オープンスペース街・日誌


3月Bに戻る  3月のDへ

2002年3月C

3月16日(土) 「街」日誌

共同作業所めぐり 第8弾 練馬区パン屋の作業所「WITH」
仁君、Aちゃん、タカちゃんの3人で行ってきました。
 ← 初参加だけど、力強く訴えるタカちゃん
午後からは、「街」の前で訴えました。
 夜は三線教室  宮古島出身のおばあちゃん。
毎週楽しみに来ています。
金城先生の演奏にあわせて踊る


 近くの中学生2人が「街」にボランティアに来た。その内の一人が
「『街』に研修に来て」といううららちゃんの文を読んで作った詞
「夢歌〜ゆめうた〜」
人々は皆 夢を持って生きている
その夢を奪う権利は誰にもない

夢は幸せであり希望である
その夢を笑う権利は誰にもない

人は皆 同じではないけれど それが人のいい所
間違いだらけの この世の中に この歌が届けばいい

人の自由を奪わないで 悲しい涙は見たくないから
見ているだけは もうやめて 誰かのためになにかしよう

そして、いつの日か笑えるように
 作詞:大沢俊也、柳沼由貴
友達と色々考えて作った詞です(曲はまだ…)
もし、よかったら使ってみてください。
             柳沼 由貴(やぎー)

                             平成14年3月12日

「重大な触法行為をした精神障害者に対する新たな処遇制度(案)の骨子」
(法務省刑事局)についての緊急声明

    社団法人 日本精神神経学会
    理事長  佐 藤 光 源

 本年2月14日に、法務省刑事局が公表した「重大な触法行為をした精神障害者に対する新たな処遇制度(案)の骨子」(以下、「新たな処遇制度(案)」)は、近々国会提出の予定とされております。これは、先の「心神喪失者等の触法及び精神医療に関するプロジェクトチーム報告書」(与党政策責任者会議、平成13年11月12日)(以下、「与党案」)を引き継いで立案されたものと理解されます。この度の「新たな処遇制度(案)」は、目的、対象と司法手続き等において、「与党案」では必ずしも明確ではなかった保安処分の性格をより鮮明に包含するものとなっております。
 本理事会は、事態の緊急性を考慮し、本案が持つさまざまな問題点のうち、とくに重要な3点について重大な懸念を以下に表明いたします。法務省刑事局はもとより、関係省庁、与党はこの「新たな処遇制度(案)」を撤回し、改めて適切な解決策を提示することを要請いたします。また、すべての関係団体、関係各位には、この「新たな処遇制度(案)」を早急に検討し取り組むことを要請いたします。

1.「新たな処遇制度(案)」が意図する再犯の防止と予測について
 「新たな処遇制度(案)」は、精神科医に「精神障害のために再び対象行為を行うおそれの有無」について鑑定を命じることを規定しております。ここでいう「再び対象行為を行うおそれ」とは「再犯のおそれ」に他ならず、精神科医に「再犯」のおそれの有無の鑑定を命じるものとなっております。

 精神科医は、精神疾患の診断と病態、治療、予後等に関する専門的な判断を行うことは可能であり、精神障害者の将来の病状や再発の可能性をある程度まで見通すことはできます。しかしながら、病状の「再発」の可能性と「再犯」のおそれとは直結するものではなく、両者は全く別次元のものであります。従って、高い蓋然性をもって将来にわたる「再犯」のおそれを見通すことは不可能です。

 「再犯」の予測が原則として出来ないことは、すでに本学会理事会が繰り返し指摘してきたところであります。それにもかかわらず、「新たな処遇制度(案)」に「再犯」の予測を精神科医に強いることを盛り込んだのは無謀なことであり、精神科医に対して専門家としての知識と倫理にもとる論外の負担を強いるもので、到底容認できるものではありません。

2.「新たな処遇制度(案)」が示している司法手続きについて
 本学会理事会は、平成13年6月25日付けの「理事会見解」において現行法における司法と精神科医療システムの狭間にある問題点として、起訴便宜主義と起訴前鑑定のあり方について指摘し、その見直しを主張しました。これについては他の精神科医療関連諸団体も同様の意見を表明してきております。それにもかかわらず、「新たな処遇制度(案)」は、これら不透明、不適切との批判のある現状を放置した上で、裁判官が関与するものであり、本学会理事会は、何ら起訴便宜主義と起訴前鑑定の内包する問題が改善されるものではないことに、強く遺憾の意を表明するものであります。

3.「新たな処遇制度(案)」が提案している治療と社会復帰施策について
 「新たな処遇制度(案)」は、指定医療機関の創設と保護観察所制度の活用とを、治療と社会復帰施策の中心を構成するものとして提案しております。その全容は現時点では必ずしも明らかになっておりませんが、指定医療機関を各地域に配置して治療を継続し、社会復帰を進める具体的な計画に欠け、保安上の要請に強く拘束されたものであります。また、保護観察所の長は、強力な権限を与えられているにもかかわらず、精神医学的な知識や経験を持たずに精神医学的判断を求められております。これらの点を踏まえれば、本学会理事会は、この「新たな処遇制度(案)」が人権を尊重した必要十分な地域精神医療を行うことが出来ず、新たな隔離収容制度の始まりとなりうることに危惧の念を禁じ得ません。


3月15日(金) 「街」日誌

★共同作業所めぐり 第7弾 練馬区「つくりっこの家クラブハウス」
 朝のミーティングの合間なので、出勤途中の富田さんが一人で説明に行きました。

★「ハウス街」に泊まった京都の若者たちが「街」でお買い物。
 「街」に来て、希望の光が見えた、3・24集会には参加します、とのこと。

★「価格決定委員会」がなかなか機能しない。高級セトものセットに200円の値が付いていた。
 モノには名前があり、それに相応しい値段がある。値段を付けることは、主体性と客観性を
 身に付けることでもある。

★3・24保安処分反対集会に向けての学習会の中で、「精神医学とナチス」(後に掲載します)を再読するために 古い「街」日誌を探してみた。石原都知事が養護施設を回って「こういう人達に人格があるのか」「安楽死」という 発言の直後に「街」日誌に掲載した文である。1999年12月のことだった。

今日も、音楽ざんまい!! 投稿者 :ようこ  投稿日:1999年12月4日2:35

  今日もチャンプルーにはたくさんの人が来ました。
グループホーム「ハウス街」にきているYくん、いつもは夕食が終わると早く帰るけど、今日は11時くらいまで残り、チャンプルーナイトを満喫していました。

 ヨッシー、ありちゃん、そして、沖縄出身のご夫婦カーミーズの演奏では沖縄出身の常連客Tさんを先頭に踊りました。もちろんYくんも! 私もつられて踊りました。「花」という曲ではみやちゃんがすてきな踊りを踊ってくれました。
 そうこうしているうちに、先日結婚記念日にやってきて素敵な演奏を聞かせてくれたあきさんファミリーもやってきて、ご夫婦で歌ってくれました。

 そして、今日福祉事務所の紹介でアパートの火事で焼き出されて「ステイ街」にショートステイすることになったTさんもアカペラで思いのこもった歌を歌ってくれました。

 その後は、常連客のエド金本さんによるジャズハープの演奏!! 語りつきのハネやんの歌も飛び出しました。

 そして、カーミーズの演奏第二部が始まり、みんなでうたって、元気がでました!すてきな演奏をしてくれたみなさん、そして今日チャンプルーにきてくれたみなさん、とっても愉しかったです!ありがとーう!!


アパートの火事で焼き出されて「ステイ街」にショートステイすることになったTさんとはペチャンコのこと。そうか
 あれから2年以上たったのか (-_-;) 思い起こすと、いろんな事があったなぁ。
ペチャンコは「ステイ街」から近く  にアパートを借りて自立し、「街」のメンバーになった。「ステイ街」「チャンプルー街」も今はなく、「ジュゴンの家」 へと移行した。「チャンプルー街」日誌の光景がなんて牧歌的に感じられることだろうか。

  確かに僕らは、変わった。「学ぶことの唯一の証しは、変わること」(林武二)なのだ。

★あれから2年余。ペチャンコは値段を決められず悩んでいる。値段だけでなく、日々のいろんなことを決められな  い。それが悩みの種だ。「ペチャンコにとっての希望の光とは」「12月4日『チャンプルー街』にたどり着いた時   希望の光が見えたのでは」「原点を忘れないこと」と則子さんは語った。

  「明日から、瀬戸物屋・スーパーを回って、値段を調べてみよう」とハネやんが提案した。変わるという事は、清  水の舞台から飛び降りるような無謀なものではない。自分のこと、自分の回りを見つめること。興味をもつこと、  そうした具体的で、日常的なことをシッカリと見つめ直すことから偉大な一歩が始まると思う。    

イスを張り替える新カメさん  それを見ている隣りの薬屋さん


晩飯、Aセットはカレーうどん、200円。
Bセットは、カキ・アサリのクリームシチュー、
カニ・コロッケ、ガーリックトースト、大根の葉
とウインナーのチャーハン、300円。
 カレーうどんを食べるペチャンコ

『精神医学とナチズム』 投稿者 :街  投稿日:12月4日

  『精神医学とナチズム』小俣和一郎/講談社現代新書/1997年7月/640円・・・という本をハセぴーが探してきたので、そこから抜粋・要約してみました。それを元に、「街」で、「チャンプルー」でミーティングをしました。

 石原都知事の「安楽死」発言は、ナチ思想そのもの。処遇困難者病棟新設は「安楽死」施設に繋がるものだ。これは過去の問題でなく、私達の現在と未来に関わる問題として今後とも調査していこう。

なお、戦争下日本の状況について、知っている人がいたらお教えください。


『精神医学とナチズム』

第1章 ナチズムと精神障害者
1 社会ダーウィニズムからナチズムへ
★ナチスの障害者大量「安楽死」の思想的背景には、ニーチェ思想や社会ダーウィニズムの考え方が存在していた。

@、ダーウィンは、動植物界における「自然淘汰による適者生存の法則」という概念を提示。社会ダーウィニズム・・・人間社会の中で生存競争に適しない弱者は淘汰されていく運命にあり、競争に勝ち抜く能力をもった優秀な強者のみが子孫を残す事が出来る。社会ダーウィニズム思想は、産業革命が生み出した多数の弱者を好んで攻撃の対象にした。
A、ニーチェ思想・・・いくつかの著作の中で、障害児の抹殺を比喩や寓話によって肯定し、障害者の抹殺に一つの論拠を与えた。

2、強制断種から「障害者安楽死」へ
@、ナチ断種法の成立。
・1933年7月14日、断種(遺伝病の子孫を予防するための法律)の法制化。
 「次世代の健全な社会を実現するため、民族の身体に巣くう劣等な遺伝子を排除する」(保健局長の発言)。
*ナチ政権下で強制断種された数は、20万から30万人と推計される。

A、福祉医療政策の否定
・ヒトラー政権の登場と共に加速された。障害者施設に対する国家予算(福祉医療費)は、急激に削減された。
 「価値なき生命」を維持するために貴重な国家予算を投与することは不合理(アルフレート・ホッヘ/精神医学者『価値なき生命の抹殺に関する規制の解除』より)
 ホッヘはこの本の中で、「精神的死者」「お荷物」という2つの新語を作りだした。ナチスによって好んで使われた「価値なき生命」という呼び方はこの本に由来している。

B、最初の「障害者安楽死」
1939年、クナウアー事件。前年暮れに産まれた障害を持った子供の父親・クナウアー(ナチ党員)が安楽死をヒトラーに嘆願・・・すぐに実施。

C、安楽死機関の形成。1939年2月、内務省第4局(保健衛生行政担当)が「遺伝性および先天性重症患者に関する帝国委員会」を発足させた。
 7月、ヒトラー、児童のみならず成人の障害者をも対象とする組織的な「障害者安楽死」作戦を実施するための会合を開く。委員は当時のドイツ精神医学を有名大学の精神科教授と精神病院の院長。
*「安楽死」 を実行するための殺害方法の協議。COガスを使用することが決定。
  成人障害者の登録方法、計画を実施するための場所の選定。
*8月、各自治省に宛て「障害児の登録」のための極秘通達。
  すべての医師と助産婦は、新生児を含む三才未満の障害児を所轄保健所に届けることを義務付けた。

3、T4作戦。
@、ポーランド侵攻と精神病院の解体・・・1939年9月
・ナチスによって占領されたポーランド各地の精神病院で入院患者の抹殺が開始・・・ドイツ国内における障害者大量殺害より4ケ月も先立っていた。
・9月29日、コクボロフ精神病院に収容されていた2342名の患者の虐殺の開始、約1ヶ月かけて行われた。親衛隊、保安警察、ゲシュタポから選抜された「特殊部隊」によって、あらかじめ穴が掘られていた森の中の処刑場へと移送され、後頭部を銃で撃ち抜かれて穴の中に落とされた。同様の方法で、シュヴェッツ・・・1350人、オヴィンスク・・・1100人、クルパルコフ・・・1179人が殺害された。
・「ガス自動車」(大型の家具運搬車を偽装した)を使った精神病院もあった。
 車体に付設したガスボンベから荷台にCOガスを送り込む「動くガス室」
 ティーゲンホーフ・・・1201人、コステン・・・534人、ヴァルタ・・・499人、コジアン・・534人、コカノウカ692人、
*ポーランドにおける患者抹殺は、ごく最近になって解明されつつある「ホット」な話題であり、今後の研究でさらに多くの犠牲者がでる可能性。また、独ソ戦争、占領ソビエト連邦でも患者殺害・精神病院の解体が行われた.

A、ガス室を備えた精神病院
・ポーランド侵攻と同時期に成人障害者の安楽死機関は「精神病院帝国作業委員会」(RAG)という名で「障害者安楽死機関」と同様の第三者機関としての偽装のもと活動開始。
・1939年9月、RAGは全国の精神病院に調査票を発送・施設の登録を行った。
 別の調査票には、RAGの「鑑定医」によって、安楽死に対象とするかどうかの「判定記号」が書きこまれる「空欄」付きだった。
 赤字で「+」は、抹殺対象、青字で「−」なら対象外。
 判定基準は、労働能力の有無、診断名、5年以上の入院、犯罪歴、人種、
また、選別された患者を、各精神病院から安楽死施設に移送するために、RAGに専門の移送部門が作られた。1939年11月、偽装組織「公益患者移送有限会社」として法務局に登記された。
*1940年4月、RAG本部は総統本部からティーアガルテン通り4番地に移動・・・本部所在地の名を略して「T4作戦」 (テー・フィーア・アクツィオーン)という暗号名。
・3月までに、ドイツ国内の四ヶ所の精神病院にガス室・焼却炉が作られた。
 ブランデンブルグ、グラーフェネック、ゾネンシユタイン、 ハルトハイム。
 *1月、ブランデンブルグ州立精神病院に安楽死組織関係者が集まって、最初の「試験的なガス殺人」の実施。シャワー室に見せかけたタイル張りのガス室、2基の可動式焼却炉の設置。あらかじめ選別されていた20名程度の入院患者が犠牲となった。
  アウシュヴィッツの先立つ2年以上も前に、行われ、最初の犠牲者はユダヤ人ではなく、精神障害者だった。
・1941年、ベルンブルクと、ハダマールの州立精神病院にも新たな抹殺設備が作られた.

B、「安楽死」作戦の諸相。
 薬物の過量投与・・・フエノバルビタールの大量経口投与、モルヒネ、スコポラミンの注射・・・一部の施設では敗戦後もしばらくの間、占領軍にきづかれぬまま続行されていた。
 計画的な食料制限・・・「抹殺施設」に限らず多数の精神病院で広く行われていた。すべての食事から徹底的に脂肪分だけを取り除いた「特別の献立」が、安楽死組織委員が考案し、これにより大量の患者が直接・間接的に殺された(栄養失調による二次的感染症など)。

4、T4作戦とホロコースト
@、ラインハルト作戦。
・1941年8月、極秘だったT4作戦が国内で知られるようになり、一部の高位聖職者から非難の声が上がった。 ヒトラーは、表向き「安楽死中止」の命令を出したが…中止されたのは、「ガス殺人」だけで、薬物の過量投与は、むしろ中止命令のあとからいっそう本格化した。
*1940年1月から開始した「精神病院ガス室」抹殺による犠牲者は、この時点で70,273名に達していた。

*「街」の註 「鑑定医群は、各精神病院に送られた質問書(とくに患者の労働能力、労働価値)に対する回答をもとに、書類で患者の生死を決定し、家族には偽の死亡通知書を送って、275.000人の精神病者、心身障害者をガス室に送りこんだ」(『差別構造の解体へ』高杉晋吾/三一書房/1972年・124頁)

*T4作戦の形式上の中止が、ユダヤ人絶滅作戦という新しい大規模な殺戮作戦への「方向転換」。T4組織には、新しい任務・・「ポーランドにおけるユダヤ人絶滅作戦」(暗号名「ラインハルト作戦」)。1943年10月に終了したラインハルト作戦の犠牲者は、少なく見積もっても170万人。 
相違点、安楽死からユダヤ人 
対象が、障害者からユダヤ人
場所が、精神病院からゲットーへ
移送が、灰色のバスから家畜用列車に
ガスが、COガスからディーゼルエンジンの排気ガスへ(アウシュビッツでは青酸ガス)

第2章 ナチ精神医学・・・概略のみ
1、ナチ政権登場までのドイツ精神医学
2、ドイツ精神医学的遺伝学とナチズム
3、「医学研究」という名の臓器蒐収集
  T4作戦と大学精神医学
4、ドイツ大学精神医学の潰滅
・強制的思想同一化 
・知識人の裏切り
・T4作戦と大学精神医学
 大学精神医学が研究面だけに関与していたのではない。作戦の全期間を通じて「犠牲者」の選別を行っていた。
5、前線に立つ精神科医
・国防軍と精神医学
・発病した兵士たちのゆくえ
 拡大を防ぐため、速やかな隔離と強力な電気ショックが大学精神科医が主張。

第3章ナチ政権下の精神分析・・・概略
1、精神分析とシオニズム
・ユダヤ人としてのフロイト。生涯に渡って、ユダヤ人であることへの疎外感を抱いていた。
 「脱ユダヤ」化するために涙ぐましい努力。
・「普遍科学」としての精神分析
・フロイトと宗教
2、精神分析学会の再編成
・精神療法の誕生・・1926年
 副会長は、フロイトの敵対者で、かつ「アーリア人」のユング。
 ナチ政権の登場以後、精神分析学会の解体を推進する母体となる。
 ナチ思想に即した新しい精神療法学会の組織。
3、「アーリア的」精神分析
 「アーリア人」ユング。フロイト、アドラーと並ぶ精神分析3巨頭。
・ユング心理学とナチズム
5.14 「ユダヤ人であるフロイトやアドラーの汚らわしい精神分析に対抗して、ドイツ系スイス人ユングは新しい深層心理学を樹立した」(1933.5.14「ベルリン経済新聞」)
6.26 「民族の心の中に向かう大移動が起こりつつある今日、偉大な指導者が望まれる」とヒトラーをたたえるようなラジオ講話
7月 ナチ宣伝相ゲッペルスとの会談

4、亡命するユダヤ人分析医
・ユダヤ人医師の排斥
 公務員再建法・・ユダヤ人の公職からの追放で職場を失う。
 1938年7月・・・帝国市民権法。ユダヤ人医師の開業医免許剥奪
・亡命の波
・ウィーン精神分析研究所の解体
・フロイト亡命と「水晶の夜」(1938.11.9)
 ドイツ全土でユダヤ人商店やシナゴーグが焼き討ち

第4章  戦後ドイツの精神病理・・・略

第5章  日本の精神医学 
1、ドイツ精神医学の移入
@、お粗末だった日本の精神医学
1919年 東京府立松沢病院の移転(上野から)。
・これ以外の収容施設は、ほとんどが小規模・民間・私立精神病院。
・公立を含め精神障害者の処遇は、隔離収容・種々の拘禁具で患者を拘束するという、監獄と変わりない非人道的な内容。
・収容方法も、犯罪者の検挙とさして変わらないものだった。
「私宅監置」(いわゆる座敷牢)も認められていた。
・病床数(植民地を含めて)・・・20.000床たらず。入院者15.000名あまり。ナチス・ドイツの20分の1.
*ナチのような組織的な障害者大量虐殺をする、対象がはじめからないに等しかった。
A、国民優生法と日本の「安楽死」
・国民優生法は(1940年)、ナチ断種法を日本的に焼き直して制定された。
・精神病患者の実態調査が一部で開始。
・日本が戦時経済体制を組み米穀配給統制法の公布(1939年)以前から、精神病院の入院患者に対する食糧制限が行われ、多数の患者が餓死。
*「街」の註 「第2次大戦中の松沢病院で、入院患者の50%は餓死させられた」(『差別構造の解体へ』高杉晋吾/三一書房/1972年・123頁)

B、大学精神医学
C、医学者たちの組織犯罪
  患者を大量に「殺戮」して、その臓器を医学研究の名のもとで組織的に利用。
  満州731部隊(関東軍防疫給水部)
  T4作戦同様、研究者にとっては、平時なら困難な人体実験が出来る絶好のチャンス。
  軍医学校防疫研究室の嘱託研究員制度の中心にいたのが、薬害エイズ事件の一端を担った「ミドリ十字」社の創業者・内藤良一。また、731部隊にもっとも多くの軍属を派遣していたのが京大医学部。
2、批判精神と歴史意識の欠如
@、薬害エイズ事件の土壌
  1938年、内務省衛生局から、厚生省が独立。最初の仕事が国民優生法の起草。
  初代厚生大臣は、毒ガス戦の生みの親の小泉親彦。
  安部英(たけし)・・・非加熱製剤の危険性を知りながら、「人体実験」のように投与しつづけた。安部は、当時、海軍軍医で、内藤良一(ミドリ十字)とは密接な関係にあった。
A、安楽死事件を生む制度的欠陥
B、「自己決定権」をめぐって
 ナチ国家における「安楽死」が、個人の選択・決定よりも、国家という全体を重んじる社会体制の中で行われたことを、われわれは思い起こす必要がある.

おわりに・・・精神医学の再生。


3月14日(木) 「街」日誌

 共同作業所めぐり 第6弾 「ホットジョブ」(練馬区)
★午前中、新亀さん、仁君、ヨッシーの3人で、近くにある「ホットジョブ」に行きました。一人の男性が「3・24は行く!」と言った
そうです。午後から、店の前で、1時間ぐらいアピールをしました。
仁君が唄う  金さんはビラまき サギリちゃん、サクちゃん
 「街」にボランティアに来た中学生  大きい声でサクちゃんが入院体験を訴え後で、可愛くポーズ
ペチャンコも切々と語る  ハネやんが作った「保安処分」資料をヒモ・洗濯バサミで飾る
 「ジュゴンの家」から来たタンカン  カンさんから手作りキムチの差し入れ
カムサ・ハムニダ 
えばっち(前進友の会)のドキュメン
タリー映画を撮っている京都の人たちが
来ました。
食事の後で、ヨッシーと仁君がライブをしました。3人は「ハウス街」に泊まりました。

3月Bに戻る  3月のDへ

「街」日誌の頁に戻る
inserted by FC2 system