オープンスペース街・日誌
2001年10月その@
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10月16日(火) 
今晩遅く、「街」ご一行様とハネやん&則子さんは、東京に戻りま〜す。

 日本政府への緊急要請
 2001年9月11日。ハイジャックされた民間航空機が、ニューヨークの「世界貿易センター」ビルに激突、富と繁栄を象徴する巨大ビルが炎上・崩壊し、同時に5千人以上の市民と乗客が犠牲になりました。その映像は繰り返し放映され、世界中の人々に傷ましい記憶として焼きつけられました。

 ブッシュ大統領は、同時多発テロに対する報復戦争を同盟国に呼びかけ、「自由と民主主義を守る正義の戦い」と宣言し、アフガニスタン戦争を開始しました。そして、EU諸国も「集団自衛権」を理由に参戦しました。日本政府は「ショウ・ザ・フラッグ(日の丸を見せろ)」と言う米国の強い要請に応えるように、自衛隊法を改悪し、テロ対策法を制定し参戦準備を進めています。

 キリスト教圏の欧米諸国とアラブ・イスラム社会の前面衝突は、第三次世界大戦の撃鉄を引くことにつながりかねません。このような狂気が世界を席捲することに、私たち沖縄県民は底知れぬ恐怖を感じています。

 アラブ・イスラム社会の千年以上にも及ぶ戦争の歴史、大地を奪われ家族や同胞が殺されていく悲惨、差別と抑圧の苦難と怨念は私たちの想像を絶するものがあります。報復戦争をやめさせ、このアラブ・イスラム社会の歴史の事実を重く受け止め、富を分かち合い貧困をなくしていく努力にこそ、平和的解決の糸口があると思います。市民が殺され、老人や子供たちが瓦礫の中で餓死ていく悲惨な状況のどこに「正義と平和」があるのですか。いかなる理由があろうとも、自らの命を軽んじた自爆テロや、組織テロ、国家の報復テロなど、どんな暴力もあってはなりません。なぜなら、人々の幸福は、さまざまな暴力により常に打ち砕かれてきたからです。

 この50年間の米国政府は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そしてユーゴ戦争を仕掛け、今度は「善と悪の戦い」「新しい戦争」だと暴言しアフガン戦争を始めました。そのたびに沖縄の基地から爆撃機が出撃しました。爆弾が投下される国の向こうに、この島の基地の影が重なるようです。ゆえに押し付けられた在沖米軍基地がテロの標的になる可能性は大きいと言わざるをえません。しかし、テロの恐怖以上に、多くの命を奪い、悲惨を繰り返す戦争への加担を否応なく強いられることの辛さ、やめさせる事のできない悔しさ。これがこの沖縄県民の真実の声なのです。

 テロ発生の6日前に、アメリカ政府は「沖縄など、在日米軍基地にテロの危機が迫っている」との情報を日本政府に知らせたようですが、沖縄県民には知らされなかったようです。日本政府の卑劣な仕打ちに憤りを感じました。
しかし、50年以上もの長きに渡り米軍基地と共に危険を押し付けられ、差別され、米軍の卑劣なやり方に歯軋りしながら耐え、平和・人権・環境を守るために闘ってきた、私たちウチナーの先人たちは、、私たちに最も崇高な教えとして『命どぅ宝』を語り伝えてくれました。いまこそ世界中がその事に目覚め、平和に共に生きる世界をめざすべき時ではないでしょうか。人類は、何千年にもわたり戦争、殺戮、破壊を繰り返し、いったい何時になったら「もう、うんざりだ」と言って武器を捨てるのでしょうか。

 今こそ日米両政府は、『命どぅ宝』の精神を持って、正しい方向に進路を変え、平和と調和の中に生きることの出来る、国際政治と外交を行うべきです。                           
 私たちは、日本政府に怒りの抗議をすると同時に次の事を要請します。
1、私たちは、「テロ対策特別措置法案」「自衛隊法改正案」に反対します。
1、日本政府は、憲法9条の精神を尊重し、武力によらない「平和と共生」の世界秩序の回復に努力して下さい。
  2001年10月16日
                  東アジアの平和・人権・環境を守る沖縄満月まつり実行委員会
                           代表  高江洲 あやの
                  心に届け女たちの声ネットワーク              
                           代表  国政 美恵


中村哲氏の講演記録
9月30日、福岡市中央区薬院の河合塾福岡校において、パキスタン北西部およびアフ
ガニスタンで医療活動をしているNGO「ペシャワール会」
http://www1.meshnet.or.jp/~pesyawar/ の中村哲医師の講演会「孤立のアフガン」
が開かれました。その講演の内容を記憶をたよりにまとめました。細かい所は間違い
があると思います。

 マスコミの報道とは大分違うではないかという印象を持たれると思います。

 なお、感心することがありました。当日約1000人の市民が詰めかけました。教室に
入りきれない一般の聴衆を見て学校側は、講演を聴きに来た塾生に、あとで録画した
ビデオを見せるから退室するように、と告げました。すると塾生たちはさっと退室し
ました。本来は塾生のための講演会です。まだまだ若者は捨てたものではありませ
ん。
以下、転送歓迎

 中村哲氏の講演会 「孤立のアフガン」
            福岡市中央区薬院・河合塾にて 2001年9月30日

1 「報道管制」は不可能。
 タリバーンは報道管制を敷いていると欧米や日本のマスコミは言います。しかし、
アフガンではこれは不可能なことです。なぜならば、電気が通っていない村が圧倒的
に多いからです。つまりテレビがありません。徒歩でしか行くことができない村も多
い。3000メートル級の山岳地帯が大部分のアフガンで、そのような統制ができること
は考えられません。

 アフガン人の多くはBBC放送のパシュトゥー語ラジオを聞いて、わりと正確に今
回の米国における同時多発テロを把握しています。
 なお、このテロ事件のニュースが伝わった際、アフガン人のほとんどはテロリスト
を強く非難し、犠牲者への哀悼の意を表しました。しかし、テロを指揮したとされる
ビンラディンが潜伏しているのでアフガンへ報復攻撃をするというアメリカに対し
て、今までにないけた外れの敵意を抱いています。

2 「女性への抑圧」の実体。
 タリバーンは外出する女性に、ブルカ(チャドル)の着用を義務づけています。こ
れが欧米の人権活動家には女性抑圧の最たるものと映っています。しかし、ブルカ着
用は農村部での常識です。農村出身者が多いタリバーンは農村の常識を、都市部で強
制しているにすぎません。

3 大変親日的なアフガン人
 どんな山奥の小さな村に行っても、広島・長崎に原爆が投下されたことを知らない
人はいません。アフガン人たちは、自分たちの国を侵略したロシア・イギリスと戦っ
た日本に好意を持っています。もっとも、日本についての正確な知識はほとんどあり
ません。真顔で「日本まで歩いてどのくらいかかるのか」と聞かれたことがありま
す。(笑)それはともかく、アフガン人の間に外国人排斥の動きがあっても、日本人
は例外とされてきました。このおかげでペシャワール会の活動がどれほど助けられた
かわかりません。

 しかし、今回の米国の報復に日本が協力を表明したことで、アフガン人の親日度が
下がることは間違いありません。

4 誇り高いアフガン人

  アフガン人たちは、ロシア・イギリスの度重なる侵略を自力で跳ね返したことに誇
りを抱いています。そして、統一国家アフガニスタンを指向する気持ちが根強くあり
ます。そのアフガニスタンは多民族国家です。パシュトゥー人、ウズベク人、タジク
人、日本人によく似た顔立ちのハザラ人から成っています。その彼らをまとめ上げて
いるのが、統一国家アフガンへの思いとイスラーム教です。
 
ただし、統一国家といっても近代国家のそれではありません。江戸時代の幕藩体制
のようなものです。

5 アラブ人への感情。
 知っての通り、アフガンのタリバーン政権はアラブ人のオサマ・ビンラディンをか
くまっています。これは彼が旧ソビエトと戦ったことと、異国から来た客は丁寧にも
てなすアフガンの伝統からです。その客人をアメリカに引き渡すのはとんでもない、
と普通のアフガン人は思っています。しかし、だからといってアラブ人に対する感情
は良いとはいえません。

6 250円と8円の命
 アフガン・パキスタンでは、250円の薬が買えないためにばたばたと人が死んでい
きます。しかし、扁桃腺が腫れただけでロンドンやニューヨークへ飛んで診察しても
らう金持ちがいます。彼らは日本の小金持ちがびっくりするほどの財産を持っていま
す。
 その一方、一発の銃弾の値段は8円です。8円で人殺しができます。

7 BBCヒーロー
  一九七九年にソビエトがアフガンに侵攻した際、多くの人々が村や家族を守るため
にゲリラとなって戦いました。外国のマスコミが取材に殺到しました。報道によって
ゲリラの中から日本や欧米で有名になった者が出ました。彼らはBBCヒーローと呼
ばれています。BBCとはイギリスのテレビ・ラジオ局で日本のNHKにあたりま
す。アフガンにおける外国マスコミの代名詞です。そのいわば作られた英雄の中で、
日本でも有名なのが米国同時多発テロの二日前に暗殺されたマスードです。しかし、
彼はひどいことをしました。ソビエト軍撤退後の内戦で、タジク人の彼は対立するハ
ザラ人の村に無差別攻撃を行い、多くの人々を虐殺しました。 

8 アフガンは地球温暖化と国連経済制裁の犠牲者。
 私がアフガンに来た17年前と比べると、この地を東西に横切るヒンズークシ山脈に
降る雪の量が目に見えて減っています。それで雪解け水の量も激減しています。降雨
量も同じです。地下水の水位が下がっています。
 昨年アフガンは史上最悪の旱魃に襲われました。雨が一滴も降らなかったのです。
川は干上がり、井戸は枯れました。田畑や牧草地は乾き、砂漠になりました。多くの
農民や遊牧民は難民となり都市に流れ込みました。廃村が続出しています。この飢餓
と水不足でこれまでに約100万人が餓死したと言われています。このことは全くと
いっていいほど先進国では報道されませんでした。それどころか、米国や国連はアフ
ガンをテロ支援国家に指定して経済封鎖を続けました。そのために被害はひどくなる
一方です。その上に米国の報復攻撃です。崩壊寸前の小国を相手に国際社会、すなわ
ち欧米諸国は戦争をしようとしています。一体、米国は何を守るために戦おうとして
いるのでしょうか。 

9 難民収容所と化した都市。
 先に言いました旱魃によって首都カーブル(カブール)やジャララバード、カンダ
ハルなどの主要都市は都市全体が難民収容所になりました。そして今回の米国の報復
攻撃を恐れて、お金がある人たちはパキスタン国境に殺到しています。都市に残って
いるのは、どこにも行く当てがない本当に貧しい元農民や遊牧民ばかりです。
 パキスタン政府は国境を封鎖したと言っておりますけれども、1500キロもある
国境線を見張るのは不可能であります。検問所を避けて、徒歩で3000メートル級
の山を越えてパキスタンを目指しているのが現状です。その山越えで年寄りや子ども
がたくさん死んでいます。

10 今回の事件は「終わりの始まり」
 今回のテロ事件は終わりの始まりだと私は思っています。経済的繁栄と安全が両立
する社会が成り立たなくなったのです。今、日本は少し貧しくなっても安全に平和で
暮らせる社会か、豊かだけれども危険と隣り合わせの社会のどちらかを選択しなけれ
ばならなくなったと私は思います。

11 小泉首相を対米協力について。
 
 小泉首相の支持率は80パーセントだと聞いています。その彼がアメリカの報復行動
に できるだけ協力するとブッシュ大統領に約束しました。この事は重く受け止めな
ければなりません。大多数の日本人が支持した政治家の選択です。これは日本人の選
択なのです。

12 私だってテロに走りますよ
 アフガンの人々は、仕事は無い、家も無い、お金も無い、食べ物も無い、飲み水も
無い、何もかも無い無いづくしの状況に追い込まれています。助けを求めても、豊か
な先進国は手さしのべようとはしませんでした。声を聞こうとさえしなかったので
す。徹底的に無視されました。そんな絶望的な状況に追い込まれたら、私だってテロ
に走りますよ。

13 日本は平和憲法を全面に押し出すべき
 日本は憲法9条を全面に押し出すべきです。「我が国は憲法によって戦争に今回の
参加することはできません」とはっきり言えばいいのです。それで日米関係が悪化し
て経済的に不利益を被って少し貧しくなってもいいと私は思います。アフガンに比べ
ればどうってことはないですよ。

14 むしろ米国や日本の方が報道管制を敷いている

 
日本に帰って驚きました。マスコミの報道があまりにも一方的だからです。タリ
バーン=悪者、北部同盟=よい子、悪の権化ビンラディンをやっつける正義の味方ア
メリカ、という図式で報道しているからです(笑)。冷静さを失っているようです。

 タリバーンというのは「神学生」という意味です。農村の普通のおっちゃんや兄
ちゃんが(笑)がメンバーです。

 アフガンでペシャワール会が旱魃対策のため井戸掘りをしていた時です。一緒に井
戸を掘っていた村人が、「タリバーンに気をつけろ。武器を持っているからな」と注
意してくれました。その人自身もタリバーンのメンバーです(会場大爆笑)。ただ、
タリバーンを構成しているのが、アフガンの多数民族であるパシュトゥー人が中心で
あるため、少数派のハザラ人やタジク人と対立していることは事実です。私もハザラ
人と間違えられて、頭に銃を突きつけられたことがあります。

 15 復讐法について。
 アフガン人にとって法とはイスラム法と復讐法です。野蛮の代名詞とされている復
讐法については説明します。

 アフガンはシルクロードの十字路であるため、古代から現在にいたるまで戦争が繰
りかされました。「やられたらやり返せ」をしないと生き残ることができない土地で
す。

 話が脱線しますけれども、アフガンと同じように戦乱が絶えなかったパレスティナ
に生まれ育ったイエス・キリストが「汝殺す無かれ」と説いたのはとてつもないこと
でした。生き残るための復讐を禁じたというのは実に極限状態の決断なのです。

 私も似たようなことがよくあります。無医村へ診察に行きますと、びっくりするほ
どたくさんの人々が集まります。行列ができます。待ちきれない人々が怒って投石を
します。発砲することも珍しくありません。アフガンでは内戦が続いているので多く
の人が銃を持っています。ロケット砲を打ち込まれたこともありました。幸いはずれ
ましたけれども。(笑)また、援助団体の派閥抗争に巻き込まれて、謀略にはめられ
かけたこともあります。そのたびににアフガン人スタッフは怒って、仕返しだ、やり
かえせ、といきり立ちます。そのたびに私は「復讐をしてはならん」と言います。す
ると彼らは目を丸くして「仕返しをしてはならんですって!ドクターは正気か」と驚
きます。私は「復讐をすれば必ずあとで仕返しを受ける。今は我慢だ」となだめま
す。これを17年間やってきました。

 また脱線しますけれども、アフガンを含むイスラム教圏において、イエス・キリス
トは、ムハンマド(マホメット)に次ぐ預言者として崇拝されています。なお、私も
一応クリスチャンです(笑)。

 16 募金の行方
 ユニセフなどの援助団体に寄せられる募金の9割は、組織の維持のために使われま
す。残りの1割しか難民に使われません。それに対して、ペシャワール会へ寄せられ
る募金の9割が実際の援助に使われます。当会は全くのボランティアで運営されるた
めに、それが可能なのです。

17 「教育の貧困」について
 アフガンの農村においては、イスラム教の指導者(村の長老がなる)が寺子屋を開
いて、子どもたちに字の読み書きを教え、クルアーン(コーラン)の暗誦させます。
クルアーンには、人が人としてなすべき道徳や、日常生活の決まりが書かれてありま
す。そして、幼いころから大人と一緒に働いて仕事を覚えます。それがこの国の農村
における教育です。

 よく国連のユニセフあたりがこのような状況を見て「なんたる教育の貧困」を嘆
き、学校を建設し、教育を施そうとします。しかし、私はそれが良いとは思いませ
ん。もし、すべての農村に学校を建設し、子どもたちに先進国なみの教育を施した
ら、学校を卒業した途端に村を捨て都会へ流れるでしょう。ほとんどの村が過疎で
空っぽになることが予想されます。教育を通じて豊かな都会の生活を知るからです。
それは日本がすでに経験したことです。
 
18 なぜタリバーンが政権をとったのか
 タリバーンの兵の数は私が見た所、せいぜい2万人ぐらいです。こんなに少ない兵
力でなぜ国土の9割を支配しているのかと言いますとそれは、平和を求める民衆の止
むに止まれぬ思いからでした。

 1992年4月、ナジブラ社会主義政権が倒れ、ラバニを長とする暫定政権ができまし
た。これがすぐに内紛を起こしたのです。また戦いが起こりました。治安は極度に悪
化し、強盗や殺人が横行しました。人々はうんざりしていました。「もう戦争は嫌
だ。平和が欲しい!」それが民衆の心からの願いでした。そこへアフガン南部のカン
ダハルを拠点とするタリバーン勢力が勃興しました。党派争いに疲れ果てていた民衆
は、タリバーンが平和を回復してくれると期待しました。その期待を受けて、タリ
バーンはあっという間に支配地域を広げました。確かに平和が確立されました。イス
ラーム法に則り犯罪者を厳しく取り締まった結果、治安は見違えるほと良くなりまし
た。

 平和を求める民衆の、積極的とはいえない支持で、タリバーンが政権をとったので
す。  

19 自力で帰国したアフガン難民
 1989年、旧ソビエト軍がアフガンから撤退を開始しました。これによってパキスタ
ンに逃れていたアフガン難民350万人がすぐに帰国するとの観測が流れ、国連は数百
億円の予算(その多くを日本が拠出)を使って難民帰還計画を立てました。これに欧
米の200を越えるNGOが群がりました。しかし、誰一人帰国する者はいませんでし
た。実はアフガンの戦闘がさらに激しくなったからです。生き残りを賭けるカーブル
の社会主義政権と、戦いに勝って新政府の主導権を握りたいゲリラ各派がぶつかりあ
いました。そして、数千万個にのぼる未処理の地雷や不発弾もあります。そのような
実情を無視して、国連や欧米のNGOは机上の難民帰還計画に熱中し、難民たちを翻
弄しました。結局何一つ実現しませんでした。数百億円はどこに消えたのでしょう
か。そして、1990年に湾岸戦争が勃発すると危険だという理由で、彼らの多くは難民
を見捨てて撤退しました。

 その難民たちは、1992年4月にナジブラ社会主義政権が崩壊し戦闘が下火になる
と、自主的に帰国を始めました。

 今でもはっきり覚えています。

 彼らは胸を張り、希望に顔を輝かせて家財道具をトラックやラクダ、あるいはロバ
の背に乗せて、続々と国境を越えて帰還しました。信じられないような光景でした。
夢のようでした。誰にも指図されず、誰の手も借りずに、自分たちの力で故郷へ帰っ
ていったのです。一生あの光景を忘れないでしょう。

(ここまで)
(翌日中村医師はアフガンへ向かいました。井戸掘りを続けるためです。)
 
 中村哲氏の著作
 「ペシャワールにて」・「ダラエ・ヌールへの道」・「医は国境を越えて」(いずれも石風社刊)
 「アフガニスタンの診療所から」(筑摩書房)
 「ドクター・サーブ 中村哲の15年」(丸山直樹著 石風社刊)


16日国会座り込み、国会デモへ
みなさん、こんにちは。
テロ対策特措法・自衛隊法改悪をめぐって風雲急を告げております。
本日、12:00〜衆議院議員面会所で集会、以降は座り込み行動!!!
皆様の反戦闘争へのご参加をご期待して。以下、転載です。

-----------------------------------------------
★自衛隊の「参戦」法案とも言うべき「報復戦争支援法案」をめぐる国会での動きが
急です。この土日にも民主党と与党が「協議」し、修正案で合意するだろうと伝えら
れています。
★15日(月)からの週に衆院特別委員会、そして衆院本会議へと舞台が移ると見られ
ています。
★参議院では、どの委員会で審議するかは未定ですが、修正済の法案なので審議は早
いと考えられます。
★「参戦法」を手みやげにAPECに参加するなどもってのほか! 全力で反対の声を集
めよう!

10月16日(火)
北海道教組が、30名で国会前座り込みを行います。国労闘争団も合流する予定です。
衆議院の定例本会議なので、ここでの採決の可能性が高いと思われますので、市民緊
急行動では昼間の行動も設定します。12:00〜衆議院議員面会所で集会、以降は座り
込み行動を行います。夕方からは、国会デモ(三河台公園18:30集合/19:00〜デモ出
発)です。

★夕方からの国会デモで出発時間に間に合わない場合は、衆参いずれかの議員面会所
前でデモ隊に合流できる可能性もあります。

★主催:テロにも報復戦争にも反対!! 市民緊急行動

★連絡先:許すな! 憲法改悪・市民連絡会(03-3221-4668)、日本消費者連盟
(03-3711-7766)、市民のひろば(03-5275-5989)



10月13日(土) 知念良吉さんライブ/ペチャンコ「沖縄へ行くみなさんへ」/『最後の選択』の時・高江洲あやの/テロも報復戦争も反対!日本は参戦するな!報復戦争と日本の戦争協力を許さない行動に集まろう!/「報復戦争支援法案」反対!!10/15〜18連続国会行動のお知らせ

明日(14日)から、「街」の旅行で沖縄の「ジュゴンの家」に出発します!! 14、15、16日と、「街」はお休みします。


知念良吉さんライブ・オープンスペース街 10.12
今日は、オープンスペース街で、7時から知念良吉さんのライブがありました。
ライブのはじまり。途中、泡瀬の干潟のパンフレットを出して、自分の住んでいる沖縄市でおきている埋め立て問題
について話しました。
今日は、知念さんの隣りで、パーカッション・ベース・三線を演奏してくれた、笹さん。笹さんは、「デコーズ」という
バンドでベースをしています。
太鼓をたたくお客さん。 踊るミヤちゃん。
金本さんは、ハーモニカで参加しました。 ライブが終わったあと、習い始めて2ヶ月という「こきゅう」
の演奏をした金本さん。知念さんと笹さんも金本さんに
合わせて楽器を弾いた。
ライブが終わったあとは、みんなでテーブルを囲んで、お酒を飲みながらお話をしました。
5年前に「街」で半年ボランティアをしていて、作業所の臨時スタッフをしている人が、ひさしぶりに来ました。
作業所で働いている立場からの石原都知事をどう思っているかという話から、作業所での経験の話をしてくれました
知念さんを囲んで、報復テロの話。テロや報復攻撃だけでなく、いじめや環境問題、いろんな問題が小さな戦争と
いえる。それらのあらゆるツケがたまって、今回の戦争になった。僕たちは今、考えなければならない。
ライブが始まる前のみんな。ちゅーやんがおいしい春巻きと中華風肉団子をつくってくれました。

沖縄へ行くみなさんへ ペチャンコ

日本の誇り、ジュゴン泳ぐ、サンゴの島・沖縄で、平和な世界がいつも脅かされる基地の現実。

その中で生きるウチナーンチュの人々。

どうぞみなさんの心の中に、「沖縄の抱えている現実を考えるチャンスなのだ」と、心にとめておいて行ってきてください。

戦争で壊れてしまった沖縄を、50年以上もかかってやっとここまで持ってきた現場の人たち。

祈りを捧げながらペチャンコは遠い空の下で、仲間がしてくれる友好活動がスムーズに進むことを願っています。

沖縄から帰って来たら、たくさんおみやげ話を聞かせてください。

長い旅の終りに、来てよかったと思える、それを祈っています。


『最後の選択』の時
 「ワッ!何これ?すごーい!!」理解不能な予期しない映像が目に飛び込んだ瞬間は、映画でも見ているかのような錯覚に陥りました。しかし、二つ目のビルに同じように飛行機が突っ込んだ時、やっと大変な事が起こっている事に気がつき震撼しました。

 現実以上にリアルな表現を可能にしたコンピューターグラフィクの進歩により、日常的に虚構の世界に慣らされてしまっている私の感覚では、それが確かな現実であり、間違いのない事実であると理解できるようになるまでには、しばし時間を要しました。それから、脳裏をよぎる思考。「とうとう人類最後の戦争が起こってしまった。」「この島もやられるかもしれない。」

 2001年9月11日。ニューヨークの巨大ビルが瞬く間に崩壊していくシーンが繰り返し映し出され、世界中の人々の記憶に焼きつけられました。イスラム社会を差別し、抑圧と収奪をし続けてきた歴史のツケが、怨念の炎となったかのようでした。
 
50年以上もの長きに渡り米軍基地と共に危険を押し付けられ、差別され、米軍の卑劣なやり方に歯軋りしながら耐えてきたウチナーンチュたちは、複雑な面持ちで刻々と伝えられる情報に向き合っていました。

 貧富の差は激しく、家族や同胞が殺されていく悲惨な状況、子供を含む多くの人々が餓死していくと言う苦しみ。そのパレスチナの苦しみを理解できないわけじゃない。それでも、苦しい体験の中からウチナーの祖先は、私たちに最も大切な言葉として『命どぅ宝』を語り伝えてくれました。どのような事があっても人の命を奪うなどあってはならない事です。いかなる理由があろうとも、組織テロや報復の国家テロは許されるものではありません。いまこそ世界中の人々が、その事に目覚めるべき時ではないでしょうか。

 6月29日に北谷町で発生した米兵による暴行事件の後、“心に届け女たちの声ネットワーク”の女性が中心になって呼びかけ、8月10日からスタートした「沖縄金曜集会」。

 韓国ソウル市にある竜山(ヨンサン)基地司令部前はで、米軍への抗議行動として毎週金曜日12時から1時までの1時間、約8年にわたり「金曜集会」が続けられています。

 私たちも同時刻に、事件が起こった時にだけ抗議集会を持つのではなく、日常的に抗議の意思を示し、基地撤去を訴えることが大切という思いで、アメリカ領事館前に毎週集まっています。そして、5回目の9月7日(金)に、在沖縄米国総領事館の副領事から、話を聞きたいとの申し入れがあり、9月11日(火)に非公式対談の運びとなりました。

 内容は、女性グループの組織された背景と目的は?グループの数やメンバーの数は?

 「金曜集会」など、どんな形で呼びかけ集団行動をするのか?活動に対する財政的支援はあるのか?などの質問がほとんどでした。日ごろから正々堂々とオープンにやっていこうと話し合っていたので、正直に『95年の少女暴行事件後立ち上がった様々な女性たちのグループが、名護市への新たな米軍基地建設を許さない、平和で静かな普通の暮らしを取り戻したいと、97年の名護市民投票を契機に合流。自然発生的に生まれたもので、組織されているわけではないので、人数などは定かではない。自主的参加で特別のリーダーはいない。』というようなことを伝えました。通訳を介しての対談は、答えるだけで予定の1時間が過ぎてしまい物足りなさは残りましたが、次回は私たちのブッシュ大統領にあてた要請文に対する回答をして欲しい旨を伝え引き上げました。

 その夜、世紀末を思わせるようなニュース。あまりの出来すぎたタイミングに驚きながらも、14日の「金曜集会」前日には、「領事館前は危なくない?」心配そうな問い合わせの電話に下見に行くなどしながら、喪服での参加を申し合わせ、かなり緊張した面持ちで出かけました。それでもいつものように30人前後集まり、哀悼の意を表して1分間の黙祷を捧げスタートしました。毎回、警察官や私服に監視されながらの集会でしたが、逆に権力の監視のない穏やかな集会となりました。友人に話すと笑いながら「あんたたちにかまっているヒマがなかったわけさ」と言いつつ、「これからどうなるかねー。ようじんしなさいよー。」の声。

 新聞報道などによると、テロ発生の6日も前に、アメリカ政府は「沖縄など、在日米軍基地にテロの危機が迫っている」との情報を日本政府に知らせたが、沖縄県には知らされなかったようです。日本政府の卑劣な仕打ちに憤りを感じました。また、アメリカの報復攻撃準備が着々と進み、司令官発言によると沖縄の基地は「いつでも戦争できる」臨戦態勢に入っているとの事です。基地周辺の物々しい警戒態勢に恐怖が募ります。

 10月8日。とうとう始まってしまった。アメリカ大統領は、まるで映画の俳優よろしくTVで得意げに、アフガニスタンへの攻撃開始を発表。覚悟はしていたものの、ニュースの映像に発射された爆弾が映し出されると、呆然と画面を眺めながら「沖縄からも飛び立ったのだろうか」という苦い思いがよぎる。この50年間アメリカの狂気は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争を仕掛け、今度は「善と悪の戦い」「新しい戦争」だと暴言しアフガン戦争を始めた。そのたびに沖縄の基地からの出撃があり、押し付けられた基地がテロの標的になる可能性は大きい。しかし、恐怖以上に多くの命を奪い、さらなる悲惨を繰り返す戦争への加担を、否応なく強いられることの辛さ。やめさせる事のできない悔しさ。これがこの沖縄の現実。爆弾が投下される国の向こうに、この島の影が重なる。

 表面的には何事もなかったかのように、今までと同じような暮らしを続けながら、飲み込まされた得体の知れない何かが胸の底にたまっているようで、重く鈍い痛みのような感覚が消えません。今、私の上空を轟く様なうねりを上げて戦闘機が飛んでいきます。人類は、何千年にもわたり戦争、殺戮、破壊を繰り返し、いったい何時になったら「もう、うんざりだ」と言って武器を捨てるのでしょうか。

 それでも地球はまわり、私たちは生かされている。正に今が、人類にとって正しい方向に進路を変え、平和と調和の中に生き始める、『最後の選択』の時かもしれない。

                     2001年10月9日   高江洲あやの

★8日未明からの米軍のアフガン攻撃開始という不幸な事態の結果、あす・あさって(13、14日)の行動が、「攻撃開始」後、初の土日の行動となりました。

★しかも、「テロ対策特措法案」「自衛隊法改悪案」を、政府・与党は20日からのAPEC上海会議(ブッシュもアジア太平洋首脳も勢ぞろい)への「手土産」として、19日までに成立させようとしており、まさに緊迫状況です。

★だからこそ、その「容認」を求め、歴史的経緯のある中国(8日)・韓国(来たる15日)への小泉の訪問も、そそくさと進められています。

★待ったなしの今こそ、私たちの平和の意志を大きく示しましょう。
「報復戦争」状況が色濃く影を落としている沖縄、そして韓国・パキスタンなどアジアの人々ともに!

★ぜひとも13日、14日、下記の行動に多くの皆さんの結集を切に訴えます。

テロも報復戦争も反対!日本は参戦するな!
報復戦争と日本の戦争協力を許さない行動に集まろう!
10月13日(土)講演と討論の夕べ

 ● 講演:韓国の闘いと訴え(韓国ゲスト)
           沖縄の闘いと訴え 当山栄さん
                   (沖縄・一坪反戦地主会幹事)
             中東問題・・・伊藤政子さん
                                 (アラブの子どもと仲よくする会)

 ●場所:南部労政会館
               (JR大崎駅前・ゲートシティ2階
                    :JR大崎東口1分、歩道橋でウェストタワーへ
                        ゲートシティの専用エレベーターで2階へ)

 ●時間:午後5時半開場、6時開会(資料代800円)
10月14日(日)集会・デモ
 
 ●韓国ゲスト・沖縄からの報告とアピール
     各地から、労働分野(全労協)、ミサイル防衛反対、
      女性、在日パキスタン人の立場などからのアピールも
   歌:命どぅ宝ネット(沖縄の歌)/ノレの会(韓国民衆歌)も

 ●場所:渋谷・宮下公園(渋谷駅3分)

 ●時間:午後1時集合、1時半開会

 ●デモ:3時出発
     :私たちの思いを多くの人に訴えましょう!
   旗・のぼり・プラカードなどなんでも結構です。それぞれの戦争反 
   対・参戦法案(テロ対法案)反対の声を持ち寄ろう!

 ●統一情宣:正午〜1時(渋谷ハチ公前) 
    可能な方は、ぜひ正午・ハチ公前の時点から集まってください

★主催:報復戦争と日本の戦争協力を許さない行動実行委員会
   (協賛:週刊「金曜日」)

★ 連絡先:(いずれも電話番号)
  沖縄一坪反戦地主会関東ブロック・090-3910-4140
  戦争協力を拒否し、「有事法」に反対する全国FAX通信
                                           03-  5275-5989
  日韓民衆連帯全国ネットワーク・03-5684-0194
  許すな憲法改悪・市民連絡会・03-3221-4668
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★この行動は、世界80カ国の「米国のミサイル防衛戦略に反対する国際行の日(10月13日)」、また米国で9.11以後立ち上がった International   A.N.S.W.E.R  (Act Now to Stop War &Racism) が呼びかける 「戦争と人種差別に反対する 国際行動の日(10月12日〜13日)」と共にする行動です。

★また、553団体の反戦共同声明を出した韓国民衆の運動と連携した行動です。
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参加・賛同団体/個人は長くなるので省略させていただきます。


「報復戦争支援法案」反対!!
10/15〜18連続国会行動のお知らせです。

■国会では「報復戦争支援法案」の審議が始まりました。自民・公明・保守の与党3党は、19日までに法案を成立させようとしています。自衛隊が海外で戦争を行うことになる法律を成立させるわけにはいきません。戦争に反対し、海外派兵に反対し、平和と民主主義を守る私たちの声を国会に届けるため、連続行動を計画しました。ぜひ参加してください。

【国会請願デモ行進】
10月15日(月)時間:午後6時30分集合 7時デモ行進出発  場所:桧町公園
10月16日(火)時間:午後6時30分集合 7時デモ行進出発  場所:三河台公園
10月17日(水)時間:午後6時30分集合 7時デモ行進出発  場所:三河台公園
【衆議院議院面会所 集会】
10月18日(木)時間:正午12時  場所:衆議院議員面会所
※時間・場所が毎回異なります。注意してください。
◎檜町公園 営団地下鉄・六本木駅下車、徒歩10分。六本木交差点から外苑東通りを旧防衛庁方向に進み、旧防衛庁手前の交差点を右折、200メートル先左側。
◎三河台公園 営団地下鉄・六本木駅下車、徒歩5分。六本木通りを溜池方向(渋谷と反対方向)に進み左側。
◎衆議院議員面会所:営団地下鉄・国会議事堂前駅、永田町駅下車
※旗・のぼり・プラカードなどで「戦争反対」の意思を示してください。楽器が弾ける人は楽器を持ってきてください。音楽で「戦争反対」を訴えましょう。
※この集会とデモ行進は、平和を求める非暴力の市民の集まりです。テロや暴力を肯定する方の参加はお断りします。また他の参加団体や個人への誹謗・中傷を禁じます。

主 催:「テロにも報復戦争にも反対! 市民緊急行動」
連絡先:許すな憲法改悪!市民連絡会 電話03−3221−4668
    日本消費者連盟       電話03−3711−7766


10月12日(金) 慈雲堂まつり/シンポジウム 沖縄島のジュゴン・ノグチゲラ・ヤンバルクイナをめぐる国際情勢/根津さん支援の都教委との話し合い報告3

慈雲堂まつり 10.10
10月10日、毎年恒例の慈雲堂まつりがありました。みんなでお店を出しました。

シンポジウム 沖縄島のジュゴン・ノグチゲラ・ヤンバルクイナをめぐる国際情勢 10.10
沖縄のジュゴン・ノグチゲラ・ヤンバルクイナについてのシンポジウムが、10日の夜、文京区で行なわれました。
ありちゃんとようこさんが行ってきました。
名護市議会議員として、名護の議会の状況を説明する
宮城やすひろさん。
地元の意見を言うたくまさん
たくまさんは、「街」で一泊しました。朝ミーティングに顔を
出すたくまさん。
たくまさんのアイデア。じゅごんの里特製シークワーサー

「わたしは無実!」−この差別犯罪を許せますか?−
石川さんに対する差別裁判の紙芝居 10.12
 今日は、石川さんに対する差別裁判の紙芝居を、みんなで練習しました。みんなで役を振り分けました。ありちゃん
は石川さん、ヨッシーは篠田国家公安委員長と関巡査、たかちゃんは教師役と村人、えいちゃんは裁判長、ちゅーやん
は父富造、だいすけ君は傍聴人役、ナレーターはようこちゃん、そして、一番ハマリ役のしんカメさんは刑事・看守役、
人を責める悪役のふりが得意なしんカメさんでした。14日のジュゴンの家の一周年には、「街」の出し物でみんなで
紙芝居をします!!

「街」日誌 10.10
 今日は慈雲堂まつりだ。ちゅーやんとトミタさんは車にいっぱい商品を積んでAM8:30に「街」を出発した。ちゅーやんとトミタさん以外の人は、いつもどおりの時間に店を開けた。AM10:30にちゅーやんとトミタさんが帰ってきて、しんカメさんとヨッシーと慈雲堂に行った。ボランティアの方々が全員集合して、店を出していた。衣類、CD、バックを大量に並べて売っていた。あいにくの雨でしかも寒かったけど、ボランティアの方々は元気いっぱいだった。他にもたくさん出店が並んでいて、大賑わいだった。

 慈雲堂はとっても広い病院だった。隣りの体育館で、患者さんたちが幼稚園生のお遊戯みたいなことをやっていた。僕はひどいと思う。精神病の人たちをなめている。2時過ぎにちゅーやんとヨッシーで慈雲堂の片付けに行った。ミーティングは10/6、10/7に行なわれた反保安処分の集会に参加したジン君としんカメさんから報告があった。最後に前進友の会からのエバッチからのメールをようこさんが読んだ。片付けのあと、ヨッシーは今日も洋平とすもうをとった。
「街」日誌 10.12
 今日は12人も集まって大賑わいだった。午前中、まことさんが犬の散歩へ行った。トミタさんとAちゃんとガンちゃんが引き取りに行った。昼食はちゅーやんが作った。サバの竜田揚げと神保さんが作ってくれたセロリのきんぴらと豚汁だった。夕食も一緒に作ってくれた。メニューは野菜の煮込みと肉だんごと春巻きだった。さぎりちゃんは2階に置いてあった冬物の衣類の中から売れそうなものを1階におろして店に並べた。

根津さん支援の都教委との話し合い報告3

第3回都教委要請行動に参加された方から報告が以下のようにありました。

2001.10.10.

 10月10日(水)10時、激しい雨のなか都庁第2庁舎1Fロビーに支援者20名が集合。前回と同じ杉並都議 福士敬子氏の仲介で28階会議室にて人事部職員課長 新井清博氏他1名との30分の話し合いの場がもたれた。支える会の方から 根津さんを「指導力不足等教員」に認定するという、誤った判断をしないことを求める要望並びに質問書が提出され、説明を求めた。

質問答え要約、順不同

質問)前島校長から多摩市教委に対してなされた申請について、その具体的内容を示してほしい。
答え)処分ではなく、個人情報でもあるので具体的にだせない。判定会もまだ入り口の段階。
質)保護者、生徒の要求により「指導力不足等」と認定する場合の具体的基準を示してほしい。
答)生徒保護者の要求を判断材料とし、適切に指導できているかをみて文部科学省の教育三法(三項目)に従ってきめる。(注、今回はじめて出された見解)
質)根津さんを問題とする保護者の意見はいつ頃から上がってきているのか
答)1月期中ごろから。今もきている。
質)授業監視は通常何回位行われるのか。
答)1回から2回あるいは数回
質)本来学校内できちんと解決すべきものだ。校長のアンフェアーな行動は問題だ。校長に対する事情聴取は行われないのか。
答)市教委がやっている。
質)校長に質問にいった支援者が暴力行為を受けたがその事は把握しているのか。
答)している。
質)多くの人の意見を聞いて欲しい。1135名の署名を市教委に提出したがその事は把握しているか。
答)している。
質)校長が申請を取り下げれば白紙に戻るのか。
答)戻る。
等々

第2次署名締め切りは10月30日ですがお早めにお送り下さい。


10月10日(火) 三里塚闘争/報復攻撃反対デモ、世界中で/10.21横田デモ/根津先生の件で会見

10月7日、ヨッシーとありちゃんの2人は、三里塚闘争に参加しに行った。

10.7 三里塚闘争
成田空港から、アジアの人達を殺す戦闘機を飛ばすわけにはいかない!!
空港絶対反対・農地死守−暫定滑走路建設強行実力阻止!−三里塚芝山連合空港反対同盟
集会は、畑の中で行なわれた。 とっても栄養がありそうないい土だった。
ちゃんと、託児所もありました。 地元の反対同盟の人や、関西空港の建設に反対している
牧師の方、自衛隊と米軍の演習に対して阻止行動をしている
忍草母の会の方、弁護士の方、みんな自分が先頭になって
空港と戦争に反対していく意思を表明していきました。
集会のあとは、デモがありました。写真は、農道を歩いて
いるところ。空港の敷地と道路に農道が挟まれているが、
両側ともフェンスに囲まれて異様な雰囲気。
数えられないほどいた、機動隊と、カメラを持つ私服警官。
普段も毎日、これだけの機動隊と私服警官に囲まれて、
地元の人たちは農業をしているという。
一体これだけの人件費、一日だけでも何百万、何千万
かかることか。税金の無駄遣いだ。福祉より先にこっちを
切り捨てるべきだ。
飛行機の誘導灯
空港はフェンスで囲まれている。しかし、このフェンスは
最近できたものだという。空港の建設で地価が莫大に
上がってしまい、相続税が払えなくて、泣く泣く土地を
売ることになった。それをいい事に、フェンスを作って入れ
ないようにして、一気に滑走路を作ってしまうつもりだ。
成田空港は、国際的な空港の基準から言っても、明らかに
違反している。空港のすぐそばには民家があって、この30〜
40メートル上空を、ジェット噴射ガスと爆音を撒き散らしながら
飛んでいく。本来なら、空港のまわりには広大な安全地帯が
なければならない。

−Act Now to Stop War & End Racism−より

10月7、8日、ニューヨークのタイムズスクエア、ロサンゼルス、韓国のソウル、インドのカルカッタ、世界中で、ブッシュのアフガニスタン空爆を非難するデモが行なわれた。

Emergency response to U.S. bombing of Afghanistan:


Oct. 7, New York City "Not In Our Name" Rally & March to Times Sq.
photo: artandpolitics.com

Oct. 8, New York City emergency rally in Times Sq.
photo: D. Griswold

Poster for European Student Strikes

Oct. 7, New York City "Not In Our Name" Rally & March to Times Sq.
photo: artandpolitics.com

Oct. 8, New York City emergency rally in Times Sq.
photo: D. Griswold

Oct. 8, Protest at U.S. Embassy in Brussels

Oct. 7, Protest in Los Angeles

Oct. 8, Protest in Seoul, Korea

Oct. 8, Women protest vs. war in Calcutta, India

−名護平和電脳組より−

合衆国とイギリス、アフガニスタンにミサイル攻撃

Peace Protest Net:平和プロテスト・ネット
Independent Media Center:独立メディア・センター

 10月7日(日曜日)、合衆国とイギリスはアフガニスタン爆撃を開始した。攻撃はニューヨーク時間の12時30分、アフガニスタン時間の午後11時30分に開始された。軍の公式発表によるとカブールとカンダハールの「司令部や統括施設」など「戦略目標」のみを標的としていると言うが、BBCの公表した地図やアフガニスタンからの報道を見る限り、この発表とは異なって、日曜日に爆撃された場所の中には明らかに民間の飛行場が含まれている。カブールとカンダハールだけではなくジャララバード(ここは最も激しく爆撃を受けた)、コナール、ヘラット、マザール・エ・シャリフも爆撃を受けた。合衆国国防長官ドナルド・ラムスフェルト氏はこれを否定しているが、アフガニスタンのメディアは20人のアフガンの民間人が殺されたと伝えている。

 合衆国大統領ブッシュ氏は、爆弾の投下によってカンダハールの電力供給が中止しているにもかかわらず、合衆国は爆弾だけではなく食料などの必需品も投下していると主張している。「アメリカ合衆国はアフガン人民の友である」とブッシュ氏は言う。アムネスティー・インターナショナルによると数十万人のアフガン人がすでに爆撃を怖れて居住地を離れたとしている。明らかに合衆国とイギリスからの外交圧力によって封鎖されたイランとパキスタンの国境に向かって、難民が殺到することが予想されている。イギリスのガーディアン紙の特派員イアン・テーラーがアフガニスタンのチャリカールからどこにでもある風景として報告してきたものと類似した状況が、他の目撃者たちからも、伝えられている。「老人が戦禍を逃れるために荷車を必死で押している。子供を抱え、荷物を頭の上に縛りつけ、全身を覆う黒い衣装で逃げ惑う女たち。」このような恐るべき光景がアフガン難民の「皆殺し(ジェノサイド)」として現実化し、パキスタンの政治的動揺をもたらすと、合衆国に対する批判者たちは懸念している。

 ブッシュ氏は日曜日の国民への演説の中で、「(合衆国とイギリスは)世界中の統一的な意思によって支持されている」と主張したが、ギャロップ・インターナショナルの調査では、ヨーロッパと南アメリカの国々の80%にのぼる人々は、アフガニスタンの爆撃よりも、テロリストの引き渡しが重要であり、これらの攻撃において自国が合衆国を支持しないことを求めており、攻撃よりもむしろ、これらの政治的暴力の原因を問題とできるような、国連を基盤とした国際的な対応を希望している。

 急遽実施された世論調査では合衆国国内における戦争への支持は高いが、しかし仔細に眺めてみると疑わしいものである。戦争推進派の確信犯であるニューヨーク・タイムス紙は今日こんな記事を載せている。いわく「攻撃の結末についての国内世論の不確かさ」。かかる「不確かさ」はニューヨーク・タイムスの記事の中では(我々はそれほどでもないが)平和と正義を求めて合衆国全土と世界各地で行われた圧倒的な数の緊急デモンストレーションによって増幅されただろう。9月11日の爆破事件以来何百もの地球規模の反戦抗議行動が行われてきたが、連続的な抗議行動は今週も予定されている。9月11日の合衆国におけるものであれ、現下のアフガニスタンに対するものであれ、爆撃に対する人々の反撃を伝えるインディメディアのニュースに注目せよ。


 昨日は、中座、残念でした。
ライヴ&トークはいかがでしたか、辛 淑玉さんはどんなお話でしたか
14時半頃水上音楽堂を出て、新宿西口で凱旋(17時過ぎまで)。
仲間たちは、一旦国会に集まり米大使館へ。しかし、大使館周辺は
厳戒体制。代表二人のみ許可。抗議文を手渡し。
 私は、マンション紛争の件で地元新川へ
 今朝(10/9)はJR三鷹駅頭で街宣テロにも戦争にも反対
小泉内閣が「米英の武力攻撃支持」発言を批判し、
「戦争協力法案」が国会で成立し、自衛隊が米国の「報復」戦争行為に
協力したら、日本は戦争に巻き込まれます。戦争に巻き込まれるのは
ごめんでしょう、私は”いや”です、皆さん職場で地域で声を上げよう
『テロ』も「報復」戦争もNO!と…
 道行く人々は頷いてくれました。

 三多摩は10月21日に福生市熊牛公園で集会を持ち、デモ行進を
します。
アメリカの「報復」戦争を止めよう!10.21横田デモです。

♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪

 三鷹市議会議員 嶋ア英治

★ 世の中に、どんなに善人が増えても、資本家が権力を握っているあいだは、戦争
はなくならない。―ある宗教団体のパンフレットの余白へのメモより―

☆ 戦争反対は生活の中からはじめなければならない。
  戦争屋の喜ぶことをしてはならない。―1979年世界宗教者平和会議によせて
    …阿波根昌鴻さん10月のことば
   
   ♪ ジュゴン保護カンパバッチ
   Love Dugonng 取り扱いしています。
   1個 300円


♪ 事務所(DUGONG)
  ・〒181-0004 三鷹市新川 6-26-9-205
  ・ Tel 0422−70−6330
   ・   Fax 0422−70−6332 
    ・ E-mail   dugong.shimazaki.eiji@nifty.com
♪ ホームページURL homepage2.nifty.com/dugong/
開設準備中


根津さんの件で東京都教育委員会と
市民グループとの会見が行われます。

***********************************************************
10月10日(水)10:00東京都庁第二庁舎1階ロビー集合
***********************************************************

 会見は、10:30より15分だけ行われます。多摩中教諭根津公子さんを「指導力不足教員」として申請した手続き上の不明点への質問が中心となります。

 抗議の姿勢を見せたい、根津さんを個人的に支援したい、教育行政がどれだけ不当かを見たい、監視したい.、という反ひのきみの皆様、ぜひご参加をお待ちしております。多くの人が集まって、この問題の重要性を示しましょう。15分という短い時間は、もう、都は終わらせようとしていることのあらわれです。

 もう代わりの家庭科の先生を用意しているとの情報があります。多摩中では根津さんの家庭科の授業は、技術科と、それぞれ、前期、後期、と分かれていて、その変わり目が10月半ばだそうなので、そこをめどに都研送りにしようとしている可能性があります。

 まだ、チャンスはあります。サクサクと不当な手続を進めさせたくない!ぜひ、皆様の協力をお願いします。


「街」日誌 10.9
 今日は、明日の慈雲堂まつりの準備で大忙しだった。ちゅーやんとまことさんが引き取りに行った。がんちゃんは犬の散歩へ行った。昼食は、たかちゃんと僕がつくった。メニューは肉じゃがとみそ汁と神保さんからいただいた漬け物だった。

 近所のスーパーのサントクが改装工事のため14日まで休みなので南口の商店街で買い物をした。ついつい近くて便利なスーパーマーケットを利用してしまうけど、本当は地域の小売店で買い物をするべきだと思った。

 午後は、がんちゃんとまことさんが食器洗いと2階の掃除をした。さぎりちゃんも来て、仕分けやレジをやった。午後の散歩はようこさんが行った。冨田さんは沖縄旅行の計画を立てたり、旅行会社の人と連絡を取って、忙しそうだった。ボランティアの森田さんが来てくれた。森田さんは、「報復戦争反対」の署名をはじめ、4つの署名をしてくれた。

 ミーティングでは冨田さんが沖縄旅行のスケジュールをみんなに説明した。今日退院したダイスケくんが来て、ミーティングに参加した。ダイスケくんはみんなと一緒に沖縄に行って、そのまま沖縄で1年間修行する。積極的に質問していた。洋平は歯医者へ行って、帰ってきて、みんなと一緒に夕食を食べた。メニューは豚キムチとトマトサラダだった。

10月8日(月) アメリカ、アフガニスタンを空爆/報復攻撃反対ライブ&ビラ配り/ハウス街「洋平とジュゴンの家」

【アメリカ、アフガニスタンを空爆】
絶対に許せない!!

反米テロ
パキスタン・ペシャワルでは、タリバーンの
支持者らが報復攻撃への抗議活動をした
image
Protests erupt in Quetta, Pakistan

爆撃に震えたカブール、おびえる市民

 突然、大音響が響き、市内全体が地の底から揺さぶられるように震え続けた−−。米英軍による攻撃が始まったアフガニスタン・カブールで市民たちはおびえた。

 7日午後9時ごろ、アフガニスタンの首都カブールに、外出禁止令が出された。数機の爆撃機が飛来したのは、その約20分後だった。「ドーン」という音が繰り返し響き、ガラス窓がびりびりと鳴り、夜空に火の玉の軌跡が何本も走った。

 防衛省の近くで大きな爆発。まもなく停電になり、ラジオ放送が切れた。市民は家の中や地下室で、攻撃がやむのを待った。

 ハミッド・ジャリル君(12)の自宅は、砲弾の破片で窓が割れた。「一晩中、近所の人たちと地下室にいた」と、AP通信に語った。

 別の市民は「飛行機に続き、対空砲の音が聞こえた。その直後、4、5回の爆発音が聞こえた」とロイター通信の取材に答えた。自動小銃で飛行機を狙う兵士もいた。

 カブール東部のカルテナウで戦闘態勢をとっていたタリバーンの兵士は、手と足にけがをした。市内では、爆撃のショックで心臓発作を起こし、死んでしまったという人もいる。

 タリバーンの本拠地、カンダハル。アフガニスタン情報筋によると、最初の攻撃で、空港のレーダー施設や管制塔が破壊された。過激派組織「アルカイダ」の兵士の宿舎がある住宅街もターゲットになった。第2波の攻撃は、中心部にあるタリバーン本部を直撃。カンダハル中心部から約15キロ離れた、最高指導者オマール師の自宅からも、煙が上がったという。

 タリバーン政権と戦闘を続けている北部同盟の兵士は、攻撃開始を受けて歓喜にわいた。カブール北部にいた兵士の一人は「タリバーンがアメリカの攻撃で壊滅されることを期待する」とAFP通信に話した。

 空爆から一夜明けたカブール市内。幼い子供、老いた男女が、郊外へと出るバスやトラックへと急ぐ。わずかな生活用品をかき集めた小さな荷物を手にしている人もいる。みな、疲れ切った表情だ。

 攻撃の対象となったカブールの空港近くに住むミルザ・モハメッドさんは、家族とともに街を出る準備をしていた。「4人の子どもたちと私は、夜通し一睡もせず、恐怖におびえていた。なぜアフガニスタンの国民だけがこんな目にあうのだろうか」とAP通信に話した。

 別の男性はロイター通信に対し、「衝撃的な夜だった。ここに残るぐらいなら、野宿をした方がましだ」。

 一方で、いつもの通り、店を開け、仕事に出かけた人も少なくない。市中心部のブルーモスク前のバザール街には、野菜や羊肉の露天が出て、モスクには早朝から市民がお祈りに訪れた。政府機関もタリバーンの厳重警備のもとで、通常業務にあたった。AP通信によると、カブール市内の4つの病院には、犠牲者が運ばれた形跡はないという。

 ある店員はロイター通信に対し、「アメリカに攻撃をやめるよう言ってくれ」と訴えた。

 モスクでは、僧侶(そうりょ)が、アメリカに対するジハード(聖戦)を呼びかける説法をしていた。

 「ジハードの時が来た。我々は国とイスラムのために、自分たちを犠牲にしなければならない」(19:59)


アフガン攻撃:各地で平和団体が米国に抗議行動

 原爆投下で多くの市民が犠牲になった広島など国内各地では8日、平和団体が米国の報復攻撃に抗議の声を上げた。

 広島の平和団体でつくる「“報復”戦争と日本の参戦を許さない! 広島実行委員会」準備会メンバーら約15人は、広島市中区の原爆ドーム前で座り込みをし、「報復戦争は、国際法でも国連憲章でも認められていない」と米英を強く非難した。父親が広島で被爆したという被爆2世の県立高校教諭、岸本伸三さん(50)は「56年前と同じような新たな戦争被害者が生まれないよう、ヒロシマから訴え続けていく」と話した。

 松山市の松山市駅前では、市民団体「テロにNO!米国の報復戦争にNO!日本の戦争協力にNO!平和的解決を!」えひめのメンバー10人が、プラカードを掲げて座り込み。通行人に「報復は報復を呼ぶ」などと書かれたビラを配り、報復攻撃の即時中止を訴えた。

 富山市では、学生や元教員らでつくる市民団体「平和をつくる富山県連絡会」がJR富山駅前で、小泉純一郎首相に抗議する反戦署名活動をした。メンバー約20人が「膨大な死者を出す報復戦争は直ちに中止すべきだ」と訴えた。

 大阪では、市民団体「平和と生活をむすぶ会」が大阪市北区で、報復攻撃への抗議集会を開き、約120人が参加。「人道的戦争なんてありえない」「テロにも報復戦争にも反対する」などと書いたプラカードを掲げ、市内を行進した。参加した東大阪市の女性(53)は「罪のない人を犠牲にする行為を許してはいけない」と話した。

 大阪府和泉市でも、女性市議らの呼びかけで集まった市民約90人が市内をデモ行進。参加者は「テロも戦争もいや!」と書いた横断幕などを掲げて平和の大切さを訴えた。集会では「平和を願う世界の市民を巻き込んでほしくない」としたアピールを採択し、小泉純一郎首相やブッシュ米大統領あてに送ることを決めた。


国内の米報復攻撃に反対する各地での行動日程は−反戦ネットワーク−を見てください


−なご平和電脳組−の中の新着ページ−戦争を、止めるために、何かできることを・・・


世界の米報復攻撃に反対するデモなどの情報は−Act Now to Stop War & End Racism−を見てください

9月29日、ワシントンでのデモのようす
沖縄でも、この世界中で同時に行なわれたデモに連帯して
米軍基地のゲート前で集会が持たれました
http://web10.freecom.ne.jp/~gusuku/01.9_6.html

「街」報復攻撃反対ライブ&ビラ配り
「街」では毎日、ヨッシーが「報復攻撃反対ライブ」を、店のまえでしています。
「街」ニュースを道行く人に配って、アメリカの報復攻撃
はいけないと訴える「街」のみんな。
「街」ニュースを読んでくれた

10.8 「街」
今日は、ハウス街「洋平とジュゴンの家」の日。
自立するために、洋平くんははりきっています。
「街」の2階でみんなとようこさんが作ってくれた
カレーを食べる。
後片付けもバッチリ!!

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