オープンスペース街・日誌

2001年11月@

「街」日誌の頁に戻る

10月のDへ 11月のAへ

11月8日(木) 北富士闘争(山梨県)/亀子新聞 11.4
 北富士闘争(山梨県) 在沖縄米海兵隊が1997年以降、沖縄から本土5ヵ所に分散実施している
実弾砲撃訓練が5日、北富士演習場(山梨県)で始まった。東京に戻ったアリ&ようこちゃん、ヨッシーが参加しました。
写真が送られて勝手にコメントを付けてみました。 (~o~) 
 竪穴住居の前で記念写真。寒そうだな (゚o゚)  遊ぶようこちゃん?
 これから何が始まるのか?  のどかな集会前の風景
 北富士忍草母の会の天野美恵さんの発言のようです。
米海兵隊の実弾演習を阻止するぞ!
 何で入ってはいけないのだ!
 自衛隊員がガードをしている  抗議文を読み上げる
 負けてなるものか! 不屈の決意を固めるアリちゃん
   北富士農民が作ってくれたお弁当をもらって、
幸せそうな3人

亀子新聞11.4
家庭科ってなあに?
根津さんの「弁明2」をみんなで読もう!

 先日、根津さんの支援者の方々の話し合いの場で、「家庭科は料理、裁縫という古い認識が私たちにある。家庭科とはなにかということを勉強会などで学ぶことも大切」という発言があり、心に残りました。根津さんの家庭科の授業に対する、教育委員会、校長の言いがかりともいえる数々の対応のベースには、「料理、裁縫の家庭科で何故性差別や軍隊慰安婦、農薬のことを教えるのか。」が教育を司る人々にもあると感じます。又市民にしても、先の支援者の発言のように「なぜ家庭科で性差別?」うんぬんの素朴な疑問が同じような認識から出てきます。多くの教員や支える人々の努力によって勝ち得た共修家庭科ですが、更に1歩まえに踏みだし、その共修家庭科とはなにか、を教育現場から外にむかってアピール出来ていたのか問われています。 11月2日都教委意見を聞く会で根津さんが作成した 弁明(2)をお読みいただき(特にCの授業に関する所)メールをお読みの皆様の感想、素朴な疑問、委員会への反論等々およせください。いただいた感想等は無記名で亀子新聞にお載せしたいと思いますが、差し障りのある方はその旨書き添えてください。

☆ 判定に至る申請内要や手続きを不当とし、判定会そのものを無効とする緊急支援体制に入っています。引き続きは  がき,FAXなどの支援活動ご協力お願いします。 (亀子)
2001年11月2日

東京都教育委員会御中

多摩市立多摩中学校 教諭 根津公子

弁  明 (2)

 都教委は10月4日の弁明の折、校長から申請のあったことをあげ、それについての弁明を私に求めました。次の2点でした。

(1) 授業の進め方が問題。
(2)保護者・子どもから苦情が上がった。

ところが、10月22日の弁明の際には、次の4点を挙げました。

(3)年間指導計画を校長から何回も催促されているのに、なぜ出さなかったのか。
(4)授業で指導している内容が家庭科の学習指導要領にどう沿っているか。
(5)授業観察に際し、学習指導案を校長から提出を命じられたのに出さなかったのはなぜか。
(6)授業をボイコットした生徒に対しどのように対応したか。また、他の生徒への対応について。

 (1)(2)と(6)とは重なる部分がありますが、(3)〜(5)については校長から申請はなく、したがって「判定」資料にしてはいけない内容のはずです。なお、(3)(5)は職務命令違反云々についてですが、都教委自ら4日に「職務命令違反は問題にしていない」(新井氏)と発言しています。
 (3)〜(5)について弁明するのは、「指導力不足等教員」の要綱に照らして整合性がありませんから、すべきではない、とも考えますが、都教委の認識をただす意味で、弁明をします。

 (3)年間指導計画を校長から何回も催促されているのに、なぜ出さなかったのかについて

この件については、前回、「H.13.7.19付け、同日FAX送信されてきた文書についての質問」(7.23)を提出して弁明したとおりです。校長が私にだけ出した年間指導計画の書き直し命令は、職員会議での確認とは異なる内容の命令でした。4月の職員会議に年間指導計画記入用紙が配布されましたがそれは一形式に過ぎず、その職員会議で確認されたことは、「どのような形式でもいい」ということでした。なお、昨年度は、「指導書や何かについているもののコピーでも構わないから出してほしい」(9月・肥後教頭)ということでしたから、職員は誰もが「大雑把な年間指導計画でいい」と捉えていました。私は、私が使いやすい形のものを作成し提出しました。しかし、校長は、私にだけ次々に「学習指導要領の項目と対応させて書き直せ」「教科書のページを入れろ」「所定の形式で書き直せ」などと命令してきました。 また、6月19日には渡された職務命令(=年間指導計画にかかわり、「3年3学期の学習指導案を毎時間毎6枚作成し、提出を求めるメモ 日付けは18日」の意味がわからなかったので質問したところ、校長からは「教育委員会から言われたことなのでわからない」との返事。しかし、校長は同月22日にはその発言を否定。こうした嘘を使ったり前言を翻したりしての職務命令。そして、職務命令の内容を、出した本人に問うても答えることができない。そのような人が出した職務命令は、その有効性にはなはだ疑問があります。しかも、私が提出した質問書に校長は今日に至るも、回答をしません。校長の行為は、職権濫用に他なりません。しかし、私は意に反しながらもその都度、校長の命令に沿って年間指導計画を加筆修正し、提出してきました。「出さなかった」ではなく、出しています。
 なお、年間指導計画の提出は、私以外の職員には形式的に求めているに過ぎないことがはっきりしています。その実例、証拠があること(職場の多数はその事実を知っています)を申し添えます。他の人に被害が及ぶかもしれませんので、詳細は述べません。

(4)授業で指導している内容が家庭科の学習指導要領にどう沿っているかについて

 普通に考えれば、都教委には、「農産物と農薬」「洗濯と洗剤」の授業内容が学習指導要領に沿っていないとの前提があって、この点について弁明を求めたのだと思います。そうだとすれば、弁明を求める前に都教委は、この授業が学習指導要領に沿っていないことを検証し、それを私に提示すべきだと思います。ぜひ、提示してください。
 順序が逆だと思いますが、ここでは私から先にこの点について、申し述べます。

@「農産物と農薬」について

 「農産物と農薬」を取り上げたのは、農産物を手に入れる際、栄養面での学習に加えて、安全性の学習は欠かせないと考えたからです。学習指導要領の文言では、「H食物」(2)「ウ食品の品質を見分け、用途に応じて適切に食品を選ぶことができること」に該当します。農産物を手に入れる際、現在では、「ア食品の栄養的性質を知ること」だけではこと足りません。それは多少でも食生活に関心を持ち、ものごとを多角的に考える人なら、専門家でなくとも、感じていることです。この学習においては、消費者教育および環境教育の視点に立つことがとりわけ重要だと考えます。こうした視点に立って学習することは、子どもたちにとって、将来にわたり「社会的に責任を持って」生きることの学習になると確信します。
 環境教育、消費者教育は、短い学習指導要領の文言には書いてありませんが、教科書では何ページか取り上げています。また、「指導書 技術・家庭編 解説」や「改訂の趣旨」でその必要性について触れています。環境教育、消費者教育は文部科学省・都教委が認め、推進する立場にあります。
 文部省が1991年に発行した「環境教育指導資料」によれば、環境教育の目標は、「環境や環境問題に関心・知識を持ち、人間活動と環境とのかかわりについての総合的な理解と認識のうえに立って、環境の保全に配慮した望ましいはたらきかけのできる技能や思考力、判断力を身につけ、よりよい環境の創造活動に主体的に参加し、環境への責任ある行動がとれる態度を育成する。」と定義しています。また、「中学校指導書 技術・家庭編 解説」には次のように記してあります。「人間生活を尊重する立場から技術をとらえ、科学技術の高度な発達や産業経済の急激な発展が資源やエネルギー不足をもたらしたり、生活環境の汚染や環境破壊を引き起こしたりしている現況にかんがみ、資源や環境の問題にも着目し、家庭生活や社会生活を充実向上させるための技術とのかかわりについて理解を深めさせることを示したものである。」さらにまた、新学習指導要領(平成10年)は、「環境に配慮して主体的に生活を営む能力を育てるため、自ら課題を見いだし解決を図る問題解決的な学習の充実を図る」としています。

 消費者教育については、その目的を、日本消費者教育学会は次のように定義しています。「消費者が各自の価値観、理念(生き方)を個人的にも社会的にも責任が負える形で選び、持ち、それに基づいて経済社会の仕組みや商品・サービスについての知識・情報を理解し、批判的思考を働かせながら合目的的に意思決定し、個人的、社会的に責任がもてるライフスタイルを形成し、個人として、また社会の構成員として自己実現していく能力を開発するものである」。また、学習指導要領「改訂の趣旨」には、「消費者としての自覚を育て、健全な家庭生活をめざして実践する態度を養う」と記されています。

 東京都が平成13年2月副読本、「中学生も消費者」を発行していたことを先日知りました。とてもいい内容なのでせめて、学校図書にしてほしいと思いましたが、そこには、「食の安全性」「残留農薬」など、私が授業で扱った内容が記載されていました。これらのことを家庭科で取り上げないとしたら、一体どの教科・どの領域で取り上げろというのでしょうか。教科としては家庭科、および家庭科を取り入れた「総合」の時間でしか取り上げることは出来ないでしょう。

 以上、環境教育・消費者教育の指し示すところと、私のその視点とは一致することがおわかりでしょう。

 都教委もこの説明に異論はないだろうと推測します。さらに推測するに、都教委の考えは、「深入りしすぎる」「農民の問題(農業政策・流通)は家庭科で扱うことではない」ということではないかと思いますので、この点に触れます。
 「自立した消費者」として農産物を選ぶ時、安全性の高い農産物を探し、買い求めることができればそれで消費者問題は解決するでしょうか。当然、「否」です。顔の見えない生産者の声も聴き、消費者、生産者が互いを理解し合い、双方にとって最もよい生産・流通・消費を考えていくことを、私は授業を組み立てる上で考慮しました。「農産物の安全性」の問題は、消費者の視点からだけではなく、「生産者の体への被害」「生産者の仕事に対する姿勢・気持ち」や環境問題を視野に入れて子どもたちに考えさせたいと思いました。どの問題でもそうですが、一面的な視点からは問題は正確に把握されませんし、解決への道筋は見えないと思うからです。子どもたちが、「農薬のかかった野菜は食べたくない」とだけ思うような授業は避けようとしました。子どもたちが生活する場に農家の存在はありませんから、ビデオ資料を使うなど、多少の時間はかかります。しかし、授業時間はたかだか3時間だけのことでした。
 ここまでの説明でなお、「深入り」や「全体のバランス」云々の批判があるようでしたら、文部省生涯学習課長(当時)の寺脇研氏の示唆に富んだことばを聴いてほしいと思います。氏は、98年8月号の小学館「総合教育技術」で次のように発言しています。「指導要領は、教師が教えるマニアムの基準をまとめたものに過ぎません。もちろんそれは、子どもたちがそれ以上のことを、学校外はもちろん、学校内で学ぶことを禁止したものでもありません。『指導要領に書いてあることが日本の子どもたちが学ぶことのすべてだ』という意識を変えてもらうということが、今度の『教課審答申』を読むことの前提としてあります。指導要領は、そして学校は、絶対的存在から相対的存在へと変わってきているのです。『たかが学習指導要領』なのです」。

A「洗濯と洗剤」について

 この授業でも、学習指導要領に則していないところが何かが、都教委から指摘はありませんから、推測のもとに論ずるしかありません。ここでも、「深入り」「全体のバランス」をあげるのでしょうか。その前提で話を進めます。
 学習指導要領では、「G家庭生活」の内容(3)「ウ被服計画を考え、適切な着用及び手入れができること」と記されています。そこで、洗濯の原理を実験をもとにして学習し、洗剤の選択に移りました。洗剤の学習は、消費者教育、環境教育の視点から授業を組みました。消費者教育、環境教育は、ここでも必要不可欠なことがらです。
 ここを抜かした洗剤の学習は、実生活に役立ちません。「家庭生活をよりよくしようとする実践的な態度を育てる」(学習指導要領)ことにはなりません。子どもたちには、CMに踊らされる消費者ではなく、将来にわたって「社会的な責任を持って」生きる消費者に育ってほしいと思います。

 以上、「農産物と農薬」も「洗濯と洗剤」も、学習指導要領の趣旨を理解しての授業です。

(5)授業観察に際し、学習指導案を校長から提出を命じられたのに出さなかったのはなぜかについて

 7月6日(金)付け職務命令書(メモ書き)「指導主事授業参観 7月10日(火)、11日(水)、12日(木) 上記授業の指導案を7/9(月)までに作成し、提出してください」を指すのですね?

 これについての経過を述べます。

 7月6日の金曜日に上記メモを校長から渡され、翌7日土曜日に「それは職務命令だ」と言われました。9日の月曜日に、私は授業内容の分かるメモを校長に提出しました。「このメモでこと足りると思いますから、これを提出します」と言い添えて。そうしましたら、11日に、「@指導案とメモは違います。別紙を参考に、明日(7/12)の授業の指導案を作成し提出してください。未提出の場合は必要な措置をとります。」とのメモ書きを渡されました。しかし、私はメモ以上のものを出すつもりはありませんでした。メモも、意に反して出したのです。

 ではなぜ、学習指導案を出さなかったかを述べます。すでに22日の弁明の際、「保護者・生徒からの苦情は校長がつくり出した」ものだと申し述べました。授業観察はその中で保護者から要求が出、校長が教育委員会に要請したものだったからです。
 元2C保護者会の要求だとして7月3日に校長から、「校長が教育委員会に授業を参観するよう要請してほしい、ということなのですでに要請した」と口頭で伝えられました。そして11日には、「元2C保護者会からの質問・要望」書が校長より渡されました。そこには、「A授業内容に関しては指導要領に沿っているのか否か、また内容が家庭科の授業として適当なのかどうかの判断は、素人ではわからない部分もあるので、校長先生や教頭先生は勿論、教育委員会にも授業参観をしていただき、きちんと根津先生を指導をしてもらいたい。また、どのような内容を取り扱うのか把握していただきたい。B親としては全体保護者会でも要望したように、特に3年3学期の授業に関しては昨年度のような内容は取り扱ってほしくありません。その約束は守ってもらえるのでしょうか。全体保護者会で「考え直す」とおしゃっていたが(ママ)、大丈夫でしょうか。もう1度先生に『やらない』という確認を取らせていただきたい。」とありました。

 教育委員会に根津の授業を参観してほしいという要求は、「3年3学期の授業に関しては昨年度のような内容は取り扱ってほしく」ない、すなわち、男女共生、従軍慰安婦、同性愛者を取り扱うなという要求とセットの要求であります。
 「教育委員会に根津の授業を参観してほしい」という珍しい要求はなぜ出てきたのでしょう。「3年3学期の授業に関しては昨年度のような内容は取り扱ってほしくない」「男女共生、従軍慰安婦、同性愛者を取り扱うな」という要求はなぜ出てきたのでしょう。それは、職員会議で校長自らが述べたとおり、校長自身が、本年2月に、保護者や子どもたちに話した内容が原因になっているのです。前島校長は、「保護者や子どもたちに、学習指導要領を見せながら『男女共生、従軍慰安婦や同性愛は家庭科の学習指導要領に載っていない。根津先生は学習指導要領を逸脱している。家庭科の時間に家庭科ではないことをやっているのだ』と説明した」からです。
 普通の学校で校長はこのようなことをするでしょうか。普通、どこの学校でも、校長は、教員と保護者の橋渡しをすべく努力しているものです。男女共生は憲法から見ても当然のことにすぎません。私たち教育公務員は就職にあたって宣誓書を提出しています。それは、憲法・教育基本法の遵守についての宣誓書です。また、同性愛、従軍慰安婦については、同性愛者への差別的言辞やレイプについての話を子どもたちが面白おかしくするのを、頻繁に耳にし、私は人権教育の必要を感じたのです。人権教育は東京都教育委員会の方針の柱でもあります。まったく問題がないどころか、多摩中の生徒の実態から必要と考えて計画した教育内容について、保護者に理解を求めるどころか、「根津先生は学習指導要領を逸脱している。家庭科の時間に家庭科ではないことをやっているのだ」と説明する校長がどこにおりましょうか。

 校長は私に非を認めて謝罪し、かつ、保護者や生徒たちに前言を撤回して私の名誉を回復する措置をとらなければならないはずです。しかし、こうした校長の発言がはっきり取り消されたということは聞いておりません。そのために、「根津は学習指導要領を逸脱している。家庭科の時間に家庭科ではないことをやっているのだ」という話はその後も広められて、「元2C保護者会の要望」になっていったのは火を見るより明らかです。何しろ社会的にも私より地位のある校長先生の権威ある発言なのですから、保護者や生徒をはじめとして地域に大きな影響をもたらしたことは明らかです。 このように校長が職権を濫用し、本務を怠り誤った解釈を保護者・子どもに流し続けた揚句に、校長が主催し、出席していた保護者会で、司会をしていた教頭までが「皆さん、ここで言っておかないと後で後悔しますよ」とまで保護者を煽っておいて、ついに授業参観の要求が出るまでになったのですから、責任は校長にあります。私は被害者です。したがって、このような中で行われる授業参観に伴う学習指導案を提出する職務は、私にはないはずです。だから、提出しなかったのです。
 むしろ私が声を大にして訴えたいのは、一人の教員が毎日の授業をしていく上で、こうした校長の対応がどれほど、精神的にも肉体的にも私を痛めつけたかということです。校長は、教員が安心して授業に臨めるように環境を整えるべきであって、自らデマを流したり、教員の本務である教育を司るうえで何の支障もない(不備でもない、公文書でもない)書類の書き直しをやたら何度も命じたりすることが校長の職務なのではありません。校長自らの過ちの為に一人の教員が保護者や生徒との意思疎通のうえで危機に立たされたのです。経営に責任をもつ校長としてもっと本来果たすべき役割があったということを訴えたいと思います。



(6)授業をボイコットした生徒に対しどのように対応したか。また、他の生徒への対応について

生徒の苦情・不信も前回申し述べましたように、校長によってつくり出されたもので、私は被害者だということを、まず確認したいと思います。そのうえで、この点に関し、申し述べます。

 6月22日の緊急保護者会直後の3Aの授業に行きましたら、3人がいませんでしたが、その時私は、保健室に行っているとの報せを受けました。そのまま何日かは、ボイコットだったということを耳にしませんでした。耳にしたら、何か対策を講じたかと言えば、きっと静観したと思います。なぜなら、子どもたちの動揺は、校長の発した嘘やデマに支配されてのことですから、私が子どもに対応したところで、子どもは興奮するばかりです。何の解決にもなりません。解決のために子どもたちに、校長の嘘と本当の事実を話そうかとも考えましたが、第一に職務命令で私はそれを禁じられていました。残された道は、長い時間がかかっても、私が子どもたちに誠実に対応していくことしかないと思いました。3年生が2年生だった昨年度、私はかなりの2年生から、「根津先生はこの学校ではじめてちゃんと生徒の話を聴いてくれる先生だ」と言われました。いまのような状況でも、誠実に対応していくことで関係を築き直そうと、己に言い聞かせました。ボイコットした3人だけでなく、他の生徒に対しても同じように対応してきました。

 今現在、3年生の子どもたちから訊かれることは、「なぜ、先生は家庭科ではないことを授業でやるの?」「なぜ教科書を使わないの?」ということです。「なぜ、それを訊くの?」と問い返すと、誰もが、「校長先生が言っていたから」「校長先生が言ったと聞いたから」と答えます。子どもたちを前に、校長による人権侵害を私は毎日受けているということではないでしょうか。また、「皆のおじいちゃんは人殺しだと、先生授業で言ったんでしょ?」と訊いてきます。そんな発言はしていませんから否定しますが、このデマも私の人格を貶める道具になっています。このデマは、4月25日の市教委事情聴取の中で聴取された事柄ですので、市教委の責任においてデマの取り消しをしてほしいです。

11月7日(水)A 街の上空を連日、戦闘機・ヘリが飛ぶ/報復戦争反対ライブ/洋平絵日記/アフガニスタンへ冬着を届けよう/ライブ&ピースウォークin吉祥寺

11.6(火) 街の上空を連日、戦闘機・ヘリが飛ぶ
沖縄ばかりではない。東京の空も戦闘機・ヘリが飛び交っている。朝から轟音が鳴り響いている。
特に、街の上空は戦闘機の航空路になっているのか、本当に頻繁に飛んでいる。
戦闘機・ヘリは1機だけではない。3機編成くらいで飛んでいる。

11.6(火) 報復戦争反対ライブ!!
1日中戦闘機の轟音が轟く中、
ヨッシーの「報復戦争反対ライブ」開始!!
今回の事件ですっかり目覚めたがんちゃんが、
道行く人に街ニュースを手渡す。
「アメリカの戦争は許せない!!
みなさん戦争を止めさせましょう!!」と、
がんちゃんは訴えた。
さぎりちゃん、街のみんなが店頭で訴えた
今日から、ありちゃんも参加することになった、
グループホーム「洋平とジュゴンの家」
みんなで晩御飯を食べる。
11.6 街日誌

●店の外で壁新聞としてペチャワール会の活動内容を書いて展示しているのが、多くの人たちが立ち止まって
真剣に読んでくれた。
●お茶の時間にボランティアさんはジュゴンの家日誌を見て「がんばっているわねぇ」とか「あらすごいわねぇ」とか
言って、ジュゴンの家のみんなの活躍に感心していた。
●ちゅーやんは北富士のことをニュースにしてみんなに知らせると言った。

洋平絵日記
11月6日(火)
今日は朝たいへんでした。
バスがこしょうのため、西武車庫で都民農園セコニック行きに
のりかえました。30分待たされました。
11月7日(水)
今日は西武バスがスムーズにうごいた。
にとべさん※にバッタリあいました。
(※洋平君が結婚相手に狙ってるステキな人だそうです)

アフガニスタンに古着を届けよう 11.7(水)
ヨッシーが朝、朝刊に載っていた新聞の記事を見つけて、早速新聞社に電話して詳細を聞いた。
凍死から救え 難民に古着を(朝日新聞)

 空爆開始から1ヶ月。「アフガニスタン難民を凍死から救おう!」と冬物の古着を送る作業が東京都豊島区のモスク
(イスラム礼拝所)「マスジド大塚」で続いている=写真。コンテナには約1万2000点入るが、集まったのは3割程度
来月中旬までにパキスタン経由で届ける計画だ。
みんなでアフガニスタンへ冬着を送ることにした。
ライブ&ピースウォーク 11.3(土) 井の頭公園
11.3(土)の公休日、吉祥寺の井の頭公園で
「今すぐ戦争をやめて!!ライブ&ピースウォーク」と
いうのがあったので、ヨッシー、ありちゃん、ようこちゃん
ミヤちゃんの4人で行ってきた。
ライブ&ピースウォーク号
アフガンへのカンパを集めていた。
会場には、メッセージを書いたハンカチがあちこちにかけられていた。
ステージでは、コンサートが行なわれた。ギターの弾き語りに、トランペット。
「メモリーグラス」の堀江淳も来てた。
水割りをくださ〜い♪と唄っていた。
報復戦争の事と何の関係があるのだろうか。
ライブのあとには、○×の若者と思われる人が前に出て
「報復戦争反対」とは一言も触れずにして
「テロを糾弾していきましょう」と連呼していた。
僕たちは帰った。

11月7日(水) 北富士忍野村へ行った/亀子新聞

北富士忍野村へ行った  11.5(月)
「桧丸尾・入会の森」ここも演習場だったが、長い闘いの
中で取り戻した。
森の奥には、キャンプ場がある。
キャンプ場にあるアスレチック広場。 ターザンになって遊ぶヨッシー。
「仮免許練習中」とナンバーに書かれた自衛隊車輌
20歳くらいに見える若い自衛隊員が運転している
「米軍実弾演習阻止・梨ケ原」
「入会地奪還・演習場撤去」
「11.5総決起集会」
自衛隊北富士駐屯地の目の前。地元の人が
貸してくれた畑の上で、集会をした。
集会場から演習場まで、森の中の一本道を
デモ行進をする。
演習場のゲート前。電光掲示板には「実弾射撃実施中」
と表示されている。
代表が門越しに、申し入れ書を読み上げ、自衛隊員に手渡す。
ゲートの向こうの演習場の様子。米兵もいた。

北富士忍野村へ行った ヨッシー

 新宿から高速バスで2時間弱、富士急ハイランドの近くで目が覚めた。前方にはド迫力の富士山が悠然とそびえていた。忍野入口で下車して、キャンプ場へ行った。

 森の中は東京と違って空気がきれいだなぁと感じた。今、米軍や自衛隊゛か実弾演習をしている山は、まずしい忍草農民が、木の実やかやをとって生命の糧とする入会地だった。そこへ戦後米軍が勝手に入ってきて、無断で使用し始めた。そのため忍草農民は演習地内へ馬に乗って強行突破して入ったり、忍び込んで穴を掘って潜伏して演習時に火をたいて演習を止めさせるなどのゲリラをして、キャンプ場のあたりの森を米軍から奪い返したそうだ。今先頭にたって闘っているのは、忍草母の会の女性たちだ。闘いが長期化すると、粘り強い女性の方が向いているからだそうだ。

 30分ほどキャンプ場で過ごして、集会場へ向かった。砲弾を打つ「ドーン!!」という音が聞こえ始めた。ここで練習してアフガニスタンの人たちを殺しに行くんだなと思った。集会場は自衛隊北富士駐屯地の目の前だった。公安の方々がたくさん来ていた。忍草母の会の天野さんが発言した。「私がゲリラをやるんじゃないかと、警察がずっと監視していて、昨日は家の敷地内に入ってきたんで、何やってんだドロボー!!と怒鳴ってやったら、暴力はいけませんなどと言って逃げて行った」と話した。70歳過ぎたおばあさんに「暴力はいけません」はないだろうと笑ってしまった。天野さんは「入会地は米軍にも自衛隊にも貸した覚えはない。死ぬまで闘い続ける」と言った。小柄なおばあさんだけど、誰にも負けない迫力があった。

 集会後、デモをして、演習場へ通じる道に大看板を立てる作業をした。今日はじめて北富士に行ったけど、新宿からバスでたった2時間のところで、アフガニスタンの人たちを殺すための練習をしているんだということがわかった。毎日アフガニスタンの人たちを殺している米軍。そのための練習をさせている日本に住む僕も同罪だと思った。米軍は日本から、世界中から出て行けと思った。自衛隊の人たちは命令に従わないと首になって生活に困るかもしれないけど、勇気を出して派兵を拒否してください。武力による殺し合い、奪い合いのない世界を作るために共に生きよう。

おいしかった手作りのごはん ようこ

 生まれて初めて富士山をみた。すそ野がなだらかな山だった。予定より早く到着したのでキャンプ場を歩いた。基地として奪われた土地に銃弾を浴びるのを覚悟で地元の人たちが馬に乗って入っていって、奪い返し、溶岩の大地に土を運び、木を植えて、立派な森を作った。そこにあるキャンプ場だ。そこを歩いているととても気持ちよかった。その気持ちよさは米軍が山に打ち込む砲弾の音で一瞬のうちに消された。お腹や心臓に響く、ズドーン!!という音。ブッシュ大統領や小泉首相が何を言っても、この訓練で、この武器で平和は作れないと思った。この砲弾はアフガンの人を殺す為のものだ。
 北富士では50年以上も基地をなくすために闘っている人たちがいる。「忍草母の会」。もう80、90代のおばあちゃんだ。
母の会の人たちがご飯を用意してくれていた。手作りのご飯だ!栗が入ったおこわ、ゆで卵、大根、こぶ、レンコンなどの煮物、おそば・・・。とてもとてもおいしかった!
初めてきた私に「初めてなの?よくきたね。ぜひ、また、いらしてね。遠慮しないでもっとたべなさい」と母の会の天野さんがいってくれた。とてもうれしかった。とても小さなおばあちゃんだけど、大きく感じる。とても凛としていて、弱音なんていう気配がない。こんな人になりたいとおもった。

北富士 桧丸尾 入会の森キャンプ場 案内
交通

★東京・新宿西口から
 中央高速バス山中湖・平野行
 忍野行で「忍野入り口」下車すぐ
★富士吉田駅から
 山中湖・平野行、内野行、御殿場行
 バスで「忍野入り口」下車すぐ
★御殿場から
 河口湖行バスで「忍野入り口」下車すぐ 
キャンプ場料金表

■基本料金
  キャンプ場使用料(1泊)大人=高校生以上 500円
                小人=3歳より    300円
  オートキャンプ(車1台・テント1張り・1泊)  2000円
  普通キャンプ(車なし・テント1張り・1泊)  1000円

■施設利用料金
  あづまや(貸しきり・1時間)          1000円
  杣(そま)小屋(1泊)              5000円

■レンタル料金
  貸しテント(1張り・1泊)大=5人用      2000円
                小=4人用      1000円
  毛布(1枚・1泊)                  200円

※準備に時間を要しますので、半日以上前にお申し込み
ください。
入会の森キャンプ場のお申し込み
 山梨県南都留郡忍野村忍草2206
 入会の森キャンプ場事務所(忍野区会事務所)へ
 手紙または電話(0555−84−2019)で
 お申し込みください。

亀子新聞NO1 ご挨拶 
いつもメールをお読みいただきありがとうございます。根津さんの状況は毎日目まぐ
るしく変わっています。すこしでもリアルタイムに近い御報告がお届けでき、皆様の
支援活動のお役に立てたらと思います。
この度、メール名を「亀子新聞」と名付けました。福山亀子は私のメールネイムで
す。根津さん支援活動の喜ばしい成果を願って、お目出度い亀の文字にしました。ご
意見、ご感想、こんな支援活動しています、のご報告、支援方法のアイデア等々もお
寄せ下さい。 2001.11.1

☆いつもメールをよんでくださる皆様へ
10.22参加報告をお読みいただけたとおもいますが、今回根津さんの農産物と農
薬についての授業が問題にされています。根津さんの話によると、授業監察の日程か
ら、1年生に行った洗剤の授業も含まれるかも知れないとのことです。その報告を聞
いて、その場にいた支援者(私も含めて家庭科教師ではありません)から「そんな内
容まで問題にされて、どうやって家庭科の授業をすればいいのか!」と驚きと怒りの
声があがりました。

前回は共修家庭科の精神とも言える、性差別をなくすための授業、今回は生活に密着
した農産物の農薬について、とまあ、これでもかこれでもかという感じです。7月に
毎日新聞で連載された「家庭科は今」の中で、「社会に順応して生きる力でなく、生
きていくために社会を変える力をつける」「生活に根ざした授業をすればするほど、
教科書通りでは物足りなくなる」等、家庭科の本質をつく指摘がかずかずの実践報告
と共にありました。

広がりをもつことが家庭科の授業の特質とすれば、今学校現場で多くの家庭科の教師
が、厳しい管理状況のなかで、すこしでもより良い授業をとがんばっているものが、
根津さん同様すべて「指導力不足」にひっかかってしまいます。家庭科の受難の時代
が既に始まっていると強く感じています。

いつもメールで情報を送りっぱなしなので、特に現場の家庭科教師の方はどのような
感想をお持ちなのかおしらせ下さい。勿論教師でない方の感想もお待ちしてます。
亀子新聞NO2  2001.11.2          緊急通知
根津さんに来週中に判定が出されます。

2001年11月2日15時、根津さんの第4回弁明の手続きが急きょ、京王線笹塚
駅近くの東京都就学相談所で行われることになり、支援者25名が急ぎ集合した。徒
歩3分程の所にある相談室入り口には、都教委の腕章をした国正服務係長が立ち、ド
アの中にも2人の職員が立っていた。根津さんと法定代理人の萱野氏のみが入館、支
援者は傍聴を求めたが拒否された。東京教組も立ち会い出来ず、皆、玄関横の駐車場
で待機した。このころ更に支援者が増え36名になった。東京教組はいつの間にか帰
られたようだ。16時45分根津さんと代理人が退出し、即座に玄関がロックされ
た。その後、駐車場で報告がなされた。すでに日が暮れて肌寒くなっていた。(内容
要約)

―10月4日と22日では求める弁明の内容が異なり、今回22日の内要についての
弁明になった。その際本人作成の「弁明2」の書類が提出され、それにそって説明さ
れた。

都教委からは森、井出、新井3氏の人事部指導方が出席した。そして「指導力不足」
に関してより、職務命令がより問題にされた。又今回も正式な職務命令書でなく原田
室長サインの書類コピーのみ見せられた事、弁明の手続きの場の設定が早急な事など
は、校長、市教委が伝達を故意に操作していることが判明した。こうした事がいまま
でも随所にあったことを訴えた。

法定代理人の萱野氏から、意見書をさ来週提出の申し出を受けた都教委は、来週中に
判定を出すことを通告した。更に都教委は、あくまで意見書には関係なく判定を出す
こと、今回は本人の申し出により文書にかわる最後の機会であること、弁明でもなく
事情聴取でもない意見を聞く会である事などを説明した。この間都教委ではなく何故
か市教委の担当者がテープを回し記録していた。―

待機していた支援者から新井人事部職員課長に、29日提出の意見書の回答を求める
要求が再三出されたが、最後まで現れなかった。

その後支援者は、今後の緊急支援活動の話し合いのため別の場に移動した。

支える会からの日程のおしらせ
☆11月8日(木)*11:00〜第4回石川中裁判 終了後、裁判報告、近況報告
亀子新聞NO3
2001.11.3                                 
       

   緊急  支える会事務局からのおしらせ

支える会、支える会をご支援くださる皆様へ

私たち市民としては、この1週間、「判定会」開催に抗議していきましょう。

 根津さんに、無理矢理「指導力不足教員」とか「不適格教員」というレッテルをは
るのは、やめてください。「判定会」にかかるようのことは、何もありません。むし
ろ卑劣かつ杜撰なやり方で、根津さんを教育現場から排除しようとする、校長・市教
委こそ問題にされるべきです。この際本当に子ども達のことを思うのなら、子ども・
保護者を混乱させ、学校現場を混乱させた多摩中学校管理職と多摩市教委に対し、厳
重な注意を与え、1日も早くこの混乱を終息させるように、との助言をして下さい。
・・・等の趣旨で、都教委に働きかけたいと思います。はがき・手紙・FAX等を沢
山都教委におくりましょう。

 また、全国で、根津さんを心配している方々、「指導力不足」「不適格教員」作り
を危惧している方々にも情報を送り、協力を得ていきましょう。メールなどでどんど
ん広げましょう。「判定会」をひらくな!の声を都教委に届けましょう。

 根津さんを判定するのは、やめて!

(例)根津さんを学校現場から、はずすのはやめてください。

   子ども達も見ています。
   保護者も市民も真実をしっています。
   根津さんに判定会は必要ありません。
   判定会が必要なのは、管理職と市教委です。
   都教委は公平は態度で、慎重に、対処してください。 

抗議先 東京都教育庁 〒163−8001

     新宿区新宿2−8−1 都庁第二庁舎

      東京都教育庁  教育長 横山洋吉

             人事部長 中村正彦

    電話 職員課          03−5320−6791 

      新井清博 職員課総括課長  03−5320−6790

    FAX             03−5388−1725

(総務部・教育長宛のFAX番号ですので、教育長名、人事部長名を必ず併記して下
さい)

今後のスケジュール 

11/5(月)か6(火)都教委に出してある、質問の回答を貰うと同時に、「判定
会」を

ひらくべきでないという、申し入れをしたいと思います。

 11/7(水)午前中、萱野弁護士が「意見書」提出予定
 (もし可能なら、再度市民としても、申し入れをして、その後同席で記者
会見をする。・・検討中です) 

 11/7(水)14時〜多摩でビラまき

 11/8(金)11時〜11時30分  石川中裁判(八王子地裁)     

ペチャンコ日誌
 ペチャンコの親父は傷痍軍人だった。戦後の混乱の中、食べる為に足を引きずって働いていた。この親父が一人
ぼっちのペチャンコを引き取って育ててくれた。自分の子供を育てるのも大変な時代に親のない子を引き取るのは
相当勇気の要ることだったに違いない。この親父に迷惑をかけてはいけないとペチャンコは少女時代から夢中で
働いた。

 学校から帰るとアルバイトをして、子守り、商店の売り子重いものの配達から土方仕事のまねまでして飲料水の
ビンが沢山入った木箱を重ねて運ぶ仕事はいいお金になった。長じてはおやじが面倒見ていた女性のおしもの始
末、トイレに行く時もちあげておしっこさせたり、びっこをひきながら一生懸命頑張った。

 ヤジくんを産んで育てて一人前にして社会に送り出すまでどれだけの苦労があったか。食べるものをけずって着る
ものもあまり買わずにぎりぎりの生活の中でも夢中で頑張れたのも親父が居たからだった。

 だから親父が死んだ時心の中にぽっかり穴があいてしまったような気分だった。

 これからも心の隅に親父は生き続けるだろう。親父 天国で孫のヤジ君を見守ってください。明るく素直に、少しも曲
がらずにまっすぐ成長したヤジ君に守られて心安らかに生きていけるぺちゃんこ。親父 苦労をかけました。もう一度
生まれ変わってきてもやっぱり親父の娘として生きて親孝行したいと思います。

 本当に親父ありがとう。お世話になりました。これからも見守ってください。いつまでも親父のことは忘れません。足が
痛くて我慢できない時に親父に甘えたい。
ペチャンコ日記その2
 戦中戦後の混乱の中、沢山の子供たちが食べ物もなく、栄養失調で死んでいった。ダビにふす燃料もなく、りんご箱や
みかん箱の木切れを燃やして子供たちは燃やされた。広島と長崎で沢山の人が死んだけれどそれ以前に東京のような
大都市は爆撃されて焼け野原だった。

 沢山の亡骸が放置され日本は終戦以前にもう負けたのと同じだった。それでも天皇以下重臣たちはギブアップしなかっ
た。さらに銃弾爆撃は日本のあちこちで行なわれ、沢山の負傷者が出た。

 涙なくしては語れない、悲しい物語。戦争はもう沢山だと国民の皆が早くこの戦いの終わるのを待っていたのに・・・悲し
みは深くても天皇には届かなかった。彼らは壕の奥深くもぐり国民の声は容易には届かなかった。

 あまりにも残酷な物語ペチャンコは生き証人になって語りたい。もう少し早く戦いが終わっていたら原爆は落ちなかった。
エバッチが「街」の2階でペチャンコにこう話していた「いっつもペチャンコ日記よんでます。
弦さん日記とこれははずせへんねー」それでぺちゃんこははりきって2つも書いちゃいました。

日本社会臨床学会秋の学習会に参加した感想     しんかめ
 まず一言「いやあ疲れました。」一人目の渋井氏、2人目の冨田氏の発題は内容が濃すぎて、聞いているだけで精一杯。
3人目の江端氏に至っては迫力がありすぎてびっくり、更にお腹がすいてきて腹時計が鳴る始末。

 無事に家に帰り着いて一言「やっぱりカセットテープに録音しておいてよかった。あとで聞き直せばいいんだ」 以上しんかめでした。

11月2日(金) 街日誌「報復戦争反対ライブ」ほか/辻つじ反戦流し かわら版26号/11.3 ライブ&ピースウォーク「今すぐ戦争をやめて!!」in井の頭公園

11/2 「報復戦争」反対ライブ
みんなで、アフガニスタンへのカンパを呼びかける
ヨッシーが新曲を歌って、アフガンへのカンパを呼びかけた カンバ箱を持ってカンパを呼びかけるちゅーやんと、
仁くんもヨッシーと一緒に、タンバリンを持って唄った
歌のあいまに、前を歩く人に声をかけてよびかける
沖縄から帰ってきたようこさんも、店の前に立って訴える
街のお客さんは、買い物をしたおつりをカンパ箱に
入れていってくれた。
この度、ありちゃんもグループホーム「洋平とジュゴンの家」
のメンバーとなりました。メンバーとして洋平くんに受け入れ
られ、握手する2人。
三線の師匠の金城孝さんにいただいたカニをみんなで
食べる。今日は関ちゃんもやってきた。関ちゃんも再度
沖縄に行くことを決意!関ちゃんの沖縄行きをカニで祝った

10/31 洋平君たんじょうび!! 紙芝居「私は無実」
つばをとばさないようにろうそくの
火を吹き消す洋平21歳
ビンラディン氏のような東君もやってきた
お客さんもボランティアさんも買い物に夢中で見てくれないのに
    やっている人は真剣です
10月31日(水)

 昼食はまことさんとヨッシーで作った。今日は、チーちゃん、みな川さん、田中さん、石川さんがボランティアに来てくれた。寄付していただいた品物が山と
なっていたが、ボランティアさん達があっという間に値段付けをして品出ししてくれた。

 お茶の時間は洋平君の21歳の誕生パーティーをした。ちゅーやんがケーキを焼いて持ってきてくれた。みんなでハッピーバースデーを歌った。その後、
紙芝居「私は無実」をみんなで上演した。がんちゃんが石川さん役で、仁くんがナレーターをやった。洋平君は裁判長役だった。お客さんはたくさんいたけ
ど、誰も見てくれなかった。力不足を痛感した。もっとみんなで練習をしよう!!と思った。

 今日もみんな本当によく働いた。夕食はちゅーやんとトミタさんが鳥の塩焼きとかぼちゃとあずきのいとこ煮と横田さんからいただいたマツタケで作った
松茸ごはんだった。杉本さんが遊びに来た。金城先生が来て、珍宝堂の社長と旅行以来の再会を果たした。トミタさんは街日誌の整理をした。


10月30日(火)
 今日は、たかちゃんとヨッシーで、肉じゃがを作った。たかちゃんは手際が良くて、料理が終わったあと、台所がキレイになっている。
お客さんがたかちゃんに「あらー、おいしそうな肉じゃがね」と言った。たかちゃんは「幸せな気分やわ」と言った。

 朝から閉店まで、お客さんがたくさん来てくれた。たかちゃんは店の外で食器の値段付けをした。新カメさんは、壊れていた棚を修理
した。さぎりちゃんは、レジをやりながら積極的にお客さんに戦争反対の署名とアフガニスタンへのカンパを呼びかけていた。

 ジュゴンの家日誌のにソラちゃんの顔が出ていたのを見て、革命は起こるんだとヨッシーは思った。がんちゃんも変わった。みんなが
彼をリーダーと呼ぶようになったが、彼は照れてイヤがるので、それはやめた。

洋平日記
10月30日
31日(水)はたんじょうび かみしばいの日はあした。
11月1日
10月31日で21さいになりました
ヨッシーといっしょでよかった


かわら版辻つじ反戦ながし かわら版26号

犯人に照準を定めた武力行使であっても、
私たちはあらゆる戦争に反対します!


 アメリカ・バークリー市議会が全米で初めて、空爆中止を求めた。

 「米国は可能な限り早く爆撃を止め、テロ事件の責任者たちに法の裁きを受けさせる」ための決議を採択したところ、インターネットなどで世界中に配信されたこのニュースを読んだ人たちの、大量の抗議の電話やメールが市に殺到したと言う。炭ソ菌の新たなテロの恐怖にみまわれているアメリカで一市議会がこの決議をあげるにあたっては、一人ひとり相当の決意を要したに違いない。

 アメリカの中東政策こそがテロを生んでいる元凶だというのに、アメリカ政府はその根源を正すことなく報復という名の戦争を続けている。武力制裁がテロを根絶できないことなど百も承知の政治家たち。そして、メディアはこぞってテロ報復賛成報道を繰り返し、テロに対する人々の恐怖が戦争行為を後押ししてしまっている。

 日本政府も、アメリカに追随しこの「戦争」に参戦するための「テロ対策特別措置法・自衛隊法改正法」案を今国会で成立させ自衛隊の派遣を準備している。

 このような状況の中ではさまざまな場所から発せられている「戦争反対!」の声はかき消されてしまうかもしれないが、一日も早くこの戦争を止めさせなくてはならない。こうしている間にも罪もないアフガンの人たちが殺されていってしまうのだ。

 私たちは日々の生活に追われ、「アフガンの人たちの戦争を想像し痛みを自分のものとする」ことから逃げてはいないだろうか?

 いま、私たちに求められていることはバークリーの人たちのように「戦争反対」の声を具体的なものに、大きなものにしていくことではないだろうか。

 今すぐに戦争をやめさせ、犯人は法の裁きを受けさせること。そしてテロの根絶のために、国連が指導制を発揮して、パキスタン問題や、途上国の貧困問題にも真剣に立ち向かっていくべきことを、自分たちのすんでいるこの場所から、みんなで声を出していきたい!(Y.Y)

教育委員が会派枠で決められていいの?

 国立市9月市議会は、教育人事でもめ、議案がまったく審議されないで閉会しました。ことの始めは、任期が切れる教育委員の選任について、自民党、公明党、民主クラブが、現職委員に再任するように強く要望したことにあります。

 現職委員は、重野和夫氏、伊藤和美氏です。市長提案では、重野氏を再任し、もう1人は新しい委員を選任しようという案でした。伊藤氏は、中学校の歴史教科書や公民教科書選定時に、「扶桑社の教科書がもっても子どもたちに相応しい教科書である」と発言した教育委員です。扶桑社の教科書は、世界的に特にアジア地域において、歴史認識に問題がある、と批判を受けた教科書です。自民党は、重野氏と伊藤氏のペアでなければ、議会での同意はないとし、公明党、民主クラブはこれに追従しました。

 国レベルでは、公明党、民主党ともに扶桑社の教科書に否定的な姿勢を示していたはずですが、なぜ、国立市では伊藤氏を推薦する自民党に追従するのでしょうか。

 10月臨時議会での民主クラブの風間議員の発言から分かったことは、教育委員の選任は、各会派枠があり、今回の改選は、自民党枠と民主クラブ枠である、ということです。自民党枠が伊藤氏ならば、重野氏が民主クラブ枠になります。推測するのに、民主クラブは、自民党、公明党と組んで、絶対多数を議会でとり、既得権を確保しようとしたように見えます。でも、おかしいですね。

 扶桑社と関係の深い集会に出席した、自民党の高田議員は、「会派枠は、昔からない」と発言していたようですが?(S.H)

平和の木に寄せられた メッセージ

★戦争は何も生まない!
★人が死ぬのはやだー。
★「人を傷つけてはいけません」幼稚園の時に教わりました。当たり前ですよね。
★アメリカ(=ジャイアン)「やられたらやりかえす!ぶっとばしてやる」 日本(=のび太)「そうだ、そうだー」 ドラえもんは現実世界にはいない。
★今戦争協力にNOを言わないでいつ言うの? 報復戦争反対!
★アメリカの「報復」もテロと同じです。テロの連鎖を止めるべきです。
★人が人を殺すことは絶対にだめ! アメリカは戦争をするな!
★日本は憲法9条で平和に貢献すべき
★戦争ぜったいに反対! 小5
★報復もテロもイヤ! 戦争ではなく、世界中の人々に豊かさを分けてほしいナ!
★戦争反対! こまる。 小5
★テロ国家アメリカは、もう武力行使やめろ!
★N.Yで死んだ人と、アメリカによる空爆で死んだイラクの人と、生命の生命の重さがこんなに違うのはなぜだ。
★戦争と暴力の20世紀は何だったんだろう? 憎しみの連鎖で幕を開けた21世紀に思う。

次回は11月25日 13時45分から
日時:毎月第4日曜日 13:45〜/集合場所:国立市一橋大学東門前/雨天でも実施します。

11.3 ライブ&ピースウォーク
「今すぐ戦争をやめて!!」

アフガニスタンに平和を!
アメリカは「報復戦争」をヤメロ!


空爆・戦争の即時中止を!

 米英軍によるアフガニスタンへの空爆が開始され、ついに米軍特殊部隊による地上戦も始まりました。連日の空爆で、一般市民に多くの犠牲者が出ています。

 しかし、ビンラディン氏が「テロ事件の首謀者」である確定的な証拠はいまだ何も明らかにされていません。まして、タリバーン政権がアメリカを攻撃した事実もありません。にもかかわらず、事件の真相究明すら果たさず、独立国アフガニスタンに攻撃を行なうのは、アメリカによる侵略にほかなりません。アメリカは空爆・戦争を即時中止すべきです。

アフガニスタンの惨状は大国がつくった

 22年間に及ぶ戦争と3年間続く大かんばつでアフガニスタンの人々は餓死の危険にさらされています。そもそも、この惨状をつくりだしたのはソ連とアメリカの両超大国です。

 1979年、ソ連はアフガニスタンに侵攻。これに対抗するアメリカはアフガンの軍事組織に資金援助をしました。しかし、アメリカはソ連撤退後は「もう用なし」とばかり、復興援助もせずにアフガニスタンを見放しました。その後は「テロ支援国家」に指定して経済封鎖を続け、疲弊しきった小国に今度は「報復」戦争を仕掛けたのです。

11.3 ライブ&ピースウォーク
今すぐ戦争をやめて!!
11月3日(土・祝日) 午後1時半開場
井の頭公園野外ステージ
主催 アメリカのアフガニスタン攻撃に反対する学生・市民の会

むさしの市民の党
ニュースNo.30 2001年10月26日
カンパ振込先:郵便振替 00130−0−3218「むさしの市民の党」
〒180−0013 武蔵野市西久保1−5−10 福留ビル2F TEL0422−55−4114 FAX55−4115
10月のDへ 11月のAへ

「街」日誌の頁に戻る
inserted by FC2 system