2000年12月23・24日に,
沖縄の北谷町と名護市の米軍基地前で、レッドカードM.は赤いリボンでできたクリスマスツリーと英文の横断幕を掲げました!年が明け,
米軍基地関係者からメールが届いたり、基地内から当サイトへのアクセスが増えたりと反応があります。
クリスマス計画の詳細はここをクリック↓
レッドカードM.からのクリスマスギフト
まず、この計画の準備と遂行に協力してくださった方々に心から御礼申し上げます。
年末でご多忙中にも拘わらず、深夜までクリスマスツリー作りや飾り付けを手伝ってくださった方々、元気なパワーと共に、一緒に現地で楽しく飾り付けをしてくださった方々、鈴のついた可愛いリボンを大量に作ってきて下さったり、高価な良質のリボンを提供してくださった方々。更に英文メッセージを手直ししてくださったり、メールやホームページで宣伝してくださったり、と本当に皆様有難うございました!
当日の行動模様は、下記の地元二紙に写真入りで取り上げて頂きましたので、是非ご覧ください!
琉球新報 http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2000/2000_12/001223h.html
沖縄タイムス http://www.okinawatimes.co.jp/day/200012231300.html#no_9
その他、共同通信、新聞赤旗、週間金曜日からの取材もありました。
琉球朝日放送(QAB)も1月初旬に放映する予定です。
12月23日(金)は午後1時から北谷町でクリスマス・アクションをおこしました。米軍車両も含め交通量の多い58号線沿いの、北谷町役場入り口付近に赤いリボンでできたクリスマスツリーを飾り付けました。そこに英文で「メリークリスマス&ハッピーニューイヤー。他国で迎えるクリスマスは寂しい事だと察します。来年は皆様が家族や友人の待つ故郷でクリスマスを祝えることを願っています。レッドカード・ムーブメントはアメリカ人に対しての排斥運動や米軍関係者個人を攻撃するものではありません。(要旨)」と書いた約20メートルにも及ぶメッセージを取りつけました。
15人以上もの参加者の一番乗りは、休暇で来沖中のビル・スティールさん(80才)で、赤いTシャツ姿で参加しました。また前日に到着したばかりの、米国で在沖米軍基地問題を研究している大学生も駆けつけ、東京から来沖中の若者達は自作のメッセージソングを演奏してくれました。
元米海兵隊員だったビル・スティールさんは、在沖中に米軍基地に対して異議を申し立て、米国側に投獄された経験を持つ筋金入りの平和活動家であり、現在も自国で基地反対運動をしています。
(北谷町役場は米軍基地内にあります。)
ツリーを取りつけた後、一行は英文メッセージ入りのクリスマスカードを道行く米兵や米軍人の車両に配りました。特に美浜のアメリカン・ビレッジでは、米軍関係者も多く集うので、200枚以上を渡すことができました。アメリカン・ビレッジと呼ばれるこのエリアは元は米軍のハンビー飛行場だったのですが、返還された跡地の一部が、近年になって若者が集う海辺のおしゃれなまちに生まれ変わったのです。ハンビー飛行場だった頃は基地の雇用は僅かに100人だったのが、今日では1万人以上の人が働く商業地区と変貌したのです。道行く米国人にカードを渡すと、笑顔で「メリークリスマス」と応えてくれました。それ故にレッドカードMが米国人に対する排斥運動ではない事を理解してもらわねばと切に感じました。
さてクリスマスカードの配布を終えて北谷町役場入り口に戻ってみると、今しがたフェンスにつけたばかりの英文のメッセージが撤去されていました。英文のメッセージだったので、米兵が理解するのが嫌だったのかも知れません。物の見事に迅速な取り外しの様を見て、やはり米軍関係者に対して訴える際は英語で書くと効果があるのだと実感しました。平和活動は相手の文化習慣や思考をも考慮した上で相手の言語で訴える事が有効だと感じました。
この行動は翌日には、新基地建設計画で揺れ動く名護市のキャンプ・シュワブ前でも行われました。
英文メッセージを一列に並べた写真をご覧下さい。