動の後、八王子駅前での署名・街宣では非常に反応が良く、合計166筆が集まった。私は15筆集めたが、足を止めてくれた人が全員快く応じてくれた。これは地元での粘り強い運動の成果であり、吹き荒れるリストラの嵐・大失業時代に皆、怒っていることの証明だ。

 都庁で食事をしながら中村さんと多くの話をすることができた。印象的だったのは「昔の国労は和気あいあいと助け合って活動していたが、徐々に官僚的になり、役員の話だけ聞いていればいいという風潮になったのが残念」との言葉だった。

 都労委では柴崎労働課長が我々20名全員を応接室に入れ、メモを取りつつ形式的ではあるが要請に応じた。その後の集約では、これは中村さん一人の問題ではなく、全ての労働者にかけられた攻撃だ。戦争が起きる時、真っ先に労働運動、反戦運動が弾圧される。有事立法を廃案にしようとのアピールに得心した。

 国労闘争団除名攻撃、狭山裁判の異議棄却、「人権擁護法案」による差別糾弾闘争の圧殺、住民基本台帳ネットワークによる個人情報の管理、我々「精神障害者」への保安処分=医療観察法案、名護市東海岸への米軍基地建設など、これらは全て戦争を行なう国家体制づくりに連動している。その総仕上げが有事法制であろう。本日の闘いを契機として、今後も闘う国労組合員に連帯し、いかなる戦争も差別もしない社会の実現に向けて踏み出していきたい。
02.8.24
第三回関西保安処分学習会報告


講演抄録
「こんな問題だらけの法律はいらない・・・
『心神喪失者等医療観察法案』について」
       中田政義さん(京都弁護士会)
第三回学習会
8月24日(土曜日)午後6時
尼崎市立小田公民館

もくじ
講演抄録
質疑

関西保安処分問題学習会運動
連絡先:尼崎市西長洲町3−6−13−23共生舎
事務局電話:090−305−40947
郵便振替00960―1―140519共生舎 通信欄に「学習会運動」と記入して下さい


第三回学習会は、他の複数の行事が重なってしまい、参加人数は18人と少なかったのですが、中田弁護士の講演は、非常に厳密ながらわかりやすいもので、討議も活発に行なわれました。講演・討議の抄録をお送りします。第四回学習会は12月7日(土)に変更です。 
新法の概要
池田小事件で小泉首相が見直しといってからおかしくなった。Tさんはこの法の対象にならないのに。

重大犯罪の疑いをもたれると警察が逮捕し、検察庁に送られる。今までは起訴しないと措置入院として強制入院させられている。新法は裁判所に判断をあおぐ。ここで地方裁判所の構成が問題になる。裁判官のほかに精神科医を特別裁判官のようなものとしてつけることになっている。キャリア裁判官以外の者が裁判に関与することはかつてないことだ。そこで何を判断するのか。入院が必要かどうか、通院が必要かどうかを判断する。
要件上の問題点
問題は手続きで刑事裁判との対比で申立を受けている人の権利保障がされているかどうかだ。弁護士の権限が非常に乏しい。そのなかで特別の専門治療施設を作って入院させるか、精神保健監察官で通院に関与させチェックさせるかということになる。

第1の問題は、犯罪に該当する事実があったかどうか、審理の手続きが刑事裁判とまったく違うことだ。かつての「保安処分」は刑事訴訟法によった。それよりひどい。裁判官がたてまえ上はアンパイアとして登場することを当事者主義という。これが刑事訴訟法だ。戦前の刑事訴訟法では裁判官と検察官が一体となって被告と向き合うことになっていた。これを職権主義というが、新法はまさに職権主義だ。弁護人が証拠をチェックできない。裁判官は検事の出す証拠を全部見てしまう。検察によって裁判官の心証を形成してしまう。被告人の防御権がないのだ。自白法則という本人の自白だけでは有罪とされないという憲法上の権利がない。反対尋問権が保障されない。結局、防御権の行使をどの程度認めるかは、裁判官のフリーハンドで、煮て食おうが焼いて食おうが勝手となっている。現行法では職権主義が採用されているのは少年法だが、重大事件について検察官の関与を認め手続きを厳格化する少年法より、新法はひどい。

第2の問題は、再犯のおそれの予測が可能か。予測ははずれる場合が必ずある。はずれて良いとするのか悪いのか。「ある程度はずれても仕方ない」と言うのが政府側だ。「健常者」の場合、やってなくてもかまわないとはならない。必ず白黒つけ、灰色の疑わしきは罰しないというのが社会的合意。それに対して新法は、社会の不安を根拠に「精神障害者」に対してのみ、間違った拘禁があっても辛抱してくれというもの。それを良しとするのかどうかだ。

現行の措置入院との違い。措置は今現に症状の出ている人の短期的判断。新法は6ヶ月間の診断。最低6ヶ月危険な状態が続くということはありえない。そんな診断は不可能で、無理な話に基づいた法律になっている。

今、裁判所は事後審査機関という役割を果たしている。新法は政策的、将来的なところに裁判所が入ってくる。重大犯罪に傷害罪が含まれている。網を広げておきたい狙いがある。
効果上の問題点
新法は治療なのか。社会復帰に資するものなのか。治療は本人の苦痛の緩和が目的だ。新法は周り・地域がその人に不安を抱いているのをいかに鎮めるかという社会防衛を目的としたもの。治療なら基本原理は契約なのに対して新法は強制。治療は医療選択権がある。どんな医者にかかるかは本人が決める。精神医療では医者との信頼関係がとりわけ必要だからだ。新法にはそれがない。

分裂病=統合失調症で、犯罪の有無で治療方法に差異はない。性的犯罪者では専門的治療があるかもしれない。池田小事件の場合、人格障害なら通常どおり有罪となり、この法にはのって来ない。

新法では無期限の収容、無期限の監視が可能になる。この点では、政治的取引で入院期間の上限を設けるということで与野党が合意をしてしまわないかと思う。

二重危険の法理。一つの事件で二回不利益を受けることはないのが原則。新法では刑事裁判で無罪になっても、新法で審理を受け、収容されることがある。

遡及処罰の禁止の法理。法が作られる前のことを裁かれない原則。新法は判決が出た時点から適用される。新法制定以前の行為についても適用される。
刑事裁判への影響
今まで責任能力を争うケースでこの法律では責任能力を争って無罪を勝ち取ったら入院が無期限化される。弁護士は責任能力を争わないようになる。今までと検事と弁護士が逆転してくるのではないか。検事が責任能力無しと争ってくることが考えられる。
そもそも立法の必要性がない
立法が必要な社会の変化はまったくない。あるとすれば社会のバッシングの程度のみ。その政治的利用だ。「精神障害者」の犯罪件数は増えていない。にもかかわらず「精神障害者」への偏見、恐れが煽られている。

民主・共産は「政府案では初犯防止の役立たない」という主張だ。日弁連も同様。なぜ「精神障害者」だけが初犯を問われるのか。差別的偏見でしかない。
対案・・・今、何が必要なのか 
<荒れた大地に新芽は育たない>
今の中でいかに制度改革していくかが必要。精神科特例ということで精神科では医者の数が一般科の3分の1でいいとしている。マンパワー不足が実態としてある。良心的医師からの悲鳴が聞こえてくる。難しい患者が公立病院に集中してきているからだ。それにからめとられて改革派がまとまりきらないところが出てきている。特例をそのままにしておくのはおかしい。

精神医療審査会で病院の対応は変わる。風穴を空けていく必要がある。

入院患者の3分の1は症状的には問題ない社会的入院。それをいかに社会にとり戻し支えていくかを考えないといけない。

犯罪は起きざるを得ない。問題はそこに追い込まない、孤立させないという取り組み。仮にあやまった方向に行けば回復できるような、フォローする取り組みが必要。

質疑
高見元博 <兵庫県精神障害者連絡会>
oototoro.gen.gan@nifty.ne.jp
http://homepage1.nifty.com/takamitousou/


02.5.2第二回関西保安処分学習会 
柴田明さん講演録 (兵庫県立光風病院精神科医師)

「一精神科医の感取する保安処分」  
はじめに  
柴田と言います。保安処分についてまとまった話をするのは初めてです。うまくまとめてゆけるかどうか分かりませんが、試行錯誤しながら頑張ってゆきたいと思います。この講演に先立ち、木下さんが法案への批判をまとめられ、ほとんど問題点は出し尽くされている感があります。さて私がそれ以上に何を言ったらいいのか、その辺が私の話のスタートになると思います。

私自身は1982年に精神科医になり、そのうち18年間を兵庫県立光風病院という公立病院で働いてきています。皆さんが保安処分に関して知りうることというのは、新聞やこういった学習会で把握することと思っています。けれども、公立の病院で働いていると少し特殊な情報が入ってきますので、そういう情報も出しながら保安処分法案の背景の様なものに触れてゆけたらと思っています。ちなみに、有名な事件である池田小学校での事件、そのT容疑者の最初の事件を鑑定をされたのはうちの病院の医者です。そのために何回も検察に呼び出されている。検察がどのくらい深刻に精神科医を追いつめるのかを肌で感じる機会が持ったので、後ほど、司法と精神科医との関係を話するときにその実感に触れてゆきたい。あるいは、少年A事件。あれは大事件で新聞を賑わしましたが、14歳ということで少年法に重なっているのです。私達の病院は公立病院ということでいろんな事件の鑑定が入ってくるのです。少年A事件よりえぐい事件があり、これが大ニュースになるかな、と思っていたら、どの新聞にも報道は無かったです。16歳の少年の事件で、少年B事件とでも言えるものですが、そんな事件は誰も知らないと思います。この差は何なのか。不思議だな、と思うことがいろいろあるので、そんなあたりを話題として出してゆきたいと思います。

私たちは今どういう時代に生きているのか  
最近私は50になりました。若い医者と接していて、自分の育った年代を背景とした時代感覚というものがあるんだな、ということを意識させられる機会が多くなっています。自分は1952年生まれの人間だ、ということを意識して最近は自分の見方を点検するようにしています。前回、小川先生が話されていますが、先生が生まれ育った時代背景があっての見方をされ、話されていたんではないか、と想像しています。

私の小さい頃というのは昭和30年代で、その頃はもう戦前の雰囲気はなかったと思いますが、「そんなことしてると特高が来るぞ」と親が叱ったりするので、すごく怖いものが戦前にはあったんだな、日本の国は10数年前にはすごく怖かったけど、今は感じちょっと違うのかなあ、ぐらいに思っていました。その怖い昔と今の間にアメリカの占領軍が入ってたとか、親の言葉からそう理解していました。それは、今から言えば、ほんの数年前のことであったのですが、その時はそんな近い過去だという感覚は全然ありませんでした。日本の国のそういう過去の姿があまりピンとこないまま、私は中学、高校から大学にゆきそのまま医者になったというところです。

私自身がこの国はそんな甘い国でないなと意識し出したのは、昭和天皇が亡くなった時のテレビです。テレビの全部が喪に服した放送で、どのチャンネルをみても同じ内容になっている。今までガチャガチャ音楽ならしたり自由に放送していたように見えた放送機関というのが、天皇制を背景にすると全部一色になってしまう。本当に息が詰まる感覚があり、これが戦前の国の雰囲気なんやなと強く意識したことを記憶しています。気楽な印象が表面的にはあるけど、いざとなると国はかなり強力に日常生活に入り込んでくるのだなと言う印象を持ちました。最近のことで言うと、これまでに、日の丸が学校教育に入ってきたという新聞報道は読んでいたのですが、今年、私の子供が小学一年になり入学式に出る機会がありました。もちろん国旗があり国歌を歌わせるというのはありましたが、私がプレッシャーを感じた光景は、まず校長が壇の上に上がり国旗に最敬礼をされ、それからおもむろにこちらを向かれて話をされる。さらに一般人であるPTAの会長が同じように壇に上がり国旗にうやうやしく最敬礼をしてから話をはじめる。やあ、といった気楽な感じではなく、いわば御真影を仰ぐような感じではないかと思われる荘重な面持ちで最敬礼された場面でした。小学一年の入学式であるのだけど、突然国家というものがここに入り込んで来たような光景でした。突然国家が表に現れたということで言うと、アメリカという結構自由にやっているとこっちが思っていた国も昨年9月のテロをきっかけに報道統制がひかれ、ある時期は国家高揚の報道しかなく、あの国でもそうなのかという印象を新たにすることがありました。

日本では有事立法の話が今進められています。有事立法に関して小泉さんがいろいろ言うことで、実際に法案になっているのかどうかは知りませんが、江戸時代の五人組制度みたいなものがあればいい、と新聞記事の中でコメントしていたのがあります。耳を疑うような古い発想の言葉で、怖い方向性を持っている人だなと思ったことがあります。なおかつ最近の新聞を見ていると、有事の時にとりあえずNHKの報道統制をするという。皇室関係に関しては(法律の枠組みではなく)報道統制されていたみたいですが、それが、国家にとって何かあったときは報道統制するということをハッキリと法律に入れてきている。国が一歩突っ込んできている、という感じです。盗聴法がすでに成立していたり、プライバシー保護法という、名前は市民のプライバシーを保護する法律のようで全然そうでないというような法律案も出ている。アフガニスタン問題を背景に外務省のNGO対応で、一般の人間は国の言うことを聞かんかい、と言う姿勢が露骨に出て国際社会の顰蹙を買った事件もありました。それらの一連の出来事の中で保安処分法と考えてゆくと、この法の本質が浮かんでくるのではないか。そのことはこの話のまえに木下さんが非常に細かく分析されていて、本当にそうだなと頷きながら私も聞いていたわけです。

心神喪失者法案を見る  
審議はこれから、という話でした。しかし、お渡しした資料を見てもらいたいのですが、2月21日の衆議院法務委員会というところで、すでに委員と参考人とがいろいろ質疑応答しています。これはインターネットで出されています。「もう審議が始まっているよ」と情報をもらい、びっくりして今回の資料に入れさせてもらいました。この中で今回作ろうとしている法案というのがどういう内容を目指しているのかが割合ハッキリと出ているように思います。というのは、これらの質問はあらかじめ役所に渡しているわけで、その時に逆に質問して欲しいことなどあらかじめ根回しして調整しておくものらしくて、場合によっては役所側の答えが先にあり、そのための質問があるように議員さん達に根回ししておくようなこともあるようです。そのようなことを知り合いの官僚から聞いたことがあります。こういう委員会が行き当たりばったりに開かれるはずはないと聞かされています。そういう背景を考えたときこの法務委員会での質疑応答というのは、この法律でどうしようとしているのか、あるいはこの法律のポイントというのは何かとかが話されていると考えてよいのではないか、ということです。長い討議のうち、裁判官と医師との協議や予見できるかどうかの議論だけをピックアップしています。この資料は他のところでは手に入ってないと思いますので、これを読んでいってもらったらと思います。

1枚目に漆原委員という方が質問しています。「医療的判断を元に法律的な判断をしてゆく、ということでよろしいか。」裁判官と精神科の医者の合議体で処遇を決定してゆくことが最も適切、そういう見かけになっていることが望ましいということですが、最終的にどちらの判断を優先するのかということになると、医療的判断を元に最終的に法律的に判断するということで、裁判官が優越する、裁判官の判断が決定だ、ということがかなりはっきり書かれています。裁判所と医者の関係については、池田小事件の鑑定に触れる時にもう少し詳しく述べてみようと思っています。

もう一つは、高原政府参考人というところです。この方は一体誰なのか全然分からないです。医者なのかなと思い精神神経学会の名簿を当たってみたのですが名前はなかったです。その方がすごいことを言われていて、本当カイナというのが、この資料を見たときの一番の印象です。政府はこれを期待してたんだろう、これを言わすためにこの人を呼んだんだろうなと思います。順番に最初から読んでゆきますと、「現代の精神医学、特に司法精神医学と呼ばれる領域は近年特に進歩が著しいところでございまして、その者の精神障害の類型、過去の病歴、現在及び対象行為を行った当時の病状や治療状況、病状及び治療状況から予測される将来の症状、対象行為の内容、過去の他害行為の有無及び内容を考慮いたしまして、慎重に鑑定を行うことに寄りまして、継続的な医療を行わなければ再び対象行為を行うおそれの有無を予測する、そういうことは可能であるというふうに国際的にも認められております。おそれについて予測はどの程度できるのかという、期間もしくは確率について一般に、現代司法精神医学におきましては六ヶ月程度の精神障害者の病状変化や問題行動に及ぶ可能性を予測することは一般的に可能であると考えられております。相当確実だというふうな形で国際的な論文にでておる、ないしは国際的な専門家から我々が聴取したところでございます。」で、

これを質問した議員さんは「あ、そうですか」とあっさり受けていて、これが既定事実であるかのように次に進んでいる恐ろしい場面です。国際的に認められているということに関して、一体そんなものがあるのか、ということが非常に問題で、本当かなと思って書店で現在司法精神医学の本などを見てみたのですが、ここまで確言できるような話はないし、逆に予見はできないと言う話の方が多い。どこでどういう話で一般的に可能であるという話になったのか、非常に分からない。うちの病院の医者にこんな論文に出くわしたことあるかと聞いてみても、「やぁ見たことない、そういうことであればきっと何かで引き合いに出されていて、ちょっとしたトピックスになっているし、情報は必ず入ってくるはずだ」との返事。この方はいったいどこからこんなに確言的に言っているのだろう。言葉が曖昧で、具体的な何々論文にはといった言い方でなく、日本人が弱そうな「国際的にも認められている」といった表現を使っている。「一般的に可能である」とか「国際的な論文に出ておる」とか、何か国際的であると通りが良いという風な感じで述べられている。本当に誠実に答えようとすると、誰それのいついつの論文がこういう内容を報告している、それを元に考えるとここまで言える、というようなことであればいいのですが、こういう「国際的には」といった言葉で議員さんを納得させてしまっている。おそろしいのは、これが前提になって法律の制定が進んでいるので、法律が成立してしまった時には、精神科医はこういうことができる、ということで僕ら精神科医に押しつけられてくるのだろうと思います。法律家も、精神科医はそう言われてましたよ、国会の委員会でもそういう話でしたよ、と押してきます。非常に残念なことにこういう話があると必ず「できます」と言ってくる医者が現れてきて、ほらそういう方が居らるれるではないですか、とそちらの方が主導権をとってしまう。そういうことになりそうな、うっとおしい答弁だなと思っています。

なおかつ、こういう話になるのですが、実際に法ができてしまうと法律家というものはどういうふうに運用してくるかというと、資料1pの中程ですが大野最高裁判所長官代理という人の発言として、「法律ができると言うことになりますれば、その適正な運用、判断が行われるようにつとめてまいりたい」とあります。法律ができてしまえばその形式に従って対応するのだ、ということです。実際には危うい予見性についても、法律になってしまえばその法律の内容で運用するのだ、それが法律家なのだ、というような話になると思います。法律家というのはこういう議論の仕方をされていて、現実世界の姿とは別に法律の運用ということを非常に意識するところがあるようです。今回講演をするに当たって、法律家はどんな感じで今回の問題を捉えているのかな、と思って本屋で保安処分についてコメントしている何人かの本を立ち読みしてみました。僕ら精神医療に関わる人間の感覚と違って、日本の精神医療の現状は問題がなくなったんだ、と書いてあるんです。というのは、以前は閉鎖処遇とか医療にいろいろ問題があって、医療現場の人権の問題が議論されていた、だから保安処分で精神病院に入れるということも良くなかったんでしょう。でも最近は集まるお医者さんそういう話をされません。法律も整って精神医療の現場というのはここ10年20年で良くなって問題がなくなったんでしょう。だから長期人権を拘束するような形は問題がある精神病院に入れるのだったら問題でしょうけど、今は問題ないでしょう。そんな感じで現状と全然無関係に、そういう話がでなくなった、あるいは法律が整備されたから大丈夫なんでしょう、ということを本に書いて出したりしている。この辺の法律家の感覚は僕ら精神科医の感覚と違っていて、法が整備されているという前提があると、現実と無関係に議論だけをどんどん進めてゆく性質があるのではないか、と考えてしまいます。次回の講演は法律家の方ですので、その辺の法律家一般のキャラクターについてどうなのか、講演の時に質問でもしようかなと思っています。

この様に見てくると、2月21日に議論されている法案自体は非常に短い内容ですけれど、実は今回の政府答弁が法案議論の前提にありましたよ、それは委員会の審議で認められましたよ、ということが既成事実化されてゆくのではないか思っています。

ついでに、お役人について。彼らにとって業績とは何かと言ったときに、自分が何かしたという名前が残れば業績なのだけど、もう一つ思いもかけなかったのが、天下り先を作るのが一つの業績なのだと言うことは暗黙の了解事項らしくて、知り合いの官僚と一緒に飲んでいた時に、天下り先の魅力とそれを作る人に対する評価はあると言っていました。これまでは保安処分を巡って法務省と厚生労働省はお互いに権益が合わないと言うことでなかなか譲り合えないところがあってそこで膠着してくれてたみたいです。それでそのまま膠着し続けてくれたらややこしいものができないなと思っていたのですが、今回は足並みを揃えていっているので、法務省に譲りながらも厚生省にとって天下り先の確保や権益の拡大というものがあったんだろうと推測します。具体的には保安処分施設の管理をどうするか、精神保健観察官の指導はどうするか、それぞれの省庁の範囲が広がるようなものがあったんだろうと思います。これは想像だけで言ってますので誰か知っていれば教えて欲しいと思うことですが、そういう権益がらみで法務省と厚生労働省が妥協したところがどこかにあるのではないか、これは政府の中で働いている官僚の感覚ではそうなるようです。必ず厚生労働省のポストなり権益がどこかで増えている、そういう妥協になっているはずです。今の時点ではこれは憶測なので、そういう視点から彼らの動きが把握できたらと思ったのですが、与えられた時間の中では調べようがなかったことです。

池田小事件から見えるもの  
ここから法案のことから離れて池田小学校の事件に触れてゆきたいたいと思います。前回の小川先生も触れられているのですが、精神科医にとっては事件の内容もあるのだけど、その後のいろんな動きがこういう法律とも結びついており、どうしても意識してしまう事件です。最終的にあの事件をきっかけにこの法律を出すことに至っているのですが、マスコミというのか世論というものをうまく隠れ蓑にして話を進めたなと言う印象が強いです。あの事件から結論されることというのは違うのです。同僚達が飲む給湯器に向精神薬を入れたという彼の最初の事件があり、その行動が精神科の問題があるのではないかと言うことで最初の鑑定を受けているのですが、その時に彼が幻聴があると訴えたために一応分裂病という診断になり、彼には罪はなかったという結論になった。そのあとにこの池田小事件があって、その取り調べでは、以前は嘘をついた、幻聴があると言えば罪にならず病気と扱われる、と思った。そう彼は言っている。そういうように報道されている。その筋道から言えば、もっと最初の鑑定をしっかりしたものにしなさい。ほんとに病気でない人間は病気でないと見極めるようにしなさい。精神分裂病という診断がつくと日本の法律では責任能力がないとされるので、責任能力がないとされる病名の診断は安易にしてはいけない。そういう指導が事件相応なのかなと思っていたのですが、現実には、鑑定の仕方診察の仕方には全然突っ込んでこない。そういう方向には全然行かなくて、またもや精神障害者の犯罪、それがきちんと処罰されていないという議論になったと思います。

ここが問題と思うんですけど、彼の最初の犯罪が重大事件かというとそうでないのです。この法律の成立を進めないかんという動きはあの事件がきっかけになっていますが、最初の事件の内容を考えると、あの事件自体と今回の法律で成立させようとしていることの方向は違うという感じがするのです。論点がすり替えられているのです。この「すり替え」の問題、それについてコメントしてみようと思います。

いわゆる保安処分法案というのはいったん消えていて、はっきりしなくなっていたのですが、1985年ころだったと思いますが、突然にアンケートが各病院に送られてきたことがあったんです。その内容というのは、病院でお困りの患者がいるでしょう、具体的に困っている内容とか、どうしたらいいのか意見をください、と言うようなアンケートだったのです。それを主導されたのが石川県立高松病院の道下院長という方だったと思います。私立病院では、そういう処遇の苦しい人は公立病院で見たらよろしい、人も多いしお金もあるんだからと、そういうことで割合返事があったと思います。そのアンケートをまとめたのが道下レポートといって処遇困難者の議論の始まりなんですが、ところがそれを受けた厚生省は処遇困難者を触法患者に内容をすり替えてしまったんですね。触法患者が処遇困難者なのかというと、精神医療の実情を知らなければ、いろいろ犯罪を犯したので大変なんだろう、だから処遇はしにくいだろうとつながってしまうと思いますが、僕ら精神科医の感触ではそうではなくて、例えばいま勤めている病院では50床の入院病棟があって、うち11人くらいは殺人者です。いわゆる重大犯罪を犯した精神障害者ということになるのですが、その人達が処遇困難者かというと全然浮かんでこなくて、特にそのうちの8人くらいはひっそりと過ごされていて、学生さんや1ヶ月くらいの研修者の目からは物静かであまり目立たない人という評価になるのですよね。別な機会に説明を受けびっくりされるのですが、そのくらい目立たない人が多いです。触法だから処遇困難、ということではないなと僕らは思っているのですが、それが厚生省の段階ですり替えられてしまった。あのアンケートは何だったのか、僕も書いたのですが、結局は触法の患者に対する処遇を何かを作らないかんのやと言うような話に使われてしまった。ここで、すり替えというのがあるのやなと意識しはじめた第一歩です。池田小事件というのも、本当は、責任に能力判断についての措置診察の限界という現行制度の問題なんですが、それが触法患者の再犯の問題になっている、あるいは野放し論になっていて、ちょっと何かすり替えられているなぁ、と感じていました。

もう一つ最近のことなのですが、この法案が出てくる前に、司法精神医学をやっている人達からのアンケ−トがありました。それは、鑑定に従事したことがありますか、あるいは鑑定にあたっていろいろ知識がなくて苦しみましたか、といった具体的な内容だったので、それも書いたんですが、出てきた結論というのは、一般精神科医には知識がない、しかし基本的な知識に対する需要は広くある。だから、司法精神医学の専門家もとに教育を徹底しなくてはいけない、司法精神医学がそういう方面に発言してゆかなくてはならない、ということでした。司法精神医学のエキスパートの発言力が強くなれば、今回のこの法律は非常に運営しやすくなる。司法精神医学の専門医を作っておき、その人達の判断は一般精神科医の判断より優越するとし、それを利用してゆく。そういうことの後押しにこのアンケートは使われてゆくのではないか。こういったすり替えがこの法律の成立と重なっている。次のすり替えを狙っているのではないか。そういう疑問がこのアンケートに関してはあります。

論点がすり替わってくる、というのはわざとにしているわけで、普通に取れば違うことを、そうであるようにうまく役人はもってゆくのですが、逆に、その論点をすり替えるということで国の意図が端的に表に出てくる。すり替えている点というのは、もともとその方向を狙っていたことで、事件はその機会を作っただけではないか。そう見て取れるのでないかと思います。

司法権力に触れる  
司法権力、権力というのはあまり自分が好んで使う言葉ではないですが、司法権力という言葉を使いたくなるほど圧倒的に強力な印象があるのであえて使っていますが、T容疑者の事件と鑑定ということでそのことに触れていってみようと思います。一般的に鑑定というのは、ここに用紙を持ってきていますが、二人の医者が診察して、こういう用紙に書き込んでゆくわけです。資料にその具体的なコピーを持ってきています。現物の書類を見る機会はなかなかないと思いますので、こんなものかと思ってみて頂いたらと思います。鑑定(措置診察)に至る流れは、警察・検察官・刑務所などから自治体の方に連絡がゆき、そういう精神的な問題がある人の犯罪がありました、精神障害が疑われるので二人の医者の診察をお願いします、ということで鑑定になります。

このT氏の場合もそうで、薬を入れたということですが、もう一つ動機が腑に落ちないということで鑑定依頼があって、うちの病院の医者が一人、他の、実は入院が予定されている病院の医者が一人行ってます。二人の医者が独立に診察して、本人の病状聴取して入院が必要かどうか判断することになっていて、建前としては入院がいらないと判断することも可能になっています。けれども入院不要になるとそこで放免となり、現実には司法に戻すことはできないです。鑑定に行ったときに大体病気かなどうかなとうぐらいの見当がつけられていて、実は入院先の病院まで決まっている場合が多いです。診察も二人で2〜3時間くらいのものです。T容疑者の場合、後日検察庁に呼ばれていろいろギュウギュウ締め上げられたのでその鑑定した医者は音を上げていましたが、「でも、行ったときに入院先がもう決まっていて、本人が幻聴とか言っていて、病気っぽい雰囲気があって、それをなんでもないことにはできないよね。」とこぼしていました。印象として精神病が否定できなければ、それで分裂病という診断をつけて予定されている入院病院に入って頂いて治療するのが普通です。全く何の前提もなしに本人を診察して、これは入院に当たらないとかそういうことをするのではなくて、入院というのがあらかじめ決まっていてそこに向けて流れを作っていく。それが通常なんです。二人の医者が独立にと言うことですが実際には一緒に入り、それなりの判断をして後の治療につながりやすい形に誘導するように診察して行きます。最初の事件というのは飲料水に薬を入れていますが、あのときはいろんなところで毒を入れるのが流行ったような時期でして、たまたまそのなかで精神科の薬を選んでいる事件なんです。精神科の薬で死ぬようなことはないので、内容は非常識だけど重大な犯罪を構成するという印象もなかったので、割合簡単に分裂病で要入院という判断をされています。池田小の事件が起きてからご本人が病気を装ったということで、にわかにその鑑定した医者の判断がクローズアップされて、検察に6回くらいよばれていたのではないでしょうか。呼ばれると半日くらいかかってしまいますので、診療にも差し支えて、元気な医者だったのですがぐったりしてあんまり普段の活動もできなくて痛々しいと言う感じで、締め上げられたという印象が強かったです。

事件というのが実際に絡んでしまったとき、事件が実際に起こっていますから、精神科医の判断に関して、判断の根拠とか甘さとかを検察はグイグイ締め上げて来ます。いわば容疑者扱いなんですね。そこでこの法律のことが重なるのですが、裁判官と精神科医の合議体で審議といったときに、事が重大な事件の再犯がかかっているときに法律家というのは、「医者がそういうから何かそんなもんでしょうハイハイ」と聞いてくれるのかというと、とてもそう思えないなと言うのがこの検察の締め上げ方の印象から感じるものです。こと犯罪に関しては検察というのはなまじのものでないなという印象の強さがありました。それは警察もそうで、例えば病院で事故があり誰かが怪我をした程度なら取り合わないですが、死んだと言うことになると内容の一つ一つの後を追っていって細かく発言させ半日がかりで関係者を締め上げてゆきます。重大事件を扱うとなると精神科医と裁判官が仲良く話すると言うことにならないだろう、絶対に法律家の優位というのを崩さないところがはっきりあって、最後には「あくまで参考にしますが判断は私達です」ということになりそうです。習慣なのかプライドなのか、そういう使命があると思っているのか分からないですが、この傾向は非常に強いです。

この審議などでもそうですが内容を読んでみると、資料1Pの1段目のところになりますが、この漆原委員という方が聞いて古田政府参考人がコメントしてますが、「裁判官と医師とが入院治療の要否や退院の可否を判断する仕組み、その役割分担を教えて頂きたい」との問いに、「医療的な判断は医師の判断が重要になる」と言いながら「一方で生活環境も踏まえた治療継続の可能性、それから起こってくる同様の問題行動の実際に発生するおそれとか、そういう点についての判断は、やはり法的な判断というのが必要になってくる」と答えて、その後は「裁判官と精神科の医者の合議体で処遇を決定することが最も適切」とぼやかし直している。資料として入れませんでしたが、とにかく法律が通るまでは、医者の機嫌を損ねないような書き方を強調していて、医者と裁判官は協議すると言うことで平等であるかのような書き方が目立つのですが、そこのところを司法の優位という原則を身も蓋もなく言ってしまうと反対が強まるという判断があるのか、答弁ではソフトにぼやかしたコメントの仕方になっています。

ソフトにぼやかすといったとき、そこに何か魂胆があってできるだけ表面化したくないというものがあって、読んでいてすごく曖昧になったところには何かあるなということが浮かんでくるのです。例えば、2P目の横内副大臣がコメントしているのがあります。平岡委員が、「与党3党での案では重大な犯罪行為に当たる行為を再びおこなうおそれがあるというようなことを判断基準にするようなくだりは全くなかった」と指摘しています。与党案の時には「そういう長期にわたることのない制度とする」、と言う文面があるのですが、逆にその文面ははずしているのですよね。はずすのは意図があるのですけど、答弁の時には「食い違ったということではない、同じなのだ」と強調していて、与党案から政府案になったときにはずしたり書き加えたりしている部分があるのですが、食い違ってないと強弁しています。非常に微妙に内容を替えていて「そういう長期にわたることのない制度とする」ということをはずしたということは、きっとその逆さで、そういう長期にわたることがあってもそれはかめへんやろ、という意図があるのかなと思います。いろいろ審議されている文面の変化を読みながら、どこに力を入れているのかなと言うことを読みとっていってみると、最初に木下さんのいろいろ言われたことに関して、さらに立体的に政府が考えていることが浮かんでくるのではないかと思います。

その辺のおかしなところを拾い上げてみることで、一般市民の人に、やはり変ですねと共感していってもらえるのではないかと考え、そういうものをいっぱい拾えたら良いなと思っています。病者の方は特にそうだと思いますが、こういうものを読むと自分自身に迫るものがあるので、直感的にこれは大変と分かるものがあると思うのですが、市民というのは自分は精神障害者と違うと思っている人が多いのでその辺の感覚が鈍ったりしている。市民を意識していったとき、本当の法律のねらいはこういうところにあると言うことを議論していった方が良いのではないかと考えます。

マスメディアの動き・国の動き  
ここで少し池田小事件から離れます。少年Aという事件がありましたが、僕等自身もよく分かっていなかったことがあります、少年犯罪が問題になったとき昔はそうでなくて最近特にえぐい事件が多かったり、時代の背景があって内容が深刻になってきていると思い込んでいたところがあるのですが、一冊の本がありまして滝川一廣さんといいまして名古屋で医者をやってられる方ですが、この中で少年犯罪増えてないよ、データがあるよ、それから中身がえぐくなっている、それもないよと。それは戦後から最近までの青少年犯罪を拾って犯罪の内容を見ているのだけど、具体的に同じ首切りもあり猟奇的な事件もあってマスコミが忘れているだけと違うのと言う感じでいろいろデータを取っています。本を廻します。第5章「思春期犯罪の神話はがし」というところです。具体的に表を作っていて、「少年による犯罪は激増しているのか」とか、「少年殺人の低年齢化は進行しているのか」とか、何となくマスコミの論調でそうなんかなと思われていたのが、嘘ヤということをちゃんと書いてある。この方自身は政治的に活動する印象の人ではないですが、丹念にそういうものを拾って、おかしいものはおかしいという意見を述べられています。読んでいてそうなのかと思わされ、僕自身も安易にマスコミの言うことを信じてしまっていてあかんかったなぁ、と反省させられました。ここにおられる方で新聞とか読んでられて少年の殺人事件は年々増加しているのではないか、そういうふう思って、いろんな出来事から、少年法の改正はやむを得ないなと思ってられた方もおりますでしょうし、殺人の低年齢化もひどいんだろうな、最近14歳以下の重大犯罪というのを目にするので少年法というのもやはり替えなくていかんのかなと思わされたりがあったんではないか。あるいは、残酷で条理を越えた少年犯罪は現代という時代を反映していて最近の傾向でないか、確かにえぐいと何となく思われていたのではないかと思います。ちゃんとそういう資料を持っているとそうではない。この方はマスコミの責任と言うことも言われていて、マスコミは自分の報道したことだから、そうでないんだということをちゃんと立場としてうち出すべきだ。週刊誌ネタ的なニュースをその場その場で追っかけるのでなくてマスメディアとしての責任というのがあるはずだ、と。マスコミの影響は大きいのでもう少し責任を持った報道態勢で書いてくれ、とも書かれています。

そのノリで行きますと、14歳という事でタイムリーに少年Aの事件が起こっているのですが、あれは稀なのかというとそうでなくて、あのニュースが取り上がられた同じ頃に、16歳の、いまは22歳の少年の事件があり、どうしてマスコミにとりあげられなかったのかよく分からないくらいで、そのため、何かマスコミ自体がニュースの選択をさせられてしまっているのではないか、すごくショッキングな事件だからいつも新聞に出るものではないな、ということを意識させられてました。これは僕自身がその時思ったことです。この事件はえぐくて、この方は5人グループでいた方で、殺人をしていないのは自分くらいで、他のやつはこれまでに殺人の体験をしていて、いつか自分も殺人をしてみようと思っていたと、裁判の中で言っています。殺し方がえぐくて、相手が12歳くらいの少年ですが、自転車に乗っていてその音がうるさいと相手に突っかかっていって、もめ事を収めるためにもう一度会うのですがそこで相手を殺しています。最終的には相手を絞め殺しているのですが、絞め殺す前に指を全部各指2回ずつ折り、目の角膜も切って行き、気絶したら戻るのを待ち、できるだけすぐ死なないようにした、と言ってます。死体は遺棄しているし、動機といい内容といい新聞の一面を飾っても不思議ない事件ですが、誰もこの事件のことは読んでいないと思います。少年Aのすぐ後の事件なんですが。これは多分14歳であればすごくクローズアップされただろう、16歳であったから関係がなかったのだろう、ということと思います。

 マスコミというものは気をつけなくてはいけないぞ、世の中を動かすような大変なニュースはちゃんと報道されている、鏡のように全て報道されていると自分が勝手に思い込んでいるのだけだけで、本当は違うんでないか。これは、この事件が全然取り上げられなかったので僕自身が思ったことです。少し前を思い出してみると良いのですが、17歳の事件がいっぱい取り上げられた時期がありましたね。どの犯罪も17歳。17歳というのは非常に危険な年齢かと。最近は17歳の犯罪は一つも取り上げられませんよね。17歳の犯罪はないのかと思うくらい。そんなはずはないですよね。新聞の取り上げ方は、いろいろの事件の後を追っているのがあると思いますが、ニュースソースが警察とかなので、そこので操作されていると見た方がいいのではないか。今回の法律を作るに当たって池田小事件とか論点をすり替えながら大きくされてきていますが、それ以外にもっと取り上げられてもおかしくないような犯罪はあるのですが、それはほとんど取り上げられてなくて、結構露骨に世論をあおっているのだなと。その上に僕等の意見とか無意識のうちに形成されているのだなという自覚を持った方が良さそうです。情報を新聞だけに頼るというのは危険がある。できるだけ生のいろんな話を聞く必要がある。そういう時代に入っているのだという自覚は持ったほうがいいかな、と僕自身は思っています。この資料はそういう目でちらちらと見てもらったらいいかなと思います。この資料は後で回収します。

日本の現実を重ねてみる(人権後進国としての問題)  
最初の頃に法律家の感覚の話をしましたが、日本の精神医療の現実というのは問題ない、人権に関して問題がなくなってきている、それを前提として話する法律家がいるので非常に危ういなということを言いました。

最後の資料を見てください。二つの文章があります。ワープロで書かれている方ですが、これは平成6年ですからおよそ7年ほど前、地域の消防からこの家族に送られた手紙です。すごい内容の文章です。資料の左下の方ですが、「しかし、今後そのようなことが繰り返されますと、私の職場にも血の気の多い若者がたくさんおります。日頃から、十分注意はしているものの、喧嘩に巻き込まれたり、その仲介や阻止に入った私どもの職員やお宅のK君に、人身事故等が発生し刑事事件に発展することを懸念するものです。」これは、はっきりした脅しなんですね。

 この方の家族は、地域からこういう手紙があっていま現在彼を退院させることはできないと泣きついてきたのです。ふと考えたときに、街に住んでいたら警察があって、警察も怪しいところがあるけど、警察が介入していて、こんな露骨な恫喝は受けないだろうと、思います。この地域、三木の少し奥の方なんですが、消防団が救急の役割をしているところです。地域の人間が彼を保護して入院させる形になっているようで、成り行き次第ではドナイなるか分かれへんで、と言っている地域があると言うことです。大阪でいうと、潰されましたが、大和川病院というのがあって、警察が救急だというとすぐ受け付けるから運んでいて、行政からも容認されていた病院があって、どういう事をされようと医療とされてしまうと行政指導の入りようもなかったことがありました。

そういう大丈夫なのかという現状があちこちにあって、それが何の問題もないとされ法律がどんどん作られてゆく、それはちょっと考えなイカンなと思います。これは地域保健観察官という制度が作られるときに、例えばこの資料の地域で精神保健観察官というのがあったとき、公平に対応することにはならないです。地域の利益をもろに受け、どうなるか分からないぞという圧力がかかっている背景で、お互いがある程度顔見知りという中では、地域の圧力を意識せず受けてしまうのでないかと思います。法律家というのは、東京とか、そういう地域的なものがなくなって、何となく人権というものが尊重されるような、国の中で一番うまく行っている地域だけを考えて話をしているのではないか。ところが実際は、それこそ江戸時代の村みたいな地域が日本の中にはまだまだあるのではないか、そういうことを論議しないまま、こういう精神保健観察官も十分機能する、街ではそうだからという感じで話を進めてゆかれるのはかなわんなと思います。

行政の方もいろいろ問題があると思います。資料左の手書きの文章が行政のものなのです。この行政部署の役割は、入院している人の退院請求を受けて、その退院請求を聞きに行く、そしてそれを審査会につなげる役割です。役所の中で一番精神保健に対する感覚を持っていなければならない場所ですが、そこに属する方が、うちの病院に入院されている方の2回目の退院請求を受け、審査会の診察に同行された後の文章です。退院請求に対するこの診察は、行政の役人ががいろいろコメントするべきものではなくて、審査会の人が病院に行きいろいろ聴取し、審査会が判断するので、行政のこういう文書がそもそもあるはずはないのですが、くっついていた行政の人が、審査会はこう判断するのですが、私どもの意見はこうです、と文書を残してゆかれたんです。

それ自体このシステムの由来を考えるととんでもないことですが、いろいろ言い分を認めていったとしても、この中で最後の方ですが、「次回、退院請求がまた出てきて同じ状態なら、医療側の怠慢だと指摘されても仕方ないと思います」というようなことを書いているのです。退院請求というと患者の法的な権利で自分になされた強制入院の是非を議論してもらいたいということですが、それを受ける行政の部署が、要は退院請求があるのはちゃんと医療ができていないから退院請求なんかがあるのだ、と主張しているのですよね。審査会に取り持つ役割の無色透明であるべきところが、退院請求は本人の病気でないか、医療が何とかすれば退院請求などは出ないのではないか、というコメントを残してゆくのですよね。これが行政の中で精神保健を役割として担っている部署の発言なんです。そういう中心的なところが、そういう退院請求とか患者の人権に関する法律に関わるところで、そういうものがあってもらっては困ると言うような姿勢でいる。これは日本の行政で働くいろいろの人間の感覚というのは危ういのではないか、その中で法律の文面というのはうまく整わされるかも知れないが、そのなかの一人一人はとんでもないことを考えていたりするのではないか。日本の人権感覚の後進性というものを全く拾わないでこういう法律だけが進むというのは非常に危険ではないかと思います。この文章は他にいろいろ含みがあるのですが、退院請求を受ける行政機関自体が退院請求はあって欲しくない。何回も足を運ぶのは嫌や。ということを意思表示している、変な意味での貴重な文章です。

地域差というのは非常の差があって運転免許のことなどに触れてみたいと思います。この阪神間は精神障害があるということで運転免許が剥奪されるということはないんです。例えば精神病院入院中に免許更新が来て行けなくても、精神病院に入院していたためにゆけなかったと書いても、あっそうですかと受けてくれて更新されるのですが、四国ではそれはできないんです。いったん精神科の診断が付いたら発行しない。治ったと診断書が書かれても発行しないという土地なんです。そういう差というのははっきりあって、各地方地方でどういう人権感覚になっているのかという把握なしで法律家が法律だけの議論をするということはなんとか阻止したいなと思います。

いろんな人権感覚がおかしいという例を見ると、やはりその地方地方で、到達しておかなくてはいけない目標があるのではないかと考えます。精神保健観察官を取り上げますが、どういう役割をするのか地域で全然違って、四国などでは本当に精神障害者を圧殺してくるのではないかと思ったりします。阪神間など都会ではそんなに厳しくないのではないかと思います。本当に非治療的な役割をするややこしい地域では、病者側のいろんな反発を引き起こす事態が起こるのでないかと想像したりします。そういう地域差というのははっきりあり、画一的に地域があるわけでないのだという自覚はいろんな議論をする前提にいることでないかなと僕は思っています。

不安な将来  
今回議論に上がらなかったことで不安だなと思う事件に西鉄バスジャック事件があります。あれがどうなるのか、非常に嫌な感触を持っていまして、あの事件が起こった時に東京の町沢という精神科の医者は「あれは予見できた」と言っとるんですね。できなかったのはよく診ていなかったからだ、というような感じでテレビで非難されていたのですね。僕らがこの法律の次に心配するのは、事件を起こしていなくても、診察でいろいろ聞いていて犯罪に絡むようなことを患者が言っていたら、事件に至ることを予見できるのでないかとか。その患者が起こしかねない事件の予見も、この様な法律にされて精神科医の仕事になってくるのではないか。それはちょっとたまらんな、と思うわけです。

現実の法律はなくてもマスコミというものが入ってくるときに、あの九州の主治医の場合がそうだったですが、予見できたのではないかというすごい圧力にさらされるのがあったりすることと思います。その圧力が実感されてしまうので、その後では、予見してゆかなアカンのやろかと、僕にとっての無意識の圧力になってしまっている。

時代がゆがんできたときに、有事の場合などそうだと思いますが、こういう圧力というのは現実にかかり得るることだと思います。だから、予見できると司法精神医学者が言い出したとき、予見できるのが正式で予見できないのは医者としてダメなのだということになり、予見できると言っている人に資格を与えるという展開があるのでないかと予想します。そうなるのがうっとおしいなと思います。例えば外来やっていて、患者が「親が腹立つことを言うので殺したいわ」とか言ったりすることがあり、それを「それは分かるわ」とか言って話を受けているのですが、そう言っていて実際に事件が起きたりしたら分かったはずだとされたりすると、医療自体が全然できなくて、いわゆる社会防衛の一員としてしか医者が機能しなくなるので、そういう圧力がかかってきたら非常に嫌だなとおもいます。ちょっと脇道にそれますが、クライシスコールということで、医者が技量を積めば分かるという医者がいて、その辺は予見可能だという議論につながりそうで非常に危険だと思います。精神科医の危険度を見るとき、そういうことを言ってないかとかを見てもらったらいい。予見可能だと言うことを強調する精神科医というのは危険なんだなということを判断材料として見ていってもらったらよいと思います。

日常生活への国家権力の侵入  
そんな辺りまで国が介入してくるようになると本当に日常生活の隅々まで国の陰というのがちらつきだして、たまらない時代に入るのでないかとと思います。現実的に有事とかの話がされていて、軍を動かしたり一時的だと言うが民間に関していろいろ徴用を含め介入できるという法律なので、どこでどう使われるかも分からない。アメリカの動きに連動するということなので、結構遠方で事態が起こっても雰囲気で有事と判断され、日常生活が締め付けられてくる。その中でさらに一歩介入する法案としてこういう保安処分法案があると位置づけて見ておかなアカンのかなと思います。とりあえず話を依頼され思ってのはこのくらいの話です。話はばらばらしてしまいましたが、マスコミという操作された世論の話とか、政府が取っている方針がきな臭い時代に入っているということ、やさしい司法というのはなく、そういうものがこの法律で日常生活の中に入ってくるということ。そう言う話でした。

余談になりますが、先ほど時間待ちの間に木下さんと話していたのですが、重大な他害行為というのは法律では6つくらいの行為にまとめられるのだけど、ここで具体的な6つではなく、「重大な」という主観的なあいまいな表現を使っているので、いろいろ話広げてゆけるのではないか。いまはないけど皇室に対する不敬行為など時代背景によっては入ってくるのでないか。

皇室関係は特別やなと思うのは、これまで実際に警察から患者を外出させんとってくれと依頼あったのは、ユニバーシアードの時に皇室関係の人が植樹に来る。その時に依頼があったのが一件だけあります。それ以外は政府要人が来ようと電話とかなかったです。皇室関係の時だけあったので、日本の国にとっては皇室関係というのは特別なようで、皇室関係というのが将来入ってくるのではないかと予想しています。重大な他害行為というあいまいな言い方で広い網が張れるようにしてないかと疑心暗鬼になってしまいますが、これは予感で現実にはどうなるか分かりません。どんどん拡大解釈される可能性がある部分だと思っています。一応僕の話はこれで終わりたいと思います。どうも有り難うございました。 

第四回関西保安処分学習会案内  
12月7日土曜日午後6時
尼崎市立小田公民館

私たちは、保安処分新法の7月国会での成立を阻止しきりました。小泉首相がこの法案だけは通せと下令しているなか、大衆的闘いによって勝ち取った地平です。とくに政府が「再犯予測」が可能であるとする唯一の根拠にしていた、イギリス・オックスフォード大学の医学教科書について、実は「再犯予測は極めて困難だ」と書いてある事実を暴露してことが大きかったのです。この事実を国会で追求する中、坂口厚労相は、「実は教科書を読んでいませんでした」とぼろぼろの答弁をしなければならなくなりました。坂口は「ドイツでは可能だといわれている」と言い訳しましたがときすでに遅しです。実際に保安処分制度の存在しているイギリスで「再犯予測は極めて困難」といわれている事実こそ、この制度がいかにでたらめで、事実に基づかない不当拘禁をもたらすものであるのかを証明するものです。

私たちは、秋の臨時国会に向け、法案審議入りを許さぬ大衆決起を実現していかねばなりません。別の形の保安処分制度の創設を要求する民主党対案についても私たちは反対の立場をとります。民主党対案は、現行の措置入院制度が極めて問題の多い制度であるにもかかわらず措置入院制度の強化を打ち出し、「政府案では初犯が防げない」と精神医療を犯罪防止に使うという原理的転換に賛成し、さらに精神病院の機能分化・精神科救急の推進を打ち出しています。機能分化は、厚労省が保安処分に替わる代替制度として打ち出したものです。急性期病棟に犯罪防止の役割を背負わせ、慢性期病棟では今まで以上に医療なき超長期収容をもたらすものです。精神科救急は本人通報では移送されないことからも明らかな「病者」を社会から刈り込むための制度です。私たちは政府案・民主党案双方に反対する保安処分粉砕の大衆的闘いを作りあげて、秋の臨時国会を迎え撃ちましょう。

臨時国会のさなかに開かれる第四回保安処分学習会への多くの皆様の参加をお願いします。
住基ネット離脱の中野区、区民らの問い合わせ86件−−評価、批判の両論 /東京
 住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)からの離脱の表明から一夜明けた12日の中野区は、担当窓口に同ネットからの切断理由などを記したポスターを掲示したほか、チラシを置くなどして、区民に理解を求めた。一方、区民や自治体からの問い合わせが夕方までに、86件あり、関心の高さがうかがわれた。
 この日の窓口(区民課)は、区民らからは電話での問い合わせが相次ぎ、対応に追われた。「思い切ったことをやった」と評価する声がある一方、「最初からつなげなければよかったじゃないか」といった批判の声もあったという。
 11日の会見で田中大輔区長は住民票コードの割り振りを今後も続けることについて、「改めて接続する時に混乱が生じないように」と説明した。8月中旬に区民に送付した住民票コードは、そのまま使用し、新生児へのコード付与も続け、通知もする。住民票の写しや転出証明書などの住民票コードの記載もする。また、パスポート記載内容の訂正など、住基ネットに参加していた場合には交付の必要がなかった住民票については、無料で交付している。【宮本扶未子】(毎日新聞)
金沢市で集会「住基ネットと超監視社会」 大沢善信教授が問題提起/石川
 国民に11けたの番号をつけ、氏名、住所などの個人情報を一元的に管理する住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)の問題点を考える集会「住基ネットと超監視社会」(憲法九条を広める会主催)が11日、金沢市の中央公民館彦三館であった。
 講演した金沢大教育学部の大沢善信教授(都市社会学)は、批判の声が次々にあがるなか始まった同ネットの稼働について、「住基ネットは国民の合意なくできたシステム」と批判。米英が中心になって展開する世界的盗聴システム「エシュロン」や、日本国内でも主要幹線道路に設置された車両監視装置「Nシステム」などとも関連づけ、知らない間に国民が監視される世の中が迫っていると指摘した。
 また、有事に同ネットの個人情報が利用される可能性にも言及し、「有事法制の議論の中でも、住基ネットについて考えていく必要があるのではないか」と問題提起した。
 講演後、約60人が参加者した会場からは「来年導入の住基カードが図書館で利用されれば、戦時中の特高警察のように、思想調査されることはないのか」「電子投票が本格的に導入されたら、住基ネットと連動させて投票の秘密が保たれなくのでは」と言った不安の声が多くあがった。
 【曽根田和久】(毎日新聞)



9月13日(金) 「街」日誌

昼食はチューやん作  働く新カメさん  3時のオヤツとマリさん
うるさいぞ、自衛隊ヘリ
住基ネット、有事法制、医療観察法案、反対「街」前ライブ
夕食はマリちゃんの作ったマーボーナス
残波ひまわり隊をやって/マリ
 9/11 PM12:00。「おかえり〜、当選おめでとう!」 「街」の皆さんは私たちの帰りを笑顔で待っていてくれました。
「あら〜、現実に戻って来たんだ! 沖縄でのことは夢じゃなかったのね (^_^) 」……8月は色々なことがあって疲れたから、沖縄にでも行って青い海・白い砂浜でノンビリしようと行ったはずなのに、青い海はあったけど、白い砂浜はリゾートホテルのプライベートビーチ(中に入るのにお金を払わされる。この海は誰のものなのか…)。そして沖縄の多くが米軍基地という事も、車で移動しているうちに分かりました。基地の中には一番美しい浜があるのかなぁ? ここは日本なのに、どうして日本人が入れないの? と疑問に思いました。ここは日本なのか、それとも夢を見ているのか分からなかったサー!

 滞在して数日目、ひょんなことから知花昌一さんの選挙のお手伝いをすることになりました。奥さんの洋子さんの美味しい料理も忘れられんのですが、知花さんの生き方に感動しました。

 「人は譲り合って生きています。しかし私には譲れないものがあります。それは命です。命に関わる全てを私は絶対に譲ることができません。第一に譲れないこと、それは戦争です」
 「間違っている事に対して、誰かが言わなくてはならないのです」(ひゃー、格好よかったサー!)

 人は言葉では何とでも言えるけれど、行動が伴って初めて意味を持つということを教わりました。

 最初はご気楽気分の旅のはずでしたが、沖縄の歴史・現実を知ることができ、花丸(^o^)丿 でした! 米軍基地があり、沖縄では米軍が毎日戦争の訓練をしている。「ジュゴンの家」の晋くんが行ってる辺野古の浜。
晋くんが撮影したイラク侵略戦争訓練、この写真が米軍には、こたえたみたい。
「ジュゴンの家」日誌8/28 http://dugong.fc2web.com/02_8_4.htmlを見よ!

水陸両用車「撮影するな」 シュワブで米海兵隊

 【名護】名護市辺野古の米海兵隊キャンプ・シュワブ沿岸で11日午前、上陸する数台の水陸両用車を施設外から写真撮影しようとした住民らに対し、銃を持った警備の米兵2人が「撮影するな」と強い口調で制止した

 現場の砂浜は、先の台風で有刺鉄線がなくなり、訓練場と民間地の区分けがない状態だ。水陸両用車が上陸する間、歩兵が2人立ち、歩み寄った住民に「見るだけだ。写真撮影はするな」と制止した。

 住民(32)は「いつも見ているが、こんなことは初めて。民間地にいる限り何をしてもいいはず。失礼なことをしたわけでもない」と憤った。 9/11の新聞

有事法制が作られようとし、いつ戦争になってもおかしくない世の中、これでええんかい! 
戦争に行くのは自衛隊なんだよね! 
みんな、これでええんかいのぉ!
住民コード受け取り拒否、45件 苦情・番号変更申し入れも−−伊勢市 /三重
 ◇住基ネット稼働から1カ月−−苦情46件、番号変更申し入れも40人
 伊勢市は、先月5日の住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)稼働から1カ月が経過したのに伴い、住民票コード(番号)の受け取り状況などをまとめた。受け取り拒否世帯は、11日現在45件あった。
 住民コード配達は、市内全世帯分3万6834通を先月16日から、配達記録郵便で開始した。このうち、約95%に当たる約3万5000通の世帯に届けられた(9日現在)。
 「番号が透けて見える」との苦情は46件あった。また「数字の縁起が悪い」などの理由で、コード番号の変更を申し入れたのは46件40人にのぼった。6人が2回変更を申し出た。
 番号の変更は、新たに11ケタの番号を決め、配達記録郵便で再度配達している。同課では「番号は、本人が納得がいくまで変えられます」と話している。受け取りを拒否された住民コードは、1年間同市が保管する。【沢木繁夫】(毎日新聞)
「プライバシーに被害」 住基ネット離脱を陳情 県議会議長に反対住民ら /岡山
 住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)に反対する市民や議員らでつくる「私を番号で呼ばないで! 住基ネットはいらない―岡山実行委員会」(代表、赤岩明・佐伯町議)は11日、ネットからの離脱を求める陳情を桑山博之・県議会議長あてに提出した。
 陳情書では「個人情報がすべてシステムに組み込まれ、乱用された場合の住民のプライバシー被害は大変なものが予想される」と指摘。住民基本台帳の情報が全国から集まる「地方自治情報センター」へのオンライン情報提供中止、市町村からの情報提供中止、特定個人の情報削除要求に応じることなどを求めている。 【駒崎秀樹】(毎日新聞)
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9月12日(木) 「街」日誌
琉球新報にのりました!
   住基ネット反対CD製作 ジュゴンの家

 名護市のリサイクルショップ「
ジュゴンの家」の吉崎健さん(35)らスタッフがこのほど、住民基本台帳ネットワークに反対するCDを自主製作した。
題して「Rip it up 破り捨てろ 住民基本台帳ネットワーク」。
 東京練馬区にある共同作業所と連携し、約10人のスタッフで練習しながら完成させた。フォークシンガーの
まよなかしんやさんもバックコーラスに参加している。 
 吉崎さんは「
人に番号をつけて管理するということは許せない。反対運動を盛り上げていきたい」と話した。問い合わせは TEL(0980(54)2948
 
新聞を見て応援の電話が来ました!   那覇に住むはつこおばぁより
 私は那覇に住んでいます。新聞で読んでね、電話しています。
CD発売おめでとうございます。住基ネット反対にサンセーイ!
ウシは10ケタ、人は11ケタ、私達はブタですか?(笑声)。
がんばってくださいね!私は年をとっているけど応援しまーす!
気持ちだけでも届けたくて電話しました。じゃーね。
住基ネットとの接続切断=個人情報保護、「十分に確認できず」−東京都中野区
 東京都中野区は、2002年9月11日18:00に住基ネットを切断し、本人確認情報の提供を停止します。

 以下に、中野区長のコメントを添付いたしますが、この中に切断理由が述べられております。

 区民の個人情報の安全を確認するため、2002年8月14日、総務省に照会をし、その回答が2002年9月9日にあり、この回答により、切断の判断をした、とのことです。

 記者会見では、切断をして本人確認情報の提供は停止するが、区での更新処理は継続するとのことです。

            中野区長コメント

 中野区は、本日、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)との接続を切断し、本人確認情報の東京都への送信を停止しました。また、すでに東京都に送信した本人確認情報の消去を求めてまいります。

 区は住基ネットの稼動の前提として、万全な個人情報の保護措置がなされることが必要であるとの立場で、個人情報の保護に関する法律案の成立が見込まれないことから、7月18日付で稼動延期を国に要望したところです。また、総務大臣に対しては、8月14日付で、本人確認情報の安全確保について具体
的にどのような措置を講じるかなどの照会をしました。

 その後、9月10日には、区の照会に対する回答をいただくとともに国から説明も受けました。その内容を検討した結果、自治体が本人確認情報の提供先である国の機関等の安全性を確かめる手だてが用意されていないことや、提供先で閲覧できる範囲がどこまでかがあいまいな部分があるうえ、そのことへの配慮を欠くなどの問題点があると判断しました。個人情報保護に関する基本法がいまだに制定されていない現在、こうした現状では、住基ネット全体の安全性に不安を感じざるをえません。区民の個人情報が確実に保護されることが十分に確認できず、したがって、区民のプライバシーが侵害される恐れが払拭できません。

 地方公務員共済組合などの機関には明日12日にも、本人確認情報の提供が開始されます。個人情報の安全確保措置が十分に確認できないままに、個人情報の利用が始まろうとしています。

 私は、住民サービスの向上と行政の効率化を目的とした住民基本台帳ネットワークシステム自体を否定するものではありません。区長は、住民基本台帳法に基づく適正な事務の管理・執行とともに、区民の個人情報を守る責任を果たす義務を負っています。住基ネットの切断は、区長として、区民の個人情報を
保護するため、やむにやむをえない措置として行いました。

         平成14年(2002年)9月11日

                          中野区長 田中大輔
東京中野区が離脱、コンピューター端末も撤去
 東京都中野区の田中大輔区長は11日、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)から離脱したと発表した。8月5日の稼働後、離脱した自治体は初めて。同区は東京都への個人データの更新をこの日でとりやめ、区民課から住基ネット用コンピューター端末も撤去した。

 住基ネットの不参加人口は、横浜市▽東京都杉並区▽国分寺市▽福島県矢祭町の4市区町に、中野区の約30万人を加え約430万人となった。

 中野区は今月12日から地方公務員共済組合など政府関係機関による住基ネットの個人データ利用が始まることを受け、総務省に安全保護措置についての質問書を8月12日付で提出。今月10日に届いた同省の回答を検討していた。

 田中区長は会見で▽国などへの提供先に対する区の調査・報告権限がない▽稼働の前提だった個人情報保護法に代わる安全策が講じられていない▽国への個人データの提供方法の安全保護措置が明確でない――などを離脱の理由に挙げた。

 田中区長は、個人情報保護法案の成立を再接続の条件としながらも「成立した法律を見てから改めて考える」と語った。

 同区は東京都に対し、送信した情報の消去を求める一方で、8月中旬に区民に送付した住民票コードはそのまま使用し、新生児へのコード付与も続ける。

 北海道ニセコ町や東京都国立市なども離脱も視野に検討しており、今後も住基ネットの「空白」地域は広がる可能性がある。 

 東京都杉並区の山田宏区長は11日夕、中野区の離脱を受け、「今回の決断は、個人情報保護策が不十分な中での住基ネット稼働に対する、勇気ある正しい判断であり、国は住基ネットのあり方そのものに対して、国民の声を聴いて再検討すべきだと思う」とのコメントを発表した。(毎日新聞)
きょう、金沢市で反対集会「住基ネットと超監視社会」 /石川
 8月5日から稼働した、全国民に11けたの番号をつけて氏名、住所などの個人情報を一元的にコンピューター管理する「住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)」に反対する集会「住基ネットと超監視社会」(憲法九条を広める会主催)が11日午後6時20分から、金沢市彦三の同市中央公民館彦三館で開かれる。
 集会では、来年8月から希望者への配布が予定されている「住民基本台帳カード」が超監視国家に道を開く危険性などについて、金沢大教育学部の大沢善信教授が講演する。
 会費(資料代)200円。問い合わせは同会事務局(090・2034・6803)まで。
 【曽根田和久】(毎日新聞)
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関町の皆さん、私たちと一緒に、住基ネット反対の区役所行動に行きましょう うるさいぞ、自衛隊ヘリ
 住基ネット、有事法制、医療観察法案、反対「街」前ライブ
夕食はチューやん作、中華風レタス巻き寿司
茶月さんから寿司の差入れ _(._.)_ 踊るモッ君。則子さんと再会を喜ぶ
 24時頃、残波ひまわり隊、沖縄から戻ってきました

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