オープンスペース街・日誌

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2003年「街」日誌に行きます

12月28日(土)
 ハネやん、則子さん沖縄へ出発   ハネやんから学んだこと・マリ
今日、ハネやんと則子さんは沖縄へ
出発します。マックと皆でお見送り
年内最終日。松金さんからの差し入れ マリさんからはミニたいやき
留守を守る皆で年末年始のスケジュール
確認と役割分担を決めました。
金城先生、皆の話し合いを写メール
で撮影
とみたさん、忘年会のビンゴゲームで
当たった荒巻鮭を切る。


連載 その8

ハネやんから学んだこと   ヨッシーマリ 
 傲慢で逃げてばかりいる私に、ハネやんは何度も「あなたは分かっていないね。あなたにとって一番大切なものは何なの? 大切だと思うなら、今の自分の考えを全て捨てなさい。きちんと自分と向き合いなさい。自分の人生を握りしめなさい。」と言い続けてくれました。その言葉をやっと理解できたのはハネやんが入院し、1人で料理を作るときでした。

 あせってしまい、失敗の連続、皆を喜ばす事もできず、私は何をやってもダメなんだ、と決めつけ、次へと進めず自分をどう保っていいのか分からず迷っているところに、入院しているはずのハネやんが「おはよ〜。今日は寒いからうどんね。」と、買い物袋を持って2階へ上がってきた。

 「入院していてもつまらないし、1人で色々考えてもしょうがないじゃない。今、やりたい事をやる。これからは通勤入院します。」と明るく楽しそうに言っている。

 「えっ?なに?どーして?」と思う反面、すごいよ!!私が今まで信じようと思ってきたものは何だろう?全てが崩れ落ちていきました。自分自身が恥ずかしくおもえました。

 人を信用するには自分が信用されなくてはいけないし、よりよく生きるためには前向きで楽しんで日々を過ごし、考えても仕方が無い事に対しては今出来る事をやろうと思いました。

 生きる道を教えてもらったんだ。私もいつか「私はただの料理人です。」と言えるようになりたい。そのために私は負けない、絶対にあきらめない。ハネやん、心の料理を教えてくれてありがとう。

ハネやん、頑張れ! 特集へ


12月27日(金) 

今日は夕食会にマリさんが参加
よろこぶ「街」のみんな
サクちゃんのお姉さんとみおちゃんも
参加
今日の差し入れ
連載 その7
ハネやんから学んだこと   ヨッシーヨッシー 
 ハネやんは、僕達にとって育ての親であり先生だ。振り返ってみるとハネやんは常に僕にチャンスを与え続けてくれた。それに僕はずっと応えられなかったし裏切りもした。

 音楽に関して言うと、今僕が歌っている歌ははねやんが居なかったら生まれなかった。沖縄料理店チャンプルー街で歌わせてくれた。まよなかしんやさんをはじめとする本物のシンガーと出会う事が出来た。そして僕に世界を教えてくれた。今ハネやんはガンになりながら食事を作り、みんなのことを考え、人が人らしく生きられる世の中を作る為に、今まで以上の闘志を燃え上がらせている。今こそ応えよう!ハネやんの子ども達立ちあがれ!!

 僕は9年前にバチルスという4人組のバンドで沖縄から練馬にきた。一緒にきた徳ちゃんが街の人たちと付き合うようになり、僕達を紹介してくれた。羽やんは僕達の曲を良いと言ってくれた。僕はびっくりした。40を越えたおじさんが僕達の曲を気に入ってくれるなんて変わった人だなあと思った。

 それから日曜日の夕食会に参加するようになった。いままで見たことのない個性的な人達が言いたいことを言い合ってわいわいやっていた。初めて見た世界だった。

 羽やんと則子さんはいつも人のことに一生懸命で、僕は「この人達,人間か?神様なんじゃないか」と本気で思っていた。当時僕は自分のからに閉じこもっていて1年のうち360日くらいは心が重苦しい生きづらさをかかた若者だった。その頃羽やんの言葉で心に残っているのは「幸せに敏感になれ!」と「人は変わる」だった。当時の僕は理解できなかったし、「人は変わる」なんてとても信じられなかった。けれどそのことがずっと心に引っかかっていた。今は信じられる。なぜなら 「街」や「ジュゴンの家」の人達が変わるのを見たからだ。しかも短期間で劇的に変わる人もいる。変わるということは、人間になると言うことだ。

 人は誰でも人間になりたいと願っていると思う。だけど羽やんが言う所の「いまある不幸にしがみついていたい」というのもあるし、変わるのが怖い、また変われるなんて信じられないという思いがあると思う.僕がそうだった。そんな時ハネやんは「人は変わる!」と断言した。そんなことを言う人に会った事が無かったし、今も「人は変わる」と言いきる人にあったことがない。僕にとっては「太陽が地球の周りを回っている」と信じていたのに「地球が太陽の周りを回っているんだ」といわれたのと同じようなことだった。

 1997年バンドをやめた。その年の10月10日、「街」で知り合った人と結婚した。「街」の人たちは盛大なパーティーを開いてくれた。羽やんは結婚に反対したが、則子さんと仲人をやってくれた。しかし2年で離婚した。僕が人とちゃんと向き合えない人間だったからだ。「街」やチャンプルーにもいかなくなった。今考えてもぞっとする日々だった。偶然チャンプルーのお客さんの金本さんに会って,「おいでよ」いわれ2年ぶりにチャンプルーに行った。本当はすごくハネやんと則子さんに会いたかった。チャンプルーには新しい若者が沢山いて、セブンスローズという素晴らしいバンドが演奏していて,活気にあふれていた。それから、僕は少しづつ人の輪に入っていけるようになった。

 則子さんが平滑筋肉種という病気になった。余命2年。いつも元気な則子さんが手術や抗がん剤でだんだん弱っていく。「死なないでくれ。」祈り続けた。今則子さんは元気だ。毎日一緒に働いている。本当にありがたい事だ。このありがたさを忘れてはいけないと今書いていて改めて思う。 あの時のことを思えば何事に対しても怖れてはいけない。怖れるにたらずだ。

 僕は「街」で働かせてもらう事に決めた。「街」で働くようになって、お客さんや「街」の人たちとの生活、そして全国の戦争や差別と闘う人達との出会いによって僕は人を信じる事ができるようになった。しかし羽やんをみると僕は全然努力が足りない。羽やんは努力の人だ。今改めて今の自分を越えて日々闘うことを誓う。だから羽やん死ぬなよ。絶対病に勝ってくれよ!



連載 その6
ハネやんから学んだこと   直子
                  
  私は付き合いの長いこともあり、沢山のことを羽やんから教えてもらった。
  でもそれは本当に”学べたこと”なのだろうか?と自分を問い返している。
  そう、羽やんがいつも言うように『学んだということの唯一の証は変わる事』なのだから・・
  
  人は本当に変わることなんて出来るんだろうか?
  それは学生時代からの私の心の中でのひとつのテーマだった。
  「働きかけによって、人は必ず発展的に変わるものなんだ」学生時代によく
  聞いたスローガンだ。でも私は、ずーっと半信半疑でここまできていた。
  
  ”街”で出会った若者たちは それを打ち消すように私の目の前で何人も変わっていった、
  しかも、めざまく。あの何も話さない目でしかものをいわない女の子は”頼りになるウグイス
  嬢”をやってのける人となった。気に食わない人を見れば殴りかかってしまう青年は今さわやかな
  職人となって私たちの前に登場する。ピーコートをきたパソコンマニアな男の子はジュゴンの
  家になくてはならない沖縄の人となった。そのたびに私は、感動した。そして いまも感動し続け
  ている。彼らはなぜ 変わることが出来たのだろう。

  それは羽やんが体当たりで教え続けてきたことを”学んだから”なのだ。
  人が類として生きること。わかちあいということ。を毎日の食べることを通じて羽やんは
  教えてくれた。いつも工夫された、こころのこもった料理を毎日毎日作ってくれた。
  今、巷では食べさえすればいいなら何だってある。マクドナルドでハンバーガーを食べれば
  おなかは一杯になる。松屋で牛丼を食べれば290円ですむ。羽やんの作ってくれる料理は
  それでは”魂を売り渡しているようだ”ということを語らずとも 教えてくれた。

  食べるもののひとつひとつに命を育ててくれた人の思いがある。そして同じ釜の飯を食べる
  仲間がいる。集会にでかけるときも いつもおいしいおにぎりを食べて元気をもらう。
  他の人たちにも分けると「おいしんだよなー街のおにぎりは」といってたのしみにしてくれる
  人がいる。分かち合うことの楽しさ、人と関係を結ぶことの大切さ、面白さ、いつも羽やんが
  食べることを 通じて示唆してくれた。
  そのことをわかった人はみんな変わった。
   
  私が学生時代から考えていたことは少し違っていたということがわかった。人は働きかけによって
  変わるのではなく 働きかける主体自身が学んでまず変わるんだ!
 
  今年一年間の 沢山の闘いの中で このことがよーくわかった。
  全日空搭乗拒否で 全日空に行ったとき どれだけの人があの大きな航空会社が社内規定を変えようと
  思っただろう。私たちは 抗議に行った、そして全日空は差別規定を変える。
  『やれば 必ず勝てる! 大儀は私たちにある限り』そして 『決してあきらめないこと』
  羽やんが 命をかけて 教えてくれたこの言葉を忘れないで これからもやるぞーー!!
 
 ♪ 私にできることはひとつ〜闘うことだけなのだ〜♪ 
    とみた なおこ

   おまけの羽やん語録
  『いつもいつも誰かがかじを取ってくれる船に乗れるわけではないんだよ』
  『負けるけんかはするな、そのけんかに人生をかけていれば負けるわけがないんだ。
   そしてけんかをすることは支援者をつくることでもある』
  『人は100%死ぬ。だから 死に向かってどう生きるかなんだ』
  『”何が出来ない”から出発しないで”何ができるか”から出発するんだ』
  『人は言葉で説得するか、態度で説得するかのどちらかだ。何か持っているけれど
   表現できないなら まずその自分を壊さないと表現できない』
  『たとえば、川田龍平さんの話をきいて心が震えたら、こころは変われる』
  『つねに”街、ジュゴンの家のための闘い”と”街、ジュゴンの家としての闘い”の
   両面がある』
  『相手に添って話をしていくこと。楽しく闘いが出来るということを感じさせられるか
   どうか』
  『一日一日やれないということは365日やれないということだ』
  『何故うららちゃんは変われたのかーそれは逃げなかったからだ』
  『自分たちの仕事は”魂”の世話なんだということがどれだけわかっているか』
  『大事なことは人ときちんと向き合うということ』
  『日々 自分の意見を言っていくことをしなければ 肝心なときに話ができない』
  『どういう顔をして どういう言い方をしたら相手に伝わるのか考えること』
    



12月26日(木) 「街」日誌
「街」のお隣、薬局の「ユニオン」さんが
引越しをすることになりました。
田上さん差入れのコーヒー
連載 その5 ハネやんから学んだこと   チューやん
 「街」を知って、ハネやン、則子さんの生き方を知って、私は人生を大転換する事にきめました。それまで障害児を育てながら、いわれもない差別を受けたり、気持ちの悪い同情をされたり、また、勝手に「共感」の名のもとにすり寄って来る人もいた。悔しい思い、怒り、そんなものは充分あったつもり。でもそれを個人的なくやしさから、もっと大きく視野を広げ、社会全体に目を向けることこそ大切なのだ、と、ハネやンは教えてくれた。この事がストン、と腑に落ちた時、ただの主婦だった私でしたが、今の社会に、あらゆる差別に、黙っていることができなくなりました。

 そして、今年の3月、大阪で全国連の大会に参加して、自分の中に、なんと怒りが足りなかった事か!!、おもい知りました。理屈なんかではなく、理不尽な差別に対しての心からの怒り。はねやんが「怒り」が足りない、とよくいっていた意味がこの時やっと分かった気がしました。・・・こ、れ、だ、と思いました。これを握り締めていこうと自分に“決め”がこの時できたのです。

 そのうえで、闘いを楽しむこと。心から楽しむ事。その先に希望があることを指し示してくれるハネやんのおかげで「街」はいつも元気です。「怒り」ながらも、でも、楽しく闘っていきたい!! 関町の地域の人達、1人でも多くの人達との日常の生活を大切に、地に足をつけて一つ一つ積み上げて行こうとおもっています

<私の記憶にある、ハネやん語録>
                 
 ・あきらめない事
 ・「希望」が見えると、元気に続けられる
 ・本気で”勝ちたい”のなら一生懸命考えよう。とことん考えよう!
 ・楽しく闘おう!
 ・怒り、こそが、闘いのエネルギーだ
 ・自分の持ち場で全力をつくせ


 ・熟考して話そう
 ・話す時は核心を突きながらもユーモアをちりばめる
 ・初めて来た人にはまず、また来たくなるように話そう
  ワクワクして帰ってもらう
 ・自分たちが心から楽しんでいる事を知ってもらおう
 ・下品な話し(身内話)はしない
 ・いつも自分のありかたを疑え!おごり高ぶるな。


 ・自分の足にあった靴をはこう
 ・「高い志」、「素直な心」、「意地」がある人は変われる 


 ・人をうごかすのは理屈ではなく、情だ!!
 ・わかったと言う事は、行動することだ
 ・日常を大切にしよう
 ・今できることをしよう。考えても無駄な事は考えるのを棚上げしておこう。

 
 ・「食」は文化だ。 「食」を大切にしよう
 ・ケチケチするな。お腹いっぱい食べてもらおう
 ・他人の「命」を食べている事を思え

 ハネやん。頑張れ 特集へ

 12月25日(水)
「街」の忘年会&クリスマス会
日頃お世話になっているお客さん、ボランティアの皆さんに感謝を込めて忘年会&クリスマス会を開きました。
「会には参加できないけれど、、、」と
カンパ&ミカンを差入れ。横田さん
テーブルの下までていねいに掃除を
する、ヨッシー
店内はパーティー会場へと模様替え
マリちゃん、ライスケーキ製作中 料理名人神保さんの説明をメモする
チューヤン
えのきだけのたたき梅和え、
赤カブと白カブの漬物(神保さん作)
チューヤンのチョコレートケーキ 富田さんからはローストビーフ まりちゃんのポテトサラダ、ライスケーキ
鮭いくらの押し寿司 お客さんの高野さん、お菓子の差入れ 神保さんのボコボコかんてん、
ちくわのぐるぐる巻き
まだまだある!神保さんの特製サラダ ハネやん作、鶏と卵のさっぱり煮 サクちゃんのお姉さんとみおちゃん
サクちゃんのお姉さんが作ったキッシュ お餅ピッツア テーブルにはごちそうがあふれん
ばかりとなりました。
かんぱ〜い!! 小美野さん登場 司会のサギリちゃん
司会の手伝いチューヤン マック斎藤さんコニャックを持って入場 こんな分厚いロースとビーフ、ウ・シ・シ
これ、おいしい、と、みおちゃん 人がいっぱいで、通り道もない。 「良い日にきました。」初めて来て田中さん
「街」の一年を振り返って話をする則子さん 黒ちゃんも来ました 久し振りのウッチャん
「街」の運営委員富山さん 早口言葉をする、駅長。今年はうけ
なかった。
オオヤジさんは自作の歌「雪の日の
面会」、「原爆許すまじ」
89歳とは思えない声量、小美野さん 「街」のOBたかちゃん モッ君の差し入れケーキ
マリさん企画のビンゴ大会 川田さん登場 神保さんチョコレートが当たった
しんかめさんはみかん獲得 ユージ君と春子さん ヨッシーとジュゴンの家のライブ
従軍慰安婦のお話をしてくださる
川田さん。歌もうたいました
サッピがチョコレートを持って参加 サギリちゃんのお母さん、とし子ちゃん ユージ君は本当は銅版画家だった
ジュゴンの家より ハネやんから学んだこと   うららちゃん
ひきこもりをしていた私が東京の「街」に6年前一度行った時以来、ずっとハネやんは私の知らない所で、私の母の相談を受け、私に関わり続けていました。そして、1人でいる事に煮詰まり、精神病院に入院して退院して、現実の自分が辛くて「もう生きていられない」と(今思うと甘えるなという話ですが)思っていた私に、生まれ変わるチャンスをくれました。自分以外の人達のことを思えるようになれた。現実の世界を手に入れることができました。時々はキツくなる事もありますが、今まで出会った人達のこと、今現実に苦しんでいる人達のことを思えば、闘志と勇気が湧いてきて、また頑張ろうと思えます。私はやっと手に入れた現実にしがみつきます。人との関わりをあきらめないことを、ずっと関わってくれたハネやんから学びました。これからも成長する。頑張ります。

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