オープンスペース街・日誌

2001年8月そのD

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8月31日(金) 狭山事件の紙芝居 

 「私は無実だ」狭山事件の紙芝居に沢山のお客さんも詰めかけました。
 紙芝居の始まり・はじまり。ヨッシーが石川さんの役を。  ヨッシーのライブもありました。

3時のお茶の時間です。

                  

 夕食は、ヤキソバ 

夜に第二部もやりました。

8月30日(木)  「街」日誌8/29 ヨッシー記
★今日は冨田さん、チューやん、ガンちゃん、新カメさんと僕の6人で始めた。朝のミーティングでは9/1のビッグレスキュー2001に
 反対する行動の集合時間と場所を確認した。
★山崎さんという介護ヘルパーの方が買い物に来てくれた。山崎さんは介護保険制度が始まってから、必要な介護を行なうことが
 出来なくなったと嘆いていた。
★昼食は豚の生姜焼きともやしとチクワのおひたし、ポテトサラダだった。
★チューやんが「街」ニュース最新号を作った。ミーティングでは冨田さんが「ジュゴンの家」日誌を読んだ。ビデオ「ジュゴンの海」を
 早く見たいです。次にビッグレスキュー2001の学習をした。今年の特徴は、教育機関、区市町村を巻き込み、住民を取り込み、高
 校生を動員することだ。自衛隊による民衆の管理・治安出動演習に反対しましょう。
★夕方、甚君が遊びに来た。夕食はチューやんが、ジャージャー麺を作ってくれた。それと神保さんの漬け物。ジャージャー麺は初め
 て食べたけど、とっても美味しかった。夕食後冨田さんがコーヒーを入れてくれた。ペチャンコが片付け。冨田さんとチューやんがジン
 君と話をした。その後、三線教室が始まった。
 昼食は、豚の生姜焼き  ジン君、ミヤちゃん、石川さん、田中さん
 100円セールで賑わう店内  明日、狭山事件の紙芝居をやります
 晩飯は、ジャージャー麺

8月29日(水) 
★今日は10人も集まって賑やかだった。昨夜久しぶりに来たジン君も、朝から登場。
 弦さんが沖縄に旅発つ時にカンパをくれた結城さんが手提げ袋を沢山持ってくれました。「弦さんは沖縄で頑張ってますよ」
 と言うととても喜んで、彼の書いた文章をコピーして下さいといった。

★繁さんが久しぶりに来ました。去年の8月24日にガンの手術をして一年目。その日、病気になって以来初めてテニスコートに立  ったそうです。これからは週に1回練習をやると言ってました。則子さんが「ジュゴンの家」日誌を見せて沖縄の状況を報告しまし  た。「繁さん・また沖縄に行って・ジュゴンの見える丘でジュゴン調査や、ビラまきをやりましょうね!」

★紅さん親子が温泉饅頭を持って来店。タッちゃんは木琴を叩いたり、積み木で遊んだり元気いっぱいでした。沖縄の米国総領事 館まえで毎週金曜日に開く、抗議・アピール集会用に赤い丁シャツを4枚寄付してくれました。沖縄に持っていきます

★夕食はミーティングが延びたので、ハネやんが急いで「白ミソラーメン」を作ってくれました。
 その後、解放講座・狭山事件に、チューやん、ハネやん&則子さん、僕の4人で参加。
  最初に、ビデオテープの上映・異議審に提出している斉藤鑑定についての報告がありました。斉藤さんは7000件の指紋鑑定 をして経験のある大ベテラン。唯−の物証である「脅迫状」に指紋が全然ないのはおかしいので、石川一雄さんは無罪だという鑑 定書。
                   .
 狭山事件とは? 
 1963年5月1日・埼玉県狭山市で女子高校生、中田善枝さんが誘拐され殺害される事件がおきました。警察は身代金をうけと  りに来てた犯人を取り逃がし、世論の批判にさらされました。そこで警察は部落民ならやりかねないという差別的予断と侮見をも って、部落民をイケニ工として「犯人」にデッチあげることを画策。無実の部蕗計石川一班さんを「犯人」にデッチあげました。警察  は、連日、石川さんに激しい拷問をくわえ、「お前がやっと言わないなら、兄をパクる」、「殺したと言わないなら、お前を殺して埋め てしまう」などとしました。そして、警察は、自分たちでデッチあげたストートを、石川さんの「自白」だと言わせたのです。

  裁判所も「部落の生活環境が犯罪を生む」「部落は悪の湿床」、「部落民ならやりかねない」という部落差別をむきだしにし、一  審の地裁・内田裁判長は、わずか3カ月の裁判で石川さんに「死刑」を宣告しました。また、二審の東京高裁・寺尾裁判長は、さ  らに「部落民は、ウソつきだ」と「無期懲役」判決を下しました。

  1986年いらい、二度目の再審請求だされ、石川さん=無実をあきらかにする数々の新証拠がだされてきました。しかし、東京 高裁・裁判長は、1999年7月8日、一度の事実調べもおこなわないまま「再審棄却」を決定しました。石川一雄さんは、この高木 決定の取り消し、再審をもとめて異議申し立ておこないました。いまも、東京高裁第五刑事部(高橋省吾裁判長)で異議審がたた かわれています。

  その後で、上の内容の「私は無実」という狭山事件の紙芝居が上演されました。とても分かりやすく作られた紙芝居で、−度と  みたら狭山事件・部落差別について沢山のことを教えられる内容ですので、「街でも定期的に上演会をすることに決定した。みな さん見に来てください。

  講座の後の交流会にも参加させてもらいました。「街」からの参加者にとって、とても意義のある話し合いでした。僕と話していた 年配の方が部落の問題だけをやっていてはダメだ。すべての差別に対する人権闘争として闘わなければならない」と言われたの に感動しました。

  25日からの3日間連続で様々な場に参加しました。とても刺激的で、「街」の今後の方向性を示唆してくれる貴重な経験になりました。 ありがとう、ございますm(_)m
 繁さん、久々に登場。抗がん剤を受けながら、
元気にテニスを再開したそうです。
 こちらも久しぶりケイ子さん。
 木琴を叩くタッ君

8月28日(火) ハネやん&則子さん、沖縄へ出発

ヨッシー
 26日、僕は杉並の防災訓練の監視行動に参加した。
自衛隊の人たがテントを張って災害時に使う道具を展示していた。

 知り合いの女性が若い隊員と話しをしていたので僕も加わった。
その自衛隊員は入隊して2年目で、大型免許を取ったそうだ。いろんな重機の
免許を取るために自衛隊に入って取れたらやめる人も多いと言った。
                                              
 僕が「憲法9条を改正して自衛隊をちゃんと軍隊とすべきだと思いますか」
と訪ねたら、「ちょっと、そういうことは答えられません」と言った。
                   
 彼はとても素直で良い人と思えた。でも僕は自衛隊が防災訓練に
参加すべきではないと思う。
 そして自衛隊員と手を取り合って、軍隊や差別のない人間社会を作りたい。


かわら版『辻つじ反戦ながし』 かわら版・24号 2001年8月25日発行
かわら版編集部 042−528−6960
      みんなで止めた扶桑社教科書

 7月24日の国立市役所には、異常な熱気があふれていました。「人間の鎖」もそうですし、右派の人達が妨害に
来ていたせいもあるかもしれません。冷房が効かなくなるほどの人数が傍聴したせいもあるでしょう。
                                                 
 その熱気は、この2年間・やりたい放題にやってきた教育委員会が、今後4年間の国立の教育をさらに悪くするか
もしれないということに対するいてもたってもいられない心配と、3000名を目標にして取り組んだ署名が予想を大き
く越えて10.000以上も集まり、国立の市民の良識が教育委員に勝手な振る舞いをさせなかった、という安堵惑・
達成感とが交錯したものであったと言えるでしょう。

 「国立を突破口にして東京の教育改革を」という石原都知事の思惑を受け、教育委員の思いは採択結果とは別の
ところにあったと思われます。別の教科書を推薦しながら、それでも扶桑社の教科書を擁護する教育長の発言は、
他市の教育委員には見られない異常なまでの「正常化」への執着を感じます。教育という次元とは別の思惑があった
のではないかと勘ぐってしまいます。その意味で、この2年間に国立で行われたことも、「教育」を語りながら、全く別の
思惑で行われたと言えるでしょう。
                    
 ともあれ、国立で扶桑社版数科書の採択をさせなかったのは、市民の良識の力だと思いますし、すなおに喜びたいと
思います。                                    

 しかし、教育内容に素人の教育委員が実権をにぎり、現場の先生方の意見が無視されるという問題点が浮き彫りに
なってきました。選ばれた教科書は本当によい教科書なのか、誰が選ぶべきなのか、それらの点検や検討を早急に
始める必要があります。       (8月記・佐々木)

 防災訓練を機会に軍事訓練する自衛隊
 昨年に続いて2度目の「ビッグレスキュー(東京都総合防災訓練)が9月1日に行なわれます。それに先立って7月17日、
18日に2日間ぶっ通しの「本部運営訓練」か行われました。

 都庁と杉並区、江東区、八王子市、調布市、立川の防災センター、そして、陸上自衛隊東部方面隊などが参加したこの
訓練は、自治体関係者800人と自衛隊1200人が参加するという大がかりなものでした。
                                                      
 東京都のビッグレスキュー2001
 訓練は、図上訓練という形で行われました.設定された状況に応じて、防災計画に基づいた対応が都庁8階の防災センター
で進められています。そこに通信回線を利用して各地から次々に情報が入ってくるので、状況は刻々と変化し、本部ではその
たぴに新たな判断に迫られる、というわけです。これは、自衛隊がふだん「CPX」と呼んで行っている訓練方法で、おそらく
自治体がこの方式を取り入れるのは初めてでしょう。
                               
 訓練の見学を許された500人の内、なんと350人が白衛隊関係者で、都庁会場を見学した人の話では、この日、都庁8階は、
自衛官と、明らかに自衛隊OBとわかる人たちでいっぱいだったそうです。さらに、この訓練の企画・実施を請け負った民間会社
が、実は退職した自衛隊幹部たちがやっている会社で、参加した、自治体職員は、訓練方式に慣れないせいか、なにかと自衛隊
や元自衛官に教えを乞い、頼りにする風景が見られました。そんなにまで自衛隊に頼って防災対策が進められることに、不安を
感じませんか。                                    

 最近自衛隊は、「都市型戦闘訓練」というものに力を入れています。都会で戦うための訓練は、いかに専用訓練施設を使っても、
やはり本物の街中で実施するのが一番です。昨年のビッグレスキュー濱習で、自衛隊が練馬区光が丘から地下鉄大江戸線で
木場会場に向かいました。しかし、木場で地下鉄駅から地上に出てきた部隊は、練馬で乗り込んだ人数の半分だったそうです。
地下鉄構内の闇の中での訓練は、自衛隊にとって・どんなに得がたいチャンスだったことでしょう。軍隊が大好きな石原都知事の
在任中に、これ幸いと自衛隊が東京都とタイアップして都市で軍事訓練をする・・・。これが、東京都総合防災訓練ビッグレスキュー
の実態です。
        
 大きな災害があった時に、確かに自衛隊にできることもあるでしょう。しかし、災害から住民を救うのが自衛隊の本来の任務では
ないことを、もう−度考えてみましょう。
                       
 防災のために必要なことは色々ありますが、地域で暮らす人々が助け合える関係を作っておくこととか、まちがった情報に惑わさ
れずに判断する力をつけることも大事なことです。石原都知事のように外国人を敵視するよりは、同じ東京に暮らすもの同士が力を
合わせることを考えたいものです。     (河野)
学習集会
「憲法と私たち・連続講座」
  その2「公務員」
       
     憲法15条A
  すぺての公務員は
  全体の奉仕者であって、
 一部の奉仕者ではない」
を考える


  9月29日(土)14時から17時
   富士見台第一団地集会所

講師
 西川重則さん(ジャーナリスト国立市在住)
   入場自由・資料代300円l
            
          主 催
 「憲法とわたしたち・連続講座」実行委員会
    電話/FaxO42−574−92101
    後援 国立市教育委員会

8月27日(月) 

 8.26 自衛隊の治安出動を許さない! 杉並区 抗議・監視行動
                                 ハネやん&則子さん、ヨッシーが参加
 午前9時、浜田駅前でビラまき。奥のほうに
私服警官がたくさんいて不法に写真を撮ってた。
9時半、南中央公園に移動。道路の角に集められた
消火器。訓練が組織的に準備されていたことを実感。
 会場入口で、抗議のビラまきをした。
反対側の道路には、50人ぐらいの私服警官が中に入る
人の写真を撮っていた。門の前には、お揃いのユニフォーム
で身を固めた人たち。
会場内は異様な雰囲気。警察・消防署・自警団、戦中の
国防婦人会みたいな人たちが連携しあっていて、「戦時中
みたいだな」というのが感想。
自衛隊のテントを発見 (^o^)丿  展示物を監視するヨッシー
 隊長らしき人に話をする元区議の結柴さん  勝手に本部席に座って休憩する則子さん
 午前11時、ヘリとの交信訓練をするために
自衛隊のジープがグランドの真ん中に陣取る
 ヘリが飛んできた。近くにいたおばあさんが、
「着陸するのかね」と僕に聞く
 デジカメのシャッタースピードが遅く、なかなか撮影できない。
10分ぐらい、ヘリから見た周辺状況報告、地上・ヘリとの交信を
スピーカーに流して参加者に聞かせた。
訓練が終り、引き上げる自衛隊のジープ
 杉並区役所の横に自衛隊員も並んでいた。  山田・杉並区長が閉会の挨拶
・25日の「防災に名をかりた自衛隊の治安出動訓練に反対するつどい」の講演の中にもあったが、戦前の強引なやり方と違って、
 今は非常に巧妙な手口で、「戦争のできる国」への道が作られていっている。戦争にならない為の堤防には、すでに穴が開け
 られている。今日、行われたのは地域の「運動会」でなく、自衛隊の治安出動訓練なのだ。今、私たちが「戦争への道、ストップ!」
 の声をあげ・反対行動に立ち上がらなければ、先日の台風11号のように日本中が洪水にさらされてしまうだろう。

 9月1日の「ビッグレスキュー2001」に対して、「街」は総力で立ち上がります。「戦車が出てきたら、その前に立ちはだかるぞ!」
という思いで参加するというメンバーも出て来ています。

山田・杉並区長の強引な手法
 今日、初めて自衛隊が参加する杉並区の防災訓練が行われています。浜田山周辺では初期消火救出訓練、高井戸東小学校で
は救援所運営・仮設トイレ設置・給水・物資搬送・医療救護訓練、杉並南中央公園では初期消火・各種体験コーナー・炊き出し訓練
などが行われます.自衛隊は12名で公園での展示と通信訓練を行い、ヘリコプターも情報収集で飛来します。自衛隊の参加は当初
予定にはなく、山田区長の強い意向で急に組み込まれました。

 教育委員改選、教科書採択問題や学校給食委託問題に見られるように、山田区長の強引な区政運営が日立ってきています。今
の自衛隊の参加もその一環です。

 山田区長は区の広報で「もし、阪紳・淡路大震災で、もっと早く自衛隊による出動要請が行われていれば、あれほどまでに多くの
尊い人命が失われなかったと言われています」と述べています。区長は「災害救援は自衛隊」と思い込んでいるようです。

 現実に合わせた地域主体の訓練こそが必要 阪神・淡路大震災の教訓

 私達の考えは山田区長とは正反対です。災害に備え必要なことは第1に住民の自主的な活動、第2に地域に存在する消防を軸と
した自治体の人員・組織の充実です。地域をよく知り、すぐに対応できる人・組織がもっとも重要なのです。自衛隊がこの役勧を果た
すことはまず無理です。

 災害時にまず必要なことは救助と消火活動ですが、この専門組織は消防で、自衛隊ではありません。地震当日の神戸市での救出
者数は、地元の消防隊が862名、神戸市消防団が604名でした。また消防に先行して、倒壊した建物からの救出活動に当たったの
は地域住民でした。助かった人400人への聞き取り調査によれば、95%の人が自力脱出もしくは家族・近助の人による救出です。

 救命は24時間以内が勝負といわれ、ある医師のしポートでは4時間を救命率の節目としています。消火についても初期消火が重
要であり、98カ所中77カ所で地元住民による初期消火が行われています。

 引き続く医療活動も消防・医療機関の連携した活動が要です。地震被害の少ない周辺の医療機関への的確な移送が必要です。

 これらのことから、地域住民と消防をはじめとした自治体との協力、人員・救急機材の充実こそが重要なのです。だからこそ、その後
の防災訓練は自衛隊のデモストレーションを住民が見学するという形から、地元住民主体の形へと変更されてきたのです。

 さらにいえば、亡くなった人3600人の調査では、70%が建物倒壊にる即死でした。次が焼死です。つまり、何よりも優先させなけ
ればならないことは地震に強い建物であり、火災に強い街です.30年にも及ぶ住民主体の街づくりに取り組んで神戸市長田区の真
野地区で、住民・消防団・企業が力を合わせて消火活動を成功させ、被害を最小限にとどめています。このことが教訓とされるべき
す。

 迷彩服で参加する自衛隊員 災害救援と自衛隊(軍隊)とは原理が異なる

 確かに自衛隊の人員・機材は強力で、災害にも威力を発揮するでしょう。しかし救援の基本は民衆同士の助け合いであり、
自衛隊とは原理がまったく異なります。自衛隊の活用を言う人は災害=戦時という考え方をとっている点が共通しています。自衛隊員
が迷彩服で参加するのは災害を野戦と考えているからに他なりません。災害に自衛隊を頼ることは、軍事的な考え方が浸透する社会
を促進し、強大な力に自らを委ねることにつながります。

 一つの例として「トリアージ」があります。通常には傷病者を赤(すぐに治療が必要)、黄(多少遅れても命に危険はない)、緑(充分待
てる)の3種類に分けています。しかし実際には黒(死亡と手遅れ)という区分があります。このトリアージはそもそもが軍事用語であり、
戦力にならない傷病者を後回しにするという考え方に基づいているものです。

 自衛隊そもそもの目的は、いうまでもなく「国防」です。民衆の集会・言論や報道機関の取締りなどの弾圧と治安維持、戦争目的に
向けた人・物資の動員です。自衛隊の派遣の目的は、このための下地づくりなのです。

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